ドレスデン


 写真左はドレスデン駅。駅を出て、唖然とした。「え? ここ、ドレスデン? ドレスデンって、古くって、すごく良い街って言ってたよね?」と本当に目を疑ってしまうくらいだった。旧市街地へと続くプラガー通り(写真右)はドイツらしからぬ雰囲気。モノトーンの建物が整然と並び、味も素っ気もない。


 写真左は聖十字教会。ドレスデンでは最も古い教会のひとつだけど、第二次世界大戦の戦災を受け、現在の教会は戦後に再建されたもの。写真右は聖母教会。これも戦災によって破壊されて、近年まで廃墟のままさらされていた。現在再建中で、21世紀に完成予定。
 戦後55年の2000年2月13日、聖母教会に金の十字架がイギリスから寄付された。「軍事的に無意味だった文化都市への空爆に対して補償を行いたい」というイギリス国民の声が高まってできたドレスデン基金に寄るものだそうだ。日本はそういうこと、やっているのだろうか?


 ドレスデン城。ここも第二次世界大戦で大半が破壊されて、現在修復中。1945年2月13日に英米空軍によって総量3100トンの爆弾が投下され、約2万5千人の市民が犠牲になり、一夜にして廃墟になった。この街の復興活動が始まったのは、東西ドイツ統一後。その間、街は空襲で破壊されたままの姿だった。
 写真右の外壁の壁画「君主の行列」だけは奇跡的に無傷のまま保たれている。2万7千枚のマイセン磁器のタイルで出来ている高さ8m、長さ102mにおよぶ。戦災に遭っていなければ、本当に美しい街だったんだろうなぁ。


 エルベ河畔に沿って続く散歩道、ブリュールのテラス。ゲーテはこの散歩道を「ヨーロッパのバルコニー」と称賛した。


 アウグストゥス橋を渡って新市街地へ。この橋、東ドイツ時代には名前が違っていて、ゲオルギ・ディミトロフ橋と呼ばれていたらしい。他にも街の中には東ドイツ時代に使われていた統一広場、統一橋、解放通り、レーニン広場という名前から、東西統合後に名称変更、東ドイツ以前の名前に戻った名前がたくさんある。
 橋を渡った所にある公園で一休み。緑がいっぱいの並木道にはあちこちに花壇あり、ベンチありで、休憩にはもってこい!


 写真左はカトリック大聖堂。写真右はゼンパーオペラ座。バロック調の外観が素晴らしいが、中も素晴らしいらしい。残念ながら中には入れなかったが、テレビで見る限りでは、本当にゴージャスな装飾。今度はぜひ、ここでオペラを見てみたい。 


 ドレスデンを代表する後期バロック様式のツヴィンガー宮殿。これも戦災に遭い、現在の宮殿は、原型に忠実に再建されたもの。宮殿内には美術館や博物館があり、その中でも約2万点ものマイセン磁器が所蔵されている陶磁器コレクションはすごく興味深かったけど、休館日で入ることが出来なかった。残念。メチャクチャ残念。やはり、ドレスデン、復興後にもう一度来なければならないでしょう。 



△▲▽▼◇◆□■ 東欧の旅・総括 ■□◆◇▼▽▲△

 久しぶりに再会した親友のバーバラ&ダーリック夫妻。そして、初めてまわった旧社会主義の国々。これまで西側諸国を旅してきたのとは全然違う、「東」の匂いが強く漂う新鮮な旅になった。どの都市も、想像していたよりも遙かに美しく華やかだった。そして、心にズッサリと残ったオシフィエンチム。ドレスデンも2、3年後は素晴らしい街になっていることだろう。
 共産主義から解放され、まだ西欧文化の悪い影響を受けていない東欧。何年後になるかわからないけど、また訪れようと思う。その時には、今回まわった国々は、また違う表情を見せてくれるんだろうな〜。

 では、またそのときまで。元気でね、バーバラ。


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