1986.10 於バルセロナのアトリエ
画家 ジョセップ・ギノバール
『 両親がペンキ屋だったので、小さい頃から色や材料には
敏感だった。
画家になろうと決めたのは、14歳のときでした。
影響を受けた人?それは世界中からです。外界に存在する
人やもの全てからです。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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986.4 於マドリードの自宅アトリエ、作品の前で
画家
エドアルド・ナランホ
『 わたしの絵には悶々とした不眠状態もあれば夢想状態
もある。恐怖、予感、ノスタルジーもある。
しかしそれ以上に顕著に表れているのが、わたしの人生
体験の名残としての傷跡である。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの個展会場の美術館
画家 アントニオ・サウラ
『 絵は独学で、先生についたことはありませんが、すべ
ての人々、すべての歴史に影響されていると思います。
わたしは将来とも今のわたしであり続けたい。慎みある
流行や嗜好に譲らない画家でありたいと思う。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10 於バルセロナの自身の美術館
彫刻家 ジョセップ・マリア・スビラック
『 人間は死を意識する唯一の動物です。
だからこそ、死を超越した芸術作品をつくろうとします。
芸術は人間が死と闘おうとするために持った方法なのです』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10 於バルセロナのアトリエ、作品の前で
画家
アントニ・タピエス
『 私は芸術家であろうとする以上に、また絵を描くことを
学ぶ以上に、絶えず自分の内部の完成に務めてきました。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
ギタリスト
ナルシソ・イエペス
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1986.4 於マドリードの自宅
作曲家 ホアキン・ロドリーゴ
『 「アランフェス協奏曲」が生まれたのは或る晩、友人達が
集まって夕食をとったのがきっかけでした。
1938年の時だ。みんながわたしにギターとオーケストラの
ための曲を作らないかとすすめたんだ。
わたしはすぐにその案が気に入っね。そこである朝、ふっと
テーマがわいてきてすぐ作曲したんだ。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10 於バルセロナの自宅
作曲家 フェデリコ・モンポウ
『 モンポウの音楽を理解するにはカタルーニア(スペイン北東部)
を知らなければなりません。
モンポウの音楽は普遍的でありながら地中海色に溢れ、郷土の香り
高い音楽です。
その響きはフォルクローレとは異なるのに、土着のものであること
がすぐに分かります。
輝く明色と表現性に満ち、メロデーはこの上なく豊かです。』
(高齢のモンポウ氏に代わり夫人にインタビュー)
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1986.10 於バルセロナの自宅
ソプラノ歌手
ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス
『 わたしの家族はみんな音学が好きでした。特に母方の家族は
いつも歌っていました。
これまで一度も自分からオペラ歌手になろうと思ったことは
ありません。オペラ歌手の外面的なものが一切嫌いなんです。
常に自然でありたい。
わたしが歌っているのは歌うのが好きだからです。
歌手に必要なものは素質が50パーセント、残りは修練と意志
です。もちろ創造性にとってはインスピレーションが非常に大切です。
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10 於バルセロナのリッツホテルロビー
オペラ歌手 モンセラ・カバリエ
『 歌うことに関しては、もう25年以上も歌っていますから
心配したことは一度もありません。
心配なのは約束の時間につくかしらとかよ。だってこの頃の
飛行機は時間が正確じゃないでしょう。
わたしの芸術は二言に要約されます。それは「音楽への愛」です。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
ギタリスト
アンドレス・セゴビア
『子供のころ、私の住んでいたアンダルシアの小さな村には
ピアノの先生も、バイオリンの先生も、チェロの先生もいま
せんでした。
でもギターはありました。だからギタリストになったのです。
音楽のひらめきは、天から受けました
』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
作曲家 ルイス・デ・パブロ
『 音楽への興味は、ほとんどもの心がつく前からです。
両親はごく普通の中産階級で、趣味のひとつが音楽でした。
家には楽器を弾く人間は誰もいませんでしたが古い蓄音機
が一台と、古いレコードがありました。
私はそれを聴くことによって音楽の世界を発見しました。
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10 於バルセロナの劇場ロビー
役者、演出家 アルベルト・ボアデージャ
『 わたしの芸術は風刺です。
社会全体や権力を笑い飛ばします。ちょうど観衆の前にデフォルメ
した鏡を置くようなものです。
観衆はその鏡に自分を映し出し、時折自分を笑い、時に怒るのです。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
映画監督 カルロス・サウラ
『 監督というのは、音楽のことや演劇のこと、俳優のこと、
そして書くこともいろんなことをたくさん知っていなければ
なりません。
わたしの仕事は常に決定を下すことです。
例えばこの俳優にするか、あの俳優にするか、間違えたら
映画は失敗しちゃうんです。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードのガデスのスタジオ
舞踊家 アントニオ・ガデス
『 フラメンコについて、どう言ったらいいのか僕にはわからない。
私がやることは一生懸命踊ること。
私はフラメンコを感じるけど、フラメンコの説明はしない。
フラメンコを感じてフラメンコを踊るけど、フラメンコ
について意見を言ったりはしないんだ。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
フラメンコ歌手 ラファエル・ロメロ
『 プロの歌い手になったのは12歳だよ。何故って経済的
な理由からだよ。
わしの故郷、アンドゥーハルではヒターノ(ジプシー)たち
がみんな唄っていた。
わしの母、祖母も完璧にギターを弾き、唄ってたよ。
わしはそこから学んだんだよ。
生活は苦しかったけど紳士連中が宴をやるっていっち
ゃ、そこに呼ばれて唄ったもんだ、金もらってな』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの練習スタジオ
舞踊家 メルチェ・エスメラルダ
『 舞踊家にとって大切なことは好きであること。好きであれば、
辛いこの道も前進できます。
それと自分の内に感情を持つことです。内に秘めたものは生
まれつき持っていなければなりません。それは習得できない
ものです。
その内なる感情を観客と分かち合えば、自分だけでなく、観客
も幸せにすることができます。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
詩人 ルイス・ロサーレス
『 目を閉じると日本が浮かんできます。
ずっと前から、それはわたしの心の中にあるものです。
いつからなのかわからない。だけどそうなのです。
日本を思い浮かべるには、目を閉じるだけで十分なのです。』
(上記は撮影後、即興で書いたもの)
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1986.4 於マドリードの自宅
哲学者 フリアン・マリアス
『 哲学に興味を持ったのは17歳のときからです。
哲学をマドリード大学の偉大な教授達に学びました。
特にオルテガ・イ・ガセットに。
彼は私の一番の先生であり、友人であり、協力者でした。
哲学を簡単には説明できません。哲学は真実を問う学問
です。いろんな事物の真実を見定めようとするものです。
特に人間の真実について考えます。』
(上記は撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4 於マドリードの自宅
詩人 カルメン・コンデ
『 私にとって、創造という仕事は瞬時の出来事なのです。
その詩を書きたい、書かなければという必要性がわいて
きて、どうしようもなくて書くのです。
書くための特別な時間はありません。また義務感から書く
のでもなく、やめなさいと言われるから書かないということ
もありません。
どうしても書かざるを得ない、書きたいというときに書いて
きましたし、今も書いています。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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