カメラ雑誌「フォトコンライフ」   2010年3月号    
 
「ポートレートとモノクロ写真の魅力について」
     
福永 今日は各界の第一線で活躍されている人たちを撮り続けている人物写真家の蛭田有一
さんにお越しいただきました。早速ですがご自身の活動について簡単にお話し下さい。
       
  蛭田   1982年以来、僕は二通りの方法で人物写真に取り組んでいます
一つは演出を駆使した「ポートレート」という創作的表現。もう一つは特定の人物を
長期間追いかける「ヒューマン・ドキュメンタリーポートレート」という撮影方法で
す。前者は様々な演出を加え、撮り手の感性や美意識、創造力、コンセプトが色濃く
反映するいわば“芸術的表現”。後者は、長期にわたる撮影で被写体に対する認識を深
めていくので“真実の表現”が目的になります。 
       
  福永    ポートレートはよくわかります。でも、ヒューマン・ドキュメンタリーポートレート
は、あまり聞きなれない言葉ですね 
       
  蛭田    僕がネーミングしたものですから…(笑)。特定の人物を長期間撮影し、例えば50
~200枚という複数の写真で被写体を表現するものです。
これに対しポートレートは、一枚の写真で被写体の存在感をより強く、より印象的に
表現します。そのため、ポートレートでは、ロケーションや背景の設定、ポーズ、
ライティングなど、さまざまな演出を試みることになります。 
       
  福永   蛭田さんが人物写真を撮り始めたのはなぜ? 
       
  蛭田   僕が人物に興味を持つ理由は、人間に対して“野次馬的好奇心”があるからなんです。
壁の穴から人間の生き様をのぞき見るような気持ちで、人間を知りたいという欲求が
根本にあるんですね(笑)。
正直にいえば、撮りたいと思う以前に、相手に会いたい、知りたいということ。加え
て、ポートレートの場合は“相手と正対したい”、“まっすぐ向かい合いたい”という気
持ちが原点にあります。 
       
  福永   作品づくりは、メディアでの発表を前提に進めているのですか? 
       
  蛭田    最終的には写真集や写真展としてまとめて、多くの人に見てもらいますが、ビジネス
として取り組んでいるわけじゃありません。だから、取材にかかる費用はすべて持ち
出し。
スポンサーをつけて報酬を得ることはないし、モデルになっていただいた方にギャラ
をお支払いすることもありません。 
       
  福永    背景にスポンサーや、発表を前提にしたメディアがあるとないとでは、撮影に対する
覚悟や心構えもまったく違うでしょうね。 
       
  蛭田    撮影の交渉からすべて自分で行っているから被写体と本気で向かい合えるし、ときに
は喧嘩もできます。相手を喜ばせる写真を撮るつもりはまったくありませんから(笑)。 
       
  福永   そうまでして蛭田さんが表現したいものは何? 
     
  蛭田    人物写真で一番表現したいのは“人間の輝き”なんです。それをあえて言葉にすれば、
自由・愛・勇気・独自性・情熱・誠実さ…となるでしょう。目標が何であれ、その目
標に向かってひたむきにチャレンジする人の姿に僕はひかれるんです。言葉にすると
カッコよすぎてしまうけれど。
人間を撮るということはその時代を撮ることに通じます。人間というのは時代の産物
ですからね。人間を撮れば時代がついてくるのは当然なんです。 
       
  福永    蛭田さんは、後藤田正晴を始め、中曽根康弘、鳩山由紀夫と、政治家を多く撮影し、
2007年からは『政界華肖像』というテーマで、政治に関わる人々を撮り続けてい
らっしゃいます。政治家にひかれるようになったきっかけは? 
       
  蛭田    103人のポートレートを集めた『人間燦々』の最後に、後藤田正晴を撮影したのが
きっかけでした。
世間では「カミソリ後藤田」とか異名をとる方でしたが、実際の印象は違いましたね。
とにかく後藤田正晴はこれまで僕が出会ったことがないタイプの人間で、そこにいる
だけで周囲がひれ伏してしまう存在感と人柄に、僕は畏敬の念を抱きました。
そこで僕はこの人物を一回のポートレート撮影で終えるのではなく、改めて長期にわ
たって撮り続けたいと思ったんです。 
       
  福永   ヒューマン・ドキュメンタリーポートレートの撮影は、どのくらいの期間に及ぶので
すか? 
       
  蛭田    後藤田正晴の場合は、3年かかりました。先ほど申し上げたように、ドキュメンタリ
ーポートレートの目的は、被写体の真実に迫ることにあります。この方法では常に被
写体との信頼関係を深めるための努力と時間が必要になるんです。
たとえば、撮影に3年かける場合も、最初の1年目は信頼関係を築くことに費やします。
その結果2年目にはマスコミが入れない場所への同行を許されるようになり、3年目
は逆にこちらから撮りたい場面の提案をしていくようになります。
ですからヒューマン・ドキュメンタリーポートレートは被写体との信頼関係が鍵にな
るので、どうしてもある程度の期間が必要になります。
       
  福永    なるほど、人間を撮る以上、コミュニケーションは大切ですからね。信頼を得ること
か大事なのは、一発勝負のポートレートも同じですよね。 
       
  蛭田    よくいわれるようにポートレートは、撮る側と撮られる側の共同作業。誠意と熱意を
伝えて、相手の協力を引き出すことができれば、思いがけない写真が撮れることもあ
ります。そういう写真は僕にとって“自分が撮った”というよりも、“生まれた”という
感覚ですね。そんなときは小躍りしたい衝動にかられます(笑)。 
       
  福永    蛭田さんの最近の著作は、写真集ではなく、フォト・インタビュー集としてまとめら
れています。写真同様、インタビューにも力を入れられている理由は? 
       
  蛭田    写真というのは、感じ取るイメージの世界。それだけでも十分魅力的ですが、ただ写
真だけではそこに写っている人物が日々何を考え、自分の人生をどう生きようとして
いるかまでは伝えることはできません。
人間をターゲットにする以上、僕は彼らの人生観や価値観、使命感をも明らかにして
いきたいんです。欲張りなんですね(笑)。たとえばポートレートの場合、相手に60
分の時間をいただいたら、撮影は最初の10分くらいで済ませ、残りの50分をインタ
ビューにあてています。 
       
  福永    インタビューよりも先に撮影を済ませるのはなぜですか? 
       
  蛭田    できるだけ余計な情報に左右されたくないからです。写真は理屈抜きで、動物的な感
覚で撮りたい。直前に情報が入ってしまうと、無意識にそれをなぞるような撮り方に
なってしまいますからね。 
       
  福永    先入観を抱いてしまうと撮りにくくなるというのはよくわかります。私も人物を撮る
ときは、初対面の印象を大切にし、自分の気持ちに正直になることを心がけています。
ところで蛭田さんは、ポートレートでは広角レンズをよくお使いになられますね。 
       
  蛭田    ほとんどがワイドです。“がっぷり四つに組んで撮りたい”という気持ちが強くあるの
で、そんなスタイルになるんです。ワイドレンズをつけて立ちはだかると、相手はカ
メラに威圧されて緊張します。
僕が期待しているのはそんなときの彼らの反応や表情なんです。
もちろん、ヒューマン・ドキュメンタリーポートレートでは、自分が影のような存在
になって相手にプレッシャーを与えない撮り方をしますが、ポートレートの場合は逆
に相手にカメラの存在を意識させたりもするんです。 
       
  福永    私も仕事で企業のトップにいる人たちを撮る機会がたびたびありました。でも30代の
頃は彼らを撮れなかった。カメラを構えてもなかなかシャッターが押せず、汗ばかりか
いていましたね(笑)。その理由をいま分析すると、若い頃は人間として未熟で自信がな
かったから、気後れしていたんです。
蛭田さんが各界の第一線で活躍する人に対して物怖じしなくなったのはいつ頃ですか? 
       
  蛭田    1年間スペイン語を猛勉強した後、1986年にスペインに一ヵ月半滞在して、スペイン
の芸術家を撮り出した頃ですね。
42人の芸術家に会い、短時間で写真を撮ってインタビューをした経験は、ポートレート
写真家としての僕の原点になっています。でも、『人間燦々』の最初の頃のインタビュー
テープを聞くと、僕の声が緊張で震えていますよ(笑)。
僕のカメラの前に立って下さる人たちは、僕の何十倍も何百倍もすばらしい業績を残さ
れている人たちです。本当ならその事実だけで気後れしてしまいますが、僕は「人間の
尊厳においては彼らと対等なんだ」と自分に言い聞かせるようにしています。
これもまた、ずいぶんいい加減な自己暗示なんですけれどね(笑)。じゃないと怖気づ
いちゃってとても撮影なんかできません。
もちろん相手を敬う気持ちは持っていますが、鋭角的な気持ちを失ってしまったら写真
なんて撮れません。 
       
  福永   蛭田さんがモノクロにこだわる理由を聞かせてください。 
       
  蛭田    人間の内面的な深みを表現しようとしたとき、それに応えられるのはモノクロしかない
と思うからです。
水墨画の世界で「墨に七彩あり」という言葉があります。墨の濃淡によって様々な表現
が可能であるという意味ですが、それと同じようにモノクロも光と影をつねに意識しなが
ら、白から黒へのトーンの移ろいの中で精神的なイメージの世界を表現できるんです。
カラーは色という情報が多い分、説明的になり表面的になる。 
       
  福永   現像プリントはご自分でやられている? 
       
  蛭田    もちろんです。現像からプリントまで、すべて自分でやってきました。なぜなら暗室ワ
ークによって、モノクロは、半分以上グレードアップするものだと考えているからです。
たとえば俳優の笠智衆さんのポートレートの場合もそうでしたがプリントの際、いろいろ
試行錯誤の末、現像液の中から笠さんの姿が浮かび上がったときは心底からこみ上げ
るものがありました。
こんな感動は、なんでも思い通りにできるデジタルの世界では決して味わえないもので
すね。 
       
  福永   今日はありがとうございました。 
       
       (誌面の記事のみ掲載)
       
 
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