10月4日(日)


街のド中心に大教会

 昨日よりもかなり暖かくなり、ひろちゃん&よしこは元気にベルリン旅行2日目に出発。ツォー駅を基点として、いろんな有名スポットを廻る予定だ。まずは、ツォー駅から歩いて5分足らず、つまりは街のど真ん中にある大きな教会、Kaiser-Wilhelm-Gedaechtniskirche(カイザー・ヴィルヘルム記念教会)。ビスマルクとともにドイツ統一を果たしたドイツ皇帝ヴィルヘルム1世をしのんで19世紀末に建てられたのだが、第二次世界大戦中の空襲により無惨に破壊され、その後も"無意味な破壊のシンボル"として、現在まで修理されずに残されている。その向こうに見えるのは、Europacenter(オイローパ・センター)。ここには高級店やカジノ、ホテル、レストランなどが集まっていて、たくさんの人でいつも賑わっている。屋上にはドイツ車の代表とも言えるメルセデス・ベンツのエンブレムが威風堂々とそびえ立っているし、下のカフェテラスでは、かつては、かのアルベルト・アインシュタインもコーヒーを飲んでいたという。


100番の路線って、"はとバス"か?

 この100番のバスに乗ると、ベルリン市内の有名スポットを順番に廻れるようになっている。このバスはツォー駅が始発・終着駅となっており、僕たちは、オイローパセンターの近くにあるベルリン動物園(Zoologischer Garten・右の写真)入り口前のバス停から乗車。ICEの到着するツォー駅も、この動物園の真ん前にあるということから来ている名前だ。僕たちは3日間乗り放題券を持っているので、どこで乗ろうが降りようが全くの自由。思いっきりフル活用することにした。ちなみに、写真はツォー駅前で下車したところ。バスが走り去る前に記念撮影をしようと思ったら、なかなか一般車が動いてくれず焦っていたところ、僕がシャッターを押すまで、運転手のおじさんは、ずっとバスを止めたまま待っていてくれた。見知らぬ外国人への思わぬ気配りに、大感激してしまったのであった。


勝利の塔の足下では・・・

 100番路線でまず下車したのが、Siegessaeule(ズィーゲスゾイレ・戦勝記念塔)。高さが67mあるこの塔の最上階展望台から、写真では見えないが、よしこが手を振っている。展望台の入場料金は2マルク(約150円)。僕は200mほど離れた場所から写真を撮るために、展望台には登らなかったが、よしこが上から姿を消して何分経っても帰ってこない。これは中で何かトラブルがあったかと心配していたら、「ひぃ〜ろぉ〜ちゃぁ〜ん〜〜」とかすれ声で、両手を横に上げてフラフラしながらやっと降りてきた。なんと塔の中は、地上から最上階まで全部らせん階段になっていたらしい。よしこは回転運動に極力弱く、すぐに目が回ってしまうのだ。その様子は、まるで「8時だよ!全員集合!」の前半戦で、落ちてきたタライに脳天を直撃されたチャー坊の姿を彷彿とさせる、絵に描いたようなヨタヨタ歩き。僕はイキナリの爆笑に見舞われ、体温が2度ほど上昇するのを感じた。
 で、この場所で、もっと興味深いものを発見。右の写真、一体、何の写真でしょう? 実はこれ、一種のバイトのようなもの。若い二人組が、交差点に赤信号で止まった車に「窓を掃除しましょう」と笑顔で話しかけ、客が少々断っても強行洗浄を行ってしまうのだ。で、信号が青になるまでにフロントガラスを拭き終わり、気のいい客からチップを貰うという超力技。ほとんどの客は、「やられたなぁ・・・」なんて顔をしてコインを渡していた。これって、1時間もやれば1人当たり40台くらいからチップが貰えるから、それだけでも数千円の稼ぎになる。すごい猛者どもだ。ただ、一回だけ、30歳くらいの女性ドライバーから、「私の車に触るなーーっ!!」と、も〜んのすごい剣幕で怒られ、さすがに彼女からはチップはゲット出来なかった。あと、さすがに路線バスからチップを貰おうなんて無謀な考えは持っていなかったようだ。


むむ? こ、これって・・・・!?

 それから再びポツダマープラッツへ。この辺りも相当開発が進んでいるが、9年前までは壁がちゃんとあったはずなんだよなぁ・・・・ 「"昔、壁はここにありました"マップ」と照らし合わせてみても、まさにこの辺なんだよなぁ・・・ あれ? 工事中の柵の中に、よく見えないけど、あの中にかすかに見えるのって・・・・ ま、まさか!? なんとーーーーっっっ!!!???


これぞまさしく"壁"だっ!!

 あった、あった、ありました〜〜〜〜〜いぃ!! なんやぁ、まだあるやんかーーーー!! 生"壁"! これは正真正銘、ちゃんと昔の地図通りの場所に現存するベルリンの壁ざぁますがなぁ〜〜! 大興奮! 工事中の柵とビルの間にあるわずかな隙間から入り込んで、僕もよしこも触りまくった。すると、それに気づいた他の国からの一般観光客も、「あ、いいなぁ、俺も!」と柵の中に進入してきた。ちょっとした人だかりが出来たので、警察でも来たらコトだと思い、ひろちゃん&よしこはソソクサと退散。でも、本物の場所で本物の壁に触れたので、超感激だった。もしやと思い、来てみてよかった・・・(涙) それにしても、この壁。あたりには、かなりの部分が壊されて、瓦礫の山が出来上がっていた。このわずかに残った部分も、間もなく取り壊されるのだろう。まあ、開発する側にとっちゃあ、すんごく邪魔だもんね。とりあえず、壊される前に触れてホントによかった。


やっぱり日本人が一番危なそう?

 生壁に触れた興奮も醒めやらぬ内に、地下鉄でさらに東部へ。すると、ドアのガラスにサインが張ってあった。なになに? 「すりにご用心!」(ピンぼけで読めません。すみません。) あらら〜、わざわざ日本語で書いてあるよぉ〜。やっぱりここでも日本人が一番狙われやすいんだなぁ・・・・ なんか恥ずかしいな。でも、せっかくのご厚意。気をつけましょう。


東の中心・アレクサンダープラッツ周辺


 東の中心地、Alexanderplatz(アレクサンダープラッツ)近辺。地下鉄駅から地上に出ると、まず目に付いたのが、周辺のビルの垢抜けなさ。西地区にある華やかさが、ここには全くなかった。モロに社会主義国家だった頃の、見た目にお金をかけずに機能だけを重視したといった淡泊なカンジがヒシヒシと伝わってくる。そんな中にも、観光客の目を引きつけてしまうスポットは幾つかある。左上は、赤の市庁舎(Rotes Rathaus)。この"赤"には2つの意味がある。一つは赤い焼きすぎ煉瓦で出来ていること。そしてもう一つは、共産主義のイメージカラーである赤。中央上は、テレビ塔(Fernsehturm)。高さ365mで東京タワーよりも高く、地上203mに展望台もある。そしてその足下にあるのが右上、東地区の交通拠点であるアレクサンダープラッツ駅。左下は、駅前のアレクサンダープラッツ(Alexanderplatz)。ここは旧東ベルリンの繁華街の中心であったが、今は大工事中で、その晴れやかさは見る影もなかった。そして、右下の写真。これは廃墟ビル。ガラスは所々割れていて、現時点では入居者ゼロ。このビルが何処にあるかというと、なんとアレクサンダープラッツ駅の真正面にあるのだ。考えられるだろうか? 駅前の一等地に廃墟ビル。現在、大手術の真っ最中であるベルリン東地区の象徴だと、僕は思った。


名門・フンボルト大学で売られていた過去の魂

 ここはフンボルト大学(Humboldt Universitaet)。1810年、言語学者ヴィルヘルム・フンボルトにより創設され、童話で有名なグリム兄弟や、天才アインシュタインらを輩出した名門校。河野博士も、一度は立ち寄っておかねばなるまい。で、校門を入ると古本市が開かれていた(中央の写真)。もちろん全部ドイツ語なので、物理や化学の教科書もあったが、買う気にはなれなかった。そんな中、珍しい物を発見(右の写真)。これはFDJのメンバーが持っていた手帳。FDJ(Freie Deutsche Jugend・フライエドイチェユーゲント)とは、ロシアで言うところのピオニール、つまりは共産主義版ボーイ&ガールスカウトだ。ただし、普通とは規模が違う。ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)に住むほとんどの少年少女が参加を義務づけられた大集団のことである。全員が青色のズボンやスカートを着て、市内を大行進するシーンをテレビで見たことがある。写真上は手帳、写真下はFDJの憲章だ。憲章には、こんなカンジで書いてある。「我々ユングピオニーレは、祖国東ドイツを愛します。我々ユングピオニーレは両親を愛します。我々ユングピオニーレは・・・・」 そんな中、こんなくだりもある。「我々ユングピオニーレは、ソビエト連邦の子供達や国民との友情を重んじます。」やっぱり東ドイツは、旧ソ連の子分的存在だったんだなぁと実感させられる一文だ。そして、この当時の少年達は、社会主義国家である自分たちの国に誇りを持ちながら、胸を張って大通りを行進していたに違いない。その姿、思想統一の様は、まさにナチスさながらだ。東ドイツは、ヒットラー時代の忌まわしき過去から、一体全体、何を学んだのだろう・・・ そして、当時の少年達は、今では自由主義国家ドイツの国民という訳だ。彼等はあの当時のことを、どう振り返るのだろうか?


ペルガモン博物館

 フンボルト大学のすぐ東側に、博物館の島と呼ばれる中洲がシュプレー川(Spree)に浮かんでいる。この一帯には、先ほどの荒涼としたビル地帯とは異なり、伝統や歴史を感じさせるアカデミックな雰囲気ムンムンの建造物が並んでいる。その中でも一際大きいのが、このペルガモン博物館(Pergamonmuseum)。ペルガモン王国(現在のトルコ、ペルガマ)の遺跡で発見された紀元前2世紀の大神殿が再現されている。写真中央の遺跡も高さが10m以上もあり、どうやってここまで運んできたのかと目を疑うばかりだ。この日は日曜日ということで、入場料がタダだった。また、有料のレンタルサービスを受けると、右の写真にあるように、日本語による説明が聞ける電話の受話器型をしたボイスマシーンが利用できる。遺跡の横に表示されている番号をプッシュすると、その展示物に関する"メチャメチャ"詳しい説明が流れてくる。ただ、一つの説明が軽く10分近くあるので、全部の説明を聞こうと思ったら、マル一日をこの博物館の中で過ごす覚悟が必要となる。ひろちゃん&よしこは、3点ほど説明を聞き終わったところで頭痛がしてきたので、適当に眺めて外に出た。


さらばベルリン、また会う日まで

 あたりは既に暗くなり始めていたので、再び100番バスでツォー駅へ戻り、ハノーファー行きのICEへと乗り込んだ。19:13発だったが乗車率は100%を越えており、一番最後に客車に乗り込んだ僕たちは、ちゃんと席を予約していたにも関わらず、通路にごった返す立ち乗りの客に遮られて、最初の10数分は自分たちの席へたどり着けずに立ったままという憂き目に会った。ベルリンは寒かったが、僕の心は、ブランデンブルク門、そしてベルリンの壁にじかに触ってこれた満足感で一杯だった。華やかな西地区と発展途上の東地区。明瞭なコントラストが非常に印象に残っている。次に僕たちがベルリンを訪れるのはいつになるだろう・・・ その時には、首都ベルリンは、また全然違った顔をしているに違いない。
 では、再び会う日まで。さらば、ベルリン。


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