秋の2大マラソン特集
東京国際女子 福知山


★★ 東京国際女子マラソン ★★

澤村佐登美 (39) 3時間02分02秒 76位 ★自己ベスト
岩渕優子 (27) 3時間10分35秒 148位 ★自己ベスト
村田節子 (42) 3時間11分12秒 154位 ★自己ベスト
山本喜代子 (45) 3時間14分37秒 187位
嶋渡和子 (54) 3時間21分54秒 244位

澤村佐登美
「思ってもみなかった自己ベストです・・僅か9秒ですけど・・。大阪では
“サブスリー”狙います。」

岩渕優子
「この日の為に練習して来た結果が「3時間10分35秒」となってしまいました。
悔しいです。とにかく悔しくてたまりません。「自己ベストおめでとう」って、言われると更に悔しいです。
30kmまでは4:20〜4:30のイーブンで2時間10分台で通過しながら終わってみればこの結果です。
心臓破りの坂も別の意味で何にも感じませんでした。意識朦朧としてて、何が何だかわかりません。ただ、ゴール手前の10mで豪快に転倒したのだけ鮮明に覚えています。
毎回毎回、同じ事を反省している自分がはがゆいです。
今回の目標は最低でも3時間10分切りで、上手く行けば限りなく5分だったんですが・・
目標タイムの設定もペース配分も間違っているとは思っていません。
ただ、練習の中でのロングのペース走の不足だと思います。村田さんが何故強いって、この差だと思います。
来年の大阪に向けて新たな気持ちで出直します。でも・・・・・スタート・ラインに立てた喜びだけは大事にしたいです。」

村田節子
「初めて走るコースなので慎重に行こうと押さえ気味でスタートしましたが、筋力不足で、35Km以降は、大幅にスピードダウンしてスタミナは残っているのに足がついていかないという、もどかしい思いをしました。
集団を上手に利用してもうちょっと楽に走ることも、これからの課題だと思いました。
今回の経験を生かして大阪では、最後までちゃんとした走りができるようにもっていきたいです。
嶋渡さんは、足の故障で普通なら走れないような状態なのに、気力で完走されたし、山本さんも、故障で十分な準備ができていないのにかかわらず、15分を切って走られてるし、澤村さんと岩渕さんも自己ベストを出されたし・・・。
スタート前に5人で約束したとおり、それぞれが頑張って、全員完走できたことが何より良かったと思います。」
5Km毎ラップ (21'54/21'43/21'58/22'00/22'11/22'34/23'07/24'44/10'56) 3:11'12"


★★ 福知山マラソン ★★

完走:6900人
総合順位 種目別順位
岩下真介 (20) 2時間38分34秒 25位 18/822位 登記登録の部
奥内佳典 (35) 2時間54分45秒 134位 97/822位 登記登録の部
根岸政人 (40) 2時間59分49秒 247位 148/822位 登記登録の部
嶋渡祐三 (54) 3時間08分47秒 433位 225/822位 登記登録の部
上島 学 (35) 3時間21分27秒 797位 356/822位 登記登録の部
宗野久人 4時間05分11秒 3080位 432/1053位 一般男子45〜49歳
大野安男 (50) 4時間12分18秒 3512位 697/822位 登記登録の部
川口浩次 (33) 4時間17分34秒 3843位 351/696位 一般男子30〜34歳
宮富信明 (47) 4時間30分54秒 4687位 750/822位 登記登録の部
久留善雄 (60) 4時間45分31秒 5599位 150/198位 一般男子60〜64歳
清水健一 (27) 下記「特別寄稿」参照

特別寄稿 〜 MY 福知山 回想編(清水健一)

午前10:30分、花火と同時にスタ−トの銃砲がこだました。

思えば一年前私はただの小さいデブだった。たばこを日に2箱近く吸い、食べるものは殆どがインスタント食品ばかりで体を動かす事など年に1,2回程度のもので、横断歩道を走って渡るだけで嘔吐するありさまであった。学生時代陸上部の短距離に所属し体力には自信があり「洛西の小さな弾丸」の異名があったかなかったかは定かではないがそんな自分は嫌いではなかった・・いや、凄く好きだった。それが体型は崩れ、体力は低下し自分の短所でもあり長所でもある「明るさ」まで損なわれていくような気がしていた。幸いなことにチビデブの私にも彼女がいた。話すことはいつも学生時代の陸上部の思い出・・しかし彼女にすれば私の体型からその走る姿を想像することは皆無であったであろう。「そんな速かったんやったらいっぺん見たいわ」そう言われた時、自分が過去の思い出を美化し、自慢しているだけのただの冴えない大人になっていることに気が付き、もう一度走る決意し、今年1月末枚方マスタ−ズに入会した。それから約10ケ月の月日が流れた。

銃砲と同時に最善列中央からの好位置からのスタ−トとなった。明らかに数日後のテレビ放送を意識しての位置取りであった。基本的に私の思考回路は「めだつ」か「めだたない」かで動いているのだ。程良い緊張感と不安感があったが体調はイイ方だと感じた私は「とばしすぎず5キロのラップを18分」と言うチ−ムメイトの助言を忘れ最初の5キロを16分半で通過する。この時の私にはそのペ−スが調子がいいのでは無くただ単にオ−バ−ペ−スだと気がつかない程冷静さを失っていた。それは沿道の応援・・太鼓の音や人々の活気ある声援全てが私のテンションを最高潮に上げ、全ての応援が自分の為に向けられているような錯覚に陥った。誰も実際私など見もしていないのであろうが・・・。5〜10Kも17分程で通過した。

数週間前から傷んでいた両ふくらはぎに違和感を感じたのは10Kをかなり過ぎ、左手に牛か馬の農場が広がる少し糞の匂いが漂うところを過ぎた所であった。呼吸に乱れは無く、黒と赤で彩られたBaby−Gの時計は順調にTIMEを刻み、それと同様に私のストライドも快調に福知山の山路を蹴りつづけた。一瞬「無理をすると35Kあたりでつぶれる」という言葉が私の脳裏を横切ったが、前を走る3人のオレンジのユニホームに「和歌山」と書かれた文字をただ睨む様に見つめるだけだった・・(こいつらには負けへんど)と、何の根拠もなかったがそう思いながらひたすら走った。ときより、後方にチームメイトの同じ初マラソンの大学生(岩下君)が来ているか確認したが、彼の姿はまだ遥か後方にあった。20KではLAPを計るのを忘れるほど足の傷みがましていたがまだ絶えられないほどの傷みではなかった・・。給水所で配られているアミノバイタルを初めて手にする事に成功した、私はゆっくり、慎重にそれを口に少し含み、後は頭からかぶった・・少しネチョネチョしたが幾分か気分が楽になった様であった。6〜7人の集団で走っていたのだが突然ゼッケン「55」の選手(身長がさほど私と変わらない人であった)が減速し始めた。

ハーフ、丁度半分を1時間14分05秒で通過した、今年3月に初レースで走った「京都ハーフ」を上回るペースであった。この時左足は何度も痙攣を繰り返していたが、このままいけば2時間30分台が出ると思い、一旦減速を考えたが、そのまま足がもってくれることを祈った。24K辺りの折り返しで、左足が痙攣をおこし、脳からの「走れ」と言う命令を受け付ける事が出来ず、無常にも足を止めてしまった。学生時代から足がつる事が癖づいていた私はいつものそれとは違う傷みを感じながらも何とか30Kまでは1時間50分のTIMEで通過した。私の気力が持ったのもそこまでであった。

33Kまでの3Kは足を引きずりながら、産まれたての子馬の様に足を振るわせながら歩いた。自分の中でも幼き日に見た(小4)ロス五輪のアンデルセンを思い出させた。先ほどまであんなに頼もしかった沿道の「頑張れ」と言う声援と拍手がうっとーしくおもえた。誰も見ないでくれと何度も何度も心でつぶやき、顔は情けなさからか下を向きっぱなしであった。だんだん恥ずかしさや情けなさが失われる反面腰から下の全ての感覚が麻痺した様に感じ地面に倒れこんだ。何度もたつ事を試みた・・せめて完走しよう!!そう思い2時間台で走ろうとしていた自分よりもただ純粋に完走したいと思う気持ちでいっぱいであった。だがその意思が私の両足に伝わる事はニ度となかった。結局救急車で運ばれる事になった。タンカで運ばれる際に寒さを凌ぐ為にかけてもらった毛布を足にかけず、それで顔を覆い隠した。沿道の人の「あのユニホーム来る時速かったから、よっぽどくやしーんやねー」と少し久美浜に住む祖父の訛りに似た声が聞こえ、悔しさが内から込み上げ、涙した。救急隊員の声はほとんど聞こえなかった・・・

「棄権」・・それが私の初フルマラソンの記録であった。翌日病院へ診察に行き、結果左足のアキレス腱が伸びている事と椎間板ヘルニアの初期段階だと診断された。暫くは安静と言われたが、10日程度で走れるようになるだろうと予想している私は、早速午後から郵便局に3月にある篠山ABCマラソンの申込をすませた。

私にとってつらく、悔しい思い出になった初マラソンは同時にたくさんの課題を私にあたえてくれたように思う。

とまぁこんな感じでした。くやしーーーーー。次は頑張ります。・・・清水でした。