|
ういうものを中心にした価値体系、開放と称してね。 |
|
だけれども、その反面、個人に対する共同体、共同社会というものがある。 |
|
自由に対しては責任があるわけです。悪平等に行き過ぎている。そういう |
|
ものについては差等というものがある。 |
|
これについては「善の研究」西田哲学の西田幾多郎さんがその頃から |
|
指摘されていて、「自由、平等、博愛」というけれど、これは近代思想の |
|
スタートだが、「自由の裏に責任あり、平等の裏に差等あり、博愛の裏 |
|
に懲罰あり」と、彼は言っておられた。 |
|
そういうことがもう一回、いま反省されていいと思う時代ですよ。 |
|
言いかえれば、そういう個人主義、相対主義、自由主義、平等主義という |
|
ものが進んで、過度の相対主義になって、虚無主義になるんです。 |
|
どっちかといえば社会価値が無政府主義的になってくるんです。 |
|
絶対的な超越的な価値というものが見失われてしまっている。だから信仰 |
|
もなくなる、宗教も捨てられるという形になる。 |
|
しかし、人間社会というのは、今生きている自分達の周りの他に歴史とか |
|
伝統の重みというものがある。 |
|
さらにその奥にある絶対的な価値、超越的な価値というものに対するおの |
|
のきというか、謙虚さというものを教えなければならない。それが欠落し |
|
ているから、虚無主義的な無政府主義的な社会になってきている。 |
|
今、それが反省されなけりゃならん重大な段階に来ていると思う。』 |
|
|
|
次頁へつづく |
|
|