∀の癒し
めずらしく最近文章の本(マンガじゃ無い。という意味ね。)を読んでまして、
何かというと『∀の癒し』<富野由悠季 著/ハルキ文庫>。
……すみません(笑)。所詮そんなもんです。

御多分に洩れず、ご承知の通りオレも『ガンダム』好きな人間でして。
というより富野由悠季の作品群が好きなんですが。
とりあえず作品論的なものはまたの機会に回すとして、
ここで何が言いたいのかと言うと、オレ、富野氏の作品も好きなんですがその「作品の制作姿勢」がとても好きなんですよ。
なんていうか、屁理屈こね回しながら作っている様とか、全部自分で背負い(しょい)込み自滅して行く様とか。
凄く共感するものがあります。
いや、オレもそうだから(笑)。

真剣にモノを作ろうとすると、しかもそれが集団作業であった場合、どうしても他人との軋轢の中でやってかなきゃならなくなるワケで、自分の意見が100%通るなんてコトは有り得ないのですよ。
しかし、まがりなりにもそれが仕切る側の立場だった場合、ケンカしてでも意志を通さなきゃならない場合も多々あるのです。自分のプライド含め。
腰掛けのサラリーマン根性(気概も無く惰性で仕事してる方々のコトを指します。本気でサラリーマンやってる方々は含みませんからサラリーマンの方々怒らないでね。)でやってる奴らの尻を叩いてでも良いものを作らせなきゃならんのですよ。
目線の高さと言いますか。
やっぱモノを作るとなると高い目線で作らないと良いものは出来ないんですよね。
しかしそれを押し通そうとすると様々な軋轢が次から次へと生まれて来るワケです。
それは個人レベルでは「めんどくさいからそんなコトは出来ない」から始まり対外的には「お金も時間も無いから出来ない。」など様々。
なあなあでやればみんな楽に出来るのは解ってるケド、そんなモノにですらお金を出して買ってくれる人がいる事実を考えたら、なあなあでなんて出来るワケ無いじゃないですか!

とか、気概を持ってやっていた割りには、最終的にそこら辺の軋轢を上手く処理出来なかった自分の能力不足の為、
ま、今こうしてフリーで気ままなコトやっているんですが。

……と、何だか良くワケの解らないグチのような話になってますが、その『∀の癒し』という本は、富野氏のいわゆるエッセイ集なんですが、エッセイ集というよりははっきり言って「愚痴本」。
読めば読む程「あー、富野、オレと同じようなグチばっか言ってるよ。」と思えて仕方ありません。
富野氏の作品は好きなんですが、「こんなヤツ(富野氏本人)傍に居たら絶対ヤだなー」と思えるトコロまでオレそっくり(笑)。
オレみたいなヤツが傍にいたらオレもヤだと思えますんで。
好き勝手に当たり散らした挙句、自滅してるヤツなんて相手するのもヤですもん。
富野氏と一緒に仕事するコトがあろうモノなら(有り得ないですが)ケンカになるコト請け合いです。
やっぱ同じ蠍座のAB型だってーのがいけないのかな?

そんなセンシティブな所が災いしたのか、富野氏、7〜8年くらい前は精神的にも肉体的にもホントに壊れる(死ぬ)寸前まで行っていたようで、『∀ガンダム』を作れたというコトは、本当に富野氏の中で「癒し」になっているのだなと。
自分の力量や周囲の環境含めて、良い作品を作れるっていうのは、どんなに苦労があっても最終的には癒しになる。というコトなんでしょうね。

『∀ガンダム』は本当に良い作品なんで観たコトの無い人は観てください。
むしろ『ガンダム』を観て無い普通の人にこそオススメな作品です。
て、そんな普通な人はウチのサイトにゃ来ないって?
こりゃ一本取られましたな。

2003年5月1日