1998.12.1  六本木、全日空ホテルの会議場  
「中曽根康弘の肖像」
<インタビュー>聞き手・蛭田有一
中曽根さんの人生哲学についてお話しください
私は昭和30年頃から、縁を結び、縁を尊び、縁に随う、「結縁、尊縁、
随縁」ということを国会手帳の最後のページに書いて、ポケットの中に
入れてきたわけです。
「縁を結ぶ」ということは、それが人生そのものになるんだね。
結婚でも親子になるんでも、みんなそうで、これは考えようによっては、
神様が与えたものかもしれないね。それくらい尊いものだ。
「縁を結ぶ」というのは、人生は広大無辺ののように思うけれども、実際
本当に付き合う人というのは、せいぜい6、70人だ。親戚とか、近所の
人とか、会社の友だちとか、学校の友だちとか。
その6、70人の間を行ったり来たりしているうちに、人生は怱忙と暮れて
いく。したがって、せめてこの6、70人の間だけでも温め合って、そして
最後にはゆくりなくグッドバイをしていくと。そういうものが「縁を結ぶ」
という言葉になったたわけですね。
「縁に随う」というのは、自由奔放に歩き回るのもいいけれども、釈迦とか
キリストという人の教えが2000年も3000年も続いているというの
は、それだけの値打ちがあることだ。
したがって、彼らが教えてくれたものに随っていくということが、人間を
最後に全うする幸せの元になるだろう。そういう意味で、彼らの教えた縁
を大事にして随ってゆくと。
(次頁へつづく)
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1997.5.7  大勲位菊花大綬章を受賞 中曽根事務所執務室
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
中曽根派という派閥ができて、政治家としてもいろいろネットワークが
できたのも、やはりこの3つを守ってきたお陰ではないかと思うんですね。
もうひとこと言いたいのですが、最近、科学の進歩というものをずっと考
えてみて、「人生というものは無限への一過程である」と、英語で「イン・
トランジット・トゥ・エタニティー」といっています。
宇宙の構造がビッグバンというでしょう。これは宇宙が無限大に今、膨脹
しているということなんだね。
それから人間のDNAというものを見ると、生物が生まれて、動物と植物
に分かれて、おサルさんから人間のほうへ転化してきた。そのDNAが祖
先から祖父、父母から私に伝わってきている。それが今度は倅から孫に、
また無限に伝わっていくわけです。
これも「イン・トランジット・トゥ・エタニティー」だと言うわけです、私
の生命というものが。これは仏教の思想そのものなのですね。
諸行無常とか、要するに無常観というようなもの。「今」と言う問題を仏
教は言っているわけです。
そういう意味において縁を大事にする。犬やおサルさんに生まれないで、
人間に生まれたこと。それは大宇宙の構造からきた一つの恩寵だろうと
思っているわけです。その恩寵の過程、「イン・トランジット」というもの
を最大限に尊重して生き抜いていくという思想になっているわけだ。
だから「結縁、尊縁、隋縁」といった言葉が、最近の科学の発達と自分の
思索で、ますます強められてきている。外国でもそういう演説をしている。
そういうことです。一種の結論だね。
(次頁へつづく)
1998.7.26  庭で愛犬ロンと遊ぶ  上北沢、旧中曽根邸(家主は長嶋茂雄氏)
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
高校時代、将来の希望として軍人を希望することはなかったですか
全然なかった。
どうしてですか
私の故郷である高崎市には、第十五連隊というのがあって、日露戦争で
二百三高知を攻撃した燦然たる歴史を持っている。そういう尚武の軍国
の県でしたよ。
だけども、我々が見ている軍人が割合に無神経で、ちょっと威張った野蛮
な感じがしていた。というのは、お正月に私の家の近所に、少佐とかが住
んでいて、中尉や少尉が来て、その少佐の家で宴会をやって、実にふしだ
らにダラダラ帰っていったもんですよ。時々わめいたりね。
そういうのを見ていて軍人嫌いになりました。
国を愛することは変わっていない。しかし軍人のそういう野蛮な姿を見て、
あんなところへ行こうとは思わなかったね。
軍人志望一点張りと思っていました。
とんでもない。
お父さんはどんな人でしたか。
非常に淡白でくよくよ言わなかったね。わりあいに言葉の少ない、おっかな
い存在だった。
お父さんから繰り返し言われたことはありますか。
うちの親父から勉強しろなんて言われたことは一回もないですね。
黙って育てるということだったな。要するに全身で育てるというタイプでした。
                     (次頁へつづく)
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1997.4.25  日の出山荘  西多摩郡日の出町 
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
どんなお母さんでしたか
母親は非常に良妻賢母だったのでしょうね。
「良妻」という意味は昭和の2、3年ころ、うちで材木の大きな工場を
やっていて、労働争議が起きてね。
何人ぐらい従業員はいたんですか
そうねえ、5、60人はいたでしょうね。昭和2、3年。あのころは
ストライキが流行り始めたころで、その時にうちの親父さんを温泉に
行かせて、争議団と交渉したのは母親ですよ。そういう気丈な
ところがあった。
しかし私らに対しては、例えば私が静岡の高等学校に行っていたときには
1週間にいっぺんぐらい手紙をよこしたね。身体を大事にしろとか、飯を
食い過ぎるなとか、夜遊びするなとか、そういうことを細々と書いてきたね。
東大に入ったころになると、母親は東京に出てくるたびに三越から花を贈
ってくれましたよ。
今でも憶えていますが、チューリップやスズランの鉢を。それを机の上に
置いて、私は勉強しましたよ。
そういう何ともいえない優しさがありましたね。年中そうやって手紙を書
いてくれるというのは、言わずと知れず愛情がしみ込んでくる。それで勉
強しなくちゃいかんなあと思う。だからいわゆる教育ママというのではな
いんですよ。
夜空を見上げると、星の中にお母さんがいていつも自分を見ていると何か
に書いていますが、これは本当ですか。
本当です。それは母親の死が劇的な感動を僕に与えた。
母は昭和15年の3月10日に亡くなったのですよ。その原因は、出征兵
士を見送りに、国防婦人会で駅へ行ったりしたんだね。それで急性肺炎
になった。
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1997.8.21  軽井沢別荘
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
うちの父親は、熱が高いから子供を呼ぼうかと言った、ら今、試験の
最中で勉強の邪魔になるから呼ぶなと言ったのですね。
そしていつも試験になると、無事に試験が終るようにと、高崎の周り
の神社仏閣5、6ケ所に祈りに行っていたと。
今度病気で行けないから、お父さん代わりに行ってくれといってその
神社仏閣の名前を挙げたというんだ。
父親はじゃあっていうので自転車に乗ってみんなお参りしてきた。
そしたら母親は非常に喜んだ。そしてその翌朝亡くなったのです。
私は試験の最中だったけれども、高崎に翌日帰った。父親に何故もっと
知らせないのだときいたら、そういう話を枕元で聞かされたわけだね。
そういう経験から、母親というものはあの世に行っても私を守ってくれて
いると。
それで夜、星を見ると、この星のどこかに母親がいて、私を見守っている
と、そう確信してきたものですよ。
独身時代はハンサムで頭も良く、女性には大変モテたのでは。
でしょうね。
いやいや、でしょうねとは(笑)
いや、私のときは、もう戦争だからね。会戦直前に巡洋艦青葉から転勤し
て第二設営隊主計長を任命されて、呉の施設部を本拠にして部隊編成をし
た。夜も寝ないで、ひげぼうぼうで働いたでしょう。
それで第1回はフィリピンのダバオというところへ敵前上陸した。
それで1週間ぐらい経ったら、慰問袋が来ましたよ。それは私が本拠にし
ていた呉の施設部から来た。
その中に女性の手紙がうんとあった。慰問のお人形さんやチョコレート、
そういうものに混じってて手紙がたくさんあった。若い女性ばかりのね。
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1997.8.21  軽井沢別荘近くにある馴染みの銭湯  
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
それを読んでみると、恋々の情がかなりあった手紙が多いよ。
だけれども、俺はこれから戦争に行って戦死するかもしれんからというの
で、それは全部焼き捨ててしまったね。今から考えると惜しいことをした
と思うよね。
恋愛の経験はないんですか
ほとんどないね。ないと言っていいくらい。戦争ですから。
政治家にはいろんな誘惑がつきものと思いますが、浮気もせず、
ひたすら奥様を大切にと
そうだね。それは、たとえば赤坂あたり、新橋あたりで仲良くなった女性
もいるけど、深みに入らなかったね。
仲良くというのは、どの程度の仲良くなんですか。
まあ、宴会に呼んであげるとか、そういう程度。
芸者さんでもその程度で、私自体が自分で境界の堀をつくっていたね。
山中貞則君が「中曽根の奴は、総理になりために、絶対やせ我慢の生活
してる」と。
「総理になるには、やせ我慢しなくちゃいかんのだから、俺らとても無理
だね」ってよく言ってたよ。
この5月に81歳を迎えられて益々お元気ですが、健康法は。
私はよく言うのだけれど、くよくよするものを持たないと。
つまり、人間関係においても、社会関係においても、本当に自分の神経を
悩ますような問題を持たない。
例えば恋愛をして、或いは芸者さんと仲良くなるということになれば、深
刻な苦悩があるだろう。そういうものを持たない。
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1998.7.10  選挙の応援演説を終えて電車で東京へ
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
「サンスーシ(sans souci)」というラテン語ががありますよ。
憂いを持たないと。そういう思想、哲学で最大限努力してきたということ
です。
食べものでは、年をとってから、うちの家内が気をつけて、野菜食を非常
に多く撮るようになったね。
今でも朝は野菜をうんと山盛りに食べて。それにコーヒーと牛乳とヨーグ
ルト。パンは食べない。
歳とともにボケることについては心配ないですか
いや、最近81歳になって、判断力は少しも衰えていない。直観力も衰
えていない。人名に関する記憶力は薄れた。しかしその外に対しては、
まだしっかり残っているね。
趣味も多彩ですね。
俳句とか、絵とか、それから座禅だね。
健康にいちばん大きな要素は座禅にあると思いますよ。
先ほど、例えば「サンスーシ」と言いましたね。憂いを持たないと。 
精神状態が不安定になると、今でもこうやって座禅していますよ。
それは、お尻の下に1000メーターの井戸があって、底から空気を背骨
を通して頭まで吸い上げる。
それをまた1000メーターの井戸の戻すということを、想念で静かに深
呼吸でやる。
それをやると、今までバラバラになっていた体の細胞が、上下関係に整列
してくる感じになる。そうすると頭の中にある血が一気にダーッと下半身
に流れ下るイメージを持ちますよ。
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1997.12.25 長嶋茂雄、渡邉恒雄氏夫妻らとクリスマスで会食  於フォーシーズンズホテル
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
それを自動車でも汽車でもやる。どこでもやる。
寝られない場合には、横になっても同じような想念をもってやる。
そうすると眠りを誘う。これが私の健康の非常に大きな要素で、座
禅のお陰であろうと思いますね。
総理をやっているころ、毎日曜日、全生庵へ座禅に行ったけれど、数
えてみると5年間に172回行っているものね。
好きなスポーツチームはありますか。
長嶋さんが家主だから、ジャイアンツを応援していますね。
ドームには時々行きますよ。私が行くと連敗を脱すると言うんだね(笑)。
だから渡辺社長が、連敗になると券を送ってくれる。
どんな芸能に興味がありますか。
やはり、映画だね。昔は、映画を良く観たもんです。学生の頃はフランス
映画、ヴィリ・フォルストの作品、ジュリアン・デュヴィヴィエの作品、
ジャン・ギャバンとか、そういうものが好きだったね。
最近は時々、歌舞伎を観に行きますね。あとは猿之助とかもね。
梅原猛さんと僕は仲がいい。だから梅原作品を猿之助が演じるときは、
ほとんど観に行くね。
あとは劇団「四季」だね。浅利慶太君とは非常に仲がいい。劇団「四季」
創設のころから僕はファンで、ずっと長いこと観ている。
信長、秀吉、家康の中で惹かれるのは誰ですか。
信長だね。
どういう点で。
天才的な要素があって、そして新しい時代を築いた人という意味でね。
秀吉や家康というのは、信長の跡を継いだ人ですよ。
まあ人間的欠陥もあったけれど、しかし歴史的な偉業をなしたと僕は思っ
ている。
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1999.2.19   自民党の歴代幹事長の会  料亭「新喜楽」
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
信長、秀吉、家康の中で性格的に一番近いと思うのは誰ですか
さあ、3人の要素をもっているね。さもなければ総理大臣できませんよ。
どっちかってといえば、信長的な直感力と家康的我慢力。
我慢力というのは、意外に大事な要素なのよ。時を待つとか。あるい
は怒りを鎮めるとか。
理屈抜きでウマの合う人、好きなタイプは
やっぱり情のある人で、嘘を言わない人だね。それでお互い裸で付き
合える人というのが好きだね。本音が分かる人。
瞬時に相手を見抜くには相手のどの点に注目しますか
人間というものは表情に出るのですよ。それから体容に出る。体の様子
に。「頭容」は直、目容は端、口容は止、手容は恭、足容は重、体容は
粛」という言葉がある。
それだけではないけど、やはり表情に一番正直に出るんだね、人間は。
若いころの愛読書は
「聖書」は、若いころよく読んだですよ。「生命の実相」、「聖書」は学
生のころから読んでいた。
戦争に行ったときに、私は将校だから、柳行李をひとつ持っていけた。
その中に持って行ったのは、「聖書」、それから「茶味」というお茶の
本、それと「冬の旅」(Winter reise)のレコードでしたよ。
「冬の旅」はフィリピンのダバオへ上陸して、敵がもう退却してしまっ
て、平和が回復した1週間か10日後に、そこにいたアメリカ人の住宅に
蓄音機があったんで、「冬の旅」をかけた。今でも記憶しているね。
尊敬できる政治家はいますか
リンカーン、ガンジー、ド・ゴール、マンデラとか、そういう人を偉いと
思ってきましたね。
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1997.1.18  第62回自由民主党大会  新高輪プリンスホテル
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
どういう点で尊敬できるんですか
天命というか、使命感に燃えて一生貫いたと、そういうことじゃないかと
思います。
人間の値打ちの基準はどこにあると思いますか。
天命を知るというか、そういうものを直覚して、命を投げ出したと。
今申し上げた人たちは、そういう人たちなんだろうと思いますね。
普通の学問をして、普通の生活をして、市民生活をエンジョイして死んで
いくというのが一般の人のあり方だけれども、しかし人類の中に、そうい
う傑出した人間が出て、世の中を明るく、希望を与えていくとか、次のよ
り輝かしい世界を開いていくとか、そういうことに身を挺した人、そうい
う直覚力、直観力、あるいは霊覚を受けた人というものが、私は素晴らし
い人なんだろうと思う。
私ごときも、やはり、政治の道に入ったということは、そういう人の真似
をしようと、あるいあとを追って行こうと、そういう志が多少あるから
やっているわけです。
今、学校崩壊、援助交際、いじめ、自殺、麻薬など青少年の問題が
顕著です。この根源的な原因は。
これは世界的現象で、アメリカもフランスも今のような問題に悩んできている。
アメリカでは高校生の射殺事件も起こっているしね。
日本の場合は、そういう世界的な風潮プラス戦後の占領軍の教育政策、社
会政策、そういうものが重複されてきている。
例えば教育基本法というものの中身を見ると、あれは蒸留水みたいな基本
法で日本の水の味がしない。そういうものがこういう社会ができたひとつ
の原因になっている。
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1998.2.20  フランスのシラク大統領との会談を終えエリゼ宮を出る
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
日本の水とは
日本の文化、伝統あるいは、日本の醇風美俗というようなものを振り捨てた。
そしてどっちかというとアメリカ的な価値観を中心に教育体系を作り上
げたものですね。その欠陥が今、ここへ出てきている。
言いかえれば、それは個人主義と相対主義、あるいは自由主義とか、そ
ういうものを中心にした価値体系、開放と称してね。
だけれども、その反面、個人に対する共同体、共同社会というものがある。
自由に対しては責任があるわけです。悪平等に行き過ぎている。そういう
ものについては差等というものがある。
これについては「善の研究」西田哲学の西田幾多郎さんがその頃から  
指摘されていて、「自由、平等、博愛」というけれど、これは近代思想の
スタートだが、「自由の裏に責任あり、平等の裏に差等あり、博愛の裏
に懲罰あり」と、彼は言っておられた。
そういうことがもう一回、いま反省されていいと思う時代ですよ。
言いかえれば、そういう個人主義、相対主義、自由主義、平等主義という
ものが進んで、過度の相対主義になって、虚無主義になるんです。
どっちかといえば社会価値が無政府主義的になってくるんです。
絶対的な超越的な価値というものが見失われてしまっている。だから信仰
もなくなる、宗教も捨てられるという形になる。
しかし、人間社会というのは、今生きている自分達の周りの他に歴史とか
伝統の重みというものがある。
さらにその奥にある絶対的な価値、超越的な価値というものに対するおの
のきというか、謙虚さというものを教えなければならない。それが欠落し
ているから、虚無主義的な無政府主義的な社会になってきている。
今、それが反省されなけりゃならん重大な段階に来ていると思う。
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1998.2.20  エリゼ宮の執務室前で出迎えのシラク大統領と握手
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
バブルの崩壊が日本人にもたらした意味とは
それは非常に貴重な経験を日本人に与えたと思います。つまりバーチャ
ルな世界に惑溺したということだね。
そこから目が覚めたと
目が覚めたということだね。けれど、まだ覚めきってはいない。
私は「戦後政治の総決算」と言ったけれど、今は戦後50年の政治、
経済、社会生活の総決算でもあるんですよね。
バーチャルに惑溺したため日本に出てきたものは、政治のバブルであ
り、経済のバブルであり、社会のバブルであった。
政治のバブルというのは、自民党が分裂して、政治が放浪、漂流した。
2年間に4人も総理大臣ができ、外国からは軽蔑された。
経済のバブルは、今言ったように金融界をはじめ、各界において立て直し
が言われている。
社会のバブルは、教育の崩壊と道徳の低下ですよ。
会社の社長が総会屋にカネをやったとか、大蔵省や厚生省の高級事務次官
が役人が悪いことをしたとか、あるいは中学生が子供を殺したとか、そう
いう忌まわしい社会情勢がここに出てきた。
これはやっぱり戦後50年のバブルの一種の崩壊なんですよね。
それはまた20世紀の近代というものの結果でもあるんですよ。
そこで21世紀を迎えるに当って、本源は何かをもう一回考え直して、バ
ーチャルを止めるということです。
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1998.2.20  会談を終え、シラク大統領の見送りを受ける
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
今、そのことが日本の第三の革命として問われていると
そうそう。
最も重要と思う改革のポイントとは
人間のあり方とか、国民のあり方とか、そういう基本をもう一回洗い直す。
近代に横溢してきた相対主義、あるいは結果的平等主義、それが悪く
って虚無主義、あるいは無政府主義的になった。
それを根源的に洗い直し、立て直すということでしょう。我々の生活
も家庭も国家も世界も。
日本人一人ひとりの自己改革が求められるのではないか
そうでしょうね。世界の潮流に乗るというのが第一であり、第二であった。
今や世界の潮流に乗るというより、おのれの本源を極めること。そういう
第三の革命に入ってきたということでしょう。
その辺を今、日本人はなかなか読めない
それは現代文明がテレビ文明だから。だから本が売れない。
テレビだけは拡張していく。それはある瞬間的な印象を与える話が中心
で、本源を極めて深く長く考えるという時間帯がないわけ。その弊害が今
ここに出てきている。
実際に会って、特に印象に残る政治家は
私が接した人で別れ際、非常にいい気分にさせる政治家が3人いた。
ひとりはレーガンです。経済問題などでも私と対立したが、別れる時には
非常にいい気分で分かれさせる。
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1998.2.21  パリ、リッツホテルの自室
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
第二は鳩山一郎です。この人はやっぱり別れる時に非常になごやかな
いい気分で別れさせましたね。晩年の鳩山一郎は、人間の善良性とい
うものがこっちにしみてくる人だったなあ。
三人目はゴルバチョフですよ。やっぱり彼もそういうものががあったね。
世界に誇れる日本の長所とは
日本は日本的芸術性、日本的感性の世界を持っている。言いかえれ
ば、わび、さび、もののあわれというような、美のひとつの原点を日
本人がとらえたと。
「それが茶の湯になったり、歌舞伎になったり、あるいは俳句になった
り、建築構造になったりして日常生活全般を支配している。
日本は、それが全く日本的な、非ヨーロッパ的な独自性をこの列島、島国
の中に蓄積して、自分で作り貯めたということですね。
その日本的なるものを外国人は理解しますか
そう思いますよ。近ごろは文化力というもので、政治家が重さをはから
れる時代になったから、外国の政治家もそういう点については教養をうん
と持ってきた。
例えばシラク(仏大統領)は日本の縄文時代のことを我々よりも知って
いますね。
アメリカの独善性についてどう思いますか
アメリカの建国の理想というものが、英国における宗教的拘束から離れ
て、新大陸の自由な天地で花を開かせようと、そういう理想主義でスター
トした。
「ピルグリム・ファーザーズ」という、あの時、船に乗ってきた連中が
そういう理想を持った国をつくった。
アメリカは理想で契約した国家なんですね。
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1997.5.13  元アメリカ国務長官キッシンジャー氏と会談  於砂防会館、中曽根事務所
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
そういう意味ではアメリカ人というのは、ある意味においては独善的
で、お説教屋で自分達の主張に固執する面があるわけです。
ところがフランスや日本、ドイツという国家は契約国家じゃない。自
然国家なんです。僕に言わせればアメリカとか中国は人工的国家なん
です。
アメリカは契約でできた、中国は共産主義理論でできたという意味に
おいては人工的国家なんです。
日本やフランス、ドイツは長い歴史の過程で、ローマ時代からも、ゲルマ
ン時代からもずっと続いてきた伝承の上にできている国家ですね。だか
らこれは自然国家なんです。
その自然的国家の持っている大事ないい要素を、アメリカ人は分からな
い。だから両方が、両方の持っているものをうんと発揮するようにしなが
ら、謙虚に携帯していけばいいんですよね。
アメリカの独善性、覇権主義が嫌われる反面、世界中から好かれる国
としてもダントツなのは何故ですか。
よくいえばアメリカ人の持っている善意、あるいはあどけなさというよう
なものを、方や大人として感ずるわけだ。だけど、また一面においては、
我々日本人やヨーロッパ人から見れば、幼稚さが見えるわけですよ。
矛盾を感じながらもアメリカの自由と民主主義に惹かれるのかなと思い
ますが。
アメリカの持っているバイタリティーですよね。それと善意ですよ。
今でも日本はアメリカの属国並みと言う保守の有力政治家がいますが。 
それは表面的な観察で、まるっきり違うと私は思っている。
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1997.11.21  ゴルバチョフ元ソ連大統領と会談  ホテルニューオータニ
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
それは軍事力で庇護されているとか、アメリカ文明に惑溺していると
か、そういう面を見てそういう発言が出てくるのだけれども、しか
し、2000年続いている日本人のしぶとさというものが、それらの
人々の目にはまだ映っていないんだろうと僕は思うね。
日本の今日の状況などは、長い歴史の中では一時のものに過ぎない
ですよ。
外国からアメリカの言いなりと悪口を言われますが日米関係は対等と
思いますか。
それは、対等である場面と対等でない場面とある。軍事力などでは対等
じゃないわね。しかしそれはどの国家にも今あることなんで、イギリスだ
ってドイツだって、中国やロシアだって、みんな同じような影を持っている。
そう言われるには、日本に対するジェラシーもかなりある。
要領よくやりやがって、経済はいちばん伸びちまったとかね。
昔のような独立は、今やないね。
前西独首相シュミット氏がかつて、日本は可哀相に友人となる国を持って
いないと言っていますが。
あのシュミットの発言には、私は違和感を持っているね。
じゃあドイツはどうかといえば、シュミットは感じないかもしれないが、
フランスやベルギーやオランダはドイツを怖がっているし、ドイツに対す
る不信というのは根強くありますよ。ただ外交上出さない。今のところは
こうやって一緒にやっているほうが得だと思ってやっているので。
シュミットは影だけを言っている。ドイツの影を彼は気がつかない。
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1999.1.10  ペルーのフジモリ大統領を訪問
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
交渉で相手を説得する重要な要素は
一面においては、交渉力の能力的な問題がひとつあるけれども、
政治家の場合は、その人の持っている容積量、重量感ですよ。
その人の持っている国際情勢に対する見識、文化力、外国文化に対す
る理解力とか、あるいは本質に対する感度とかは、話しているうちに
重さをはかられる。
だから自分の勉強と過去の体験のすべての蓄積というものが人間の重
みになって入っているわけだ。あるレベル以上の政治家から見ればそ
の重みが分かるわけです。
日本の今の政治家は、その重みが軽いということです。
指導者が身に着けるべき大切な力量とは
一番大事なのは、総合力だけれども、人間的魅力なんですよ。
これが根本だね。それから見識と信念の強さです。それに人が寄ってくる。
おそらく21世紀になると、今の相対主義の虚無的な社会層というのは、
まだ進むから、悪くするとヒトラーみたいなのがまた要望される危険性が
ありますよ。
今度の都知事選で石原慎太郎があれだけ大量の票を取ったというのは、
やっぱり彼の指導力に対する魅力でしょう。
これから21世紀に世界政治が混乱し、日本の政治も低迷していくという
状況になると、正しい民主主義を踏まえた強力な指導者を求めるように
なるでしょうね。それを我々は期待してますね。
今の政治家の中でそれらしい人物はいますか
いるかもしれん、若い人の中から。
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1999.1.14  ペルー国会議長主催のレセプション会場  ルリン市ママコナ
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
それは自民党の中にですか
いや、各党の中から。個人の傑出したという場合には、党派なんか論
ぜませんなあ。国民的魅力があるところへ党派は崩れていくだろうね。
国民から見ると政治家はあまり尊敬の対象にはなって
いないですね。
残念ながらね。最近の政治が事務化したし、国民に訴えて政談演説会
をやらないでしょう。昔は各地で政談演説会をやったもんですよ。
そういう気迫と信念があったね。今は政治自体が国会対策とか永田町
界隈を這いずり回っているだけのものになってしまった。それが尊敬され
なくなったもとです。
「風見鶏」という言葉にどんな感想をお持ちですか
風見鶏でなきゃ総理大臣になれないし、風見鶏でなきゃいい船長になれん。
風の流れや潮の流れを知らずして船は操縦できない。いわんや一国を操
縦していく場合は、風見鶏でなきゃダメだと、そう言っているわけです。
マスコミが使う「風見鶏」にはマイナス的要素もありそうですが。 
ジャーナリズムというのは半年か一年ぐらいの行動しか観ていない。
それですぐ評価してしまう。だけれども、政治家というものは死んで棺桶
へ入って初めて値打ちは定まるものなんで、その途中でいろいろ言われ
ても、それは馬耳東風にしておけばいいんです。
問題は実績を残すことです。
政治家として52年、その間、いちばん辛かった時は。
昭和35年、三浦甲子二という「朝日」の記者が、私に、「お前は総理大
臣になりてえか」と聞いた。「あーあー、なりてえよ」と言ったら、
「お前、これから10年間、役に就くな、演説をして全国を回って子分を作
れ」と僕に言ったんだよね。それで42年に運輸大臣になるまで役に就か
なかったね。
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1997.10.22  バール元仏首相と話し込む  ホテルオークラ
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
ロバート・ケネディを読んだり、首相公選の旗を立てたり、中曽根マ
ンションを作ったり、そして41年に中曽根派を作った。
役にも就かないで、子分を作るということは相当な苦労をしなきゃで
きない。
それはつらいというより、やりがいのある時期でもあったんですね
ええ。そうそう、そうそう。まあ辛い時っていえば、一つはロッキー
ドとかあるいはリクルートで攻撃された時だね。それは相当、やられ
たからねえ。国会で喚問されたりね。
まあ政治家は一流になると、みんなやられるんだがね。
92年の回顧録「政治と人生」の中で「あらまほしき胸中を僭越にも
吐露したものであって、実際は嫉妬や欲望や自己顕示の淵に身をさ
らしている私なのである」とビックリするくらい、正直に心境を吐露
されています。
政治家というのは、あんまり本音を出さないものと思っていたので
すがそういう感情をいつまでも心のどこかに持っているものなんで
すか
いっぱしの政治家になった人にはふたつの面があってね。
ひとつは大衆の前とか国会で演説する場合には、堂々としてなくちゃあ
ならん。微塵もたじろがないという姿勢を示さなきゃならん。
しかし、また恭倹己を持しと、ひとりになった場合は、常に反省してなく
ちゃならん。そういう二面が要るんですよ。
裏の面のない政治家は必ず失脚しますね。
私は、わりあいにそういう点について気がついていたと思うんですよ。
だから意識しながら両面を使い分けてやったと思いますね。
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1998.4.28  訪日したシラク仏大統領と会談  ホテルオークラ
「中曾根康弘の肖像」
<インタビュー> 聞き手・蛭田有一
生まれ変われるとしたら、次は何になりたいですか
もう一回、政治家になるだろうね。もっと上等な政治家になりますよ。
81歳を迎えて尚、中曽根さんを政治にかりたてるものは
日本の先行きといえば、今の政治の立て直し、教育の立て直しがありま
すし、世界でいえば日本と中国との関係をどう上手く改善して携帯し
ていくか、これは難問中の難題でしょう。
そういう問題に取り組まなくちゃならんと思っているからですね。
政治家として生涯現役の権利を今、手にされていますが死ぬまで
現役政治家を続けるか、或いはある時期に中曽根さん流の美学に
のっとって引退を考えますか
いや、引退しても政治は私の死ぬまでの商売ですよ。
政治以外に私の生きる道はないと思っているんだから。
俺は政治に死んでいくんだと言ってきたわけですよ。
「くれてなお命の限り蝉しぐれ」という俳句はこれを表したわけです。
最後の質問です。中曽根さんにとって政治とは何ですか。
それは天命に従って運命を開いていくことだと思うね。
終わり   
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