きみは自分を信じてあげられることができるか?
生命力あふれる10代や20代前半の頃は信じてる全ての事がかなうと思っていた。そりゃあ、認めてもらえなかったり思い通り行かない事ばかりだったけど、心の奥底の何処かでは絶対いつかは何とかなると思っていた。
「一生懸命やればなんとかなる」と。
だがね、やはり人間自分ひとりで生きているわけでは無いからどんなにがんばってもどうにもならない事ばかりなのだよ。
負けたり、あきらめたり、傷ついたり。
当たり前だけど「人生の勝者」ってのはごく一握りの人間達なのだからその何万倍も「負けた」までは行かなかったとしても「勝てなかった」人間がいるわけだ。
じゃあその「勝てなかった」人間達には生きる資格がないのか?
リストラに怯え、家族からは汚物あつかいされる親父達。
いじめに遭い、クラスの奴等からは人間未満の仕打ちを受ける子供達。
でもね、どんなに死んだほうがましな状況でも人として生まれたからは生きて行かなきゃならんのだよ。
何故って、死んでしまったら、本当に「負け」だから。
誰だって負けたかないだろ。
そんな時、何を信じて生きて行けばいいのか?
『原点』だとオレは思う。
っていうか、オレの場合そうだ。
人って弱いから、心の拠り所でもないと生きて行けない。
友人とか、恋人とか、家族とか、が拠り所になるのは当たり前だけど、その前にまず自分自身に自信を持つという力を手にいれなくちゃ。
子供の頃好きだったもの。学生の頃憧れていたもの。
幼い頃夢見てたものや、欲しくて欲しくてどーしようもなかったのに手に入れられず仕舞いだったもの。
少なくともそういった「憧憬」の念は自分にとってまぎれもない「本物」だったはずだ。
そして、それこそ誰に対しても決して負けることの無い絶対無比の力じゃないか! 違うか!
サッカー、マンガ、ジャニーズ、ヒーロー戦隊物、モー娘。、フィギュア、アニメ、スーパースター、野球、その他何だっていい。
あるだろう、きみにとって何かひとつくらい。
他人になんか莫迦にされたって関係ない。
自分が生きていくためだ、なりふりかまっちゃいられないじゃないか。
そしてオレの場合、それが『ゲッター』だ。
「自分て何だろう?」
よくそう考える。
何で今ここにこうしているのか。何でこんな仕事に就いているのか。これから何をしたいのか。
そして突き詰めてみるとそこには『ゲッター』があった。
「子供の頃ゲッターロボの絵やロゴとか落書きしてたよな。」
こりゃあもうグラフィックデザイナーになってしまったって事を、ある種あきらめるしかないだろう。
だって絵だけならまだしも<ロゴ>まで描いてるんだぜ!
普通のガキは<ロゴ>は描かんだろう。
いかりや長介の言うところの「だめだこりゃ」って感じだ。
それ以来『ゲッター者(もの)』であるということをオレのスタンスにするこにした。
ちょっと嫌な感じもするが。
もしかしたらかなり嫌な感じか?
でもさ、オレだって生きていかにゃならんのだ、支えになるものが欲しいのだよ。
いいじゃんか!!
それにしても最近の石川賢先生の凄まじき作品の質の向上やその活躍ぶりを見るにつけ、
「石川賢ファンでよかった。」と思え
「オレも負けてなるものか!」と思えるのだから。
それで良し! 全ては「全肯定」也。
どうかきみも、自分の原点を礎にし、負けないで欲しい。
追記: ただ、やはり世の中には「分相応」という言葉もある。
あまりにこっぱずかしいと思えるなら悪いことは言わん、他人にはないしょにしておけ。
自分の立場を危うくするかも知れないからな。
……オレの立場は、もうすっかり危ういのかも知れん。
こんなこと書かなきゃよかった。とほほ。