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| 於文京区音羽の鳩山会館(旧鳩山邸) |
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| 「鳩山 由紀夫」 |
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要<インタビュー> 聞き手・蛭 田 有 一 |
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鳩山さんの政治の原点、哲学をお聞かせください
『 ひとことで言えば友愛です。
自由というものをとことん追求すれば、平等な社会が崩れて、
弱肉強食になるし、逆に平等がいき過ぎると自由が失われる。
このふたつを活かしていくためには、ふたつを繋ぐ架け橋が必要
で、それが友愛なんです。
一人ひとりが自立した生きざまを求めながら、一方では他者への
思いやりとか尊敬念を抱く。それを作り出していくのが愛で、
その愛があれば平等な社会と一人ひとりの自由を求めることがで
きる。それがないから日本は 自由と平等がごちゃごちゃになっ
て、いつの間にかお互いにもたれあい、自分をみがかなくても人
に寄っかかっていればいいという社会になってしまっている。
友愛という概念を大事にすることで、依存ではない共生の社会を
作り上げていくことができるはずです。
一方ではサッチャー的な自由があり、一方ではブレア的な共生の
道があるけれども、それをつなぐ第三の道が愛だという思いで、
これからも自分自身の哲学としていきたいですね。
祖父の一郎がクーデンホーフ・カレルギーから友愛という考え方
の重要性に触発されて、晩年までそれを大事にしてきた。
40年経っても祖父の考え方は間違っていなかったし、逆にそれ
が全然育たないまま、あたかも民主主義が根づいたかのように日
本社会は動いてきた。
しかし精神的な意味での成長はこの数十年、全然遂げてこなかっ
たんじゃないか。
政治家としての原点は友愛だということを貫いていきたい。
これからも変えるつもりはありません。』
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| 1999.11.25 小泉純一郎氏との雑誌対談 於ホテル・ニューオータニ |
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2000年の民主党代表選挙で自立、責任、共生を
強調しましたね
『 国の問題は、政治家も国民も全て役人に任せてしまって役人天
国を作っちゃったわけですね。全部官僚に責任負わせて、自分自
身は常に役人社会に負いかぶさって依存する、そういう政治だっ
た。
経済が右肩上がりでつづいている時はそれでもやってこれたけれ
ど、そうでない国際環境にさらされた時、そのひ弱さを露呈して
しまった。
だからなんでも官僚に任せる依存型の社会から政治の自立、国民
の自立、国全体の自立が日本社会の今日的ないちばんの問題だと
理解したんです。
外交もアメリカに日米安保で依存し、東西の対立の中では、西の
陣営についておけば安心だということぐらいしか外交方針がな
く、完全に国としての尊厳を捨ててしまった。
そういう依存型の社会が官僚天国になった結果、非常に無駄遣い
も多いし、経済的な不合理性も生み、国のエネルギーも失ってき
てしまった。
ここで大事なことは、政治も個人も国も依存から開放されて自立
することなんです。
自立と責任をもって共生という社会を作り上げていくことが依存
型の体質から脱却する最も大事な考え方ではないか。
この方向で経済を見つめ直し、外交を見つめ直し、教育だって
見つめ直すことができる。全てこの精神をもとに、各々の具体的
な政策を作り上げていくことができると思います。
この3つの概念を友愛という言葉に置き換えてもいいと思ってい
ます。』
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鳩山さんの外見的イメージが弱々しいと言う人がいますが
変えたいという気持ちはありますか
『 人間性まで変えろって言われてもどうしようもないです。むし
ろ私は自然 体でいきたいと思っています。
相手が派手にパフォーマンスをやってるんだから、こっちもパフ
ォーマンスで返せと言われても、それはできないですね。
頼りなさが外見的なものだとすれば、これも変えようはないんで
す。内面的な部分では、政治家は相当頑固でないとできません。
なよなよした発想ではもたないです。その意味での頑固さは、私
は結構強いものがあると思います。
友愛を主張することそのものが頼りないと見られるかも知れない
けれど、そこが本質なんだということを貫き通すことにおいて、
私は相当頑固な人間だと思っているんです。
弱い人間だったら、2度も政権与党を敢えて離れて、野党暮らし
をするなんてことしないでしょう。』
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| 2000.10.2 パーティー会場で森首相と ホテルオークラ |
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日本は胸を張って民主主義国家と断言できますか
『 全然思っていません。
先ず民主主義って何なんだっていうことを身体で知っている政治
家も日本人も、ほとんどいないんじゃないかという気がします。
アメリカにしろヨーロッパにしろ、民主主義は戦い取ってきたわ
けですよね、権力者から。
明治から戦後も、民主主義を教科書的には学んできたけれども、
実は血や汗で民主主義が遺伝子的に組み込まれたものではない。
戦後のデモクラシーが制度的には少なくても民主主義で、選挙に
よって選ばれた人達が、過半数で決めていくシステムができてい
ますけど、一番大事な一人ひとりの意思の尊重とか、自立性と
いうものが養われていない。
だから結局は寄らば大樹で官僚に任しておけばいいんだと、政治
の大事なところを全部官僚任せにしてきた。
今回のテロの時にも、私は民主主義じゃないなと思ったのは、
一番大事な自衛隊をどこにどうやって派遣するのかということを、
国会は放棄しちゃったわけですから。私どもが事前承認にこだわ
ったのはそこなんですよ。
国会が民主主義で決めなきゃいけない一番大きな部分を官僚任せ
にしてしまっているところで、私はもう民主主義が死んでいると
思います。
民主主義が今でも日本には育ってきていない。だからこそ本当に
民主主義がどういうものかということを、国民の皆さんと一緒に
作り上げていきたいという思いで、菅さんと一緒に民主党という
名前をつけたんです。』
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| 2000.10.14 朱鎔基中国首相と会談 迎賓館 |
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日本には国際的な政治家が見当たりませんが
『 地形的な部分があるのかもしれないなと、今思ったんですが。
島国で あるだけに、外の国と国境を接していませんよね
領土問題を抱えているけれども、それが必ずしも実生活を脅かす
ような話になっていない。
ヨーロッパやアジアの国々と違って、他の国と接していない部分
のメリットが、一方ではアメリカ依存の外交を作って、特に東西
冷戦構造のときに顕著だったんですが何もしない、アメリカに従
がっているのが一番特だということが外交政策でした。
日本が敗戦から独立して経済力を養っていく過程の中では、社会
的に評価されるべき政治家がいたんではないかと思うんですが、
その後の安定期において、そういう国際性が基本的に必要ない外
交であったのではないか思いますね。
一方、外交はほとんど選挙の種にならないテーマだと見られて、
票にならないものは、皆がやろうとしなかったという状況で、世
界に傑出した政治家が現われなかったということじゃないでしょ
うか。』
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| 2000.4.19 チベットのダライ・ラマ法王と会談 ホテルオークラ |
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これまでに会って感銘を受けた政治家は
『 リー・クアン・ユーさんです。
あの方にダボス会議で会ったとき、小柄なんですけど非常に圧倒
されるも がありましたね。物静かなんですよ、すごく。その中で
大変な覇気と魅力、人格を感じましたね。
アジアの国々に対して日本は損してるって言われるんです。
どうして歴史の問題を片付けないんだと。そこを早く片付けて、
もっと尊敬される付き合いをどうしてやらないのって、おっしゃ
ったですね。それは私もまったく同感なんです。
最近お目にかかった、私の覚えている限りで最も畏敬の念を抱い
た政治家であることは間違いないです。』
尊敬できる政治家を増やすには。
『 簡単ではないと思いますね。
そのためには、一人ひとりの私欲を捨て、自らの尊厳を高める、
そこに尽きるんだろうと思っています。
票がほしいために政策を訴えているんじゃないぞというところを
際立たせて見せるしかない。
私は公共事業に対して、最も依存している北海道で、公共事業批
判を続けているわけですが、それでいかに多くの票を失ってきた
かは明白だけれども、それでもギリギリで当選させてもらってる
ということは、目に見えない無言の力で押し上げてくれているっ
ていう部分もあるんです。
国民の常識を信じ、私欲を捨てたところを評価してくれる人達が
いるんだっていう確信を常に持ちながら行動することじゃないで
すか。』
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| 2000.11.6 トーマス・フォーリィー駐日アメリカ大使と会談 於アメリカ大使館 |
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今の日米関係をどう見ていますか
『 被占領国から日本が独立し、その頃から東西冷戦の中でアメリ
カとい う大国に外交、安全保障を完全に依存し、核の傘の中にい
ることを居 心地よく思っているうちに、アメリカに従っていれば
生活は保障され、平和も守られると言う考え方に凝り固まってき
てしまった。
そして東西冷戦構造がなくなった後も、発想だけが残ってしまっ
ています。 湾岸戦争が起き、今回またテロという事態に直面し
て、本来ならば日本が国際的な協力の中で、何をなすべきかとい
う時に、常にアメリカの顔 色をうかがいながら、アメリカに喜ん
でもらえるためには、どういう法 律を作ったらいいかという発想
で、今回のテロ対策特別措置法ができたというのはまさに事実で
す。』
従来の発想をどうして変えられないのでしょうか。
『 与党の政治家がアメリカに背向くような結論を出すことを最初
から放棄してしまっているからだと思います。
だから沖縄の基地や地位協定の問題なども、持ち出すことができ
ないと思っているだけに、我々とすれば政権交代あるのみだと。
それこそ日米関係の再構築こそ、本当はやらなきゃならない構造
改革だと私は思っているんです。』
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| 2001.1.24 アナン国連事務総長と会談 帝国ホテル |
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アメリカからの政治的自立のためには何が必要か
『 日本がアメリカの占領下に置かれたときに、ソ連による共産主
義化という事態があって、アメリカはそれと闘うために日本を資
本主義社会の橋頭堡としたいという思いがあった。それで日本に
対しては、極めて寛容な政策をとり、軍隊を持たせないようにし
ながら憲法を作った。
日米安保でこの国は、全部アメリカが守ってくれる状況になった。
安全保障を他国に任せてしまう国は、政治的自立は果たせないで
すよ、 どう考えても。
そこで日本は精神構造的なところまで、アメリカから自立するこ
とをあきらめてしまった。しかし東西冷戦構造の壁が崩れて、カ
ーテンが開いたにもかかわらず、日本の精神構造はその延長でき
たもんだから、国際環境の変化に対処できない事態になっている。
政治的自立をしないほうが楽だったし、それに慣れてしまったも
んだから、今でもその延長でずっと来てるわけですね。
冷静に考えたときに、隣国との間で万一衝突が起きたとしても、
日米安保があるからアメリカは日本側に立って相手と戦ってくれ
るなんて発想はありえないと私は思っています。
そういうことを考えれば、もっと安全保障の立場からも自立しな
ければならない。アメリカは万一のことを考えたときの議論から
逃げていますから。
もはや日米安保があるからたすけてくれるというような深い関係
はない。日本の政治的自立とは、安全保障での、より自主的な発
想を持つということです。』
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アメリカから自立するための鳩山さんの具体策とは
『 私は前に、常時駐留なき安全保障を提唱しました。
この考え方は今も捨てていません。どの国であっても、他国の軍
隊が駐留している状態は正常な状態ではないんです。
沖縄に75パーセントも集中している在日米軍基地が、これから
も居つづけるというのは正常じゃないです。
アメリカの世界戦略の中での沖縄の重要性はあるんでしょうが、
それはアメリカの論理であって日本の論理じゃないわけです。
アメリカの海兵隊には、将来的に沖縄から引き上げてもらう議論
をこっち側から出すべきだと思うんですね。
レイプ事件などの人権問題ですら、まだ完全に対等になっていま
せんからね。そういう要求をどんどん出して、思いやり予算もや
り過ぎているわけですから、そこもきちんと求めて行きながら、
その代わり日本が万一のときにはどういうことができるか、有事
に備えて、日本はこう考えるべきという議論をしなきゃいけない。 有事を想定していない国はそれこそ自立していないわけです。
万一のときにはどういう行動をとるかという様々なシュミレーシ
ョンと法的整備は、どの国もやっている当たり前の話で、日本も
行う時が来ているんじゃないかと思いますね。』
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シンガポールの、りー・クァンユー氏のような哲学、戦略に優れ
た国際的政治家が日本に皆無に近いのは何故か
『 私が一番やりたい友愛思想に基づいたアジアの不戦共同体は、
世界に向けてアジアの国々に向けて、日本が発しなければならな
いメッセージなんですね。
そういうものも発する政治家はいませんね、おっしゃる通り。
それは長い数十年間の、まさに平和ボケだと思うんです。平和ボ
ケの中でこの国の安全とか平和といったものは、アメリカに寄り
かかっていればい いんだという発想だけになり下がってしまった
ために、評価される外交に ならなかったと思うんですね。
アメリカから、より自立した自主的な外交姿勢を作り出していく
ことが何よりも重要ではないかと思っているんです。どうすれば
日本の政治家が評価をされるかというと、例えば私が当時パリ
市長のシラクさんのところに伺ったとき、向こうから万葉集の話
なんか持ち出してくるんですね。
政治家同士が政治の議論をするのは当然のことなんですが、プラ
イベートのときに、ひとことで言えば、文化性のようなものだと
思うんですけど、そういうものを感じさせる日本の政治家とい
うのは、きわめて乏しいのではないか。
欧米では人間全体の評価がそういうところでされるわけです。従
ってこれからの日本の政治家が世界に向けて評価をされていくた
めには、私は自らが持つ文化を示していく必要があると思います
ね。』
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自民党を見限ったはずの国民が、小泉旋風で自民党まで復調
させたが、この国民の選択をどう思いますか
『 自民党に対する大変な批判を、逆にだから自民党を変るんだと
言い切った小泉さんにも一度だけ賭けてみようという気持ちにな
ったんだと思う
んですね。たぶん、国民の多くは必ずしも大きな変化を望んでい
ない。いわゆる保守的な気持ちというものがあって、できれば自
民党政治を続けさせてやりたいという思いが、心のどこかに
あるような気
がするんですよ。
国民の多くは野党というと、何か反基地、反安保、反米とかいう
ようなところに視点があるように思って、野党に対して政権を与
えるという勇気がないままにきてしまっている。
その自民党をオレは変えてやるんだというメッセージが、もう一
度国民を自民党支持に変えちゃったんでしょうね。
自民党は小泉さんをうまく利用して、また自民党の古い政治を取
り戻したいと思っているのは見え見えなんだけれども、でもその
部分が必ずしも見えなくて、国民は小泉さんの変わり得る自民党
に期待しようとする思いがあったんじゃないか。
今までの自民党の不人気を、180度逆手に取る発想で総理にな
られたもんだから、そこに国民の気持ちが集中したんだと思って
います』
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| 2000.6.18 衆議院選挙 銀座四丁目、和光前 |
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リーダーの重要な役割とは
『 これからの日本の歩むべき道を示すこと、それが一番大きな役
割かもしれません。
今までの政治の最大の欠陥は最後に責任を取らないということで
す。
歴史の転換点を迎えても、常にその歴史が何故変わらなきゃなら
な いのか、何故間違っていたのかということを検証もせず、責任
を取らないで次のステップにどんどんいってしまい、また失敗を
積み重 ねるということだった。
だからリーダーは大きな指針を与えて、その指針の元に人々を動
かし、その動かした結果に対して責任を持つことだと思う。
リーダーが人々への全幅の信頼を持ちながら、最後の責任は俺が
持つからどんどんやって来いというメッセージを出せることじゃ
ないかと思いますね。
ただ世の中みんなリーダーシップを発揮しろというでしょう。
でもそれは依存心の裏返しなんですよね。
本当に今の政治に必要なのは、強いリーダーを作ることじゃなく
て強い個人個人を、自立した個人をつくることだと思うんです。』
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民主党代表として議員たちに一番強調したいことは
『 一番強く望みたいのは、己を捨ててほしいということです。
私欲のままに行動する政治家が多い中で、私欲が国を滅ぼしてき
たんだという痛烈な自己批判のもとで、己を捨てて無私の姿勢で
臨むということを 常に強調してきたつもりだし、それが覚悟だと
私は思っています。
覚悟というのは自分自身を無にすることだと理解していただきた
い。
わたしが、西郷隆盛の「命もいらず名もいらず、官位も金も望ま
ざる者ほど御しがたき者は無し。」という遺訓をことあるごと
に、党員のみなさんに説くのも、そこにあるんです。
そういう気持ちが自民党型政治の対極に来るもので、民主党と自
民党との違いは分かりにくいと言われますが、実はイデオロギー
の違いじゃなくて体質の違いなんだというところを際立たせてい
くことが大事だと思うんです。』
議員たちに覚悟の重要性を訴えていますが鳩山さんの覚悟とは
『 私は子供のためなら命を捨てることができると思いますが、
政治家の覚悟というのは国民のためにいかに自分の命を捨てるこ
とができるかということだと思いますね。
国民が例えば経済的に落ち込み、社会的にもモラルが退廃してい
くときに、命を捨てて、彼らを救うぐらいの行動を厭わずにしな
きゃならないと思うんですね。
例えば他国で何人かの日本人がそこで捕まったときに、自分が政
治家として彼らの命と引き換えに入っていけるか、それによって
彼らの命を救うことができるなら、大いに行こうじゃないかとい
う覚悟を持っているか、というのはひとつありますね。
そういう環境が将来起きないとも限らないし、常にそのぐらいの
思いをもって国民全体のことを考える度量を持っていなきゃなら
ないと言うことを覚悟と言っているんですが。』
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日本の歴史上で興味のある人物はいますか
『 明治維新を切り開いた龍馬とか晋作の師としての吉田松陰が、
この国を動かす人達にどうエネルギーを与えたかっていうこと
に非常に興味がありますね。
吉田松陰のどんどん誉め上げ、その人の才能を評価して仕事をさ
せるという部分がこれからの上に立つ人間にとってきわめて重要
ではないかと いう意味で、吉田松陰を勉強して見たいと思います
ね。』
信長、秀吉、家康の中で好きな人物は。
『 今は信長的な人間が求められている時代なんでしょうね。
でも私自身は家康的な生き様が自分には合っている。このご時世
ってまさに大乱のときですよね。
だから信長的性格が求められているのかもしれません。』
自分はこの乱世には向いてないということですか。
『 こういうことを言うとまた物議をかもすんでしょうけど、本来
は菅直人という男に乱世を突っ走ってもらって、その後のいろん
なシステム作りなどの国民に安心感を与えるような部分で、役に
立てればいいなと思った時があり増すが、今はそういう時期じゃ
ないでしょう、どう考えても。
経済や社会状態ひとつとってみたって、すぐに安定期に入る状況
じゃ全くないですよ。
とすれば自分自身を相当作り変えて、大乱のときにも耐えうる人
間に自分育て上げていかないといけないだろうと思いますね。』
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どんな人物に嫌悪感を覚えますか
『 話をしたり議論をするときに、相手の顔を見ないでしゃべる人
が結構多いですね。
目を見て相手を信頼するというのが大事だと思うんだけどどうも
目をまともに見れない人には、何を考えているのか分からんとい
う意味での嫌悪感を感じますね。
目を見てしゃべれない人には、やはり信頼がおけないですね。
この人にどこまで本当のことをしゃべっていいのかなっていう気
になりますね。
あとはなんでもカネだとか、ポストを求めてくる人なんてこの世
界には沢山いますからね。
命もいらず名もいらずという西郷隆盛の考え方に反する人には嫌
悪感を感じます。』
西郷隆盛の考え方とは
『 命もいらず名もいらず、官位もカネもいらぬ者ほど御し難き者
なし、しかれどもこの御し難き者にあらざれば天下の大計はかる
べからず」という西郷隆盛の遺訓のことです。
私はそれを旧民主党を立ち上げたときに、命とか名とかポストと
かカネとかそういうものを欲しがる人は民主党にはいりませんよ
と話したんです。
即ち自分のためにというのが先に出る人には、嫌悪感を感じると
言ってもいいと思う。
そういう人間ではない人と仕事をやりたいというのが、この政党
を作った、少なくとも私の目的なんですね。』
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| 2000.10.30 母・安子氏を囲んで家族でくつろぐ。於文京区、鳩山会館(旧鳩山邸) |
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鳩山会館は、元々は鳩山邸だったんですね
『 そうです。でも生まれたときはそこじゃなかったんですよ。
小学校2、3年の頃に引っ越してきて、それから大学を出るまで
ですね、住んでいたのは。』
どんな生活でしたか
『 小中学校の頃は、弟も姉も3人とも、虚弱児童的でね。小児喘
息持ちで常にゼイゼイやっていたんです。その頃は体力は本当に
なかった。
だから運動会がいやでね。運動会の前になると、身体の調子が悪
くなりそうな、そんな子供だったんですよ。
それをお袋が気にして、弟と私に家庭教師をつけてくれた。
その家庭教師は勉強よりは遊びを教えてくれた先生で、学校が終
わってから勉強の前に、庭で野球やって遊んだんですよ。
野球と昆虫採集の少年時代でしたね。』
将来の進路は高校時代には決めていたんですか
『 全然決まっていなかったですね。
我が家は政治ファミリーと言われ、弟はオーパパ(祖父一郎)の
あとを継ぐのは僕って幼稚園の頃から言ってました。
それを横目で見ながら私自身はシャイな性格っていうか、あまり
自己表現が上手くない人間ですから、こういう人間は政治の中で
前を切り開いていくタイプじゃないなと自分なりに理解してまし
たね。』
そう思ったのはいつ頃でしたか
『 子供の頃からそういう思いがありましてね。
だから弟がやりたいのなら、政治はやるつもりはないと。
当事、先生からこれからは工学の時代だと言われ、それなら工学
を勉強して国の発展のために役に立つ人間になれたらいいなって
いう漠然とした思いはありました。だから政治家にはならないだ
ろうなっていう気持ちになっていたことは確かです。』
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母・安子さんの生き方で何か感じることは
『 今でも贅沢をいちっばん嫌うのはお袋だと思いますね。
こういう家に住んで何を言うかってみなさん思われるかもしれな
いけれども、母は今でも質素に振舞っています。70、80にな
ってもタ クシーには乗らないし、必ず電車を使うとかね。また
本当にシャケの 切り身一つとご飯とおみおつけ程度の食事しかと
らなかったですね。
鳩山という家に住んでいるからこそ、一人ひとりの心の中が贅沢
になっちゃいけないと、むしろ質素に生きるべきだと。
もったいないという言葉がさかんに母から伝わってきたような気
がしますね。』
息子さんにはどんな教育をしましたか
『 紀一郎が生まれて当初は、あれやっちゃダメ、これやっちゃダ
メみたいな、子供には厳しいことを言ってたと思うんですよ。
中学に入る頃、自分の道はあなたがそれでいいと思えばその道を
選びなさいよ、でも責任はしっかりとあなたが持つんですよ、と
いう教育方針に変えたんですね。その頃からぐんぐん成績も伸び
るようになった。
自我にも目覚めて音楽の世界に入り、昨日もチェロのコンサート
をやってきたようですが、マーラーを弾いてよかったと感激して
いました。
また私と似たところがあって、工学系の道を歩みながら私よりは
るかに広い分野で人生を楽しんでいるなと。
息子に関してはそれなりの教育はしてきたという思いはあります
ね。妻と母に依るところ大なんだけれど。』
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| 2001.8.14 寝室で野球観戦 田園調布の自宅 |
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日課として何かやっていることは
『ほとんど女房と本棚の一部を小さな神棚にして、神に感謝する
ことをやっています。感謝することです。』
何を感謝するんですか
『 ファミリーと国民に健康を与えてくれていることに感謝します。
これから自分自身の思いで精一杯やりますから、どうぞ支えてく
ださいみたいな祈りを大体毎日やっています。内容は言うもんじ
ゃないんですけどね。
あとは瞑想を唯一の健康法として1日に20分、でもなかなか時
間が取れないんですが。』
どんなやり方ですか
『 なんにも考えないでマントラを唱える。
意味のない言葉を唱えているうちに、頭の中が無になる。その考
えない時間を持つというのが、頭をスッキリさせて健康にさせる。
普通は正座して20分やるんですが、やっているうちに大体寝て
るんじゃないかな。』
困難に直面したとき、自信を奮い立たせるものは
『 言葉じゃないと思うんですけどね。やっぱり愛だと思うんです
よ。女房とか家族とか、愛する対象を想念の中で思い描いて、
そのためにも頑張らなきゃいかんぞという発想で耐えるんです。』
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お父さん(威一郎元外相)は、息子の鳩山さんが政治家になる
ことを望みましたか
『 いや、親父も政治家にはなりたくなかったんですよ、最後には
なりましたけど。親父は弟に、政治家は悪人なんだ、政治家とい
う悪人の世界にお前は行くべきではないと言ったらしいんです。
弟は、ならばあなたのお父さんの鳩山一郎は大悪人ですかって聞
いたらお前そんなこと知らねえのかって言ったらしいんだけど
(笑)。』
政治家を志したのはいつですか
『 こどもの頃はまったくなりたいとは思わなかった。
貴、政治家をやるぞと言われたときに、俺も40になったらやる
かも知れんからなと答えているんですね。
だからその頃に、少し心境の変化はあったんだと思います。
日本に帰る年の1976年は、アメリカ建国200年で国を挙げ
て愛国心のパレードだったわけですね。
日本の場合、愛国心がどうも軍国主義につながるというように思
われているのは、完全な錯覚じゃないかと、国を愛することをも
っと誇らしげに言うことができる社会を作らないとまずいと、留
学中に思って、それが政治に入るきっかけになったんですね。
親父は反対しましたけど。』
なんと言って反対しましたか
『 親子3人で政治をやるなんて恥ずかしくて、お天道様に顔を向
けられないよって言われましたね。
当時、親父は大蔵官僚でしたから、政治家っていうのは常に仕事
をくれ、カネをくれっていう、たかりのように思っていたんでし
ょうね。
行政の側から政治の側を見たときの印象があまりにも悪いので、
政治家なんかなるもんじゃないという思いが親父にはあったん
だと思います。
でもそういう親父が最後は体をこわしてまで私の選挙のときに
応援してくれたんですね。それは非常に嬉しかった。』
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夫人の幸さんは、鳩山さんにとってどんな存在ですか
『 今でも太陽でありつづけている。
その意味はエネルギーを、我々ファミリーに与えてくれているこ
となんですね。とにかく底抜けに明るいです。どんなに厳しいと
きにあっても、その厳しいのはその次のための試練なんだと、
みんなに言い聞かせるわけですね。
どんなときでも笑顔だよっていう感じの女性ですから。料理も上
手いですし。家に帰るとホッとした安堵感というかね、エネルギ
ーの補給基地みたいな状態でいてくれる。
そういう意味で私にとっても、ファミリーにとっても中心的な存
在ですね。』
鳩山さんにとって家族とは
『 一番の人間関係の基点が家族ですから、その家族がギクシャク
していては、政治家として国を上手くコントロールできようはず
もない。家族がしっかりと愛情で結ばれ、信頼関係があり、一人
ひとりが自立しているようなファミリーが理想ですね。
私は家にいて、お互いに本を読んだりして何も言葉を発しなくて
もいいんですが、そういう瞬間が何か至福の時って感じることが
できますね。』
自分を誇りに思っていることは何ですか
『 今日まで自分に嘘をつかない人生を行ってきたというところは
誇ってもいいと思いますね。
決して得だとは思ってないけれど、嘘いつわりで塗り固めたよう
な人生を歩んできたつもりはないし、自分自身に尊厳を持つよう
にならなきゃいかんと、常に思いながら行動してきたことが誇り
かもしれないね。』
(おわり)
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