9/8 今日やめた。
1997年5月の説明会に行ってから今まで約6年半。

赤ちゃんだった娘をナンピョンの実家に預けて講演会に行ったので、「学生さん?」って言われた。
4月に育児休暇を終えて7ヶ月の娘の夜泣きに付き合いながら復職したところだった。睡眠不足がすごくて、居眠り運転なんかしょっちゅう、でも若かったのでギリギリやってた。この時期にヒッポと出会ったのはとても良かった。3月に引っ越しをして復職の準備をしたところだった。
ヒッポの事は「フーリエの冒険」で知っていたけど、引っ越したおかげで身近でやってる活動だと初めて知った。
テープは車の中で聞くのに最適。4ー5月、寝不足で死ぬ思いで運転して、帰りは早く赤ちゃんにあいたくて泣きながら片道1時間半の通勤をこなしていたのに、テープと一緒に口を動かすことで随分楽になった。
そんなに何時間もテープがきけるなんてうらやましいって言われたほどだよ。
幾つかの場面を歌うのは簡単だった。

それから1年くらい経って、娘(1歳11ヶ月)と一緒にシンガポールステイ。
お遊びかって言われたけど、娘と自分のためになると信じてたから8日間休んで行った。ヒッポの人にしては英語が上手ですねと向こうのコーディネーターに言われてちょっと??だったけど。

その後娘の成長にあわせて帰宅時間が遅くなる。職場の周りの人間が夜型が多いのがとても不満だった。
でもまだこのころはファミリーは夜9時半までやってて、8時に行っても平気だった。
相変わらずの長い通勤時間でテープが歌えるところは増えていた。

その後息子を出産。今しかないと思い、はじめての受け入れ。息子(2ヶ月)
ハンガリー人の素敵なカップルを受け入れた。ちょうど職場でもハンガリー人と交流があった直後だったので覚えたてのマジャール後を幾つか披露したりして、楽しんだ。でも受け入れ当日乳腺炎で高熱だして大変だったなー。


そして職場復帰。(息子が4ヶ月で復帰したわりに、娘の時のような睡眠不足はなかった。やっぱ一人目は大変なんだねえ。)その夏にいよいよ1週間のウンジュの受け入れ。
韓国語のテープを歌えるだけで受け入れした。まともな会話したことなかった。

これから3年間、ずっとハングルメールのやり取りをし続けて今に至る。
2年前に転職した時、息子が1歳10ヶ月。もう子供は最後と決めたし仕事も甘えていられなくなった。

職場は家から近くなり、車でたった15分。
でも帰りは8時すぎで遠い職場とそう変わらない。そのうえ。。。ファミリーが早く終了するようになってしまった。行けない日がどんどん増えて行った。
そして、ファミリーに行ったら言葉をもらえるとか、行って良かったということも減って来た。

そして、メンバーの主流と生活のタイムテーブルが違い過ぎると感じて来た。メンバーが主役だからこれはつらい。いろいろ原因はあるけど、やっぱり時間の使い方がすごく違う人とは付き合いにくいわけで。。。
結局、娘が8ヶ月の時に入って、その後2人目が産まれてその息子が3才になったらもう限界だと思ってしまったわけだから、そういうことなんでしょ。
メールやらなんやらいろんな方法でけっこう上手くいってたつもりだったんだけど。

きっかけとしては大事だったヒッポも、今となっては、交流も自力でセッティングできる。逆にヒッポがセッティングするステイはスケジュール的に全滅、受け入れもそうだから、自分でやるしかないんだよ。
だからヒッポは役目を終えてくれたって感じかな。

辞める理由はいろいろあるよ。
会費の高さとファミリーに出れない、イベント事はまず参加できないという時間の問題。
プラス、上達する実感をヒッポで感じられなくなったってこと。

英語と韓国語は(?少なくとも韓国語は)日々上達してるんだけど。それを感じるのは自分自身でしかないというか。。。

あかちゃんがいたから続けてたってことかあ。なんか単純ですごく悲しい。

今、けっこう真剣に量子力学勉強してて何冊も本読んでるから、あとでトラカレの本でも読むとおもしろいかも。


このページは意味がないわけじゃないと思ってるので、続けます。
韓国語が手に取るように分かって来た時の日記とか、ウソはないので、ファミリーに積極的に参加できれば話せるという証拠でもあると思う。
これからは、やっぱり独学ではつらいので誰かに話すつもりで自分の成長を語りたいです。
思い出したときにはふらっと見てください。
では。
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