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 下鴨・相国寺・寺の内           
下鴨神社  神社を取り囲む一帯の森を「糺の森」とよぶ。正式には「賀茂御祖神社」と言う。京都で最も古い
             神社のひとつ。 南東にある料亭「下鴨茶寮」は値段は高めだがたまにはいいかも。 それより神社の
             西の「賀茂みたらし」はおすすめ。 境内自由
 無礙光院  「むげこういん」と読む。  本堂は京都府第三代知事の邸宅。明治時代の京都の画壇の重鎮「岸竹堂」
            の襖絵が42面、障子腰絵が30面ある。 非公開
   光福寺   豊臣秀吉が鷹狩りの帰りに立ち寄ったという寺。 秀吉が藤吉郎時代のめずらしい肖像画がある。非公開
   知恩寺  別名「百万遍」ととばれる。 鎌倉時代末期に疫病がはやったとき、当時住職だった善阿上人が百万遍の
            念仏をとなえると悪病が衰えたといういわれがある。 境内自由 
  上善寺    浄土宗知恩院末の寺院。加茂川の西、天寧寺のすぐ北に位置し、境内は外の喧噪を感じさせない静かな
            境内である。 皇室ゆかりの寺といわれ本尊は「行基菩薩」作の「阿弥陀如来」。境内には「鞍馬口地蔵」
            と呼ばれ京都六地蔵のひとつに数えられる地蔵堂がある。 公開
 天寧寺  天寧寺を訪ねる時は「額縁の門」といわれる山門に注目したい。 門の柱を額縁に見立て、右手に鐘楼、
      中程に樹木の植え込み、向こうには比叡山が見え、あたかも額縁の絵を見るようだ。 非公開
 阿弥陀寺   織田信長ゆかりの寺。本能寺の変に当時の住職「清玉上人が」信長の骨灰を集めて埋葬したという。
            信長の本廟がある。 非公開
 本満寺  相国寺の東に位置する日蓮宗の寺。「本願満足寺」と号していたが。現在の寺号はその略称である。
            山内山中鹿之助の墓がある。  また開山の愛用の品と伝えられる夢を食うという「獏」の像が什宝と
      して保蔵されている。公開
 御霊神社   応仁の乱のとき西陣の山名宗全に対して室町幕府管領畠山政長がこの地にたてこもって戦ったといわれ
      る東陣があったところである。  広大な神領はかっては倍以上あったといわれる。 境内自由
   
 相国寺    夢窓国師を開基とし、足利義満が10年の歳月を費やして建立したが、応仁・天明の大火で消失した。
            京都五山の第2位に列せられたほどの名刹。 豊臣秀頼再建による法堂や方丈、庫裡などが貴重な建築物
           として残っている。 塔頭も多い。 境内自由。 堂塔内は20名以上の団体のみ可。見所多い
  瑞春院    直木賞受賞作水上勉の「雁の寺」の舞台として有名。 庭園は二つあり、南庭は「雲頂庭」といい石組み
           を主景としる枯山水。 北庭は「雲泉庭」といい夢窓国師の作風を取り入れた池泉式庭園。 上官の間襖絵
           の上だ萬秋の描いた雁の絵」は有名。 非公開
 大光明寺   相国寺の塔頭。 庭がいい。 表門と中門の間にある「峨眉山の庭」が有名だが、方丈前庭の「心字の庭」
            のほうがいい。 この方丈庭園は私の好きな庭の一つ。 足利義尚の遺品が多い。 非公開
  慈照院    相国寺の塔頭。 足利義政の菩提寺。 足利義政や皇室ゆかりの宝物が多い。 庭は白砂と苔と老松の美しい
            枯山水。 非公開
  普広院    相国寺の塔頭。 足利義満が相国寺九世「観中中諦に帰依して建立した「乾徳院」が前身。 1441年
      足利義教の菩提寺となり、その法号をとって「普広院」と改称。天明の大火後1848年の再建。非公開
 光源院  相国寺の塔頭。 本坊の南に位置し、1400年くらいに創建した「広徳軒」が前身。足利義輝の菩提寺
      となり、改称。 義輝の肖像画を所蔵。 非公開