第35回壷井繁治賞 | ||||||||||||
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受賞のことば 〈村〉から世界への架橋 久保田 穣 このたび、詩集『サン・ジュアンの木』にたいして、第三五回壺井繁治賞をいただくことになり、驚きとうれしさでいっぱいです。選考委員の方々に心からお礼を申しあげます。 私は一九四一・昭和十六年、小学校から国民学校と呼び名の変わった学校に入学しましたが、この年の十二月にアジア・太平洋戦争が始まりました。新制中学一年のとき、「あたらしい憲法のはなし」という文部省著作が手渡されました。そこには二度と戦争はしない、と書いてありました。 新制高校に入学した一九五〇年六月、朝鮮戦争が起き、原民喜は「人類はまだ戦争という愚行を繰り返すか」との言葉をのこし、翌年三月、自死しました。この原の言葉は以後の私の意識の底に錘のように沈んでいます。 このような激動の時代のなかで私は教師の仕事を始めたのでした。私の周りにはすぐれた教育の仕事をしている教師がたくさんいて、学ぶことばかりでした。特に養護学校の勤務では子どもたちに多くを学びました。私の今までの詩の生まれた現場でした。 三十八年間勤めた教育の現場を離れ、今まで住んでいた町から山村へ移り住み、十三年が経ちました。詩集『サン・ジュアンの木』の作品の生まれた詩の現場です。地域としての〈村〉から世界へ、というささやかな願いです。 かつて黒田三郎さんが「詩人という名によって避けられる社会現象は何ひとつありません」と書いています。霧の風景のなかに戦火に追われる子どもたちの姿が浮かんできます。 受賞作品抄 |
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『サン・ジュアン』の木より |
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