日本社会党機関紙・社会新報  1995.2.14
 
堂々と自分の価値観で生きる人生を
 
          黒澤明、観世栄夫、小澤征爾、井上陽水、淡谷のり子、岡本太郎、コシノジュンコ、黒川
紀章、埴谷雄高、金田一春彦、後藤田正晴、橋岡久馬、・・・豪華な顔ぶれが続く。自然
な表情の百三人の表現者たち。モノクロ写真の隣にはこの表現者たちのメッセージが添え
られている。
近づく二十一世紀を前に、二十世紀末日本を彩る肖像を六年かけて写真集「人間燦々」
(求龍堂刊)にまとめた。これまでも、「女流アーチスト達の光と影」「スペインの巨匠た
ち」などポートレートの写真展を多く開き、人物写真の第一線で活躍している。

1941年、東京で写真館を営む家に生まれる。子供の頃から人物写真を目にしていたが、
関心も興味もなかった。ところがひょんなことから東京写真短期大学(現・東京工芸大学)
にはいり、写真のおもしろさを知る。人物写真を選んだのは父親の後ろ姿が影響したのかも
しれないと語る。実際に学んでみると、蛭田さんを魅了する何かがあったのだ。

人物写真の撮り方にはさまざまな形があるが、蛭田さんはポートレートにこだわる。
「舞台で熱演、熱唱している様子をそでから写す。スポーツ選手の決定的瞬間を狙って撮る
というのも立派な人物写真だと思うけど、僕の場合は相手が撮られていることを知らないと
いう一方的な関係では撮りたくない。互いに向かい合って適度な緊張感の中で相手をとらえ
ていく。これがポートレートです」

撮影に至るまでのやりとりにも気は許せない。相手は有名な人たちばかりで、個人の立場で
の撮影依頼に、すぐに了解してくれた人もいれば、撮影までに数年かかった人も多いという。
相手の消極的な対応にも決してあきらめず、毎週、毎月のようになんとかことわらせないよ
うに気を使いながら連絡をまめにとる。
黒沢監督の場合は、次に連絡が取れるのは半年先ということもあった。忙しいスケジュール
の合間をぬってなんとか撮影までこぎつけたのは、交渉から三年が過ぎた頃だった。
「どんな忙しい人でも撮影以前に一度会って頂きます。それは、マスコミによく登場する有
名人には先入観や既定のイメージがあるから、実際にこの目で確かめたいということと、こ
ちら側の撮影に対する意欲、熱意を相手にわかってもらうため。相手と一対一で向かい合い、
撮ることを通して相手の実像を自分なりに確認したいと思っています」

蛭田さんが撮るポートレートにはそれぞれのメッセージが添えられている。写真と言葉を組
み合わせることで、立体的にそしてより深く人間が表現できるからだ。
「写真には、観る側のイメージで好きなように解釈し鑑賞する楽しさがある。でも、それだ
けでは何か足りないと思っていました。同じ時代に生きる彼らが何を感じ、どんな価値観を
もっているのか、その人なりの人生観や考え方なども伝えたい、と思って各自にインタビュ
ーを試みました」

ポートレートの重要なポイントは撮影場所。相手をどこで撮るかに最大のエネルギーを使う。
その人に関係のある日常空間を聞き、そこをくまなくロケハンし、最後に一ケ所に絞り込む。
鎌倉に住む笠智衆さんの場合、家人に足が弱っているので自宅の茶室での撮影を希望された
が、蛭田さんのイメージはどうしても海だった。そのため、体に負担のならない場所を懸命
に探し、茅ヶ崎の海岸の一ケ所を見つけた。
できあがった写真を見て、海で撮れてよかったとつくづく思った。ポーズは自由。その環境
に溶け込んでいく笠さんの自然な姿をひたすら追った。

ポートレートは共同作業だとよくいいますが、赤塚不二夫さんの写真はそのいい例です。
「あなたの写真だから、どんな格好でも、好きなように撮っていい」と積極的に応じてくれ
ました。しかし、その気持ちに応えようと、それから二ヵ月近くどう撮るか考える日が続き
ました。

一枚の写真で相手を表現するのがポートレート。報道写真と違って、一過性のものではなく
長い目で見続けてもらいたいと語る。

「それぞれが自分らしく生きている人たち。そういう人たちと出会って、撮り続けているう
ちに人間の幸福とは何かを考えるようになった。地球に住む人びとがそれぞれの考え方、価
値観を認め合うことこそ大切なのではないか。堂々と自分の価値観で生き抜く人生にこそ人
間らしい幸せに満ちた輝きがあるのだと思います」
メッセージ付きのポートレートで今世紀の日本人を九九年まで撮り続ける。