99山口100萩往還マラニック参加記

(1999年5月3〜4日 森西正夫)

〜 天はわれに味方せず 〜

5月3日(金)午後6時山口市の名刹、瑠璃光寺をスタート、上郷へ向かう。スタート30分後から雨が降りだし、午後7時ごろからは本格的な降雨。風も尋常な吹き方でなく、足元から巻き上がるような吹き方であった。
ウエストポーチに挟み込んでいたウィンドブレーカーをいつのまにかなくしてしまった。(多分スタートから1時間以内のうちに)

一緒に走ったのは岩国市役所の藤本浩志氏、大崎氏と広島県三次市の住田君(18歳)。
上郷を折り返し、再び山口市内へと向かう。山口から防府へは交通量の多い国道沿いの単調な道。瀬戸内海が間近な防府の三田尻御茶屋跡を折り返し、再び山口へ。

風雨は強まるばかり、結構交通量の多い国道。真横を突っ走るトラックは遠慮会釈なしに、頭上から撥ねを浴びせ掛けていく。薄いビニールでは防ぎきることができなくなってきた。身体の上下ともびしょぬれ状態。体力の低下とともに身体が冷えてくる。約20〜30キロごとにもうけられているエイドステーションでは、20〜30分も休憩しからだをあたためざるをえなかった。
大崎氏もいつのまにかメガネを失ってしまう。 ランというよりも苦行をやっているというほうが似つかわしい。

真夜中1時過ぎに、三田尻を折り返し(ここまでで、42.6キロ)。
雨は止みそうになく、雨脚は強いまま。最後尾のスタートではあったが、三田尻折り返しあたりから、ランを中止し、歩いているランナーを見かけるようになる。

前回もそうだったが、防府?山口のコースは単調で苦しさが増す。 ペースが落ちた大崎氏を藤本氏がサポート。私は住田君とペアラン。三田尻からは宮崎県の稲田氏(旭化成)が私たちに加わる。  
無口な2人に対して、しゃべりまくりの私。しゃべっていたほうが、わたしは気がまぎれる。

山口市街の入り口付近で、歩道の端が段差になっているのに気がつかず、足をぐねってしまう。
痛みはひどくないものの、降り続く雨の中で『意気消沈』。
山口市街に入り、『迷い子』状態になる。地図を見ても、自分たちがどこにいるやらさっぱりわからず、結局2キロほどのロス。

エイドステーションの山口福祉センターには、4日午前4時15分に到着。センターの中は「野戦病院」さながらの状態。顔見知りのランナーも毛布に身体を包んで身体をよこたえている。10分・20分と時間が経過していく。外の雨は降り止むどころかますます勢いを増しているようだ。萩往還入口から引返してきた人もいるらしい。往還道は雨でひどい状態らしい・・・「リタイア」を決意。雨中の10時間走が終わる。

「来年はどうするの?」って・・・もちろん行きます。

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