「交遊抄」
日本経済新聞 「文化」欄  2006.3.14
写真家 蛭田有一
 人物写真家として様々な分野の人間に接してきたが、強く印象に残る一人を挙げると
すれば政治家の後藤田正晴氏だ。
一九九四年から亡くなる昨年まで、十二年密着取材を続けた。撮れば撮るほど人間性に
ひかれる。魅力ある被写体だった。
 こわもてで知られた政界の重鎮。初めて対面したときの鋭い眼光には、値踏みされる
ことに馴れた私もさすがにひるんだ。負けてなるかと真正面からにらみ返すと、どうやら
それで合格点をもらったらしい。
『先生は目をそらす人を決して信用しませんから』 と後で秘書から聞いた。
 後藤田氏は古武士のような人だった。端正な居住まいには “人間美 ” とでも呼びたく
なる風格があった。笑顔もチャーミングだ。うわべだけのほほ笑みが多い永田町にあって、
本物の笑顔を見せる人物だったと思う。
私費で全国行脚について回る私の懐具合を心配して『ペイのほうは大丈夫なのか』と気
遣う優しい一面もあった。
 九六年、写真集をまとめるにあたり、改まったインタビューをした。
『日本の政治でいちばん大切に思っていることは何ですか』と尋ねると、即座に断固とし
た口調で、『平和を守ることですよ』 と返ってきた。その言葉を折に触れかみしめている。
                                      (紙面の記事のみ掲載)