≪インタビュー≫  聞き手・蛭田有一
近年、大躍進を続ける韓国の強さはどこにあると思いますか。
韓半島と日本の根本的な違いは、日本はやっぱり島国ですし地政学的に
大陸から離れていますから、基本的には日本という国は歴史的にも温和な
国だと思います。
戦国時代という時代がありましたけれど、基本的にはこの国は文明の段階
に入って以来、地形も天候もある種温和な場所にあって、国民性もどちらか
というと温和、だから極端を好まない。
そういうものの軸心に天皇制というものがあったと思うんですね。これがある
お蔭で極端に走らない。
ところが韓国は、よく政界は一寸先は闇と言いますけど、韓国もまさしく同じ
状況で、一寸先は見えない。どうなるか分からない。
それから外側から海の力、大陸の力がせめぎ合っていますしね。
これは不可逆的に歴史がアップダウンするんですね。非常に極端に。
唯一それが何とか保たれたのは、李氏朝鮮時代。
江戸も200数十年の歴史で、ある種平和な時代だったわけですね。
中国も明から清にという形で東アジアはある程度安定していた。
その時に現在の韓国のいろんな文化も栄えたんですけど。
韓国の基本的な宿命は、政治によっていろんなものが変わってしまう。
政治が変わることで一挙に経済、社会、文化が変わってしまう。
解放後の韓国は全てが政治問題に左右される。南北の対立、冷戦の前線
基地ですから。
だから全て政治が優先するんですよ。そうするとパワーエリートも政治を
第一義的に考えざるを得ない
ところが日本の場合には秩序が安定していますから、町工場からソニーや
松下、いろんな経済的な工夫、技術的な工夫、こういうことをコツコツ積み
重ねていける。
韓国はずっと80年代までそれが出来なかったわけです。ですから政治で
アップダウンし、社会はスウィングしていくわけですね。そんな時に技術
的な蓄積もできないわけです。経済的に何かに専念することが社会的に
難しい。
それから今もそうですけど若者が兵役ですから、日本の企業が青田刈り
してすぐに企業に馴染ませて、その中で年功序列できちっと働かせて、とい
うことができないですね。
いってみれば、安定的に官僚的な思考で、ものごとを考え実行することが
できない。
韓国は絶えずトップダウンで何かを決めていくという思考にならざるを得な
いんですね。
88年のオリンピック以降、民主化が一応終わって、政治が経済、社会、文
化に介入する度合いが少なくなってきたと思います。
ということは国民の持っている様々なポテンシャル活かせる状況になった。
政治だけにとらわれずに経済や社会や文化やいろんなことに自由度が出
てきた。
兵役に行っても一応義務は果たすけど、かつてのようにヘビーなものでは
なくなってきた。そうして人々の活動のエネルギーは政治以外に向けられ
て、今こういう形で花開いていると思うんですね。
組織とシステムとしては、トップダウンが各社会に根付いていますから、
グローバル化の中で、できる限り時間を短くしていろんな政策決定をして
いかなきゃいけないときに、それがヒットしたわけですね。
日本の場合はどうしても何かを変えようとすると積み上げ方式で、なかなか
トップダウンではできない。それから膨大な既得権益がありますから。
韓国はまだ新しい国で、そういう点で小回りが利く。それが今のグローバル
化の中ではプラスに作用していると思います。
国家主導が成功の源になっていると思っていました。
よく日本ではそういう解釈が出てくるんですけど、確かに愛国心は強いと
思うんです。
ただ今の若者はそういうナショナリズムを持ているかというとかなふぃ違い
ますね。あまり日本では知られていないかもしれませんが、離婚率は韓国
の方が高いです。
それから今、自殺率は大体日本と同じです。つまり、韓国社会は、言って
みれば前近代、近代、ポストモダンがいっぺんにあるような社会なんです。
韓国の若者の政治離れは今すさまじくて、その点では普通の日本の若者
と変わらないです。
最近、村上春樹とか吉本ばななとか大変人気ですね。
政治と書くにとか愛国とか、そういう前の世代の大きな物語は若者になか
なか通じなくなっている。ですから国のためというよりは、かなり個人主義
的になっているんですね。
ただ中年以降の世代は日本と比べても非常に愛国心が強いと思いますね。
それは企業とか社会に浸透していますね。だから韓国の方が日本より世代
間の断絶、葛藤が劇的ですね。
日本が韓国から学ぶ点は。
韓国の人が、或いは僕の母、父親の世代がよく言っていたのは、日本の
人々はとにかく我慢強いと、その我慢強さを我々は学ぶべきだと。
もし日本が韓国に学ぶものがあるとすると、要するに韓国は不幸だったん
ですよ、長い間。
不幸の連続、というのは事件があまりにもたて続けにあって、安心して暮ら
し向きを設計できなかった。一つ言えることはその分タフになったと思いま
す。
日本は60年間戦争ひとつありませんでしたし、政権交代しても自民党の
中のコップの嵐で済んでいましたから。 みんなが年功序列、企業内労働
組合で右肩上がりを考えて、将来に投資をしておけばいいと。
韓国はつい最近までベトナム戦争にまで兵隊を送りましたしね。
今、38度線で何が起きたも不思議ではない。いってみれば不幸によって、
度重なる不運によって鍛え上げられたと思います。だから少々のことでは
パニックにならなくなったんですね。
例えば何か事件が起きて、日本では大変だと騒いでいるときも、意外と
ソウルに行くとみんなあっけらかんとしている。
つまり、いろいろな不幸な事件や予測できない事柄に対して、少しタフに
なっていると思う。そのタフさを日本の場合、少し学習した方が。
それはどうやってできるのかと考えると、あまり未来に対してすぐ過剰反応
して、これが起きたら大変だとか、すぐにパニックに成りやすいというか、
例えばパンデミックや口蹄疫や経済的破綻や、これが起きるとみんな身震
いしちゃうというんでしょうかね。
韓国の場合には、97年にIMFの危機があって、経済が破綻しています
から。
だからそんなに世の中はうまくいかないと。ギリギリ破綻が起きても何とか
やっていけるんじゃないかという、やや開き直ったような豪胆さがあると思う
んです。そこが必要なんじゃないでしょうか。
近年、日本人が変質したと感じることはありますか。
近年、特に感じることは冷戦崩壊のときに、私はいろんなとこに書いたんで
すけど、あまりにも成功物語が予想以上に当たって、成功した話しか体験
してこなかったということが、逆に失敗に対して、そこから学ぶことに非常に
臆病になったんじゃないか。
戦後60年、これだけの経済大国を敗戦の廃墟の中から作ってきた国とし
てドイツと日本が比較されますよね。でもドイツは東西に分断されていま
した。
ところが日本は、戦後あまりに成功に慣らされ過ぎたんじゃないか。
個人でも企業でもそうですけど、成功ばかりやってきたから、いったん左前
になるとどうしていいか、逆に自分たちを変える力が萎えちゃうと思ううんで
すね。
自分たちが持っているものをいかに守るか、そこでどうしても大胆な行動な
行動に出れない。萎縮してしまう。そして内向きになる。それは守りなんで
すね。
戦前、軍部が跳梁跋扈したのは間違いでしたけど、でもあの時は持たざる
国が持てる国にチャレンジするんだというのが合言葉だったわけです
よね。ところが日本は完全に持てる国になっている。
持てる国の問題点は、持っているものをなんとか守ろうと、そう思う人が増
えてきているということでしょう。
現在、世界で高く評価している政治家はいますか。
僕が注目しているのは、オーストラリアのラッド首相ですね。
彼は中国留学組でオーストラリアの中でもとりわけ東アジア通ですね。
彼は前の首相のときと違って、脱米入亜というんでしょうか、アメリカ一辺
倒じゃなくて、アジアに入ろうと。
彼は意外とアジアの間の対立の調停役として、例えば日中、日韓、中韓
いろいろお互いにアジアの中にいるからこそ、過去の経緯もあって対立す
るときがありますよね。
そういうときに、オーストラリアがその間に入って仲介役になると。
ラッドという人が首相になったことはとてもいいことだと思います。彼は中国
語がペラペラですから。日本語も少ししゃべれるんじゃないでしょうか。
韓国にも詳しい。これは僕は注目していますけど。
韓国の政治家では。
今、正直言って韓国は政治家不作の時代ですね。
これまででは、僕はどうしても金大中氏を挙げてしまいますね。ただ北朝
鮮との関係で評価は変わってきますけど。
彼がひとつよかったのは日本に対する文化開放をやりましたね。
私にズバリ何と言ったかというと、世界で日本の文化を受け入れない国
って恥ずかしいと。
世界中見渡しても、なんで日本の文化を受け入れないのか。そんな18
世紀の鎖国政策をやっている国が自分の祖国だというのは恥ずかしい
と言った。
日本に文化開放をして日本に飲み込まれるんだったら、それもいいじゃな
いかと。それぐらいのことしかできない国民だったら自分はそれでいいと。
でもわが国はユーラシア大陸の東側に盲腸のように張り出しているけど、
一度も中国に飲み込まれたことはないと。
わが国は200年以上の歴史を持ている。日本に植民地化されても結局
飲み込まれなかったし、だからいいじゃないかと。
それには僕は目を見開かれましたね。
日本の政治家では。
僕はやっぱり一人は後藤田さん。
どういうところが。
彼は基本的にはリベラルの人で、しかし警察官僚ですから社会の裏側を
よく知っていたと思います。
だからカミソリ後藤田と言われましたけども、彼は参謀として日本の社会
が極端にぶれないで、何とか戦後のいい面を残そうと、ですから彼は絶え
ずバランサーとして動いたと思います。
それ以外では。
一番尊敬しているのは石橋湛山です。短命に終わりましたけど。
ただ彼は東洋経済新報の中で、昔から小国日本論を説きましたね。
彼の基本的な発想は、自由貿易によって日本は富んでいくと、剣の力で
はなくて。
だから植民地政策をするなんて、そんな無駄なことはやめて、自由な貿
易を通じて、アジアの中で日本の富を大きくしていく。日本という国はそう
言う国だと。
だからへんに大国志向で軍事力をつけようとか、そういうことは戦前から
彼は一貫して否定していた人ですね。
ネットで姜さんが、田中真紀子さんを評価する書き込みを見たことが
ありますが。
(笑)ずっと前でしたけど、田中さんが外務大臣になる前だったかも知れ
ません。
私は彼女の持っているある種の大衆政治家としての感覚ですね。そこに
名参謀が付けば意外と花開くんじゃないかと。
一回対談したことがあるんです。また二回ほどお食事したこともあります。
ただ外務省の持っているいろいろな問題について、あのとき田中さんが
脇を固める名参謀がいればもうちょっと落ち着いてできたかなと。
ですから田中さんが持っている大衆政治家としての可能性はまだあるん
じゃないかと思います。
鳩山さんはどんな政治家だと思いますか。
2週間ほど前に鳩山さんに会いました。
2時間半ぐらいでしたが赤坂の料亭で。友愛とか、普通、政治の世界では
あまり思いつかないような言葉、感性というものを大真面目に考える人だ
と思いましたね。
ただそれが今のところ現実政治の中に物質化されていないですね、具体
的な形で。ただ新しい政治家だと思いました。
それを究極のKYだとか、宇宙人だとか言う人がいますけど、政権交代が
起きたのが去年9月ですからね。私はまだ判断を下すのは早いんじゃな
いかと。
やっぱり55年体制がそれこそ50年以上続いたわけですから。もう少し
有権者は任期満了まで見るべきじゃないかと。
だから僕はお会いして、率直に先ず任期満了まで続けることが鳩山先生
のミッションだと。とにかく何が何でも任期満了を成し遂げると。
鳩山さんまで途中で投げ出してしまうと、もう日本の信用はがた落ちだと
思うんですね。
マニフェストとか普天間問題も非常に大きいですけど、大切なことは任期
満了を成し遂げること。
これで鳩山由紀夫という政治家の評価も定まるし、今、鳩山先生が辞め
るということは、政治家としての最期の一番肝心要のところで、自ら投げ
出すことになって、これはもう歯を食いしばってでも任期満了を続けると
いうことを率直に申し上げました。
参議院選挙を前に、マスコミの鳩山・民主党批判が異常なほどエスカ
レートしていますね。
ものを見るにはなんでも正面から見るが、側面から見るか背後から見る
かによって実像が変わってきますからね。
最近一般の人が少しバッシングに食傷しているんじゃないでしょうか。
だから私は鳩山政権の評価はもう少し待たなければ、拙速に評価する
必要はないんじゃないか。
見方によって迷走と試行錯誤と両方ありますよね。
ある人は迷走と言えば、いやそれはガラス張りで我々が知るようになった
んで、試行錯誤だと、トライアンドエラーでね。
だから政治には一面だけでは見れない面があるので、なにはともあれ、
日本の国の利益のためには、やっぱり任期を満了するということがなけ
れば。
これだけ大きな国ですから、その国が一年も持たないというのは。
このまま行けば、僕の言葉で言えば政党難民が増えてしまう。
どこもいけないという政党難民が増えると、ある種の政治的な無力感が
蔓延するんですね。そうすると誰も選挙に行かなくなる。
そういう時に社会がおかしくなっていくんです。折角変えても、いくらも経
たないうちにこれもダメと言うんだったら次に何があるのか。
これはもう液状化した状況に向かうんじゃないかと思いますけどね。
小沢一郎さんをどう評価しますか。
私は去年、衆議院選挙の前に雑誌で、小沢さんは歴史的使命を自覚され
て、お辞めになった方がいいと書いたんですね。
それは衆議院選挙で小沢さんが辞めないと政権交代が起きないのではと
巷間言われていましたから。
小沢さんの歴史的役割、彼は15年以上にわたって小選挙区比例代表並
立制を引いて政権交代を考えてきた人ですね。その手法について、いろい
ろ問題があるが、彼抜きには政権交代は起きなかったと思う。
だからそのとき、私は政権交代を起こすために、自ら身を引くことが政権
交代につながるならそうした方がいいと書いたんです。
いったん止められましたよね。衆議院選挙の前に。
それで選挙対策に専念されて結局政権交代が起きたわけです。
今も私は、小沢さんはある歴史的役割を果たしてきたと思います。
ただ小沢さんは確か68歳だったと思いますから、小沢さんが歴史に残る
政治家たろうとするには、参議院選挙が終わって来年の統一地方選挙が
終わったら身を引いてもいいんじゃないかと。
つまり小沢一郎という政治家は、権勢を求めても地位は求めないというの
が、彼の存在理由だったと思うんですね。
多分小沢さんの役割は来年の地方選挙で終わるんじゃないかと思います。
日本の政治がどんな理念、政策を対立軸にして分かれたらいいと
思いますか。
共通して言えることは、名目成長率3パーセントで財政を健全化する、
プライマリーバランスを。
同時に所得再配分もあまり格差がないように、その点では自民党も民主
党もある程度共通地盤があると思うんですね。
問題は三つありました、ひとつは憲法。憲法と同時に防衛、安全保障につ
いてどう考えるか。これは日米安保の位置付けの仕方ですね。これは両
党で微妙に違う。
二番目は価値観の問題です。例えば夫婦別性とか或いは外国人地方参
政権とか、その価値をめぐる問題についてどう考えるか。
三番目は地方主権、分権という問題についてどういうスタンスを取るか、
この三つだと思います。
一番目の防衛、安全保障はアジアとの関係をどうするのか、日米安保を
どうするのか、そこが憲法と関わってくるわけですね。
二番目は価値をめぐる問題。これは今後、アメリカのように同性婚とか
或いは未婚の母の問題とか家族の問題とか夫婦別性、外国人地方参政
権、或いは移民問題、こういう社会のDNAを変えるような問題にどう対応
するのか。
それから三番目は地方分権をどう考えるかですね。
その三つの理念を軸に再編が進むとしたらどんなプロセスが考えられ
ますか。
僕は二つあると思います。ひとつは相変わらず民主党、自民党がなんとか
存続しながら大体の極はできて、そこにもう一つ緩やかに何かができる。
或いは完全にシャッフルしてぐちゃぐちゃになった状態で政界再編成が
理念的に起きるかですね。
民主党もその問題については党内で一致していません。自民党も一致して
いません。
ですから同じ三つの問題について理念を同じくするような集団に党派を超
えてまとまっていくかどうかですね。これは選挙次第だと思います。
もし民主党がそう負けないで、参議院選挙、地方選挙を乗り切れば民主党
は安泰だと思いますね。
でも自民党はかなりピンチになります。そうすると自民党が割れて、その
中で野党がまた結びついて保守党ができる可能性もあります。
いくつかのシナリオが今後考えられますね。
20年後のアジアの姿をどう想像しますか。
私自身は、東アジアはEUみたいにはならないと思います。なる必要も
ない。
ただ間違いなく朝鮮半島、韓半島と日本は大きく変わっていると思います。
ひとつは、ドーバー海峡のトンネルと同じように、玄界灘にトンネルと高速
道路が出来ていると思います。
今の南北は20年後にはほぼ統一しているだろうと。どういう形かは別にし
て、人口は7000万人を超えます。
日本と合わせると1億8000から9000万、約2億です。この結びつき
は、私たちの想像を超えるほどに凄い交流と経済圏が出来ていると思い
ます。
両国の真の友人関係を築くために、日本にこれだけはやってくれという
ことはありますか。
それは例えば、領土問題はアメリカとカナダの間でもあります。
だからといってアメリカとカナダが上手くいかないか、というとそんなことは
ないです。
歴史の問題も、ドイツだってフランスだって歴史を一致させることは難しい。
じゃあ何が問題なのか。
何かアクションを起こさないといけませんね。
それはどうしても韓国側は日本側から何かをして欲しいと。やっぱり自分
は辛い目にあったんで。
そこでできることは何かというと、ひとつの例として、かつて西ドイツのウィ
リー・ブラント首相がポーランドやフランスでやったことをやればいいと思
うんです。
ウィリー・ブラントという人はポーランドのワルシャワに行って、ワルシャワ
の慰霊碑でぬかずいたんですね。ポーランド国民はびっくりしました。
感動しました。そこでドイツ国民を受け入れたんです。
だから私は、一国の首相が向こうであるジェスチャーなり、なにかひとつの
シンボリックなことをやる必要があると思います。
それはお金の必要もないし、政治的に何かを決定する必要もない。
韓国の国民の心を掴むんです。
シンボリックなこととは。
例えば韓国の独立記念館とか、韓国人が一番聖なると思っている場所で、
植民地支配について韓国国民に与えた苦痛を今自分たちは心に銘記した
いと。そこで何か儀式的な動作ですね。
例えば向こうの独立運動の中心人物だった人に何かを手向けるとか、いろ
んなことができると思うんです。
日本の有力な政治家にその話をしたことがありますか。
あります。今後政権を取りそうな人に。
それはウイリー・ブラントを学んでほしいと。ブラントがやったことで
ドイツとポーランドは一挙に前に進みました。
日本の首相がそれをやった後で、それを打ち消すような一部の政治家の
言動が心配ですが。
それについて僕が考えたのはですね、一国の首相が政治的な決断をもっ
て韓国でそういう行動をやると陛下が行きやすいと思うんです。
今の陛下がずっと前に、自分の祖先は武寧王との関係があるとか、桓武
天皇との関係があると言われた意味は、平成天皇ご夫妻が昭和時代の
後始末をきちんとやりたいということだと思います。
ご夫婦で中国に行かれたわけですね、それから戦禍のひどかったサイ
パンやいろんなとこに巡礼に行かれたわけです。
ところが肝心要の韓国に一度も足を運ばれていない。
やっぱり天皇家と韓半島との結びつきは半端じゃありません。お身体が
いい内に訪韓したいというお気持ちは多分持っていらっしゃるんじゃないか
と。
そうすると政治家がきちっとそういうところを始末しておかないと。
やっぱり天皇というのは一国の象徴ですから、そこで発言する言葉という
のは政治的にたががはめられるわけですね。
だから政治家がそういうところを地ならしして、それで陛下が行って言葉を
発せられるとなれば、それを普通の政治家が打ち消すことはできませんね。
これはもう大変なことになりますから。
中国に行かれるときもいろいろ問題ありましたよね。
いろんな人がいて、やっぱり陛下は行くべきじゃないとかいろいろありました。
韓国に行けないというのも、過去のわだかまりが韓国の国民にあるからで、
それを解消するのが政治家の役割だと思う。
政治家が最高首脳として、きちっとブラントのように問題を整理する。
そうすると一国の象徴である陛下が、向こうに行ってお言葉を発せられる
わけですよね。
それは韓国国民に通じる。そうすれば一般の政治家がそれを翻すような意
見は到底吐けなくなると思います。
それを今の政権でやってもらいたいですね。
そうですね。陛下のお言葉を皇室に丸投げするということは大変な政治的
利用にもなるし、これは絶対に避けなきゃいけない。
政治の責任を皇室に転嫁するというのは一番最悪で、政治がきちっと問題
を解決する。
その上で、象徴である陛下に訪韓ということにしないと、韓国側がどんなに
訪韓を要請しても日本側はそれに応えられないと思う。
ですから日韓の本当の未来志向的な象徴として、陛下が行かれて、例えば
独立記念館に足を運ばれたり、そういうことは充分にできるわけですから。
決して象徴の矜持が崩れるような発言をされる必要もありません。
天皇は天皇として、きちっとした自分の矜持に基づいたご発言をされるで
しょうし、その基礎工事をやっぱり政治がやらなきゃいけない。
日韓が真の友好関係を作れば、もし中国がアジアで覇権を求めても
その抑止力になりますね。
僕は20年前から日韓の関係は米中に対して非常にいい作用をすると。
今、500万人が行ったり来たりしていますから。
世界中探しても、二国間関係で500万人の人が交流しているのはないで
すよ。ヨーロッパ見ても、ドイツとフランスの間でも500万人も移動してい
ないです。だから日韓関係を盤石にする。
その上で中国に対してもアメリカに対しても相互に協力できることがあれば
やると。二つの国が
日本の優秀な技術と、例えば韓国の家電製品、デザイン力や、或いは
コンテンツを合体して海外に。
だからあまりお互いが競合しないで、むしろ協力して無駄なコンフィクト
(衝突)をなくしてですね。
僕は韓国に行っても、もう領土問題はそのままほっとけばいいと。
韓国が自分たちの島、自分たちの領土だというなら言っておけばいいと、
日本にしても、日本は日本の自主法があるから、あれは固有の領土だと
言っておけばいいと。それでなんの差し障りがあるんですかと。
領土問題は声高に言わないことが最大の大人の解決で、あんな岩礁みた
いのを後生大事に、二つの国が決裂するようなことはばかばかしいことだ
と思います。
韓国のある政治家が昔、あれをダイナマイトで爆破しろと言ったわけで
すね。それは極端だけども。
歴史問題はどうか。これは独仏ですら今もある問題ですから、時間をかけ
てやっていけばいいと思う。だから僕は、日韓の間で敵対的な矛盾はない
と思うんですよ。
あとは心理的なわだかまりを解く。そのためには政治家が一歩踏み出して
ブラントのようなことをここでやると。
こうすれば陛下も来年ぐらい、再来年ぐらい、お身体が丈夫なうちに行ける
わけですから。それで終止符を打つということでしょうね。
在日二世という立場で意識する使命感はありますか。
それはないわけじゃありませんね。
もう父親も母親もいなくなりましたけど、やっぱり遺言みたいなもんで、
熊本のために何かやることをやってくれと。やっぱり熊本が僕の故郷です
から。墓もそこに作りましたね。
あとは一言でいうと、産みの親は韓国ですけど育ての親は日本ですから。
どちらを選べと言われたって、それは産みの親も大切だし、とはいえ育て
の親があって初めて大人になったわけですからね。
だから僕がよく言うのは産みの親と育ての親、これが仲が悪いときに子供
はどうしますかと。
それは産みの親がいいと言う人もいるかもしれないし、いや産みの親よりは
育ての親を大切にしたいというのが普通の感情だから、我々の使命はどち
らかを選ぶんじゃなくて産みの親、育ての親、それがいい関係になるように
やっていくしかないんじゃないかと。
今後、特に力を入れていきたいことは。
6月5日、ここ(東大)に現代韓国研究センターができるんです。
僕がセンター長になるんですが、鳩山さんにセレモニーへの出席を
お願いしたんですけど、来たいとはおっしゃっているけど今の政治状況で
は難しいでしょうね。
今後はここのセンターが日韓の学術交流、人的交流のひとつのコアに
なればいいなと思います。それが僕の役割だと思いますね。
頑張ってください。ありがとうございました。
いえいえ、とんでもありません。