岩見隆夫の「近聞遠見」
毎日新聞  2000.2
 あるパーティーの立ち話で、「国民憲法の産婆役だよ」と、憲法調査会の委員に就
任した中曽根康弘元首相が、こともなげに言うのを聞いた。あれっと思う。
改憲とか自主憲法とか、手あかのついた単語をあえて使わない。憲法論議の本番に
あたって、別のワーディング<国民憲法>を用意している。言葉のパフォーマンスと
言えばそれまでだが、極めて大事である。
先日、東京・帝国ホテルでアジア調査会が演説会を催した。講師・中曽根、演題
「歴史の分水嶺に立って」。約1時間半、立ったままで音吐朗々、81歳のスピーチが
続く。
持論の歴史観を語りながら、「日本は非核と軽武装のギブスをはめられた情勢が敗戦
という現象からきている。そのギプスに慣れそめ過ぎて、独立意識が侵食されてきた
要素もなきにしもあらずではないか・・・・」などと言う。
<ギプス>が効いていて、論旨を引き締める。また、「50年の戦後の金属疲労から
政治の腐敗による自民党の分裂、共産ソ連の崩壊と、いままでアメリカとソ連の磁場
の下に引きつけられていた鉄屑が、ソ連が崩壊したことによって電気が切れ散乱した。
言い換えれば、散乱の時代に入ってきた」と。
<散乱>の一語によって、内外の時代状況が聴衆の頭にビビッドに伝わる。
先の全国会議員による演説アンケート調査で、中曽根が断然「うまい」の現役1位に
なった秘密の一つをのぞいた気がした。言葉の厳選、工夫は、政治言論の復権に不
可欠だ。
2月19日から24日まで、東京・渋谷の東急文化村で、蛭田有一写真展「中曽根康
弘の肖像」が開かれている。
フリーカメラマンの蛭田は、後藤田正晴元副総理についで、1996年から3年間、
中曽根の公私にわたる人間像を密着して撮り続け、日本を代表する2人の政治家の
写真集をだした。
初日のレセプションで、蛭田は、撮影OKがでた日のやり取りを披露した。「一見して
先生を賛美するような写真集になったら一文の値打ちもありません。実像を撮りたい。
世に出ないであろうありのままの姿です」と言うと、中曽根はあっさり、「当然でしょう」
と応じた。しかし、別れぎわ、「後藤田さんよりはいいものをつくってください」 とつけ
加えたという。
レセプションのあいさつで、中曽根は、「本物より3割ぐらいよく写っている」と笑わせ
たが、後藤田よりと言うところが中曽根らしい。
いま85歳の後藤田は、中曽根政権を2度の官房長官をつとめ支えた因縁だが、その
後の二人の政治主張にはかなりの隔たりがみえる。身の処し方なども違う。後藤田は
写真展を開くのを好まず、結局やらなかった。
蛭田に聞いてみた。2人に密着して、いちばんの違いな何か。
「性格は北と南の違いがありますね。中曽根さんはパフォーマンスの大切さを知り尽
くして、それを意図して表に出してくるが、後藤田さんには逆に、パフォーマンスがま
ったくないすごすごさがある」
自民党の73歳定年制導入を尻目に、「マッカーサーは『老兵は死なず、ただ消え去る
のみ』と言ったが、わたしは『老兵は死なず、ただ頑張るのみ』だ」と中曽根が言ってみ
せたのは地元、群馬県高崎市での会合(1月29日)だった。
単純に「頑張る」のほうに着目し、引退の意思なし、と報じたのが目立ったが、それ
だけではない。マッカーサーを引き合いに出したことに注目の要ありだ。
第1の開国(明治維新)につぐ第2の開国(敗戦)はマッカーサー権力によるもので、
それを総決算し第3の開国へ、という日頃の主張が込められている。
中曽根流の言葉のパフォーマンスは奥が深い。
最近は、中曽根に批判的だった議員の間からも、「あの人は化け物だなあ」という感
嘆の声を聴くことが多くなった。一種の人気である。
                             (紙面の記事のみ掲載)