新田ファンから見た『ダロス』
押井守演出/1985年作品
今更『ダロス』について。
て、今更過ぎぃ! しょうがないじゃん、今日観たんだから。
作った人達も20年越しでこんな素人に批評されるとは思うまい。

観たのは『ダロス スペシャル』とかいう全話を再編集したモノなので、話がかなりブツ切れで「なんだかな」と思わせてくれるトコロも多々あったが、まあ面白かったです。SF好きなので。
ただ製作された時代もあって、アクションシーンがみんな「金田パース」なのには閉口。あの動きはくどいよ。
金田伊功氏は参加してないというのに。
まあ流行ったからね〜、あの頃は。
押井好きな点から言わせてもらえば「ほう、なるほど犬かよ。しかも犬が紅い眼鏡かよ」とか、「兵器好きなアノ連中は単に薬莢飛び散らせたかったダケなのね」とか、微笑みながら(半分は苦笑いしながら)この当時からまきちらかせていた匂いを嗅ぎ取るコトが出来ました。

で、この作品の音楽を担当している新田一郎氏のファンとしての立場から『ダロス』を観ての感想ですが、『エリア88』やその他新田氏の楽曲によるどの作品よりも、劇中曲(BGM)における新田色が非常に強い印象を受けました。
もちろん、全て観たコトがあるわけではないので、私が観た中での話ですが。

私、子供の頃から『ゲッターロボ』が好きと言っているように、SFやSFっぽいモノが好きだったので(巨大ロボットアニメはSFか? という議論はちょっとこっちに置いといて)、音楽でSFマインドが感じられるポピュラーソングを探している時期が子供の頃ありました。
当時は沢田研二等の歌謡曲全盛の時代でせいぜいYMOが出るか出ないかな頃。(音楽史をひもといて書いているワケでは無く、全てうろ覚えな記憶ダケで書いているので細かい時代のズレに関してはご容赦ください。)
冨田勲の『惑星』では壮言過ぎて、YMOだと民族色が強過ぎる。
当時自分の中にあった「SF」というのは「スペースオペラ」のそれであり、もっと単純に面白く、単純にカッコよく、単純に楽しいモノなハズだった。
そんな時に見付けたのが新田一郎率いる『スペクトラム』だったのですよ。

その後、実は歌詞とか見ると当時思ってた程「SFロックなバンド」でも無かったんですが、それでもSF界では有名だった難波弘之氏との繋がりが見えたり、『夜明け<アルバ>』や『サンライズ』から受け取れるイメージにSFマインドが受け取れたりで、私の中ではスペクトラム≒SFと言った感じで好きだったんだなーと、この文書きながら、なんか改めて思い出してしまいました。
そうか、オレがスペクトラム好きな理由ってソレだったんだ。

で、『ダロス』に話戻すと、
そんなイメージもあってか、SFな話の『ダロス』は新田節の曲調が鼻に付くクセにそれが映像を壊していないので、小気味良かったです。

冷静に分析すると、実は(ファンだから敢えて言いますが)新田氏の映画音楽って音の厚みが薄い気がするんですよ。
音楽のコトはまったくの素人なので適当なコトしか言えないのですが、田中公平氏が「オーケストラの楽譜も書けないような人はアニメとは言え映画音楽をやるべきではない」と言ってた文を読んだコトがありますが、コレに近い意味合いなのではないかと。
そういう意味では新田氏よりどんぺいさんの方が映画音楽には向いているのかも知れません。『ナジカ』聴いたコトないですが。

映画音楽て、映画を観てて作曲者の個性が強過ぎても不自然だし、かといって個性が無かったら仕事も来ないしで凄い難しいと思う。
そういう意味では『エリア88』、『バリバリ伝説』と作品をこなして行く度に新田色を感じさせない作品本編の仕上がりになって行ってるので上手くなって行ってるのであろう。とは思える。
思えるんですけどねー。
でもねー、それじゃファンとしてはつまらないのですよ。
もっと新田色を全面に出してくれなくちゃあ。

だからこそこの『ダロス』は、新田色バリバリで、しかも作品の雰囲気を壊していない、際どいながらも絶妙なバランスの上に成り立っている、或る意味新田ファンとしては「買い」の作品かも知れない。と思う。
粗削りな原石とはきっとこういうコトを言うのだろう。

最後に。
いろんなコト書いてみたケド、結局は全てみんな「昔の話」なんですよね。
プロデューサー業もいいですケド、やっぱ新田さんには曲作ってもらいたいです。もう現役復帰は有り得ないのでしょうか?
お願いしたいモノです。減量とともに(笑)。

2003年8月21日