[-1 テイラーとフォード.
中山秀太郎『技術史入門 』[.大量生産時代−自動化− から
98/12/1 木本研 98M42134 小林 学
○セラーズ
アメリカで南北戦争後,鉄道ブーム→鋼鉄の需要が増大
1973年,ウィリアム=セラーズがフィラデルフィアのナイスタウンにミッドバル製鋼会社を設立
アメリカで最初の平炉法で良質の鋼材を生産:機関車の車輪,曲射法の生産
○セラーズねじ
生産品の規格化:ねじを規格化する.アメリカ合衆国政府に全面的に採用される.その他産業界へも普及
○能率増進運動の背景
鋼の使用は機械の精度を著しく向上.機械の製作は職人の腕だけでなく,機械製作を一定の計算によって設計製作する専門技術者が必要→技術者の増加
産業は大規模化,工業生産の増大→インフレーション,1873年恐慌へ
以後10年間物価は下落を続け,多くの会社は賃金の切り下げ,労働の強化,その結果労働運動の激化
8時間労働の実現,賃金切り下げをくい止める
企業の激しい競争:新機械・技術の導入,生産性の向上
1880- "能率増進運動"が約20年にわたって始まる
○テイラー
@生い立ち
父は法律事務所,母はフランス語,ドイツ語など語学に達者.両親はテイラーを弁護士に.
1874年ハーバード大学に入学したが目を患い,やむなく学校を辞めてフィラデルフィアの機械工場に見習い工として入社.4年間下積み.
1878年ミッドバル製鋼工場に日給労働者として一旋盤工として入社.
仲間が意識的に仕事を怠けているのに気がつく.
当時,意識的怠業はどの工場でも行われていた.
A金属切削の研究−科学的管理法への糸口
当時,管理者と労働者が対立.わざと生産を制限
これを改善するには作業のやり方を改善しただけではだめ.基本的な問題から手をつける.
金属の切削がどのように行われるか?このことがはっきりわかれば仕事のやり方を決めることができる.データに基づいて適正な仕事の量を決めることができる.逃げ道がなくなる.
どんなバイトがよいか?バイトの刃先の角度はどのくらいがよいか?送りはどのくらいがよいか?などがまだわかっていない.そこから研究を開始.
切削の各動作に要する時間を測定=時間研究
B時間研究のエピソード
学生時代,先生が出す宿題はいつも二時間で解けてしまう.先生は生徒が問題を解く時間を計っていた.
物事を適正に行うには時間を測定することが非常に役立つ.
ボールミルを使って実験を開始.六ヶ月の予定が26年もかかる.
C高速度鋼の発明
工作機械のバイト:1871年イギリスのタイタニック製鋼会社のムシェットによって開発された自硬鋼製バイト.
ムシェット鋼:炭素,タングステンをやや多く含有し,その中にマンガンが混入.高温から空気中で冷却するだけで硬化,切削能力,耐久力とも従来の炭素鋼よりも優れる.テイラーはこのマンガンをクロムに置き換え,バイト材料の改良をしようとしていた.
セラーズの会社を退き,製紙会社の総支配人を三年間務める:コンサルタントエンジニアとしての新しい職業(会計制度改革)
金属切削の実験はまだ終わっていない.
テイラーの主張する管理方式を実行するには作業の行われる時間を定め,それが時間内に完了するにはすべての方法が標準化されなければならない.そのいくつかの標準化の中に機械の運転速度の標準化が含まれていた.
機械の運転速度の標準化→機械の運転速度を決める→バイトの形状,バイトの材料(工具鋼の種類)
◎もっとも高い切削速度を持つ工具を標準工具として選び,機械工場における作業をスピードアップする事が,生産能率を上げる最大の目的.
ベツレヘム製鋼工業の近代化
テイラーが出した条件
(1)工場の経営を独立せしめること
(2)経営によって決まった政策が実行できるような制度と規律をはっきりさせること.
(3)日給ではなく出来高報酬制にすること
さらに切削工具の実験をする.
目的:もっともよい切削速度が得られる温度を求めること.工具の損傷する危険な速度を求めること.
テイラー・ホワイト鋼(高速度鋼)の発明:華氏1725度以上に熱する
1900年パリ万国博覧会
軟鋼をft/mm,炭素鋼を125ft/mmで切削
D科学的管理法の完成
工具(バイト)は高速度鋼に決定.次に切削速度の問題
1899年6月数学者バースがベスレヘム会社に呼ばれ計算尺がつくられる.(工具の角度,切削の深さ,切削速度,送りなどの最適条件が分かる)
26年間の実験で実験回数3万〜5万回,80万ポンドの鋼鉄が切り崩され,15〜20万ドルを使う.
1903年アメリカ機械学会サラトガ大会
『工場管理』発表
1911年『科学的管理法の原理』
テイラーシステム(科学的管理法)完成
(1)管理者は仕事を要素に分解し,それぞれについて科学的研究を行い,経験を排除すること.
(2)管理者は,科学的資料に基づいて工員を選定し,訓練し,仕事に熟達せしめること.
(3)この原理に従って仕事が遂行されるように管理者は工員と協力すること.
(4)仕事ならびに責任は管理者と工員で分担すること
Eテイラーシステムの功罪
金属切削の理論を確立するためではなく,工場管理の確立.
意識的怠業をなくすには「公正な一日の生産高」を客観的,科学的に決定すること.そのために金属切削と時間研究を始める.
基礎的なことを明らかにしなければならない→正しい
工場管理が生産能率を上げるのに重要という認識を広める→正しい
しかし・・・
「公正な」「標準化」は「一流の労働者の最速の時間」が正しい作業時間の標準へ
経営者に都合のよい理論→広く受け入れられる.
労使の利害が一致せず争いが耐えない.
生産を拡大するには最速な時間で無駄なく作業を進めなければならない.
テイラーの欠点
労働者の疲労に関する科学的知識の欠如
○フォード
自動車は非常に高価
だれでももてるようにする.
ヘンリー=フォード(Henry Ford 1863-1947)
アメリカでは自動車は必需品,安くて丈夫な車は売れると確信
1890年エジソン電気会社に技師長として招かれる.
単独で機械技術を身につける.休日を利用して自分で設計,製作
1896年春,第一号車が完成(二気筒,二変速,バックができなくブレーキもない)
1903年,フォード自動車会社設立,フォード社長に(40才)
1908年3月全国のフォード販売店に対し生産者の形式を単一モデルにして廉価車の大量生産を開始すると声明
→T型フォード(4気筒20馬力)
大量生産方式の確立
自動車産業:アメリカ資本主義の発展と豊富な石油資源を背景に成長,
20世紀初頭8000台-1910年には46万台に
T型フォードは需要に応えるため増産体制を整える.工場内を整備
多くの加工用機械を自動化,
1910年自動車の部分品を斜面を利用して動かす
1913年マグネトーの組立にベルトコンベアを利用する.さらにエンジン,シャーシの組立へ
1913年には一日平均1000台の自動車を生産
1914年には24万8000台を生産→アメリカの自動車生産の半分
1908ー1927年の間に1500万7033台を売り上げる.
フォードではいち早く一日八時間労働を達成
賃金フォード:$5,平均$2.4
流れ作業方式は自動車の価格を低下させる.
1908年:$2000,1913年:$850,1917年:$600
フォードとエジソン
1896年 エジソン照明会社連合の宴会
フォードはエジソンを偉大な発明家だと尊敬していた.
フォードはエジソンに自分の自動車の構造を説明.エジソンは積極的に勇気づけられる.
フォードとエジソンの深い友情.二人は出生,社会的背景が似ていた.
フォードとエジソンはきわめて人道的な考えを持つ.
1914年,第一次世界大戦 フォードはこれに反対.
1917年,平和主義を捨てて,戦闘的な愛国者として戦争産業に乗り出す
1936年1月25日フォード財団設立
コンベアシステムは著しく能率を高める.世界中のあらゆる部門に普及.
大量生産により人々の生活は次第に豊かになっていった.