「鉄路17万マイルの興亡 鉄道からみた帝国主義」
 C.B.ディヴィス+K.E.ウィルバーンJr. 編著
 
 
 
序章 鉄道帝国主義
 工業化したヨーロッパは1914年までの半世紀の間に、鉄道を建設することによって
まだ農業段階にあった世界の多くの地域に帝国主義的な影響を及ぼした。1907年までに
ヨーロッパと合州国を除く営業線路は16万800マイルに達した。
 ヨーロッパ中心の視点からすると、鉄道建設は非公式帝国建設の手段であって、
その意味では、鉄道建設はヨーロッパ膨張によって決定付けられたといってよい。
本書で試みる「鉄道帝国主義」という概念は、鉄道が非公式帝国に使えただけでなく
その主要な創出者であったことを示唆する。この意味では、帝国主義は鉄道によって
決定付けられたといえる。
 本書は鉄道帝国主義という概念についての実験とみなされうる。
 
第1章 カナダにおける鉄道帝国主義 1847-1865  ドナルド・W・ローマン
 
 1847年-65年 イギリス当局 と 北アメリカ植民地当局
 植民地間鉄道建設のための公債を宗主国側が保証する条件について
 11回にわたる個別交渉
 「鉄道がハリファックス港とケベックをつなぎ、
  沿海州植民地とカナダを結びつける」と期待
  共通見解: 合州国の拡張主義者の野心からイギリス領北アメリカとの帝国的
       結びつきを守ることが緊急に望まれている
  話合いの核心→ 財政上の問題
  +すべての当事者がそれぞれ合州国と関係を持っていた
 
  第1段階(1847-54) 帝国政府主導、植民地の忠誠を確認するため植民地間路線に
   財政的保証を申し出る/植民地政府、地域的利害により植民地間路線より
   合州国鉄道と連絡する商業路線を優先する、非協力的
  第2段階(1854-57) 鉄道ブーム、好景気のため交渉中止
  第3段階(1857-59) 植民地政府主導、不況による財政的危機を回避するための
   措置のために保証契約を求めるが、見返りとしての植民地防衛費分担金の
   増大に関しては何もしない/帝国政府、カナダの関税制度への反発から却下
  第4段階(1860-62) アメリカ、ガルト関税に反発、併合の危機、/包括的話合い:
   帝国側、カナダの連邦結成への反対の取消 カナダ側、関税引き下げ
   /合意の成立に関わったカナダ政府が倒れたため、実現されず
  第5段階(1862-64) 帝国側、非公式にカナダの「反忠誠派」内閣を転覆させる
  第6段階(1864-65) 植民地側、連邦政治体制の追求において植民地間鉄道が不可欠/
   合州国の内戦の不安の高まり、侵入の脅威/帝国側保証契約の範囲を拡大
 
 
  →植民地間鉄道に対する本国の保証契約が19世紀中期の北アメリカ植民地における
  帝国主義的活動の中で重要な手段であった 
   イギリス政府: 植民地政治の方向性を左右する
   植民地政治家: 借款の条件の改善する/政治的保護力を利用 etc.
  *シティ   : 植民地と公債と社債の価格操作を通じて圧力をかけた
   
 
 
第2章 帝国推進と独立保全の「動力」 
      南アフリカの鉄道   1863-1916    ケネス・E・ウィルバーン・Jr.
 
南アフリカにおける鉄道:帝国の道具として、外縁部・中心部の関係の決定づけに影響
 
19世紀末の南アフリカ
                               ロスチャイルド
帝国派   ケープ・ダッチ  ナタール植民地     
      英語系入植者   ケープ植民地     …セシル・ローズ
 
共和国派  ブーア人     トランスバール共和国 …ポール・クルーガー
               オレンジ自由国
 
 
ケープ・ナタール植民地の鉄道建設→赤字経営、共和国との交易拡大が課題
トランスバールでの金鉱の発見/クルーガー、イギリスの両植民地の分裂を企てる
『港湾から金鉱地域への幹線鉄道の支配←南アフリカの経済・政治の焦点』
ローズの計画:ケープ植民地鉄道をヨハネスブルクとつなぐ
       ケープ植民地とロデシア間の幹線鉄道をトランスバールの西側の
       境を通って完成させる
      ロスチャイルドとの結びつきを利用
クルーガーの計画:金鉱山をロレンソ・マルケス港に幹線鉄道でつなぐ →障害
⇒サイヴライト協定(1891)→ケープ、鉄道終点のヨハネスブルクへの移動許可、2年間
      のトランスバールでの金鉱への運輸、鉄道建設・運営の独占権を獲得
⇒クルーガーの鉄道事実上の破産→ローズと共同してロスチャイルド借款交渉
 →アドヴァンス・シンジケート借款→トランスバールの東部鉄道完成へむかう
⇒サイヴライト協定更新交渉(1894)破綻 、帝国主義者の敗北⇒ ジェームソン襲撃事件
⇒第2次アングロ・ブーア戦争 ⇒統一機構『南アフリカ鉄道・港湾機構』成立(1816)
 
 →鉄道の存在意義
 共和国側:政治的目的、共和国主義の道具
 ケープ側:政治(&経済的)目的 
 ナタール:経済的目的 (→植民地同士の対立の犠牲)
  
 国際資本、地方的な鉄道をめぐる政治、帝国主義的政策が南アフリカの鉄道開発の
 方向に影響を与えた
 結局、3つの鉄道システムの統合のみが南アフリカの政治上のバランスと
 経済の安定を約束するものであった
 
 
第3章 中央アフリカにおける鉄道政治と帝国主義 1889-1953
                         W・トゥラビス・ヘインズ・III
 
中央アフリカの鉄道は英国南アフリカ会社が最初に侵入した時点から1953年の
中央アフリカ連邦の成立に至るまでの期間に三つの段階を経て発展した
 
第1段階 帝国主義戦略としての鉄道
『南アフリカ問題の優先と北方への展開』
セシル・ローズ、ブーア国家の包囲と英帝国覇権の北方への拡大のために、1889年
英国南アフリカ会社を設立する
→ベチュアナランド鉄道建設→ポルトガル領からの撤退 →ベイラ線建設
→ジェームソン襲撃によってローズの権勢凋落
→1896年牛疫勃発のためローデシアまでの鉄道の即時延長を望む世論が高まる
『中央アフリカ鉄道、カタンガ、そしてカイロ計画』
1896年、ローズ、アフリカ縦断鉄道ルート開発に取り組み始める
→マショナランド鉄道会社設立、ローデシア(旧ベチュアナランド)鉄道延長へ
→ローズ、イギリス政府からの参加を得られず、ベルギー・ドイツと外交折衝
→交渉決裂→ローズの死後、英国南アフリカ会社・ベルギー国王・ドイツ皇帝は
三者暫定合意によるローデシア・カタンガ接続鉄道・鉱物会社を設立、
1910年マショナランド延長線、ローデシアからカタンガまで延長される
 
第2段階 既得領土の経済発展のための道具としての鉄道
『鉄道と植民地政治』
1898年、南ローデシアで立法審議会が設置される
植民地開発が進むと鉄道会社の鉱業優遇策は植民者と特許会社の確執の一因となった
帝国政府は特許会社を警戒視するが産銅ベルトの重要性のため妥協を求める
1922年の国民投票により、植民地における責任政府が発足
イギリス政府のベンゲラ鉄道建設支援とローデシア経由のベイラ行路線が利害衝突
植民地政府は鉄道管理を求めて英国南アフリカ会社と衝突、帝国側仲裁
⇒1926年南ローデシア鉄道法成立、植民地政府に名目上の鉄道管理
 
第3段階 植民地国家の政治的武器としての鉄道
『鉄道と中央アフリカ連邦』
南ローデシアでの責任政府の樹立後、連合推進の気運が南北植民者の間で高まる
イギリス側では、産銅ベルトならびにそれに食糧、労働力を供給する地域は帝国政府が直接管理すべきと考えていた
第2次世界大戦中、南ローデシア鉄道国有化
戦後イギリス経済の悪化、国有化した鉄道を武器にして1953年中央アフリカ連邦成立
 
→戦間期も大戦後も、鉄道と鉱山の支配が変化する植民地・本国関係の力学を左右した
→鉄道の支配、つまり地域の鉱物生産の支配が、植民地の政治家達にとって領土合併に
対する帝国政府の抵抗を切り崩す原動力になった
 
 
第4章 利益とその思惑 アルゼンチンにおけるイギリス資本と鉄道建設
        1854-1886               ウィリアム・J・フレミング
 
アルゼンチンが経験した輸送革命は経済成長を促進しただけではなく、それが主として
外国によって建設、所有、運営されていたことにより、ナショナリズムの感情が
絡まった政治的雰囲気をも醸成した
 
アルゼンチンの鉄道システムの基本枠組は1826年に示された
『太平洋と大西洋を結ぶ路線について』
ファン・E・クラーク社はアルゼンチン側の鉄道建設を請け負う契約を結ぶまでに
10年以上かかった     
…19世紀の鉄道建設の複雑さ/民間側、政府側双方の鉄道管理者達は、
内陸部の発展に耐えざる関心を抱いていた
…ロンドンの金融市場の不況・アルゼンチンの貧弱な経済状況
…結局、アンデス山脈越え鉄道は、クラーク社の倒産後、グラン・オエステ社が
トランスアンディーノ線の支配権を取得した後1903年に建設を再開、7年後に完成
 
1854年から86年にかけてアルゼンチンの輸送体系に大きな変化が起きた:
アルゼンチンの12州は自らの地域が伝統的な市場と新しい市場双方に結びつくことを
可能にする鉄道を所有することになった
←大陸横断鉄道と、辺境の守備、内陸部開発に役立つ国有鉄道を願望
←鉄道の建設や運行を国営とするか民営とするかは二次的な問題
 
ひとびとはしばしば互いに反目しており、
一旦会社の利益が農産品輸出部門と結び付くようになると
イギリスとアルゼンチンの貿易関係にとって有利な国内政策を維持することが
必要である、という一点において合意した
 
今世紀はじめにイギリスとアルゼンチンとの関係がそれほどの利益を生まなくなると、
両国の自由貿易帝国主義的関係は弱まり、ナショナリズムの自覚を育てることになった
 
 
 
第5章 発展の道
     ポルフィリオ期メキシコの鉄道と道徳改革  ウィリアム・E・フレンチ
 
ポルフィリオ期(1876-1911)の発展は、鉄道建設においては大成功をみたが、
そのほかの分野では多くの課題を残していた
メキシコの開発計画は、外貨と鉄道がメキシコを世界経済の中枢市場に結び付ける
という前提のもとに、国内消費を犠牲にした輸出のための作物生産を強化し、
零細農の土地所有を縮小して外国資本が管理する鉱業やその他の飛び地を形成し、
更には労働者と地方エリートとの関係を疎遠にするものであった
「16世紀と17世紀における先住民の大量死以来の最大の破局」
鉄道によって銀だけでなく亜鉛、鉛、銅を海外に輸出できるようになった
 
チワワ州の状況
鉄道建設推進者
 メキシコ・ノース・ウェスタン鉄道設立
 「輸送と産業支配の拡大は国境による制約を受けない」
 投資家に鉄道債券売りつけ、金融シンジケートの組織
新しいナショナリズム
 「外国資本の役割が徐々に減少していく進歩的な国」というビジョン
  1903年から1910年にかけてのメキシコ鉄道の国有化
  政策立案者は以前として外資と輸出市場をメキシコにとっての発展の鍵とみなす
 
『帝国主義研究で考慮されるべき二組の契約関係(ロナルド・ロビンソン)』
・帝国主義の代理人とその媒介者との契約関係
◯媒介者と国民との契約関係
 
チワワ州の事例
鉄道建設と外国からの投資
 →全国的な労働市場の形成
 →「浮動人口」の増加、社会的危機
エリート達の課題:温和で勤勉で適切な目的を持った労働力の創出
多くの人びとが、開発主義者のイデオロギーに同調し、その具体化を望んだ
 →新しい価値と時間に対する新しい規律の導入を伴う
道徳改革のための法の制定…政治における中央集権化の重要な側面
悪徳への耽溺が弱まる兆しがないので、警察、州、市政府は、
開発主義者の価値観を擁護する多くの人びとからますます非難された
チワワ州におけるメキシコ革命の根源…経済的要因だけでなく、
                  改革のペースの遅さへの失望
 
 
 
第6章 鉄道と植民地統治とインド藩王国
     ハイデラバードにおける協力と強制の政策       タラ・セティア
 
インドの鉄道建設…19世紀の外国投資では単独のものとしては最大の額の投入
 しかしインド亜大陸の鉱業化と経済成長に対して与えた影響は微々たるもの
 「自由貿易帝国主義」の時代に商業的企業として導入されたが自由企業ではない
 つねに帝国の統制のもとにあった →鉱業発展の阻害、不均等な経済成長
二種類の協力者
 
『鉄道、植民地統治および藩主たち』
イギリス政府が首尾一貫した鉄道政策を維持することは困難
鉄道は帝国の経済的繁栄を促進し、インドの植民地統治を強化する道具であった
19世紀後半のインドにおける鉄道建設…鉄道網が散在する藩主国を通過
 路線に関する権利と管轄権をインド政府に譲渡するよう説得・強制
鉄道→イギリス人が、藩主国に対する政治的支配を強化し、その資源を利用し、
  自国製品の市場に転化することを容易にした
 
『ハイデラバードにおける鉄道 -強制か、協力か』
ハイデラーバードの大インド半島鉄道への連絡路線の建設をめぐって
インド政府…国営路線として建設する意向   
     鉄道建設に関わる支出を、ベラールについての問題と絡めて     
     ハイデラーバード政府にも分担させることに関心
ハイデラーバード政府…宰相サラール・ジュング
    ハイデラーバード藩王国のみの保証による鉄道事業の実施を提案
インド政府…提案を受け入れるが、イギリス管理を強制
「ニザーム藩王鉄道」建設へ
インド政府、鉄道を狭軌でなく広軌で建設するよう圧力をかけた
 
『共同形態の変化-その意味』
広軌の採用は藩王国が捻出できる以上の資金を必要とした
1873年サラール・ジュングは、ニザーム藩王国鉄道会社を設立、
ロンドン金融市場で資本調達
⇒イギリス政府とインド政府の間の論争
インド政府はニザーム藩王国鉄道会社の追加株式の発行を阻止
ニーザム藩王国鉄道、ハイデラーバードの財政的負担に
 
『イギリスの政策の変化 -強制から協力へ-』
1980年代より、インド政府の態度が変化
厳しい予算状況 ⇒インド亜大陸の公共事業においてイギリス民間資本の利用を促進
イギリス資本家…ニザーム藩王国鉄道の拡張に熱狂的
サラール・ジュング…ベラールの返還 -藩王国の負債を減少させることに関心
 
『協力を求めて』
インド政府…ハイデラーバード藩王国の北部国境でイギリス領に位置するチャンダまで
   シンガレニ炭鉱経由で鉄道を拡張することに大きい利益を見出す
   イギリス資本家との取り引き問題について態度の軟化を示すも、   
   鉄道の運営権の保持を要求
   国務大臣アブドゥル・フクのイギリス派遣を勧告
サラール・ジュングの急死、藩王国の行政危機 
 
『協力による強制』
イギリス…摂政参議会の任命、ハイデラバード行政に干渉
     鉄道事業計画の認可を強制、民族主義者による反対運動を弾圧
フク、インド政府、鉄道事業家の間の協力はインド政府が既得権益を有する鉄道の
建設を確実にした
 
→種々の民間利害集団と帝国政府との協力は、帝国政府と
被植民者を代表する藩王国政府との協力よりもはるかに一般的であり、顕著であった
→地元エリートとの協力が帝国主義の作用において重要な役割を果たし、
それは好んでとられた戦力だった
 
 
 
第7章 タイの鉄道と非公式帝国主義         デーヴィド・F・ホルム
 
シャムは1880年代から第1次世界大戦まで、アジアやアフリカのなかで公式帝国主義
および非公式帝国主義の影響を受けた数少ない国である
 
『歴史的状況』
1888年、若い国王チュラロンコンを支えて絶対君主制を再興
西欧の経済的浸透はすでに押し寄せていた/イギリス、フランスの脅威
限られた範囲での近代化計画で西欧に対抗
遠方の従臣を中央集権化した支配下にいれるために鉄道が要請されていた
 
『新帝国主義の実体 -一実例』
チュラロンコンは外務大臣である異母弟デワウォンセ王子を世界旅行に送り出した
目的:フランスとの最終的衝突に備えて、フランス以外の資本をしてできるだけ多く
 シャムに関心を持たせ、投資国政府がシャムの存続に利害関係を持つようにする
デワウォンセ、ドイツ企業とイギリス人事業家にシャムの鉄道体系建設への参加を勧誘
「帝国主義的競争を均衡させようとする試み」
イギリス人の建設請負業者は仕事をしない→契約打ち切り
1892年の閣議、全ての主要鉄道は王立鉄道局が建設、所有すべきということで合意
近代化の模範として日本に向かうが、シャムの強化するため国内近代化計画に
依存するよりも、帝国主義列強を互いに競わせ、国内の技術職・専門職を
満たすのに外国人を用いるほうを好んだ
→中流軍人や官僚らエリートから離反、クーデター時の不満の養成
 
『協力 -外部からの引っ張り要因の原因と費用-』
統治エリートが帝国主義列強と協力したのはシャムにおける自らの地位を高めようと
望んだことを意味する…クーデター指導者らの解釈、『外部からの引っ張り要因』
鉄道→帝国主義の内部同盟者の自国に対する要求を強めたが、
   のちにはその支配力を打破する役目を果たした
  →ほかのインフラストラクチャー、とくに潅がいと道路に支出をしない言い訳
非公式帝国主義へのシャムの服従はヨーロッパ圧力への合理的な反応であった
 
『ヨーロッパからの押し出し要因の動機』
「19世紀後半に工業国の政府は資本主義体制の必要、あるいは個別の経済権益の
必要によって帝国主義的冒険をせざるを得なくなった」…ボブソン・マルクス主義者ら
   cf.「イギリスが自由放任主義を守ったことは国家権力が私的利益に利用される
    危険を最小限にした」
新帝国主義はイギリスのかつての自由貿易政策と基本的には断絶していない
 
→イギリスと合州国がシャム問題に介入したのは、国家的栄光を増すためではなく、
リスクを負う金融化を保護し、自国の製造業者の市場の市場の絶対的規模を
拡大するためであった/両国はシャムの支配エリートのなかに自発的な同盟者を
見出すことにより戦争を避けた
→支配エリートは自国の専門家階級を創出するよりも外国のテクノクラートに依存し、
シャムの民衆全般を利する潅がいと道路網の建設よりも自らの利益になる
インフラストラクチャー、鉄道を獲得することをよしとした
→このような選択がシャムにおける経済、教育、政治の発展を遅らせ、
ヨーロッパにおいて第一次世界大戦の勃発をもたらしたイギリスとドイツの
経済競争を激化させた
 
 
 
第8章 ロシア、ソ連と中東鉄道      R・エドワード・グラットフェルター
 
「鉄道は領土拡張の手段であった」
中東鉄道もシベリア鉄道も、建設以前から帝国主義的な競争を生んでいた
日清戦争での中国の敗北→中国のロシアへの依存が深まる
中東鉄道公司が中国政府から鉄道敷設権を得る
中国はロシアの経済的帝国主義を恐れ、ロシア政府自身が中東鉄道の建設主体に
ならないことを要求
ウィッテによる中東鉄道建設の目的:
 ・ロシアの製造業に国内市場を与えること
 ・どこか南の不凍港と結ぶ鉄道を確保すること
中東鉄道南満支線をハルビンから旅順港に延長するための計画…義和団事件で延期
 
鉄道によって活動した領土に対する日本とロシアの競争激化
日露両国は中国東北部における勢力権を定める
ロシアは国内で革命が起きたために外交的に弱い立場におかれる
中東鉄道協約技術委員会(イギリス、フランス、合州国)
事実上鉄道管理権は中国側に引き渡されることになった
カラハン協定のち、ロシア、中国と国交断絶
ロシア、満州国と鉄道を共同管理→日本による三重の支配
 
→極めて複雑な協力の政策
→満州と中国の他地域との結び付きはゆるやかなものであった
→中国では国家的絆と短命な地方政治制度とを溶解する過程が進行し、
軍閥時代が到来した
 
 
 
第9章 中国における鉄道帝国主義 1895-1939     クラレンス・B・デイヴィス
 
19世紀末から20世紀初頭まで、鉄道は帝国主義列強が中国に進出するための
主要手段であった
中国の鉄道の大半は資金を外国借款として調達し、経営においては外国人技術者の
参加があったため、中国人にはまず伝統的社会に対する脅威として自覚された
中国人の鉄道への理解の方法が様々であったため、「協力」パターンも様々であった
諸外国は建設のための権利譲渡をめぐって抗争
鉄道建設の融資を行うことが複雑で難しい
 
1870年代頃までに、少数の進歩的官僚は鉄道体系の必要性を熟知
日清戦争での敗北→列強による鉄道敷設権の譲渡要求
一連の借款によって鉄道建設の資金調達
「軍隊による強迫が背後にある外交的圧力によって、西欧の政府が中国に対して
支払を強いている」
イギリス…最大の供与国
鉄道体系の集権化計画が提起されたが、外国の顧問達の影響と
省ごとの地方自治の伝統により、実際には非集権化に向かった
 
辛亥革命後、新生の中華民国は、経済発展に対する外国の参加をうながした
政府の資金流用により鉄道借款償還不可能、列国の資金に更に依存
第1次世界大戦勃発により日本は中国において最大の帝国主義勢力となる
新たな機会を得る
日本の21ヶ条要求と国際的圧力
合州国と英仏露三国対立
 
第一次大戦後、合州国の指導のもとで英米仏日の4か国は新たな借款団を結成
外国による支配と管理枠組の中で行動するよう中国に強いる
張作リン  満州に鉄道建設
蒋介石 の北閥により鉄道建設再開
中国は借款団による資金封鎖の裏をかくためにドイツの資金に依存
かつての鉄道借款の償還再開のための交渉を再開
1949年 新たな統治体制鉄道に対する外国の支配と監督とを完全に終らせた
 
 
 
終章 鉄道と非公式帝国
 
 他の大陸に鉄道の時代をもたらすほど激しいヨーロッパの帝国主義の時代であった。
工業科学と技術において、蒸気機関車だけが帝国主義的な領土拡張と関わりをを
持っていた。線路が敷設される前の想像上の路線は、ヨーロッパ人だけでなく
非ヨーロッパ人の政治的・戦略的思考に影響を与えた。これが鉄道を本質的に
帝国主義的なものにしたのである。鉄道が国民形成の手段に転換し、高度技術の進歩の
正しさを示すまでは何十年もかかった。