1993.7  於江東区、青海(この場所に作品を配して撮影)
草間彌生 画家 
 
『 自分でもおかしいと思うくらい、イメージがあとからあとから
 出てくるわけですよ、幻覚を交えて。幻覚とか幻聴だとか今で
 もあるわけです。 
 あまりにもイメージがたくさん出てきて、それを鎮静化する 
 のに大変ですね。 
 今、歴史的な仕事をしていきたいです。後世、100人観 
 て、たったひとりの人がこれはすばらしいと言ってくれるよう
 な作品を残していきたいですね。
 その他は目じゃないです。 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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水木
1993.3  於世田谷区砧公園(ここに作品を配して撮影)
 
舟越 桂 彫刻家
 
『 1ヶ月以上かかって彫刻は育っていくわけですね、仕事場で。
 僕がいいっていうところまでやっていくわけですから。
 ある意味じゃ、協力し合ってたっていうこともあるんじゃない
 かな。
 特に女性の彫刻の場合には、彫っていくうちにだんだん擬似恋
 愛みたいになりますからね。
 いとおしい顔だなと思えるようなところまで迫っていきますから。
 そのようにできたらやっぱり手放したくないですね。大金持ち
 だったら売らないですよ、僕 』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1990.5  於港区南青山のアトリエ
 
 岡本太郎 画家
 
『 「芸術は爆発」とは無条件に世界に向かってパーッと開いて
 いくことですね。
 とにかく自分自身を貫くんです。自分自身にも妥協しないし、
 他に向かっても妥協しない。
 普通の絵かきさんは、人に好かれることを前提としているけど
 も、そういうことを考えないでね、全く無条件で爆発していく。
 なんだこれは、と問題をぶつけていく。それが本当の芸術だと
 思いますね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1992.11.27  於大田区田園調布の自宅
猪熊弦一郎  画家
 
『 芸術家になるには好奇心がなきゃダメですよ。
 オオッ?、なんだろうって思う感受性がなかったら、何の発見も
 ないでしょうね。それと勇気ですね。
 こんなことしたら人に笑われるとか悪く言われるとか、そういう
 ことを度外視して常識との戦いですよ。もう死ねまで戦いです。
 自分が常識的なものにならないっていうことですね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1988.9.9  於熱海市の自宅
最上壽之  彫刻家
 
『 表現者としては、自分の時間をよりたくさん持っているやつ
 が一番豊かだし、天才といわなくても強いね。
 望むものがなにも準備しなくても、その場でポッと出る、一番贅
 沢で豊かなことですよ。お金持つよりも。
 だから自分の時間をなるだけ多くとれってこと。ところが何して
 いいかわからないっていうんだったら、自分をあきらめろっ
 ていうの。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.4  於新宿区中落合、自宅近くの銭湯脱衣所
赤塚不二夫  漫画家
 
『 今、人間ってさ、先へ先へ行ってるじゃない。ハイテクの時代
 って言われてさ。
 みんなワープロで打つとか、文字を書くこと忘れちゃって、
 交通の便だってそうだしね。
 のんびりやってきたことを全部捨てていくのが日本人なんだよ。
 昔のよき時代ってあったじゃない。
 今、僕がテーマに取り上げようと思ってるものは、ずーっと昔に
 忘れてきた日本人の心、これをね、やってみたい。』 
 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1989.11  於東京都調布市の自宅
 水木しげる 漫画家
『 妖怪は範囲が広いんですよ。神秘的な力を持っている。
 たたりもあるし、恐ろしい存在。ですけどもカッパとか愛嬌
 のあるのもいるわけですよ。 
 妖怪としてはですよ、そういう存在を人間に知ってもらいたい
 んですよ。
 それを真面目に伝達する人に対して多少援助するっていう 
 ことはあるんじゃないですか。
 向こうの援助の仕方ってのは幸運しかないですよね。
 運命を左右することでしょうね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.3  於長野県諏訪市上川、自宅近く
 
 原田泰治  画家
 
『 俺、無器用なやつだと思うな。調子よく生きれる画家じゃない
 と思う。
 自分に正直に生きてる画家だと思う好きだな俺が。俺が惚れ
 てる。絵にも惚れてる。いい絵だなと思うもん、自分で。
 ふっと会場に行って、久しぶりに恋人に会ったみたいに、会う
 度に違うような感じ受けるもん、俺。
 人がどう評価しようといい。まず自分の絵に惚れられないよう
 だったら人の魂なんか動かせないんじゃないかな。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1993.10  於鳥取県境港市、弓ヶ浜
植田正治  写真家
 
『 僕は好奇心旺盛ですからね。もうなんでも撮ってきました。
 風景も撮れば、静物も撮るし、人物も撮る。いちばん気に入っ
 ているのは人物ですね。これはいけると思ったらもう夢中に
 なって撮りますけどね。 
 写真を撮り始めてもう65年になります。ひたすら写真を撮っ
 てきましたね。 
 俺には写真しかないんだということでやってまいりました。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1992.9.11  於港区西麻布のスタジオ
   山本耀司 ファッションデザイナー
 
『 どんなことを知ってようと、自分の着るものに対する教養のない
 奴はダメだっていうことです。
 果物みたいなものです。リンゴは皮むいて実だけ食べるでしょう。
 ところがファッションって皮です。その皮っていうのは、果物の
 本質がそこに色となって皮となって現れてる。  
 日本では伝統的にうわべを装うって卑下しますけどうわべこそ
 教養である。
 うわべこそがすべてで、見りゃ判る人間の顔と一緒ですね。  
 どう見られたい、どう見せたい、その中で自分の着るものに教養
 を感じさせる人に会うと僕は感激する。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1998.11  於公演中の伊東市ハトヤホテルの舞台裏
引田天功  イリュージョニスト
 
『 わたし、人の深層心理を考えるのが好きなんです。
 アガサ・クリスティーの「人は騙されることは好まないけれど
 少しだまされるのなら心地よい」っていう言葉を、いつも心に
 とめているんです。
 この少しっていう部分と、トリックをどう結びつける
 か・・・ これがわたしのマジックです。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1989.9  於山梨県白州町
田中 泯  舞踏家
 
『 前々から農業が僕にとって魅力のある職業だったし、自然の中に
 体を置くことで、体を動かす動機をもっと明確にしたかったですね。
 僕らの農業は手作業でやってますから、人間が開発した本来一番
 自然な労働っていうんですか、運動がその中に一杯あるんですね。
 農業という創造にたずさわった運動として、僕らにはかなり魅力
 的ですね。』
 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1988.12  於横浜市の自宅スタジオ
大野一雄 舞踏家
 
『 魂の触れ合いの中で感動して、生きててよかったって感ずるような
  踊りでなければダメだと思うんですよね。
  感動のない踊りっていうのは私には考えられない。私にとって、魂
  と魂の触れ合いっていうのは絶対ですよ。
  魂の踊りに関しては、みんな世界共通語のようなもので壁なんか
  全くないんですよ。
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1994.1  於品川区、新日本フィルの大井町練習所
小澤征爾  指揮者
 
『 バッハとかモーツァルトからずっと流れてきている西洋のクラ
 シック音楽は、ほとんどでき上がっちゃってますから。
 その中に伝統のない東洋から行くっていうのは難しいこと一杯あり
 ますよ。
 僕なんかもう、死にもの狂いで西洋で仕事してますから。実験
 だと思っています。
 どこまでできるか試してみる、その時代だと思う、僕の 
 場合は。  
 実験の結果は次の時代ですよ。やっぱり一代じゃできっこない
 ですよ。だから死ぬまで、どこまで出来るか。 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.9  於長野県、八ヶ岳高原音楽堂
  
武満 徹 作曲家
 
『 自然の環境が僕の音楽には大変大事なんですね。
 ある大きな宇宙的な法則と音楽のいろんな仕組みが非常に近い
 もののように思いますね。
 人間の中にある自然の感情が今、どんどん失われてると思うん
 ですよ。 
 音楽っていうのはそういう人間の内面にある自然の感情を回復
 させるものがあると思うし、もちろん今、大きな政治権力の犠
 牲になっているに人たち対して、ある祈りの感情を表せるのも、
 僕は音楽だと思いますね。』 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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 1990.4  於渋谷区代々木、文化服装学院のマネキン室
 井上道義 指揮者
 
『指揮者っていうのは自分のことを、時には棚にあげても
 いろんなことをしなきゃいけない人ね。それだからこそ、
 なんとしても理想だけは高くないといけない。
 アイデアだけは常にもってないといけない。
 そういう点では、湧き出るエネルギーってのは絶対に必要
 ですね。疲れてたら絶対ダメなんです。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1990.11  於港区、高輪プリンスホテル貴賓館
 井上陽水 シンガーソングライター
 
『 幸せだなと思ってることは時々あるんですよね。
 でも僕は幸せだなと感じてるときにすぐね、いつ終るのか
 なって感じちゃうんですよね。
 ステージに上がるとき、すごく緊張してて、考えることは、
 なんでこんな仕事やっているんだろうとかイヤだなとか
 ね。それから緊張してることを、どうやったら周りの人に伝
 えないようにできるだろうとかね。
 それがかけがえのない時間でもあるんですけどね』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1990.6  於目黒区の自宅アトリエ
泉谷しげる シンガーソングライター、俳優
  
 
『 やった方が面白いんじゃないかなと思うんだよね。
 やり得というか、加害者でいたいということ。
 被害者にまわらないということだな。
 この時代に全うしたほうがよいんじゃないかなと思うね、
 これが自分の時代だと思ってね。
 徹底的に犯罪的にやりたいですね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.8  於世田谷区、無名塾
 仲代達矢 役者
 
『 役者っていまが華ですからね。なまの舞台はその一瞬が勝負
 ですから。もう通り過ぎたら幻ですからね。
 だからいまの華をおっかけてるわけです。ただ残念なことに
 肉体はどんどん年と共に衰えていきますから ね、悲しいかな。
 それだけに、いまの一本が大事ですね。今日も大事だし、いま
 の一瞬が大事だとすごく思うんですけどね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1990.5  於世田谷区の自宅寝室
木の実ナナ 女優
 
『 チャレンジしてない自分は考えられないんですね。
半歩でも一歩でも前進してないといやな性分、江戸っ子ですから。
少しでも前に、常に高いところが好きなんですね。
女優をやってよかったなと思う瞬間は、やっぱりカーテンコールですね。
カーテンコールは役じゃなくて木の実ナナとして出ますから。
そのときの拍手、もう自分が天下を取ったというかね、もう最高、全てが。
すごい快感だし、やっぱり舞台ですね、舞台、舞台ががやっぱり一番 』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1992.4  於世田谷区、多摩川の河川敷
山崎 努  俳優
 
『 舞台の上でうまくいったときには、とても自由になれるんですね。
 自分に何が起きるか全然予測しないで動いていくっていう瞬間が
 出てくるんですね。捨て身っていうんですかね。
 その時は役の中に入り込んじゃって、もう細胞まで骨までその役に
 なってるっていう感じですね。
 そういう状態になれるときが、一番俳優にとって醍醐味ですね。
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1992.6  於神奈川県、茅ヶ崎海岸
笠 智衆 俳優
 
『 僕のカットになると、ライトマンたちはお茶飲みに行っちゃう
 んですよ。小津先生のOKがなかなか出ないのを、みんな知って
 いますからね。
 先生は僕のをじっと見ているだけです。「笠さん、いろいろやって
 くれるのもいいけどねえ、一番いいのをひとつだけ見せてくれよ」
 なんて言われたことがありますね。
 試写を見ると自分の欠点ばかりが目について、拳闘でポカポカ殴ら
 殴られてるような気になるんですよ。
 60年俳優やっていて、自分が上手いと思ったことないですね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.11  於鎌倉市、大船撮影所
山田洋次 映画監督
 
『 映画館で観客がいっぱい入って、みんなが大笑いしているときね。
 苦労した甲斐があったなと思うな。
 でも、10人笑っていると1人か2人泣いているっていうこともある
 ような気がする。
 身につまされるというか、ほんとにそういうことあるんだよなという
 とき、うれしくなって笑う人と、なぜか悲しくなる人もいるんですね。
 映画館だから、大勢で見るからこそ、そんな興奮があるんですよ、
 きっと。』 
 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1991.3  於新宿区、パナソニック・グローブ座ロビー
 蜷川幸雄 演出家
 
『 この世で誰も創ったことないものを創ってるような気がする時
 あるよ。世界中でこんな演劇観たことあるかなんていってるもん
 ね俺。そういうとき、もうワクワクするね。
 演劇の場合、ひとり客席の側にいるのが演出家なんだよ。
 俳優はみんな客席見て仕事してるでしょう。だけど僕だけは客
 席にいるんだよ。だからいちばん初めの観客なのね。
 そのいちばん初めの観客がね、いつでもスリリングでワクワク
 するような芝居を観たいんだよ。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1993.1  於渋谷区の自宅
市川 崑 映画監督
 
『 真実を真実のように見せるんじゃなくて、この中の真実を解き
 明かしてくださいっていうような作り方が、大変巧緻な映画だと
 思います。
 あとでよく考えてみると、悲しみだとか喜びだとか、人間って
 いうのはこんなものだっていう真実がボロボロ浮かび上がって.
 くる。そういうものを作りたいと思って勉強してるわけですけ
 どね。なかなか巧妙にウソはつけないですよ。』
(撮影後インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1990.7  於港区六本木、全日空ホテルの一室(住まいを兼ねる)
淀川長治 映画評論家
 
『 今日この日は、生まれてから死ぬまで今しかない、二度と来ないの。
 こんな大事な日はないのよ。だから僕は全力投球するんですよ、もの
 書いても、しゃべっても。いつもそう思ってるのね。
 それを映画から得たのね。どれだけ映画から教えられたかわからない
 のね。
 映画の何が楽しいかといったら、みんなで一緒に観ることね。偉い人
 も、魚屋のおっさんも来る。面白いと一緒になって笑うもんね。 
 うれしいよね、それが好きなの。 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.11  於文京区本駒込、富士神社
 春風亭小朝 落語家
 
『 落語家には太陽型と月型があって、僕は太陽型でいきたい。
 月型っていうのは、通の人だけが気がついてくれればいいや
 ってことですけど、太陽型はそうじゃないんですよ。
 気がつかない人も振り向かないわけにはいかない明るさとか
 芸の艶とか色気とか、そういうものが必要なわけですよ。
 そのためには相当前向きの努力、研鑽、それから頭脳が必要
 でしょうね。』
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1993.4  於渋谷区、代々木公園
秋山 仁 数学者
 
『 数学の定理は頭で解くんじゃなくて心で解きたいと思うんだよね。
 僕の数学の発想はみんな心よ。
 例えば、萌える5月の新緑を見たからそれを表現する美を数学的に
 作ろうとかさ、そういうのが俺のポエティックな数学なんだよ。
 研究に没頭しているときは、心がフワーッとふくらむよね。
 宇宙のことを考えたりさ、天体の夜空の星のことを考えたり、植物
 のこと考えたり、昆虫のこと考えたり、鳥や魚のこと考えたりね、
 だから心がやさしくななよね。』  
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1992.2  於東京都武蔵野市の自宅
埴谷雄高  小説家
 
『 僕は小説を書くようになって、ないものを何とか表せないかと
 思って「死霊」を書いているわけです。
 ギリシャで始まった私とは何ぞやと、有ると無いとは、二千四、
 五百年経っても解決してない。それを僕の小説では、わかった
 ぞって叫ばせようとしている。
 しかしうまくいかないので、いま停滞しています。その内、9章
 ができないで死ぬでしょう。仕方がありませんね。
 ギリシャの哲学者も解決不可能のまま死ぬ場合が多い。 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1993.8  於長野県軽井沢町の別荘
加藤周一 文芸評論家
 
『 僕はね、栄華の極みっていうか、力の大きいことをあんまり求めな
 いんですよ。例えば夕暮れの空とか、あるいは尊敬する友人とか、
 ひとりの少女とか、そういうものの中に限りない豊かさがあると思う
 んですね。
 その豊かさ、美しさっていうものを見つけて行くことの方が権力や
 金とかを求めるより私には合ってる。簡単な生活が豊かになること、
 たくさんあると思うんですね。 
(撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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