「こんな顔でよかったら」  寄稿・蛭田有
「私の後藤田正晴」 講談社刊  2007.9
 私は人物写真家としてこれまでに各界で活躍する様々な人々との出会いを重ねてき
ましたが、中でも後藤田氏との出会いは、今も鮮烈な印象とともに私の心に深く刻まれ
ています。
1994年8月、私は衆議院議員会館の後藤田事務所を訪ね、執務室で後藤田氏と初
めてお会いしました。初対面の後藤田氏は、かつて私が経験したことのないような強烈
な威圧感を放っていました。
私は緊張感を押し隠しながら6年がかりで取り組んでいた企画(各界著名人達のポー
トレートの撮影)の説明と、その103人目として後藤田氏のポートレートを撮影させて
ほしい旨を伝えました。
後藤田氏は、私を真正面から見据え、決して私の目から視線を外しませんでした。
後藤田氏の凄みのある鋭い視線に一瞬身構えましたが、同時にひとの本心を洞察
しようとする後藤田氏の強靭な意志を感じました。
ひと通りの説明を終えてから、それまでに私が撮影した著名人たちのポートレートを
お見せしました。後藤田氏は一枚一枚を「この人は知ってるよ」 「この人の作品を持っ
てるよ」と言いながら実に丹念にご覧になり、全裸のストリップダンサーのポートレート
を手にしたときは「この人は知らないなあ」とまじめな顔でつぶやきました。
私は思わず噴出しそうになりましたが、強面の後藤田氏が急に身近な存在に映りまし
た。
後藤田氏が他人のポートレートをこれほどに興味を示すとは全く予想外でした。写真に
見入る姿に、後藤田氏は人間に対する畏敬の念と、しなやかな感性を持ち合わせた人
物だと直感しました。
私はこの20数年、人間の顔や生き様に人一倍興味を抱き、かつカメラのファインダー
に捉えてきましたが、ひとつだけ気になることがありました。
それは高度経済成長がピークを過ぎた頃から、日本人の顔つきが変わり始めたと感じ
たことです。いつの間にか街中から人格や品格を感じさせる顔が消え、誰もが尊敬の
規範とした「人格者」という言葉もほとんど耳にしなくなりました。
特に近年は能力主義の時代とかで、各界リーダーや著名人の中にも、人格とはおよそ
無縁と思しき人物が大手を振るい、マスコミにもてはやされる風潮が顕著になっていま
す。後藤田氏との出会いは、そんな状況に危惧を覚え始めた時でもありました。
後藤田氏との対面は短時間でしたが、後藤田氏の顔に本物の気迫と厳しさ、そしてな
によりも品格を感じ取り、私は長年追い求めてきた人物像にめぐり会えたという喜びで
胸が熱くなりました。
別れ際に改めて撮影の承諾を求めると、後藤田氏は立ち上がりながら「こんな顔でよ
かったら」と照れくさそうに笑顔で応えました。その笑顔にそれまでの緊張は一挙にほ
ぐれました。
それから20日後、国会議事堂の中庭で後藤田氏のポートレートを撮影しました。
緊張した撮影になるかと思いきや、後藤田氏は終始機嫌よく私の注文にも快く応じ、
撮影は15分ほどで終了しました。撮影したポートレートは写真集「人間燦々」(20世紀
末日本を彩る103人の肖像とメッセージ)に収録し、1994年11月に上梓しました。
1回限りの撮影ではありましたが後藤田氏への興味は急速に膨らみました。もっと撮り
たいという思いが募り、「人間燦々」の次の企画は、迷うことなく後藤田氏の写真集と決
めました。そして翌1995年1月より後藤田事務所の協力の下、後藤田氏の公私にわ
たる密着撮影がスタートしました。
私は政治家・後藤田正晴と人間・後藤田正晴の両面に焦点を当て、その日常をカメラ
で追いました。
ファインダーに映る後藤田氏の周囲を圧する鋭い眼光や憂国の思いを刻む厳しい貌、
一切の飾り気を排した自然体、思索に集中するうしろ姿、読書にふける端正な姿、チャ
ーミングな破顔一笑、夫人への心遣いなど人間・後藤田正晴を髣髴とさせる瞬間は私
の心を強く捉えました。古武士のような風格に人間美さえ感じることもありました。
撮影は後藤田氏の議員引退をはさんだ前後3年間にわたりましたが、1997年7月に
は写真集「後藤田正晴」を上梓し、写真展も開催しました。
後藤田氏の密着撮影はこの時点で終了するはずでしたが、私は再度秘書の川人氏に
撮影の継続を要請し承諾を頂きました。
後藤田氏への敬愛の念は撮影を重ねるごとに深まっていきました。私は後藤田氏の
人生の終焉まで撮影を続けようと密かに決めていましたが、残念ながら密着撮影は
2005年5月の沖縄講演に同行したのが最後となってしまいました。思えば12年間、
ファインダーを通して後藤田氏の生き様を見続けたことになります。
後藤田氏は生前、マスコミから「カミソリ後藤田」「懐刀」「知恵袋」「政治改革の象徴的
存在」「危機管理のスペシャリスト」「政界のご意見番」「護民官 「護憲派」「ハト派の重
鎮」「右傾化への防波堤」「日本の良識」 「含羞の人」」など様々に形容されましたが、
これらの形容詞は政治家・後藤田正晴の本質を映すと共に、後藤田氏が他の政治家
には足元にも及ばない不動の政治信念の持ち主であったことを示しています。
このような傑出した政治家・後藤田正晴氏を長きにわたって撮影できたことを、私は
心から光栄に思っています。今後も後藤田氏への思いを胸に、日本の政治を見守っ
ていきたいと考えています。
私は今、写真集「後藤田正晴」に収録するインタビューをさせていただいた時のことを
思い出します。
私の最後の質問 「日本の政治でいちばん大切に思っていることは」に後藤田氏は語
気を強めてこう答えました。
「それは平和を守ることですよ。海外に出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん。
それだけだ。何でそういう愚かなことを考えるのかね。何を得ることがあるんだ。何をと
ぼけたことを言っているんだ、という気がするね、最近の議論を聞いていてね。」
この言葉こそ政治家、そして人間・後藤田正晴が生涯を通して発した日本人への遺言
であったと私は強く確信しています。
                              (誌面の記事のみ掲載)