1986.10.1  於バルセロナの自宅アトリエ
 画家 ジョセップ・ギノバール
『 両親がペンキ屋だったので、小さい頃から色や材料には
敏感だった。
画家になろうと決めたのは、14歳のときでした。
影響を受けた人?それは世界中からです。外界に存在する
人やもの全てからです。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
 
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1986.5.27  於マドリードの自宅アトリエ、自作品の前で
画家 エドアルド・ナランホ
『 わたしの絵には悶々とした不眠状態もあれば夢想状態
もある。恐怖、予感、ノスタルジーもある。
しかしそれ以上に顕著に表れているのが、わたしの人生
体験の名残としての傷跡である。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.4  於マドリードの美術館、ソフィア王妃芸術センター
画家 アントニオ・サウラ
   『 絵は独学で、先生についたことはありませんが、すべ
   ての人々、すべての歴史に影響されていると思います。
   わたしは将来とも今のわたしであり続けたい。慎みある
   流行や嗜好に譲らない画家でありたいと思う。』
  (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10  於バルセロナの自身の美術館
彫刻家 ジョセップ・マリア・スビラック
  『 人間は死を意識する唯一の動物です。
  だからこそ、死を超越した芸術作品をつくろうとします。
  芸術は人間が死と闘おうとするために持った方法なのです』
  (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10  於バルセロナの自宅アトリエ、自作品の前で
画家 アントニ・タピエス
   『 私は芸術家であろうとする以上に、また絵を描くことを
   学ぶ以上に、絶えず自分の内部の完成に務めてきました。』
   (撮影時、体調悪く短時間のインタビュー)
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1986.5.31  於マドリードの自宅
画家 エドアルド・アロージョ
 『 若いときから文学に興味がありました。1958年にパリに
 行って、自分の表現には文学よりは絵画の方がいいのでは
 と思い、それから絵を描き始めました。絵は独学です。 
 自分を表現し、絵を通して会話するという希望、これが絵を 
 描く上で大事なことです。 
 主張したいということは何もありません。絵は私の生活や 
 伝記にとても近いものです。』 
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.5.20  於マドリードの自宅アトリエ
画家 アントニオ・ロペス・ガルシア
 『 私の今までの人生には困難は沢山あったけど、満足している。
 今なお他の人と同じように悪戦苦闘しているが、それはほとんど 
 自分の勇気のなさから来ているものだと思う。
 絵を描くことはあまりに難解過ぎるけど、やめようと思ったことは 
 ない。 
 何とか道が開けるまで描き続けるだけだ。』 
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.14  於バルセロナの自宅アトリエ 
 
画家 モデスト・クシャー 
 『 父の肖像を描いたのは8歳の時でした。母は絵が上手で、
 父は医者でしたが木彫が趣味でした。
 私は医学を勉強しているときに画家になることを決心しました。 
 私の偉大なる師は美術の歴史です。 
 インスピレーションが湧いたら描くというのは噓です。描き続け 
 ることです。描くことを通して初めてインスピレーションが得ら 
 れるのです。ただひたすら画家としての旅を続けるだけです。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.2  於バルセロナの自宅アトリエ
画家 フレデリック・アマツ
『 私は今まで一度もプロになろうと思ったことはないです。今でも
趣味だと思っている。
影響を受けた人は、生まれて34年間で5、6人はいる。5年前に
亡くなった父や先生、友人たちですね。 
画家として崇(あが)め立てる聖人のような人はいませんよ。』 
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.7  於バルセロナのグエル公園
詩人、美術評論家 ホセ・コレドール・マテオス
   『 14歳の時に初めて詩を書きました。父は労働者でしたが、
   両親ともに文学には関心がありました。
   私が弁護士の資格を取ったのは、生活ができ、同時に文章を
   書く時間もできると思ったんですが、弁護士の仕事は一度もした
   ことはありません。
   よく、芸術家はそう生まれるのか、それともそうなるのかと訊か
   れますが、私は両方だと思う。つまり芸術家に生まれなければ 
   ならないし、芸術家にならなければいけないのです。 
   私は常に、偶然の客観的価値と必然の主観的価値の調和を心 
   がけています。』 
   (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.5.27  於マドリード郊外の自宅
 ギタリスト  ナルシソ・イエペス   
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1986.5.19  於マドリードの自宅
作曲家 ホアキン・ロドリーゴ
  
 
『 「アランフェス協奏曲」が生まれたのは或る晩、友人達が集まっ
夕食をとったのがきっかけでした。
1938年のときだ。みんながわたしにギターとオーケストラのため
の曲を作らないかとすすめたんだ。
わたしはすぐにその案が気に入っね。そこである朝、ふっとテーマ
がわいてきて、すぐに作曲に取りかかったんだ。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.9  於バルセロナの自宅
作曲家 フェデリコ・モンポウ 
『 ピアニストを目指してパリに留学しているとき、コレーレのコン
サート を聴いて突然目覚めたんです。それがきっかけで作曲を 
始めました。 
モンポウの音楽を理解するにはカタルーニア(スペイン北東部)
を知らなければなりません。
モンポウの音楽は普遍的でありながら地中海色に溢れ、郷土の香り
高い音楽です。
その響きは、フォルクローレとは異なるのに、土着のものであること
がすぐに分かります。
輝く明色と表現性に満ち、メロデーはこの上なく豊かです。』
(高齢のモンポウ氏に代わって夫人にインタビュー)
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1986.10.14 於バルセロナの自宅応接室
 ソプラノ歌手  ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス 
            『 わたしの家族はみんな音学が好きでした。特に母方の家族は
            いつも歌っていました。
            わたしはこれまで、一度も自分からオペラ歌手になろうと思ったこと
            はありません。オペラ歌手の外面的なものが一切嫌いなんです。
            わたしは常に自然でありたい。わたしが歌っているのは歌うのが好き
            だからです。
            歌手に必要なものは素質が50パーセント、残りは修練と意志です。
            もちろ創造性にとってはインスピレーションが非常に大切です。』
            (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.10  於バルセロナのリッツホテルロビー
オペラ歌手 モンセラ・カバリエ 
            『 歌うことに関しては、もう25年以上も歌っていますから心配
             したことは一度もありません。
             心配なのは約束の時間に着くかしらとかよ。だってこのごろの
             飛行機は時間が正確じゃないでしょう。
 
             若いときは、レナータ・テバルディの影響を大いに受けました。 
             彼女は11年も歌劇場のリセウで歌っていたので私は学生の頃
             欠かさず聴きに行きました。 
             他にジュゼッペ・ディ・ステファノ、後にフランコ・コレッリ、 
             それから、もちろんマリア・カラスも。 
             わたしの芸術は二言に要約されます。それは「音楽への愛」です。』
             (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.5.23   於マドリードの自宅
ギタリスト  アンドレス・セゴビア 
           『 子供のころ、私の住んでいたアンダルシアの小さな村にはピアノ
           の先生も、バイオリンの先生も、チェロの先生もいませんでした。
           でもギターはありました。だからギタリストになったのです。
           ギターは複音の楽器です。だからたくさん練習しなければなりません。 
           私は今でも毎日5、6時間弾きます。今まで以上に練習します。
           指にはそれぞれの独立性と柔軟性が必要だからです。』
           (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.8  於バルセロナの自宅
作曲家 ルイス・デ・パブロ
           『 音楽への興味は、ほとんどものごころがつく前からです。
            両親はごく普通の中産階級で、趣味が音楽でした。
            家には楽器を弾く人間は誰もいませんでしたが古い蓄音機
            が一台と、古いレコードがありました。私はそれを聴くことに
            よって音楽の世界を発見しました。
            作曲の上で大切なのは平静です。平穏でいられること。つまり
            静けさや内的平穏性、さらにある種の外的平穏さです。』
            (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.8   於バルセロナ市、ガウディ博物館
作曲家 ハビエル・モンサルバージュ
『 小さいころ、クリスマスプレゼントにヴァイオリンをもらいました。
家族全員が大の音楽ファンでしたから、小さいときからいつも
コンサートに行っていました。
家族の希望は、私が音楽の道に進むことでした。 
何年もヴァイオリンの勉強をしたんですが、自分の性格には難し 
過ぎると気づき作曲に目を向けました。 
私はフランス印象派にかなり影響を受けました。それから誰にも 
まして大作曲家ストラビンスキー、それからロシアの音楽家たち
からもです。 
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.14  於バルセロナの公演中の劇場内
役者 ジョセップ・マリア・フロタツ
   『 宇宙の中を浮遊せよ 』
  ( 撮影後、本人からのメッセージ )
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1986.10.10  於バルセロナの劇場ロビー
役者、演出家 アルベルト・ボアデージャ 
         『 私はパントマイムから入りました。演劇における最小の表現法だけど、 
          それはエッセンスであり、魂の表現ですね。 
          わたしの芸術は風刺です。社会全体や権力を笑い飛ばします。
          ちょうど観衆の前にデフォルメ した鏡を置くようなものです。
          観衆はその鏡に自分を映し出し、時折自分を笑い、時に怒るのです。』
          (撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.16  於バルセロナ郊外の自宅
映画監督 カルロス・サウラ 
『 監督というのは、音楽のことや演劇のこと、俳優のこと、そして
書くことも、いろんなことをたくさん知っていなければなりません。
わたしの仕事は常に決定を下すことです。
例えばこの俳優にするか、あの俳優にするか、間違えたら映画
は失敗しちゃうんです。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.18  於マドリードのアントニオ・ガデス舞踊団スタジオ
舞踊家 アントニオ・ガデス 
『 フラメンコについて、どう言ったらいいのか僕にはわからないよ。
わたしがやることは一生懸命踊ることだ。
わたしはフラメンコを感じるけど、フラメンコの説明はしない。
フラメンコを感じてフラメンコを踊るけど、フラメンコについて
意見を言ったりはしないんだ。』

(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.18  於マドリードのアントニオ・ガデス舞踊団スタジオ
舞踊家 クリスティーナ・オヨス
『 わたしが踊っているとき、観客の皆さんにも、私と同じ気持ちになって
ほしいんです。
わたしは、いまアートをしているんだ、踊っているんだ、とても幸せなん 
だ、心の奥底から言葉で言い表されない何か特別なものを感じているんだ
ということを観客の皆さんに伝えたいんです。 
皆さんが私の踊りを「なんて素敵な、なんて美しい、なんて素晴らしい 
アート、なんて感情のこもった・・・」と言ってくださり、今まで一度も
感じたことのないような気持ちをお土産に持って帰っていただければ嬉し
いんです。』  
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.5.24  於マドリードの自宅
フラメンコ歌手 ラファエル・ロメロ 
『 プロの歌い手になったのは12歳だよ。何故って経済的な理由から
だよ。
わしの故郷、アンドゥーハルではヒターノ(ジプシー)たちがみんな
唄っていた。
わしの母や祖母も完璧にギターを弾き、唄ってたよ。わたしはそこから
学んだんだよ。
生活は苦しかったけど、紳士連中が宴をやるっていっちゃ、そこに呼ば
れて唄ったもんだ、金もらってな 』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.5.20  於マドリードの練習スタジオ
舞踊家 メルチェ・エスメラルダ 
『 舞踊家にとって大切なことは好きであること。好きであれば、辛い
この道も前進できます。
それと自分の内に感情を持つことです。内に秘めたものは生まれつき
き持っていなければなりません。それは習得できないものです。
その内なる感情を観客と分かち合えば、自分だけでなく、観客も幸せに
することができます。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.9.30  於バルセロナの自宅
小説家 バルタサール・ポルセル
『 作家には、現実社会の様々な側面を感じ取れる感性が必要です。
そして感じ取ったものを、文学に転換するためのメカニズムを、
自分の内部に持っていなければなりません。
創作する仕事というのは、空と同じです。晴れ渡った空に突然雲が
湧く。2つ3つと雲が増えて、完全に曇ると雨が降り出します。
この雨は意識下の行為の結果であり、小説はこのようにしてできて
いくのです。 』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.9.30  於バルセロナの出版社
詩人 ペレ・ジンフェレル
『 17歳のとき、はっきり作家になろうと決めました。
書き方について、最も影響を受けたのは、ビセンテ・アレクサンドレ
とオクタビオ・パスの二人です。 
作詩で心がけることは、描写の仕方です。一度描写されたら、現実
に見えなければならないし、自己充足的でなければなりません。  
私の作品は文学の流れの中では孤立しています。』 
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.6.2  於マドリードの自宅
詩人 ルイス・ロサーレス 
『 目を閉じると日本が浮かんできます。  
ずっと前から、それはわたしの心の中にあるものです。
いつからなのかわからない。だけどそうなのです。
日本を思い浮かべるには、目を閉じるだけで十分なのです。』
(上記は撮影後、即興で書いたもの)
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1986.5.26  於マドリードの自宅書斎
哲学者 フリアン・マリアス 
『 哲学に興味を持ったのは17歳のときからです。
哲学をマドリード大学の偉大な教授達から学びました。
特にオルテガ・イ・ガセットから学びました。
彼は私の一番の先生であり、友人であり、協力者でした。
哲学を簡単には説明できません。哲学は真実を問う学問です。
いろんな事物の真実を見定めようとするものです。
特に人間の真実について考えます。』
(上記は撮影後、インタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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1986.10.15  於マドリードの自宅書斎
詩人 カルメン・コンデ 
『 私にとって、創造という仕事は瞬時の出来事なのです。
その詩を書きたい、書かなければという必要性が湧いてきて、どう
しようもなくて書くのです。
書くための特別な時間はありません。また義務感から書くのでも
なく、やめなさいと言われるから書かないということもありません。
どうしても書かざるを得ない、書きたいというときに書いて来まし
たし、今も書いています。』
(撮影後にインタビューした中から印象的な言葉を抜粋)
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