「スペインの個性輝き連写」
日本経済新聞 「文化」欄  1987.8.24
 「今スペインブームだという。他の西欧諸国とは異質な歴史と風土から生
まれた闘牛とフラメンコは有名だが、特筆すべきはこの国から多くの天才芸術
家が輩出してきたことだ。
ゴヤ、ベラスケス、ガウディー、ピカソ、ミロ、ダリ、ロルカ、ファリャ、カザルス、
セゴビア等はよく知られている。世界のひのき舞台で活躍するスペイン人声楽家
も多彩だ。なぜこうも多くの偉大な芸術家がこの国から生まれるのか。
一体、スペインの芸術家とはどんな人たちなのか。
1983年、写真展『肖像・女流アーチスト達の光と影』を発表して以来、スペイン
への関心はふらむばかりであった。そして一昨年、私はスペイン行きを決意した。
スペインの芸術家のポートレートを撮るためだ。
それは出会ったばかりの芸術家の生き様を、限られた時間と未知の環境の中で
即座に写し取る一対一の真剣勝負。また私自身が試される場でもあった。
早速スペイン関係者に一年がかりで取材し、美術、音楽、舞踊、文学、演劇等の
分野で現在スペインを代表する芸術家のリストを作成した。
このリストを携えて昨年、春と秋マドリードとバルセロナに渡った。直ちに各芸術家
に撮影依頼の電話を掛ける。全くのブッツケ本番であったが、次々快諾の報に勇
気百倍。
二ヶ月の滞在で合計四十七人を撮った。またインタビューも行いテープにも取っ
た。強烈な個性、真摯な態度、きさくでおおらか。レンズに向かってけれんみのな
い自己表現など巨匠たちとの出会いは驚きと感激の連続だった。
今年の六月三日、私は来日したギタリスト、イエペスの演奏会で、巨匠セゴビア
の訃報を知った。会場全員で黙祷をささげた後、イエペスは番外でセゴビアのた
めにロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を弾き始めた。
昨年五月二十三日、マドリードの書斎でセゴビアを撮った時のことが次々脳裏を
かすめた。
自らドアを開け笑顔で迎えてくれたセゴビア。握手したときの綿のように柔らかな
手の温もり。堂々たる風貌、鋭い眼光。九十三年の風雪をにじませる後ろ姿。書斎
に山積みされた蔵書群。部屋のあちこちに無造作に置かれたギター等々。『指の
独立性と柔軟性を保つために、練習は毎日五、六時間はするよ』。この言葉に、己
の音楽性の後退を許さない厳しい決意が伝わってくる。
別れ際、私のサイン帳に『日本をとても愛している。国、民族、芸術、勤労意欲が
好きだ。日本がもっと近ければ、毎年コンサートやレッスンをしたいのだが。しかし
私は九十三歳だ。私の人生の終わりに近い』と人生の終焉(しゅうえん)を粛々と
受け止める心境を記した。
今、私は音楽史上に不滅の功績を残した巨人セゴビアに、この世で出会えた幸福
を心からかみしめている。
 『私は詩人になったのではなく詩人に生まれついたのだ。』と語るジョアン・ブロッ
サとの出会いも印象的だった。私が差し出した名刺を一瞬の間に消して見せ、さり
げ無く『詩は驚きです』。この意表をつく行為と単純明快な一言で、ユーモアに満ち
た詩人ブロッサの全体像を鮮やかに演出して見せた。
書斎も異様そのもの。薄暗い部屋。粗末な木製の机とボロボロになったロッキング
チェア。古新聞や雑誌の紙片が幾層にも敷きつめられた床。まるで百年もほこりを
被ったまま放置されたような書物の山がそこらじゅうに散らかっている。
『書物には触らないでくれ。それぞれが皆、秩序を保っているから』。私は恐るおそ
る足を踏み入れ、ひっくり返りそうな格好でブロッサを撮らねばならなかった。
オペラ歌手のモンセラー・カバリェを晩餐(ばんさん)会が開かれるバルセロナの
ホテルで撮ることになった。
午前零時半、会場の扉が開きカバリェが取り巻きを従えてやってきた。眼前の並
外れた豊満な肉体に私は一瞬ひるんだがすぐ撮影開始。
モータードライブのシャッター音につられるように彼女の動きは激しくなる。風圧を
感じる程、すさまじい。ピント操作が追いつかなくなる。そこで焦点を固定し、彼女
の動きにピッタリついて行く。夢中でシャッターを切り続ける。たちまちロビーには
大勢の見物人が集まり、ダンスを踊っているような二人を面白がって見ている。
カバリェと向き合った嵐のような七、八分はアッという間に終った。長くも短くも感じ
られた。
彼女の激しい動きに翻弄されたが、終始彼女はひたむきで美しく愛に満ちていた。
立ち去るカバリェ一行を見送りながらかつてこれ程、人間の存在感に打たれたこ
とがあるだろうかと思った。
カバリェの一途で愛らしい仕草は、今でも私の心に焼き付いて離れない。
自作の名曲『アランフェス協奏曲』を弾いて私を感激させた盲目の作曲家ホアキ
ン・ロドリーゴ。
『映画なしの人生なんて僕には考えられないよ。映画は僕の人生の一部だもの』
と陽気に語る映画監督カルロス・サウラ。
『歌手にとっての条件は素質が五0%、残りが修練と意志』と言い切る歌手ビクト
リア・デ・ロスアンフェレス。
鷹のような目でレンズをにらみ続けたスペイン画壇の頂点に立つアントニ・タピエス。
「フラメンコを感じてフラメンコをするけど、フラメンコについて意見を言ったりはし
ない」と語り、別れの握手の際、『アリガトゴザイマス、サヨナラ』と流暢な日本語で
こたえた舞踊家アントニオ・ガデス等も忘れられない。
スペインの芸術家を一口では到底、形容出来ない。むしろ一口で表現出来ないこ
とが、一大特徴と言えるかも知れない。それぞれが確たる個として存在し、まばゆ
いくらい、独自の光彩を放っている。
今春、東京で開いた写真展 『スペインの巨匠たち』 は盛況であった。
バルセロナ・オリンピックやセビリア万博、コロンブスの新大陸発見五〇〇年記念
を五年後に控え、スペインは大きく変わろうとしている。
今後どんな芸術家に出会えるか興味は尽きない。チャンスがあれば、またスペイン
を訪れたい。
 (紙面の記事のみ掲載)