「北鎌倉紀行」

 

 

     ちょうど一週間前になりますか、二月で唯一の三連休がありました。建国記念日のお
    かげですね。別に建国を祝う習慣も趣味もありませんが、祝日ならば何でもありがたい
    ものです。私もその余禄にあずかり、長年胸のうちで密かに温めていた、北鎌倉の古刹
    巡りを敢行してまいりました。
     藤沢駅から
JRでふた駅のところに北鎌倉駅はあります。私が訪れた日は抜けるような
    青空がひろがる文句なしの快晴でした。そんな小春日和に誘われ、電車を下りてすぐ
    ジャケットを脱ぎました。プラットホームまで押し寄せてくるような山の緑が目にも鮮
    やかです。民家の庭先にさりげなく、本当にさりげなく植えられた白梅や紅梅も、穏や
    かな気候に誘われてか、見事な花をつけていました。完璧と形容できるくらいの枝の張
    り具合に、つい足を止めて見入ってしまうほどでした。
     最初の目的地は建長寺。臨済宗建長寺派の総本山で鎌倉五山第一位、正式名称は巨福
    山建長興国禅寺(こふくざんけんちょうこうこくぜんじ)だそうです。そういえば、船
    戸与一氏の意欲作『蝦夷地別件』の登場人物のひとりが、このお寺出身の禅僧だったっ
    け。北の地に療養所を建設しようと願う若い純粋な禅僧でした。梅の花がほころぶ鎌倉
    の初春の風景は、彼のそんな淡い希望を映しているようだな、などと思い巡らせなが
    ら、北鎌倉駅からニキロメートルほどの道程を進みました。
     総門をくぐると、何ともいかめしい三門が見えてきます。見えてくるというよりむし
    ろ眼前に迫ってくるという感じ。重厚な寄棟造りの屋根が視界いっぱいにどかんと居座
    り、それを八本の柱が支えている。山門は四本柱(四脚門)が一般的なのですが、さす
    がにその倍の数の柱が必要だったようですね。長い年月を沈黙とともに耐えてきたこの
    建造物は、来訪者の入山を拒むようでもあり、重い口で何かを語りかけてくるようでも
    ありました。私は下からおそるおそる覗きこみながら、この門をくぐりました。ちなみ
    に、寺の門は「山門」と呼ばれることが多いのですが、禅宗では「三門」と呼ぶことが
    多いそうです。三門とは、三解脱門の略称で、悟りに入るための三つの門を意味してお
    り、その下を通ると心が清浄になるといわれているとか。なるほど、るるぶって結構役
    に立つなあ(笑)。
     梵鐘見物はそこそこに、つぎは仏殿へ足を運びました。屋根のすそが反りかえった禅
    宗様式のこの建造物は、残念ながら創建当時のものではなく、火災で消失した後、
    
1647年に崇源院の霊廟を移築したものだそうです。桃山風を伝える江戸初期の華麗な装
    飾が施され、国の重要文化財に指定されているのですが、確かに三門ほどの威容はあり
    ません。ちょっと軽いかもな、と思いました。消失が心底悔やまれます。戦禍と炎の時
    代が嵐のように過ぎ去り、悠久の静寂を取り戻した今でさえ、鎌倉を揺るがした激動の
    歴史がその爪痕を遺している。度重なる火災を生き抜いてきたというビャクシンの巨木
    が、仏殿の前で枝を広げ、地面にそっと影を投げかけているのが印象的でした。
     唐門を通り抜け、方丈を過ぎると、山の奥へと向う緩やかな上り坂がありました。パ
    ンフレットによると、その先の山腹には建長寺の鎮守府があるらしい。鎮守の名は半僧
    坊大権現。写真に収められた天狗の姿が何とも異様です。でも、どうしても惹かれてし
    まうのです。恐いもの見たさでしょうか。石畳を踏みしめ、まだ眠りから醒めない桜並
    木を約三百メートルばかり進み、険しい石段をひたすら登りました。その数なんと
    245段。なんでスニーカーを履いてこなかったのだろうかと何度も思いながら、頂上
    に辿り着くと、ありましたありました、灰色の翼を広げた半僧坊の石像が。お伴の天狗
    やカラス天狗を従え、眼下の建長寺を睨みつける様はなかなかの存在感があります。
     半僧坊大権現は、明治23年(
1890)、当時の住職貫道禅師が静岡の秋葉山方広寺か
    ら勧進したもので、火災除けや福寿増長のご利益があると、今も庶民の信仰を集めてい
    るそうです。なるほど、何か力を秘めていそうな雰囲気があります。空気がひどく澄ん
    でいるせいかもしれません。
     半僧坊の投げかける視線につられるように振り返ると、抜群の眺望が広がっていまし
    た。生い茂る緑と、その枝や葉の間から覗く豆粒みたいな建長寺境内に点在する建造物
    の屋根、そして海――。一気に階段を登った疲労も吹き飛んでしまいます。さっきまで
    間近に迫りしげしげと見つめていた古刹を、鎌倉の山腹から一望するのは、なかなかの
    贅沢です。半僧坊のお伴になって、天狗の翼を手に入れたような気分になります。この
    高揚感を味わいたくて、険しい石段を登ってきたのかもしれません。陽光を映してきら
    きらと輝く由比ガ浜や稲村ガ崎を、私は目を細めて長い間眺めていました。
     ところがです。鎮守府の後ろにはまだ、山頂へ続く道があるじゃあないですか。パン
    フレットを見てびっくりしました。天園ハイキングコースなるものが、まだ延々と伸び
    ているのですよ。急に足が重くなりました。勘弁してください。革靴だし。そりゃ無理
    です。出直します。
     建長寺を後にして、私は、明月院と円覚寺を訪れたのですが、ちょっと長くなりまし
    たので、そのお話はまたの機会に。ただ、どちらも建長寺に負けない、なかなかの名勝
    だったことを付け加えておきます。ちなみに円覚寺では、野性のリスを間近で見る機会
    に恵まれました。灰色の冬毛におおわれたふわふわの小さい体と、丸くて愛らしい目が
    忘れられません。
     最後になりましたが、密かな念願だった鎌倉散策が叶ったのは、邯鄲虫さんのアトリ
    エを訪れる機会があったからであり、絶好のタイミングでお招きいただいた邯鄲虫さん
    と、充実した連休をプレゼントしてくださった皆様に、心より感謝の言葉を贈ります。
    
Qさん、工藤さん、三月さん、そして邯鄲虫さん、ありがとうございました。

2002.02.17

        参考資料 : 「るるぶ’02 鎌倉を歩こう」