於文京区音羽の鳩山会館(旧鳩山邸) 
 
「鳩山 由紀夫」 
 
   要<インタビュー> 聞き手・蛭 田 有 一
鳩山さんの政治の原点、哲学をお聞かせください 
『 ひとことで言えば友愛です。
自由というものをとことん追求すれば、平等な社会が崩れて、
弱肉強食に
なるし、逆に平等がいき過ぎると自由が失われる。 
このふたつを活かしていくためには、ふたつを繋ぐ架け橋が必要
で、それが友愛なんです。
一人ひとりが自立した生きざまを求めながら、一方では他者への
思いやり
とか尊敬念を抱く。それを作り出していくのが愛で、
その愛があれば平等
な社会と一人ひとりの自由を求めることがで
きる。それがないから日本は
自由と平等がごちゃごちゃになっ
て、いつの間にかお互いにもたれあい、
自分をみがかなくても人
に寄っかかっていればいいという社会になってし
まっている。
友愛という概念を大事にすることで、依存ではない共生の社会を
作り上げ
ていくことができるはずです。
一方ではサッチャー的な自由があり、一方ではブレア的な共生の
道があるけれども、それをつなぐ第三の道が愛だという思いで、
これからも自分自身の哲学としていきたいですね。
祖父の一郎がクーデンホーフ・カレルギーから友愛という考え方
の重要性に触発されて、晩年までそれを大事にしてきた。
40年経っても祖父の考え方は間違っていなかったし、逆にそれ
が全然育たないまま、あたかも民主主義が根づいたかのように日
本社会は動いてきた。
しかし精神的な意味での成長はこの数十年、全然遂げてこなかっ
たんじゃないか。
政治家としての原点は友愛だということを貫いていきたい。
これからも変えるつもりはありません。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
1999.11.25  小泉純一郎氏との雑誌対談  於ホテル・ニューオータニ 
 
2000年の民主党代表選挙で自立、責任、共生を
強調しましたね

『 国の問題は、政治家も国民も全て役人に任せてしまって役人天
国を作っ
ちゃったわけですね。全部官僚に責任負わせて、自分自
身は常に役人社会
に負いかぶさって依存する、そういう政治だっ
た。
 
経済が右肩上がりでつづいている時はそれでもやってこれたけれ
ど、そう
でない国際環境にさらされた時、そのひ弱さを露呈して
しまった。

だからなんでも官僚に任せる依存型の社会から政治の自立、国民
の自立、
国全体の自立が日本社会の今日的ないちばんの問題だと
理解したんです。

外交もアメリカに日米安保で依存し、東西の対立の中では、西の
陣営についておけば安心だということぐらいしか外交方針がな
く、完全に国としての尊厳を捨ててしまった。
そういう依存型の社会が官僚天国になった結果、非常に無駄遣い
も多いし、経済的な不合理性も生み、国のエネルギーも失ってき
てしまった。
ここで大事なことは、政治も個人も国も依存から開放されて自立
することなんです。
自立と責任をもって共生という社会を作り上げていくことが依存
型の体質から脱却する最も大事な考え方ではないか。
この方向で経済を見つめ直し、外交を見つめ直し、教育だって
見つめ直すことができる。全てこの精神をもとに、各々の具体的
な政策を作り上げていくことができると思います。
この3つの概念を友愛という言葉に置き換えてもいいと思ってい
ます。』

               次頁へつづく
   
Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.11.24  民主党本部代表室
 
鳩山さんの外見的イメージが弱々しいと言う人がいますが
変えたいという気持ちはありますか

『 人間性まで変えろって言われてもどうしようもないです。むし
ろ私は自然
 体でいきたいと思っています。
相手が派手にパフォーマンスをやってるんだから、こっちもパフ
ォーマンス
で返せと言われても、それはできないですね。 
頼りなさが外見的なものだとすれば、これも変えようはないんで
す。
内面的な部分では、政治家は相当頑固でないとできません。
なよなよした発想ではもたないです。その意味での頑固さは、私
は結構強いものがあると思います。
友愛を主張することそのものが頼りないと見られるかも知れない
けれど、そこが本質なんだということを貫き通すことにおいて、
私は相当頑固な人間だと思っているんです。
弱い人間だったら、2度も政権与党を敢えて離れて、野党暮らし
をするなんてことしないでしょう。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.10.2  パーティー会場で森首相と  ホテルオークラ
 
日本は胸を張って民主主義国家と断言できますか
『 全然思っていません。
先ず民主主義って何なんだっていうことを身体で知っている政治
家も日本
人も、ほとんどいないんじゃないかという気がします。 
アメリカにしろヨーロッパにしろ、民主主義は戦い取ってきたわ
けですよね、
権力者から。 
明治から戦後も、民主主義を教科書的には学んできたけれども、
実は血や汗で民主主義が遺伝子的に組み込まれたものではない。 
戦後のデモクラシーが制度的には少なくても民主主義で、選挙に
よって選
ばれた人達が、過半数で決めていくシステムができてい
ますけど、一番大事な一人ひとりの意思の尊重とか、自立性と
いうものが養われていない。

だから結局は寄らば大樹で官僚に任しておけばいいんだと、政治
の大事な
ところを全部官僚任せにしてきた。
今回のテロの時にも、私は民主主義じゃないなと思ったのは、
一番大事な
自衛隊をどこにどうやって派遣するのかということを、
国会は放棄しちゃ
ったわけですから。私どもが事前承認にこだわ
ったのはそこなんですよ。

国会が民主主義で決めなきゃいけない一番大きな部分を官僚任せ
にしてし
まっているところで、私はもう民主主義が死んでいると
思います。

民主主義が今でも日本には育ってきていない。だからこそ本当に
民主主義
がどういうものかということを、国民の皆さんと一緒に
作り上げていきたい
という思いで、菅さんと一緒に民主党という
名前をつけたんです。』


               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.10.14  朱鎔基中国首相と会談  迎賓館
 
日本には国際的な政治家が見当たりませんが
『 地形的な部分があるのかもしれないなと、今思ったんですが。
島国で
 あるだけに、外の国と国境を接していませんよね
領土問題を抱えているけれども、それが必ずしも実生活を脅かす
ような話になっていない。 
ヨーロッパやアジアの国々と違って、他の国と接していない部分
のメリッ
トが、一方ではアメリカ依存の外交を作って、特に東西
冷戦構造のときに
顕著だったんですが何もしない、アメリカに従
がっているのが一番特だと
いうことが外交政策でした。
日本が敗戦から独立して経済力を養っていく過程の中では、社会
的に評価
されるべき政治家がいたんではないかと思うんですが、
その後の安定期において、そういう国際性が基本的に必要ない外
交であったのではないか思いますね。
一方、外交はほとんど選挙の種にならないテーマだと見られて、
票にならないものは、皆がやろうとしなかったという状況で、世
界に傑出した政治家が現われなかったということじゃないでしょ
うか。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.4.19  チベットのダライ・ラマ法王と会談  ホテルオークラ
 
これまでに会って感銘を受けた政治家は
『 リー・クアン・ユーさんです。 
あの方にダボス会議で会ったとき、小柄なんですけど非常に圧倒
されるも
 がありましたね。物静かなんですよ、すごく。その中で
大変な覇気と魅力、
人格を感じましたね。 
アジアの国々に対して日本は損してるって言われるんです。 
どうして歴史の問題を片付けないんだと。そこを早く片付けて、
もっと尊敬
される付き合いをどうしてやらないのって、おっしゃ
ったですね。それは私
もまったく同感なんです。
最近お目にかかった、私の覚えている限りで最も畏敬の念を抱い
た政治家
であることは間違いないです。

尊敬できる政治家を増やすには
『 簡単ではないと思いますね。
そのためには、一人ひとりの私欲を捨て、自らの尊厳を高める、
そこに尽
きるんだろうと思っています。
票がほしいために政策を訴えているんじゃないぞというところを
際立たせ
て見せるしかない。
私は公共事業に対して、最も依存している北海道で、公共事業批
判を続けているわけですが、それでいかに多くの票を失ってきた
かは明白だけれども、それでもギリギリで当選させてもらってる

ということは、目に見えない
無言の力で押し上げてくれているっ
ていう部分もあるんです。
国民の常識を信じ、私欲を捨てたところを評価してくれる人達が
いるんだ
っていう確信を常に持ちながら行動することじゃないで
すか。』


               次頁へつづく

   
2000.11.6  トーマス・フォーリィー駐日アメリカ大使と会談  於アメリカ大使館
 
今の日米関係をどう見ていますか
『 被占領国から日本が独立し、その頃から東西冷戦の中でアメリ
カとい
 う大国に外交、安全保障を完全に依存し、核の傘の中にい
ることを居
 心地よく思っているうちに、アメリカに従っていれば
生活は保障され、
平和も守られると言う考え方に凝り固まってき
てしまった。

そして東西冷戦構造がなくなった後も、発想だけが残ってしまっ
ています。
 湾岸戦争が起き、今回またテロという事態に直面し
て、本来ならば日本が国際的な協力の中で、何をなすべきかとい

う時に、常にアメリカの顔
 色をうかがいながら、アメリカに喜ん
でもらえるためには、どういう法
 律を作ったらいいかという発想
で、今回のテロ対策特別措置法ができたというのはまさに事実で
す。
』 

従来の発想をどうして変えられないのでしょうか。
『 与党の政治家がアメリカに背向くような結論を出すことを最初
から放棄してしまっているからだと思います。
だから沖縄の基地や地位協定の問題なども、持ち出すことができ
ないと思
っているだけに、我々とすれば政権交代あるのみだと。
それこそ日米関係の再構築こそ、本当はやらなきゃならない構造
改革だと
私は思っているんです。』

               次頁へつづく

   
 2001.1.24  アナン国連事務総長と会談  帝国ホテル
 
アメリカからの政治的自立のためには何が必要か
『 日本がアメリカの占領下に置かれたときに、ソ連による共産主
義化と
いう事態があって、アメリカはそれと闘うために日本を資
本主義社会
の橋頭堡としたいという思いがあった。それで日本に
対しては、極め
て寛容な政策をとり、軍隊を持たせないようにし
ながら憲法を作った。

日米安保でこの国は、全部アメリカが守ってくれる状況になった。
安全保障を他国に任せてしまう国は、政治的自立は果たせないで
すよ、
 どう考えても。
そこで日本は精神構造的なところまで、アメリカから自立するこ
とをあきらめてしまった。しかし東西冷戦構造の壁が崩れて、カ
ーテンが開いたにもかかわらず、日本の精神構造はその延長でき
たもんだから、国際環境の変化に対処できない事態になっている。
政治的自立をしないほうが楽だったし、それに慣れてしまったも
んだから、今でもその延長でずっと来てるわけですね。
冷静に考えたときに、隣国との間で万一衝突が起きたとしても、
日米安保があるからアメリカは日本側に立って相手と戦ってくれ
るなんて発想はありえないと私は思っています。
そういうことを考えれば、もっと安全保障の立場からも自立しな
ければならない。アメリカは万一のことを考えたときの議論から
逃げていますから。
もはや日米安保があるからたすけてくれるというような深い関係
はない。日本の政治的自立とは、安全保障での、より自主的な発
想を持つということです。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.6.22  衆議院選挙  登別市役所前
 
アメリカから自立するための鳩山さんの具体策とは
『 私は前に、常時駐留なき安全保障を提唱しました
この考え方は今も捨てていません。どの国であっても、他国の軍
隊が駐留している状態は正常な状態ではないんです。 
沖縄に75パーセントも集中している在日米軍基地が、これから
も居つづ
けるというのは正常じゃないです。 
アメリカの世界戦略の中での沖縄の重要性はあるんでしょうが、
それは
アメリカの論理であって日本の論理じゃないわけです。
アメリカの海兵隊には、将来的に沖縄から引き上げてもらう議論
をこっち
側から出すべきだと思うんですね。
レイプ事件などの人権問題ですら、まだ完全に対等になっていま
せんからね。そういう要求をどんどん出して、思いやり予算もや
り過ぎているわけですから、そこもきちんと求めて行きながら、
その代わり日本が万一のときにはどういうことができるか、有事
に備えて、日本はこう考えるべきという議論をしなきゃいけない。
有事を想定していない国はそれこそ自立していないわけです。
万一のときにはどういう行動をとるかという様々なシュミレーシ
ョンと法的整備は、どの国もやっている当たり前の話で、日本も
行う時が来ているんじゃないかと思いますね。』

               次頁へつづく
   
2000.6.18  衆議院選挙  JR有楽町駅前 
 
シンガポールの、りー・クァンユー氏のような哲学、戦略に優れ
た国際的政治家が日本に皆無に近いのは何故か

『 私が一番やりたい友愛思想に基づいたアジアの不戦共同体は、
世界に向
けてアジアの国々に向けて、日本が発しなければならな
いメッセージなんですね。

そういうものも発する政治家はいませんね、おっしゃる通り。 
それは長い数十年間の、まさに平和ボケだと思うんです。平和ボ
ケの中で
この国の安全とか平和といったものは、アメリカに寄り
かかっていればい
 いんだという発想だけになり下がってしまった
ために、評価される外交に
 ならなかったと思うんですね。
アメリカから、より自立した自主的な外交姿勢を作り出していく
ことが何
よりも重要ではないかと思っているんです。どうすれば
日本の政治家が評
価をされるかというと、例えば私が当時パリ
市長のシラクさんのところに伺ったとき、向こうから万葉集の話
なんか持ち出してくるんですね。
政治家同士が政治の議論をするのは当然のことなんですが、プラ
イベートのときに、ひとことで言えば、文化性のようなものだと
思うんですけど、そういうものを感じさせる日本の政治家とい
うのは、きわめて乏しいのではないか。
欧米では人間全体の評価がそういうところでされるわけです。従
ってこれからの日本の政治家が世界に向けて評価をされていくた
めには、私は自らが持つ文化を示していく必要があると思います
ね。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.6.24  衆議院選挙  JR新宿駅南口 
 
自民党を見限ったはずの国民が、小泉旋風で自民党まで復調
させたが、この国民の選択をどう思いますか
『 自民党に対する大変な批判を、逆にだから自民党を変るんだと
言い切
った小泉さんにも一度だけ賭けてみようという気持ちにな
ったんだと思う

んですね。たぶん、国民の多くは必ずしも大きな変化を望んでい
ない。
いわゆる保守的な気持ちというものがあって、できれば自
民党政治を続
けさせてやりたいという思いが、心のどこかに
あるような気
  がするんですよ。
国民の多くは野党というと、何か反基地、反安保、反米とかいう
ようなと
ころに視点があるように思って、野党に対して政権を与
えるという勇気が
ないままにきてしまっている。
その自民党をオレは変えてやるんだというメッセージが、もう一
度国民を
自民党支持に変えちゃったんでしょうね。
自民党は小泉さんをうまく利用して、また自民党の古い政治を取
り戻した
いと思っているのは見え見えなんだけれども、でもその
部分が必ずしも見えなくて、国民は小泉さんの変わり得る自民党
に期待しようとする思いが
あったんじゃないか。
今までの自民党の不人気を、180度逆手に取る発想で総理にな
られたも
んだから、そこに国民の気持ちが集中したんだと思って
います』


               次頁へつづく
   
2000.6.18  衆議院選挙  銀座四丁目、和光前  
 
リーダーの重要な役割とは
『 これからの日本の歩むべき道を示すこと、それが一番大きな役
割か
もしれません。
今までの政治の最大の欠陥は最後に責任を取らないということで
す。

歴史の転換点を迎えても、常にその歴史が何故変わらなきゃなら
 いのか、何故間違っていたのかということを検証もせず、責任
を取
らないで次のステップにどんどんいってしまい、また失敗を
積み重
 ねるということだった。 
だからリーダーは大きな指針を与えて、その指針の元に人々を動
し、その動かした結果に対して責任を持つことだと思う。
リーダーが人々への全幅の信頼を持ちながら、最後の責任は俺が
つからどんどんやって来いというメッセージを出せることじゃ
ない
かと思いますね。
ただ世の中みんなリーダーシップを発揮しろというでしょう。
でも
それは依存心の裏返しなんですよね。
本当に今の政治に必要なのは、強いリーダーを作ることじゃなく
強い個人個人を、自立した個人をつくることだと思うんです。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.6.2  衆議院解散後、民主党議員に演説
 
民主党代表として議員たちに一番強調したいことは 
『 一番強く望みたいのは、己を捨ててほしいということです。 
私欲のままに行動する政治家が多い中で、私欲が国を滅ぼしてき
たんだと
いう痛烈な自己批判のもとで、己を捨てて無私の姿勢で
臨むということを
 常に強調してきたつもりだし、それが覚悟だと
私は思っています。
 
覚悟というのは自分自身を無にすることだと理解していただきた
い。
 
わたしが、西郷隆盛の「命もいらず名もいらず、官位も金も望ま
ざる者ほ
ど御しがたき者は無し。」という遺訓をことあるごと
に、党員のみなさん
に説くのも、そこにあるんです。
そういう気持ちが自民党型政治の対極に来るもので、民主党と自
民党との
違いは分かりにくいと言われますが、実はイデオロギー
の違いじゃなくて
体質の違いなんだというところを際立たせてい
くことが大事だと思うんです。』


議員たちに覚悟の重要性を訴えていますが鳩山さんの覚悟とは
『 私は子供のためなら命を捨てることができると思いますが、
政治家の覚悟というのは国民のためにいかに自分の命を捨てるこ
とができるかということだと思いますね。
国民が例えば経済的に落ち込み、社会的にもモラルが退廃してい
くときに、命を捨てて、彼らを救うぐらいの行動を厭わずにしな
きゃならないと思うんですね。
例えば他国で何人かの日本人がそこで捕まったときに、自分が政
治家として彼らの命と引き換えに入っていけるか、それによって
彼らの命を救うことができるなら、大いに行こうじゃないかとい
う覚悟を持っているか、というのはひとつありますね。
そういう環境が将来起きないとも限らないし、常にそのぐらいの
思いをもって国民全体のことを考える度量を持っていなきゃなら
ないと言うことを覚悟と言っているんですが。

               次頁へつづく
   
Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2001.12.12   国会議事堂
 
日本の歴史上で興味のある人物はいますか
『 明治維新を切り開いた龍馬とか晋作の師としての吉田松陰が、
この国を
動かす人達にどうエネルギーを与えたかっていうこと
に非常に興味があ
りますね。
吉田松陰のどんどん誉め上げ、その人の才能を評価して仕事をさ
せると
いう部分がこれからの上に立つ人間にとってきわめて重要
ではないかと
 いう意味で、吉田松陰を勉強して見たいと思います
ね。』
 

信長、秀吉、家康の中で好きな人物は。
『 今は信長的な人間が求められている時代なんでしょうね。
でも私自身は家康的な生き様が自分には合っている。このご時世
ってまさ
に大乱のときですよね。
だから信長的性格が求められているのかもしれません。』

自分はこの乱世には向いてないということですか。
『 こういうことを言うとまた物議をかもすんでしょうけど、本来
は菅直人と
いう男に乱世を突っ走ってもらって、その後のいろん
なシステム作りなど
の国民に安心感を与えるような部分で、役に
立てればいいなと思った時が
あり増すが、今はそういう時期じゃ
ないでしょう、どう考えても。

経済や社会状態ひとつとってみたって、すぐに安定期に入る状況
じゃ全く
ないですよ。
とすれば自分自身を相当作り変えて、大乱のときにも耐えうる人
間に自分育て上げていかないといけないだろうと思いますね。』

               次頁へつづく

   
1997.12.10    民主党本部
 
どんな人物に嫌悪感を覚えますか
『 話をしたり議論をするときに、相手の顔を見ないでしゃべる人
が結構多
いですね。 
目を見て相手を信頼するというのが大事だと思うんだけどどうも
目をま
ともに見れない人には、何を考えているのか分からんとい
う意味での嫌
悪感を感じますね。 
目を見てしゃべれない人には、やはり信頼がおけないですね。
この人に
どこまで本当のことをしゃべっていいのかなっていう気
になりますね。
 
あとはなんでもカネだとか、ポストを求めてくる人なんてこの世
界には
沢山いますからね。
命もいらず名もいらずという西郷隆盛の考え方に反する人には嫌
悪感を
感じます。』

西郷隆盛の考え方とは
『 命もいらず名もいらず、官位もカネもいらぬ者ほど御し難き者
なし、しか
れどもこの御し難き者にあらざれば天下の大計はかる
べからず」という
西郷隆盛の遺訓のことです。
私はそれを旧民主党を立ち上げたときに、命とか名とかポストと
かカネと
かそういうものを欲しがる人は民主党にはいりませんよ
と話したんです。

即ち自分のためにというのが先に出る人には、嫌悪感を感じると
言っても
いいと思う。
そういう人間ではない人と仕事をやりたいというのが、この政党
を作っ
た、少なくとも私の目的なんですね。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserv
2000.10.30   母・安子氏を囲んで家族でくつろぐ。於文京区、鳩山会館(旧鳩山邸
 
鳩山会館は、元々は鳩山邸だったんですね
『 そうです。でも生まれたときはそこじゃなかったんですよ。 
小学校2、3年の頃に引っ越してきて、それから大学を出るまで
です
ね、住んでいたのは。』 
どんな生活でしたか
『 小中学校の頃は、弟も姉も3人とも、虚弱児童的でね。小児喘
息持ちで
常にゼイゼイやっていたんです。その頃は体力は本当に
なかった。
 
だから運動会がいやでね。運動会の前になると、身体の調子が悪
くなり
そうな、そんな子供だったんですよ。
それをお袋が気にして、弟と私に家庭教師をつけてくれた。
その家庭教師は勉強よりは遊びを教えてくれた先生で、学校が終
わって
から勉強の前に、庭で野球やって遊んだんですよ。
野球と昆虫採集の少年時代でしたね。』

将来の進路は高校時代には決めていたんですか
『 全然決まっていなかったですね。
我が家は政治ファミリーと言われ、弟はオーパパ(祖父一郎)の
あとを
継ぐのは僕って幼稚園の頃から言ってました。
それを横目で見ながら私自身はシャイな性格っていうか、あまり
自己表
現が上手くない人間ですから、こういう人間は政治の中で
前を切り開い
ていくタイプじゃないなと自分なりに理解してまし
たね。』


そう思ったのはいつ頃でしたか
『 子供の頃からそういう思いがありましてね。
だから弟がやりたいのなら、政治はやるつもりはないと。
当事、先生からこれからは工学の時代だと言われ、それなら工学
を勉強
して国の発展のために役に立つ人間になれたらいいなって
いう漠然とし
た思いはありました。だから政治家にはならないだ
ろうなっていう気持
ちになっていたことは確かです。』

               次頁へつづく

   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2001.8.14  家族で朝食  田園調布の自宅
 
母・安子さんの生き方で何か感じることは
『 今でも贅沢をいちっばん嫌うのはお袋だと思いますね。 
こういう家に住んで何を言うかってみなさん思われるかもしれな
いけ
れども、母は今でも質素に振舞っています。70、80にな
ってもタ
 クシーには乗らないし、必ず電車を使うとかね。また
本当にシャケの
 切り身一つとご飯とおみおつけ程度の食事しかと
らなかったですね。
 
鳩山という家に住んでいるからこそ、一人ひとりの心の中が贅沢
になっ
ちゃいけないと、むしろ質素に生きるべきだと。
もったいないという言葉がさかんに母から伝わってきたような気
がしま
すね。

息子さんにはどんな教育をしましたか
『 紀一郎が生まれて当初は、あれやっちゃダメ、これやっちゃダ
メみたい
な、子供には厳しいことを言ってたと思うんですよ。
中学に入る頃、自分の道はあなたがそれでいいと思えばその道を
選びな
さいよ、でも責任はしっかりとあなたが持つんですよ、と
いう教育方針に変えたんですね。その頃からぐんぐん成績も伸び
るようになった。

自我にも目覚めて音楽の世界に入り、昨日もチェロのコンサート
をやっ
てきたようですが、マーラーを弾いてよかったと感激して
いました。

また私と似たところがあって、工学系の道を歩みながら私よりは
るかに
広い分野で人生を楽しんでいるなと。
息子に関してはそれなりの教育はしてきたという思いはあります
ね。妻
と母に依るところ大なんだけれど。』

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2001.8.14  寝室で野球観戦  田園調布の自宅 
 
日課として何かやっていることは 
『ほとんど女房と本棚の一部を小さな神棚にして、神に感謝する
ことをや
っています。感謝することです。
何を感謝するんですか
『 ファミリーと国民に健康を与えてくれていることに感謝します。 
これから自分自身の思いで精一杯やりますから、どうぞ支えてく
ださい
みたいな祈りを大体毎日やっています。内容は言うもんじ
ゃないんです
けどね。 
あとは瞑想を唯一の健康法として1日に20分、でもなかなか時
間が取
れないんですが。』 

どんなやり方ですか
『 なんにも考えないでマントラを唱える。
意味のない言葉を唱えているうちに、頭の中が無になる。その考
えない時間を持つというのが、頭をスッキリさせて健康にさせる。
普通は正座して20分やるんですが、やっているうちに大体寝て
るんじゃないかな。』

困難に直面したとき、自信を奮い立たせるものは
『 言葉じゃないと思うんですけどね。やっぱり愛だと思うんです
よ。女房とか家族とか、愛する対象を想念の中で思い描いて、
そのためにも頑張らなきゃいかんぞという発想で耐えるんです。

               次頁へつづく
   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2000.9.1   軽井沢別荘
 
お父さん(威一郎元外相)は、息子の鳩山さんが政治家になる
ことを望みましたか
『 いや、親父も政治家にはなりたくなかったんですよ、最後には
なりまし
たけど。親父は弟に、政治家は悪人なんだ、政治家とい
う悪人の世界に
お前は行くべきではないと言ったらしいんです。
弟は、ならばあなたのお父さんの鳩山一郎は大悪人ですかって聞
いたら
お前そんなこと知らねえのかって言ったらしいんだけど
(笑)。


政治家を志したのはいつですか
『 こどもの頃はまったくなりたいとは思わなかった。
貴、政治家をやるぞと言われたときに、俺も40になったらやる
かも知
れんからなと答えているんですね。
だからその頃に、少し心境の変化はあったんだと思います。
日本に帰る年の1976年は、アメリカ建国200年で国を挙げ
て愛国
心のパレードだったわけですね。
日本の場合、愛国心がどうも軍国主義につながるというように思
われて
いるのは、完全な錯覚じゃないかと、国を愛することをも
っと誇らしげ
に言うことができる社会を作らないとまずいと、留
学中に思って、それ
が政治に入るきっかけになったんですね。
親父は反対しましたけど。


なんと言って反対しましたか
『 親子3人で政治をやるなんて恥ずかしくて、お天道様に顔を向
けられな
いよって言われましたね。
当時、親父は大蔵官僚でしたから、政治家っていうのは常に仕事
をくれ、
カネをくれっていう、たかりのように思っていたんでし
ょうね。
行政の側から政治の側を見たときの印象があまりにも悪いので、
政治家
なんかなるもんじゃないという思いが親父にはあったん
だと思います。

でもそういう親父が最後は体をこわしてまで私の選挙のときに
応援してく
れたんですね。それは非常に嬉しかった。』

               次頁へつづく

   
 Copyright (C) 2006 YUICHI HIRUTA. All rights reserved.
2001.2.19  田園調布の自宅近く
 
夫人の幸さんは、鳩山さんにとってどんな存在ですか
『 今でも太陽でありつづけている。
その意味はエネルギーを、我々ファミリーに与えてくれているこ
となん
ですね。とにかく底抜けに明るいです。どんなに厳しいと
きにあって
も、その厳しいのはその次のための試練なんだと、
みんなに言い聞か
せるわけですね。
どんなときでも笑顔だよっていう感じの女性ですから。料理も上
手いで
すし。家に帰るとホッとした安堵感というかね、エネルギ
ーの補給基地
みたいな状態でいてくれる。
そういう意味で私にとっても、ファミリーにとっても中心的な存
在ですね。』


鳩山さんにとって家族とは
『 一番の人間関係の基点が家族ですから、その家族がギクシャク
していて
は、政治家として国を上手くコントロールできようはず
もない。
家族がしっかりと愛情で結ばれ、信頼関係があり、一人
ひとりが自立し
ているようなファミリーが理想ですね。
私は家にいて、お互いに本を読んだりして何も言葉を発しなくて
もいい
んですが、そういう瞬間が何か至福の時って感じることが
できますね。』


自分を誇りに思っていることは何ですか
『 今日まで自分に嘘をつかない人生を行ってきたというところは
誇っても
いいと思いますね。
決して得だとは思ってないけれど、嘘いつわりで塗り固めたよう
な人生
を歩んできたつもりはないし、自分自身に尊厳を持つよう
にならなきゃいかんと、常に思いながら行動してきたことが誇り
かもしれないね。』

               (おわり)