2002.9.29  第30回中国ホトトギス俳句大会 宿泊した大山しろがね荘の駐車場
「TEIKO」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 祖父・高濱虚子の旅に同行したのは何年ぐらいですか。
『 昭和25、6年からで、結婚したのは昭和31年だ
 からその間、5年か6年ですね。』
 その間、虚子から直接教えを受けたことはありますか。
『 うちの祖父は教えませんよ。』
 それでは虚子を通して自ら学んだことは。
『 それはありますよ。寡黙にして、じっとものを見るということですね。
 それから謙譲な心を持ってものを見ること、人に対しても謙譲な心を持つ
 ようにということですね。やっぱり祖父は、思いあがりが一番嫌いでした
 からね。今の私なんかは怒られそうだわね。』
 
 
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2002.9.29  鳥取県立フラワーパークとっとり花回廊
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 俳句を作るうえで大切なことは。
『 自然というものを、よく知るということですね。それによって、自分も豊か
 な気持ちになっていくということ。
 自然から学ばなくなったら人間はお終いですよ。』
 自然から学ぶというのは。
『 自然から学ぶというのは、自然からのメッセージをこちらで受け止めると
 いうことですね。それを一句にする。だか
 だから下手な俳句を作っている人は、それが上手くいってないわけよ。』
 つまりよく観察するということですね。
『 そうです。よーく見るということですね。「見るより観るへ」って私は言って
 いるんですよ。表面的に見るんじゃなくて、しっかりと見ているうちに見えな
 かったものが見えてくるんですね。』
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2002.11.16  九州、雲仙普賢岳
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 自分自身を誇りに思っていることは。
『 自分を知っていること。自分はたいした人間じゃないことを知っている。
 私が今、何をしてきたかといったが、私一人でしたんじゃないということ
 を知っていること。
 大勢の協力をいただいたというのは、私の誇りですよ。一人では何もでき
 ゃしませんよ。』
 自分の中で、ここは直したいというところはありますか。
『 はっきりものを言うのは自分では誇りに思ってますからね。しゃべってい
 ることは、全部私自身だから。
 もうちょっとだけ痩せたい。そんなには痩せたくないのよ。昔は痩せてた
 もんだから、太りたい太りたいと思って、やっとここまで太れたわけだけ
 ど、そしたら止まんなくなっちゃった。』
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2003.2.15  句碑除幕式  和歌山県中辺路町野中
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 花鳥諷詠を簡単に説明すると。
『 芭蕉が「しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とする。
 見る處、花にあらずといふことなし、おもふ所、月にあらずといふ事なし」
 と「笈の小文」で言ってますね。それを短く言ったのが花鳥諷詠である。
 花鳥諷詠とは宇宙のすべての運行に関わっている人間の生活とか、人間に
 関わる自然の四季の移り変わりとかそういう全てが花鳥であり、それを
 賛美し諷詠していくということですね。
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2002.6.20  句碑除幕式 於長野県善光寺  ホトトギス俳人たちと挨拶
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 俳人になって本当によかったなと思う瞬間は。
『 それは思いますよ。瞬間じゃなく年中思っている。
 それはもう俳句を作るっていうことは、どんなに幸せなことかわかんない
 ですよ。俳句を作ることで人生が楽しいし、つらいこともない。なんでも
 俳句によって救われますね。極楽の文学です。』
 俳句を作るのに行きづまるってことはありますか。
『 行きづまんない人いますか、芸術の世界で。毎日行きづまっていますよ。
 毎日行きづまって、それをいかに乗り越えるか努力するわけでしょう。
 それしかない。』
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2002.7.17  夏潮句会 於兵庫県芦屋の稲畑邸
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 稲畑さんは自身を熱心なクリスチャンと思っていますか。
『 思っています。なかなか教会に行く暇がなくてね。
 でも芦屋の家にいるときは、必ず行きますよ。自分の信仰は、しっかり持
 ってますけどね。何かあると祈るわね。
 自分が試練に耐えられるっていうのは、自分が耐えたんじゃなくて、自分
 に与えられたお恵みによって耐えられると思っているわけです。
 私の祖父がね、祖父はカトリックじゃないですけども、花鳥諷詠南無阿弥
 陀仏と言ったが、宇宙の大きな力によって、自然に、あるがままにって言
 ってるのは、私の気持ちと同じですよ。
 辛い時は、辛いことに耐えられる力を与えられると私は思ってますからね。
 それが信仰でしょう。だけど私はくさい信仰はいやなのね。
 自分がカトリックだからといって、それを表面に出すよりも自分の中で消
 化して、自分のものにしていかないとね。
 だから信仰を表に出した俳句は作らないの。』
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2003.1.25  老柳山荘のある山中湖からの富士山
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
『 あります、あります。超えたいと思ってます。それはそうですよ。
 昨日は圓通寺に行ってね。圓通寺に虚子の句碑があるんです。
 圓通寺のお坊さんが、虚子先生を超える人は、これからも絶対にないだ
 ろうと言ってね。』
 カチンときましたか。
『 カチンとこないわよ。そりゃあ誰だって虚子を超える人は出ないと思う。
 だけど超えようと思うのは、自分を磨こうと思ってるわけで、超えられる
 か超えられないかは、何も言ってない。
 結果じゃなくて努力ですよ。だから努力するだけですよって言ったら、
 そうそうと言ってね。』
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2003.1.12  伊豆下田の外浦海岸 
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 虚子が日本の俳句界に残した功績とは。
『 文化勲章をもらってますよ。俳句の世界に尽くしてきた人って虚子しかい
 ないと思いますよ。だけど遅かったくらいですね。
 反対する人が一杯いたから。俳句に対する理解がない人が一杯いたからね。』
 どういう理由で反対したんですか。
『 俳句は文学じゃないと言った人がいたんです。そりゃあ自分の名前を売る
 ために反対する人も一杯いますよ。
 だけどその人達はやっぱりそれだけよね。自分の作品を見て御覧なさい。
 お粗末なもんですよ。やっぱり作品で勝負しなきゃ。作品を残していかな
 いとダメね。』
 勲章の他にどんな功績がありますか。
『 そりゃあ大きいですよ。俳句は大衆の文芸であると言ってますね。
 だから誰もが俳句を作って、自然に親しんできたわけですからね。それは
 大きな功績です。
 やっぱり、あるがままにということや、俳句は極楽の文学であり、存問の
 詩であるということを広めたっていうことは、大きい思うわね。
 俳句を作ることによって幸せになった人がたくさんいる。辛い立場にある
 人も俳句によって救われるということですね。』
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2003.1.12   汀子氏が宿泊したホテルから見た下田の日の出
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
初心者のためのスピード上達法ってありますか。
『 ありますよ。やっぱりまねごとです。
 これは非常に上達が早い。芸術は人まねから入りますからね。でもね、
 今度その人まねから脱出していくのがとても苦しい。
 一方、はじめからなんともいえない変な句を作る人がいるんですよ。
 個性の強いその人が、ある日突然いい句を作るようになるわけね。
 だから俳句を作る上達法としては、個性のあるまま作る場合と、まねする
 場合のふた通りあるわけね。
 どっちがいいかは、自分で選ばなきゃしょうがないですね。』
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2003.4.9  夫の墓参り   西宮市、満池谷墓地
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
 今の俳句界を見て特に気になることは。
『 本当に雨後の竹の子のように、いろんな人が一杯先生になっちゃって
 いるからね。しっかりと勉強した立派な先生がたくさん出て欲しいと思い
 ますね。
 今は、ちょっとやたら先生みたいな人が一杯いますもの、冗談じゃない。
 やっぱり自然を見て、自然からいろんなことを学んで、謙虚な心になって
 はじめてね、自分というものが分かるわけでしょう。
 私だって思い上がっているところはいくらでもあるけど、自然に対したら、
 あーダメだなあと思うこと一杯ありますよ。』
(おわり)
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