「シュートは必要か

 

     シュート、と言っても、サッカーにおける得点手段を論じるつもりはない。高校野球
    についてです。
     シュートは変化球の一種で、手首と肘を身体の内側に捻って投げる。すると投じられ
    たボールは投手の利き腕と反対方向にスルスルと横滑りしてゆく。いわゆる「ヨコの変
    化球」の仲間ですね。スライダーとは逆の方向に変化するのです。
     ご存知の方も多いとは思いますが、例えば右投手が右打者にシュートを投じた場合、
    ボールはバットの根っこ目掛けてクイッと曲がるので、打球を詰まらせ内野ゴロを打た
    せるのに有効である、と一般的には言われています。ヤクルトの川崎憲次郎投手や横浜
    の斎藤隆投手が得意としていますね。東尾修(現西武ライオンズ監督)もそうでした。
     しかし同じ「ヨコの変化球」でも、スライダーと違って肘から先を「身体の内側に捻
    る」のだが、これが甚だマズい。そういう動きをするようには、ヒトの関節機構はでき
    ていないのです。したがって、シュートを多投するピッチャーには絶えず故障の影がつ
    きまとう。肘を壊しやすいのです。東尾監督が松阪大輔にシュートを教えない理由も簡
    単に想像できますね。そりゃ逡巡して当たり前。期待の超新星にわざわざ故障しやすい
    変化球を伝授するわけにもいかないでしょうから。
     ただ、このシュート、投げる投手が少ないということは、即ちそれだけ必殺の武器と
    しての値打ちも高いということでもあるのです。希少価値というやつですね。だから野
    球界から絶滅することなど決してなく、シュート・ピッチャーの系譜は球史に連綿と受
    け継がれています。
     すっかり前置きが長くなりました。
     連日熱戦が繰り広げられている第82回全国高校野球選手権大会10日目の第3試合、
    東海大浦安(千葉)―日大豊山(東東京)は、互いの投手が要所要所でシュートを投げ
    合う、何ともそら恐ろしい試合でした。
     特に東海大浦安の浜名翔投手(3年生)。ピンチになれば気合の乗った切れ味鋭いシ
    ュートを打者のインコースへ続けざまに投げ込むのです。危険だ。何が危険って、投げ
    てるキミの肘がだよ。私はそう胸の中で呟きながらテレビを観ていたのですが、でもね
    え、いい球放るんですよ。川崎や斎藤隆や現役の頃の東尾を彷彿とさせる、素晴らしい
    シュートを。ドデカいの一発食らったけど、まあそんなこともあるでしょう。相手の打
    者も必死だからね。しかし何回だったか、ツー・ナッシングから4球連続でシュートを
    投げたのには驚きました。まさに「捨て身」という言葉がしっくりくる、悲壮な決意さ
    え感じさせる投球であったように、私には見受けられました。
     そんな浜名投手の果敢なピッチングに見惚れていたわけですが、でもそこで、高校生
    がシュートを多投する理由は何だろうかとふと疑問に思ったのです。プロでもうかつに
    は手を出さない変化球ですからね。他にあまり肘に負担のかからない、カーブやスライ
    ダーを磨けばいいのに、と。
     いろんな変化球の練習をしてみたら、シュートが一番投げやすかった、あるいは鋭く
    決まった。どうやら自分に合っているらしい。だから使うことにした。これが動機とし
    ては最も強そうですが、動機はあくまで動機です。多投する理由ではない。それに、学
    生とはいえ投手がシュートの故障率の高さを知らぬはずはないでしょうし、仮に本人が
    知らなくとも、チームメイトなり監督がそのリスクについて教えるはず。だが、それで
    も投げる。投げるのをやめようとはしない。何故か。
     勝ちたいからだ、と言ってしまえばそれまででしょう。負けたくなきゃあ勝つしかな
    い。勝負の世界の掟は厳しく、常にシンプルです。勝者と敗者しか生みださない。そ
    りゃきっと当人たちだって、力のあるストレートでグイグイ圧すピッチングが出来るの
    ならば、変化球やら、ましてやシュートなんぞに手を出したりはしないでしょう。でも
    怪物と呼ばれるほどの力を、少なくとも今はまだ持ち合わせていない。だから、勝つた
    めに仕方なくシュートを放る。この「仕方なく」というのが悲壮感を多分に含んでいる。
     勝利を掴むために努力を重ねるのはいい。大変結構なことです。心身を鍛え、同時に
    技術の向上も果たせれば、文部省や高野連だってさぞかし喜ぶことでしょう。けれども、
    わざわざ肘を壊しやすい種類の変化球を、しかも身体的に発展途上な高校生が、「仕方
    なく」習得せざるを得ないというのは、あまりに悲しいじゃないですか。
     勝ちたい気持ちはよくわかります。優勝への道程は、プロのペナントレースと違い、
    ひとつ負けた途端に閉ざされてしまう険阻な道ですものね。わかっているつもりです。
     しかしながら、リスクを背負って一心不乱に練習するのはいいとしても、リスクその
    ものには何の意味もない。虎穴に入らずんば虎児を得ず、というが、虎穴には必ずしも
    虎児がいるとは限らないのです。リスクを恐れるな、という敢闘精神も結構ですが、要
    は虎児をゲットできればいいのです。わざわざ虎穴に入る必要はない。別の手段を講じ
    ればいい。リスクを恐れないことが目的ではありません。さらに言うまでもなく、リス
    クなど無いに越したことはないのです。
     あるいは、高校生ピッチャーが危険を承知でシュートを習得することを、周囲の期待
    が精神的に支援している可能性もある。例えば、チームメイトや監督なんかが、「次の
    試合は絶対勝つぞ。ただし、シュートは放るなよ。お前のためだ。でも勝ちたいなあ」
    なんて言う。友人や家族や親戚から「頑張れよ」と何気なく声を掛けられる。その一言
    一言が、若いピッチャーを奮起させると同時に憔悴させ、無理を強いる。とにかく何が
    なんでも勝たなきゃいけないと決意させる。強くなるために、長い野球人生の過渡期で
    あることも忘れて、肘関節にどんどん負荷を与えてゆく。
     周囲の期待の重さに耐えられるほど、十代の青少年の肘は頑丈ではないでしょう。易
    々と壊れてしまうかもしれない。そしてもし壊れてしまったときに、いったい誰が責任
    を取ってくれるのでしょう?一本しかない利き腕が悲鳴を上げたとき、誰が助けてくれ
    るのでしょう?自分の身は自分で守れ、と言い放つのは簡単ですが、十代の未成年にそ
    れを強要するのは酷な話です。
     もっとも、シュートを投げれば必ず肘を痛める、というわけではありませんし、グラ
    ウンドの外でだってケガをする機会はゴロゴロ転がっています。青信号で車にハネられ
    るかもしれないし、ケンカを売った相手が悪くて大ケガしちゃうかもしれない。だから
    ケガをするときはするもんだ、そんな極論も否定することはできません。
     けれども、できる限りリスクを排除する努力を怠ってはいけない。少なくとも、チー
    ムの勝利のために「仕方なく」危険な変化球を習得させるような環境を作ってはいけな
    い。諸々の危険性の芽を丁寧に摘み取って、青少年の若い肉体と精神にかかる負荷をな
    るべく取り除いてやる必要は常にあります。
     ……何だか政府広報みたいだけど、つまりはルールを作る必要があるということです。
     具体的で実際的な方法として、高校生のシュートの練習と使用を禁止する方法もある
    でしょう。他のスポーツに例をとれば、剣道は、危険だという理由で、中学生以下の
    「突き」の使用を禁じています。危険という意味ではシュートだって同じです。相手を
    ケガさせるか、投げた自分がケガをするかの違いだけです。それから、校医とは別に、
    運動生理学に精通したトレーナーを各学校の野球部に配属するべきだと思う。日々健康
    状態をチェックして、無理のない練習メニューを作り、故障を未然に防ぐ。こういうケ
    アが、あるいは一番大事かもしれません。
     まずは、高野連と文部省が、ピッチャーの肘の健康度の追跡調査を厚生省に依頼する
    ところから始めましょう。始めましょうって、ここで言っても埒があかないんですけど
    ね。調べてみて、驚愕のデータが出ることだって考えられます。テニス肘の例もありま
    すからね。
     とにかく高野連と文部省にはできる限りのシステムを整えて欲しい。システムが万全
    でないから、問題は現場に委ねられ、故障するリスクは個人に押し付けられてしまう。
    高校野球部を統括する以上、派生する当たり前の責任を果たして欲しいのです。さもな
    くば、統括するなと言いたい。責任を放棄した責任者に責任者面されるのは、当の高校
    生たちだって厭でしょう。うっとうしいだけです。
     繰り返すようですが、勝つために精進することは大いに結構なのです。そのために必
    要な、競い合いための器である高校野球選手権大会も、どんどん盛り上がって欲しい。
    ただ、そのために、わざわざ巨大なリスクを背負わせ、未発達な身体を酷使させるのに
    は賛成できません。「酷使させる」というと、まるで当の高校野球部員の主体性を無視
    しているような印象を与えるかもしれませんが、彼らは法的にもまだ被保護者であるわ
    けで、高校野球が部活動の一端である以上、必然的に学校と文部省にその責任が問われ
    るということです。だから野球部員の健康を第一に考えて欲しい。目先の勝利を引き換
    えに野球少年の将来性を永久に奪うような指導だけは、何としても避けてもらいたい。
     チームの勝利を目的と設定し、それを得る手段としてシュートを覚える、試合で投げ
    る。この目的と手段のあいだに合理性はありません。あるのはただ、チームのために貢
    献したい、あるいは勝ちたいという強い気持ちだけです。しかしながら、気持ちで肘を
    守ることは不可能なわけで、だからこそ、これからずっと続くであろう野球人生に致命
    的ダメージを与えずに、個々に鍛錬してもらうための環境作りが求められて然るべきだ
    と思うのです。
     良い環境で、じっくりみっちり鍛えて欲しいものです。高校野球の技術向上ならば、
    われわれ野球ファンにとっては大いに歓迎するところですから。シュートなんかなくて
    も野球は楽しいのです。

                            2000.8.19