オシフィエンチム


 「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」。そんな大嘘が門に掲げてあり、周りは高電圧有刺鉄線で囲まれている。ここはオシフィエンチム博物館。「オシフィエンチム」と聞いてピンと来る人は少ないと思うが、「アウシュビッツ」と言えば世界中の人が分かるだろう。ここは、あのアウシュビッツ強制収容所が残された場所なのだ。オシフィエンチム市は、1939年にドイツ第三帝国に占領された。そして、それと同時に、ナチスはこの都市を「アウシュビッツ」という名前に変更したのである。


 左はベッド。一段に二人が寝る。中央はトイレ。右は射殺場「死の壁」。他に、収容所に監禁された人々の写真や衣類、荷物、その人々の髪の毛で作られた布、毒ガスの缶の山積み、監房、生体実験室、集団縛首台・・・  本当にこんなところが存在していたかと思うと・・・・ 正気では考えられない。


 収容所管理局長が収容所に入れられた人々に放った言葉。「お前達に出口は一つしかない。それは焼却炉の煙突だけだ。」
 ここがあの「ガス室」である。「シャワーの時間だ」と騙されて1度に2000人もの人々がここに入れられ、上から毒ガスを投入されて虐殺された。そして、灰になるまで焼かれ、敷地内の池に捨てられたのだ。


 本収容所から3キロ離れたブジェジンガ村にあるアウシュビッツ2号・ビルケナウ。正門と鉄道の引き込みの写真(写真左)は、誰もが一度は見たことがあるだろう。ヨーロッパ各地から貨車にギュウギュウに詰められて運ばれてきた人々は、ここへ到着したのである。かつてここには300棟以上のバラックがあった。写真右は木製バラックの中。


 写真左は終戦時の撤退の際、ナチスが自分たちの犯罪の跡を消すために破壊したガス室。右は慰霊碑。今後、二度とこんな事が起きてはならない。そう強く思った。


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