E.J.ホブズボーム『産業と帝国』浜林正夫・神武庸四郎・和田和夫

E.J.Hobsbawm INDUSTRY AND EMPIRE

98/11/20 小林


第一章
1750年のイギリス

第二章 産業革命の起源

第三章 産業革命 1780年−1840

第四章 産業革命の人間的諸結果 17501840

第五章 農業 17501850

第六章 工業化の第二局面 184095

第七章 世界経済の中のイギリス

第八章 生活水準 18501914

第九章 衰退の始まり

第十章 土地 1850年−1960

第十一章 両大戦期

第十二章 政府と経済

第十三章 長い好況

第十四章 1914年以後の社会

第十五章 そのほかのイギリス

 

第一章 1750年のイギリス

(1)(第二次)囲い込み

  1. 家内工業の発達

イギリスの工業は「自由貿易」を要求するのに十分なだけ強力になるまでは,保護された国内市場で成長した.

 

第二章 産業革命の起源

(1)イギリス産業革命の特徴

@産業革命は経済成長の単なる加速ではなく,経済的社会的転換による,そしてそれを通じての,成長の加速である.

Aイギリスの革命は史上最初のものだった.

(2)イギリス産業革命の原因

謎は,利潤を上げることと技術革新の関係にある.

私企業経済はおのずから革新に向かう傾向があると考えられているが実はそうではない.それは利潤への傾向を持つにすぎない.それが製造業に革命を起こすのは,それ以外のやり方よりもこのやり方の方がより多くの利潤を上げるという時のみである.しかし工業化以前の社会ではそのようなことはほとんどない.工業化していない国においては技術革新による儲けよりも高価なものを少量生産した方が儲かる.

それではどうして実業家たちに生産の革命をやらせるようにした諸条件は生まれたのだろうか?

 

海外の植民地および「低開発地域」の市場の集中と,これを誰にも認めない戦いの成功とがある.イギリスの工業経済は商業から成長したものであり,特に低開発地域との商業から成長したものであった.

→商業と海運がイギリスの経済収支を維持し,海外の一時産品とイギリス工業品との交換がイギリスの国際経済の基礎となったのである.

 

3 産業革命 1780-1840

1700 キャラコの輸入の全面禁止.(毛織物工業の保護)

イギリスの綿業はその最盛期には世界最良のものであったが,その終わりには品質の良さで競争するのではなく,イギリス帝国とイギリス海軍とイギリスの通商上の優位性によって与えられた植民地と低開発市場の独占にたよるようになり,しかもイギリスの政治干渉ではもはやそれも阻止できなくなったとき,イギリスの綿業は先が見えたのである.

(1)産業革命の開始

@綿業の機械化

紡糸と織布の能率の不均衡.飛梭の発明→織布と紡績の不均衡

紡績機の改良

1760年代 ジェニー紡績機,家内紡績工ひとりで同時に数本の糸を紡ぐことを可能に

1768 水力紡績機,巻軸と紡錘の結合による紡績という独創的な考え方を用いた.

1780 ミュール紡績機,ジェニー紡績機と水力紡績機の結合,蒸気機関が適用される.

 

織布部門は手織機,手織工を増やすことで歩調を合わせた.1780年には力織機が発明されたが,この製造部門ではナポレオン戦争後に至るまで大規模な機械化はなかった.手織工は飢餓によって排除され,子供や婦人が取って代わった.1815-1840年の間に機械化が完成.しかしそれ以上の技術革新はなかった.→保守的

綿業の技術革新は非常に簡単なもの.

 

(2)産業革命の結果 (新しい技術に基礎をおく新しい産業制度がもたらしたもの.)

産業内部で蓄積された資本が農場の抵当や宿屋の主人の貯金に取って代わり,技師が発明の才ある織布工兼大工に取って代わり,力織機が手織工に,工場プロレタリアートが多数の下請家内労働者と少数の機械化された施設の結合に取って代わった.

 

(4)革命的な変化

@資本家的雇用主,労働力以外は何も持たずこれを売って賃金を得ている労働者

A工場生産

作業工程に特化した人間の手と機械によって編み出される生産制度.それらすべてが非人間的な(機関の)作業ペースとガス灯によって照らされる.革命的な労働形態.

B経済全体,生活全体が資本家の利潤追求と蓄積によって支配される.

 

(5)産業革命の伝播

工業化と技術革新全般を刺激=化学工業と機械工業

鉄と石炭の需要,採炭の技術革新=蒸気機関の発達,鉄道の発明

製鉄産業が炭鉱地帯に移る.but19世紀の中頃に至るまで真の産業革命を経験しない.なぜなら消費財産業は工業化以前の経済においても大量市場を持つが,資本財産業はすでに工業化しつつあるか,あるいは工業化した経済においてのみ市場をもつから.

→それを与えたのは鉄道の時代.(20年間に石炭と鉄の生産を3倍にし,鋼鉄産業を作り出した)

→限られた産業革命(綿工業のみ)=産業革命の第一段階

 

(6)1830年代と1840年代の危機

社会不安=ラダイト,急進主義,労働組合,空想社会主義,民主主義,チャーチスト.絶望と飢餓がはびこる.

@革命の予感

イギリスの貧困は,それ自体資本主義の経済的諸困難の重要な要因=イギリスの国内市場の規模と拡大に限界を示した.

市場は生産を吸収するほど拡大してはいなかった.1830-1840年にかけて飢餓によっていっそう市場は冷え込んだ.海外の市場も工場で生産されたイギリス製品を十分に消費するほど成長していなかった.

その結果,労働者階級と中産階級が個々に,あるいは協力して根本的変化を要求.(1830-1840年代)

1829-1832 議会改革を要求 労働者は示威と蜂起.実業家は経済的ボイコット

1832以後 中産階級の急進派の要求が一部認められる.その後,労働者はひとりで戦い,そして敗北した.

1841-1842 最悪の不況 チャーティズムはゼネスト,中産階級の急進派は全国的なロックアウトによって飢えた労働者を町中にあふれさせ,政府に対応を対応を迫ろうとしていた.

 

1829-1846 食べるものが十分にないため絶望的になっていた労働者と,現在の政治や財政の仕組みが徐々に経済を窒息させつつあると信じていた製造業者たちとの結びつきによるものがこのような緊張を引き起こした.

 

「ヨーロッパに妖怪がでる.共産主義という妖怪が」(マルクス・エンゲルス)

 

4 産業革命の人間的諸結果 1750-1850

(1)産業革命で儲かった人々

@イギリスの貴族層とジェントリ層には工業化によってかえって生活がよくなったという以外,何の影響も与えなかった.

A地代は農産物の需要とともに増大し,都市や鉱山,製鉄所,鉄道,の発展によって上昇.農村の貴族社会に寄生していた上流階級の人々

それに入れなかったブルジョアジーは自らを「中産階級」と認識,彼らは古いしきたりや伝統には縛られなかった.

(2)産業革命で虐げられた人々

☆労働者←伝統的な生活や生活習慣を破壊され,それに代わるものは自動的には与えられなかった.

工業社会における労働の特徴

@仕事の代償として得られる現金賃金以外は取り立てて収入の源泉を持たないプロレタリアとしての労働

雇用主とのつながりが金銭関係だけ

A機械化された工場労働は規則性と繰り返しと単調さを課す.

B労働が大都市の未だかつてなかったようなひどい環境で行われるようになった.

不衛生な生活環境,工場の煙,都市の基本的な機能(上下水道,道路清掃,空き地)の不足,伝染病(コレラ,チフス)の蔓延,都市は人間関係を破壊.(雇用主と労働者の関係)

C工業化以前の経験や伝統や知恵や道徳は,資本主義経済が要求するような行為にとって十分な導きとはならなかった.過去の道徳経済と資本主義的経済的合理性の対立

(3)質的な困窮

社会運動(ラダイトからチャーティズム)も死滅.

→単に時代の著しい貧困からのみ生じたものではなく貧しい人々の古い行動の方法からも力を引き出していた.

(4)物質的な困窮

@労働者が貧乏になる代わりに富者と中産階級が裕福になる.

A労働者の消費に対する圧力

工業主義は国民所得を消費から投資へ相対的に振り分けること.

具体的にはステーキの代わりに鋳造工場を造ること.→貧民から(投資する可能性のある)金持ちへ所得を振り分けること.

その結果所得を得た金持ちは投資,もしくは浪費してしまい,それ以外の小規模な企業家はますます労働者を圧迫するしかなかった.

さらにその経済は労働者の購買力に依存することなかった.ズボンを必要とするイギリス人は,仕立屋につくらせるか,捨てたものを拾うか,お恵みに頼るか,自分でつくるかのいずれかをとる.食料・住宅も増大する都市人口に追いつけない.

Bある種の階級の生活が悪化

農業労働者,

技術進歩によって置き換えられてゆく衰退産業(例,50万人の手織工)

ますます安く働くことで新しい機械と競争しようとする空しい試みの中で次第に餓死していった.

商品に対する需要に応えるため,技術革新ではなく,細分化と苦渋によって応えた非工業化職業(屋根裏や地下室で働く無数のお針子)

(5)社会的不安の増大

→社会的政治的不安は単に物質的貧困の繁栄であったばかりでなく,社会的窮乏化,つまり古い生活様式が破壊され,十分にこれに代わるものがなかった.

ラッダイト運動(機械打ち壊し運動)

チャーチスト運動

1838-1848:最初は機械を打ち壊していたが,やがて貧困の原因が社会制度にあることに気づく.

1830年頃:いっそう自覚的になり,プロレタリア的に

1829-35:一般労働組合と最終的な武器であるゼネラルストライキの考えの誕生

これらの一連の運動を結びつけ,敗北や解体の後,それらを復活させたもの

=富の満ちあふれる社会で空腹を抱え,自由を誇示する国において奴隷となり,パンと希望を求めてその代わりに石と絶望を与えられた人々の普遍的な不満.

 

のちに社会運動(ラダイトからチャーティズム)も死滅.

イギリスの労働者階級が新しい闘争方法と生活様式を展開するにはさらに40年かかった.

 

5 農業

1800年代中ごろ:農業はすでにイギリスの基幹産業ではなくなる.しかしその役割は大きい.

@食料の供給源がイギリス国内のほかになかった.

A土地利害がイギリスの政治と社会生活を支配していた.→上流階級に属するということは所領と「議席」をもつということ.大地主は富裕で有力者.

1)小農民の消滅

2)囲い込みと救貧法

◎週賃金制度の導入

3)農村の工業化と復興

農業生産と生産性の向上(1750-1830後半)

技術革新ではなく耕作地域の拡大や大農場の能率の増大や作物の変化や輪作や家畜飼育法や道具のいっそうの広がり.

◎農業の近代化

資本の大量投資とかなりの機械化に伴う「高度集積農業」の進展

イギリス農業の黄金時代(1840,50〜)

 

第六章 工業化の第二局面 1840-95

(1)石炭と鉄の時代

@他の国々の工業化による需要の増大

工業化のために「世界の工場」からしか輸入できないもの=鉄鋼,石炭

A有利な投資のはけ口

鉄道建設=かつてないほどの巨大な産業

最初鉄道は鉱山から石炭を運び出し,貨車を蒸気機関を運び出すのに使う.

工業経済が輸送手段を必要としていたわけではない.有利な投資先を見つけようとする動き.

当初は海外へ,しかし失敗してひどい目に遭う.→鉄道へ投資

(2)各国の工業化

世界の鉄道建設

@重工業における産業革命

鉄および鉄鋼の供給を豊富に→高炉の生産能力の拡大

1850年:ベッセマーの転炉法 鋼の製造

1860年代の平炉法

1870年代後半の塩基性炉 硫黄分の多い石炭を精錬に使える

鉱山労働者の増加.ひどい労働条件→社会主義的集団へ

A雇用全般の著しい改善

鉄鋼・石炭産業の発達→不熟練労働者の数を増やし,彼らに高い賃金を与え,農村の過剰人口を一掃.

同時に機械,船舶の建造における熟練労働の数を増大.労働貴族層を強化

低賃金な職場から高賃金への職場への移行→社会的緊張の低下

Bイギリスの資本輸出の増大

(3)工業経済の確立の結果(雇用主と労働者)

産業革命初期の資本主義的製造業者は,利潤を作り出す唯一の方法は最大の労働時間に対して最低の貨幣賃金を支払うことと信じていた.

1840年代:状況が変わってくる.

資本家たちは労働時間を延長したり,賃金を切り下げたりするような「外延的」搾取を放棄する.

緊張の緩和による.産業資本家たちはこういった変化を受け入れるほど十分に豊かになったと確信した.

→イギリスの労働者はすでに革命的ではなくなっていると見なされた.

チャーティスト運動は死に絶えていたから=社会主義はその誕生の国から消え失せた.

(3)イギリス経済の停滞

1873-1896 イギリス経済 不況の時期

◎海外から安い穀物が都市に入ると,イギリスの農業は崩壊した.しかし農業はたいして重要ではなかったので保護してもらえず,結局農業は競争を仕掛けられていないか,それが不可能な生産物をつくるようになる.

しかし,安い農産物,原料の流入はますますイギリスの利益となった.

◎他国での産業革命の進展(特にアメリカ合衆国・ドイツ)

イギリスだけでしか作れなかった生産物が,他国が国内向けにも輸出用にも作れることがはっきりした.=「世界の工場」の地位から転落

 

イギリスのとりうる道はただ一つ.

これまで未開発であった地域を世界の諸地域の経済的な(そしてますます政治的になった)征服であった=帝国主義

 

労働組合に支持され,社会主義者に鼓舞された独立労働党が成立,インフレによって不況を脱したときイギリスは世界の工場ではなくなっていた.

 

7 世界経済の中のイギリス

19世紀の中葉,イギリスは世界の石炭の三分の二,鉄の半分,鋼(供給量はわずか)の半分,綿布の半分,金物の(金額表示で)40%を生産.

1)イギリスの相対的衰退

1890年代にはイギリスは鉄鋼生産においてドイツとアメリカに追い越される.

@発展したイギリスの産業を維持するほど,もともと人口が多くなかった.また人口の大部分である労働者階級が貧乏だったために生活必需品以外の需要がほとんど無い.→国際貿易を発展

A工業化を独占し17801815年の間に海外の低開発地域との諸関係を成立したという理由だけで,異常なまでに国際貿易を発展.=イギリス産業は国際的な真空地帯で発展.それはイギリス海軍の活動によって清掃されたため真空地対だったのであり,また競争国がイギリスの支配する外洋を飛び越えられなかったため空洞として維持された.

→イギリスはすっかり外国貿易に依存する.おのおの経済がその地理的にふさわしい一時産品を世界の工場の生産品と交換する.

 

イギリスは唯一の近代的経済であったから多くの低開発地域は実質上イギリス以外にものを売ることができなかった.発展した諸国は急速な工業化の時期に入りつつあり資本と資本財の輸入需要が事実上無制限.発展した世界とかかわりを持ちたがらない諸国も砲艦と商船によってそうせざる得なくなった.世界の中で最後まで鎖国していた諸国(中国と日本は)こうして1840から1860年までに近代的諸経済と無制限の交流を強制された.

2)自由主義経済の崩壊

@帝国主義の時代

Aイギリス工業の衰退

イギリスの工業が停滞したのにイギリスの金融業は勝ち誇り,世界の決済体系の仲で海運業者,貿易商,仲介業者としてのイギリスは不可欠のものとなっていった.(1870-1913

第一次世界大戦がこのネットワークを引き裂いた.イギリス政府はそれを元のままにしておくために絶望的な努力を払った.

イギリスはアメリカ合衆国に巨額の債務を負うことになった.

 

1919年以降イギリス政府は1913年の状態を復帰させようとした.一時は復興したかに見えたがそれは幻想であった.総投資所得は第一次大戦後,1870年の状態に.第二時大戦後,1860年の状態に.

1929年の恐慌は1913年以前の良き時代への復帰という幻想を打ち砕き,第二時大戦はそれを葬った.

 

関税障壁により,ロンドンの優位および完全な自由主義経済という砂上の楼閣は動揺.実は1870年代には死んでいた.

 

第八章 生活水準

イギリスは労働者の国

黄金時代に入って全体としては生活水準はよくなった.しかし実質所得は1900年あたりには改善が止まった.

1)死亡率の低下

産児制限と一層高まった生活水準のために出生率も低下.人口増加は低下する死亡率とそれより低い早さで低下する出生率に依存する.

2)生活水準の向上

3)食生活の変化

果物を食べ始まる.労働者階級の場合,最初はジャム,後に輸入バナナ

 

1850年代から衛生上の改革(下水・給水・道路清掃),豊かさが自治体の建物を産み,公衆のために公共用地と公園の場所を確保する.他方鉄道,側線および駅は広範囲にわたり都市の中心部めがけて細長い道路をつき通し,そこで前から暮らしていた連中を別のスラム街に追い出し,残っている人々をススとあかの厚い層で覆った.

今日まで続いている.

 

第九章 衰退の始まり

最初の産業革命は経験に基づく.19世紀後半の技術進歩は科学にもとづく(鉄鋼,電気,化学,内燃機関)

ドイツ,アメリカの台頭=イギリスの変化はこの二国の比べると目立たないもの.

この新しい流れにイギリスは乗り遅れる.どうして乗り遅れたのか?

「工業国として早熟的で長期持続的出発を遂げたから」

古い技術を新しい技術に置き換えるには費用がかかるばかりか困難

 

植民地とその衛生的世界へ閉じこもる,国際的な貸付,貿易及び決済の中心として成長しつつあった力に依存.

イギリスは工業から退いて金融へ向かう.

第十章 土地 1850-1860

19世紀第三・四半期までイギリスは輸送費がかかるため食料輸入が不可能=農作物・農地の価格が高騰,農業黄金時代,しかし長くは続かない.

@イギリス工業経済はその顧客が輸出品を購入できるほどに大量の輸入を必要としていた.

A新開地(アメリカ・カナダの中西部,ラプラタ川流域のパンパス,ロシアのステップ)でイギリス農業より安売りできたこと.

イギリスは関税で農業を保護しない=自由貿易のため

19世紀の中葉以降農業の重要性は次第に薄れる.大不況は農業経営と地主を危機に陥れる.農地の減少,かつてのジェントリ,地主貴族は土地を手放す.

 

二つの世界大戦は深刻な食糧不足をもたらす=政府の介入,機械化,近代化がすすむ.耕作地の増加.小作農の増加.能率的な産業へ転換.

 

11 両大戦期間

イギリスのヴィクトリア朝経済は両大戦期に崩壊.

綿布,石炭,船舶の建造高の減少.

(1)大量失業の発生

イギリスの伝統的産業の零落→大量失業の発生

第一次世界大戦のあと,不況が発生

(2)労働党の躍進

戦争とそれに続く激動の時代に,肉体労働者の階級政党である労働党の集票力が八倍になった.

1910年:50万票

1922年:450万票→歴史上はじめて,プロレタリア政党が政権担当能力のある二大政党になる.その結果,労働者階級の力と財産没収に対する恐怖が中産階級を悩ますことになった.

 

不況によって労働党の指示は伸びた.1951年までは労働党は史上かつてないほどの票を得ていた.

 

(3)自由主義的経済の衰退

世界の資金源であり金融取引の中心地であった,ロンドンのシティがその経済の崩壊を一時的に押しとどめた.

1920年代中葉までは海外投資によって以前より多くを稼いでおり,貿易外の収支(金融・保険)でもそういう状態が一層際だっていった.

 

大戦後の危機は,ただ単にイギリスの衰退を意味してはいなかった.それは自由主義的経済の衰退を意味していた.だからこそイギリスの工業が失ったものをイギリスの貿易と金融が取り戻すことはあり得なかった.

 

網の目のような障壁が国境に沿って立ち並ぶ.

繁栄している通商制度の国際的な合流点であったイギリスは,それが消え去る事態に直面一方,不況の工業国とそれ以上に深刻であった一次産品国への投資による所得は減少した.

 

1932 保護関税法の制定,オタワ協定(自治領およびインド)=ブロック経済の確立

自由貿易経済が完全に葬り去られる.=ヴィクトリア朝経済の終焉

もともと自由主義的世界経済の政党だった自由党が1931年にその伝統的存在理由とともに最終的な政治展望を失う.

 

(4)これまでの経済理論の崩壊と新しい理論の登場

これまでの理論:賃金と財政支出が大幅に削減されればイギリス産業はもう一度よくなる.→本当はもっと財政支出を多くし,有効需要を増やさなければならなかった.

銀行家も官僚も自由主義的経済の復帰を夢想し,均衡予算とバンクレートに信頼を置き,世界の金融中心としてのロンドンのシティを維持するという不可能な望みにすべてを託す.

労働党も保守党も理論は同じで,ただイデオロギー的に対立.

財政支出がもっとも有効な時期に,政府支出の削減によって不況を悪化させたことはほぼ間違いない.

 

マルクス主義者:大不況を実際に予言し,その予言とソ連が大不況を免れたことで信望を集めた.

JM・ケインズ:有力な正当派経済学を批判し,後の時代にはそれに代わって正当派となる.

 

(5)経済の近代化

科学技術,大量生産,大衆市場向け産業の重要性.経済集中と独占資本主義および国家の干渉の重要性が増大

 

(6)両大戦期の破局がどうしてより根本的な結果を引き起こさなかったか.

@経済の圧迫が絶えられないほどのものではなかったこと.

イギリスの基幹産業はすでに1921年以後不況に入っていた.最初から下の方にいれば落ちても大したことがない.

イギリス本国よりもさらに悪い他の植民地.=イギリスはさらに恩恵を受ける.

海外から国内市場への移行.

Aもっとも効率的な近代化の方法であった国家計画が政治的理由から極めて限定して用いられたこと.

もともとイギリスは小規模な企業が多かった.しかし不況によって独占と集中が進んだ.企業と政府が,自由競争を抑制する.=大カルテルや価格協定が結ばれる.自由競争への信念は急速に失われた.

Bこの時期に始まった経済的変化のほぼすべてが防御的・消極的なものであった.

経済集中は効率や進歩を主たる根拠として正当化できるもではなく,それは圧倒的に制限的,保守的,保護的なものだった.

 

(7)国内市場の保護と拡大

いくつかの産業は,保護されている国内へと逃避(鉄鋼など)

しかし綿業のような旧来の輸出志向型産業を救うことはできなかった.

 

1931年以降,政府は国内市場を体系的に保護し,自動車産業などは全く保護に依存した.新しい産業と消えゆく産業→政府の役割に重要な変化

 

労働者階級による大量消費

予期せぬ販売機会をもたらす.(大衆市場の成立)

=労働者階級の生活の改善.(給料の増加など)

 

(8)新技術産業のめざましい発展

大量生産方式による新技術産業の発展→国外よりも国内市場に依拠.それはつまり政府の保護による(航空機産業や電力事業)

 

(9)新しい生活

ラジオと映画の普及

 

12 政府と経済

自由主義経済の勃興と衰退

工業国イギリスの勃興,勝利そして制覇の時期と一致

イギリス産業革命の出発点においてはその条件を創出する事,1846年頃(穀物法廃止)からはそれを維持することが問題となった.

 

イギリスの勝利によって完全な自由放任が可能.経済面では(インドを除いては)植民地さえも必要としない.

 

自由放任の基盤は1860年代及び1870年代に崩壊=イギリスが世界の工場ではなくなる.

 

イギリスの産業が相対的に衰退してくると次第に自由放任主義を擁護する正当な理由がなくなってくる.度重なる不況が問題を加速.

 

労働者階級が1867年,1884-5年に投票権を獲得=大きな福祉のための公的干渉を要求

 

軍事費の増大=安価で消極的な政府は不可能

1918年以降,今までの体制は大急ぎで解体.

1925年,以前の状態に戻ろうとする最後の努力=金本位制に復帰.

しかし,政府機構はますます強大,基幹産業の保護.

 

13 長い好況

1860年代の初頭のイギリス経済は公共投資による刺激はあったが,依然として自然の内在的な進化の力に依拠.

最大利潤をあげる競争的な民間企業と公共企業との関係はあいまい=政府が経済において果たすことができなたであろう役割よりもずっと小さな役割しか果たさない.

 

第十四章 1914年以後の社会

20世紀に入り生活水準はめざましく上昇=労働者とホワイトカラーとの生活水準の差が縮まる.

 

中産階級は以前のような地位を維持することができなくなる.

中産階級とプロレタリアートを区別するのは生活用式と社会的地位,それを守るために中産階級は不似合いな出費をする.中産階級の特権的地位は失われた.

 

プロレタリアートのブルジョア化

 

☆新しい社会集団と社会層の誕生

20世紀の新たな産業の勃興(機械,電気)=19世紀の職人の伝統と対立.

 

試験に合格できる力量を備えた少年は社会的移動性が幾分緩和されるようになった.教育のない者はそれが障害となる.

 

1950年代 知識人と若年層の誕生,公式のイギリス社会,政府は不意をつかれる.

第十五章 そのほかのイギリス