藪の湯【2000年11月17日〜19日】

鈴木旅館からの眺め
  藪の湯は、山梨県の1:150,000の地図を見ると、鳳凰三山の地蔵岳の北北東に位置し、地蔵岳から伸びる稜線の麓にあり、東を石空川に、北西を大武川に挟まれた一角にある。温泉の入り口あたりの標識には『大藪鉱泉』とある。ここには、「元湯鈴木旅館」と「藪の湯みはらし」の2軒の旅館があるだけであり、静けさを求める人にはぜひ紹介したいところである。

  30数年前に一度訪れたことがあったと思うが、記憶が定かでないので、今回訪れたときと前回訪れたときの印象がほとんど重ならなかった。今回は、2000年11月の中旬に訪れたが、旅館の周りを木々が取り巻き、しかもどこかの温泉場のように宿泊客で姦しい事はなく、静かでのんびりしたひとときを過ごす事が出来た。有名な温泉場の旅館は、一泊3万円以上も払っていながら何か宿泊客でざわざわとし、落ち着いた感じがないが、ここは宿泊費も安いししかもざわざわとした喧騒とは別世界である。こういうところは、何時までも残しておいてもらいたいものだと考えるものである。

雨に煙る仙娥滝
グリーンライン昇仙峡から雨に煙る昇仙峡
  藪の湯に入るには、電車を使う場合、中央本線の韮崎駅から横手行きバスに乗り終点の横手で降りて、そこから鈴木旅館に電話して迎えにきてもらうか、韮崎駅の先の日野春駅から直接タクシーで旅館に向かうかである。日野春駅からタクシーで30分程である。韮崎からのバスは、本数が少ないので利用時間が限られる。今回は、2泊の予定で気楽に過ごすため細かい予定を決めずに、知人のI氏と立川駅から先ずは甲府駅に向かった。ストレートに旅館に向かうと早く着きすぎるということで、甲府から昇仙峡に行き少し景色を眺めながら散策した後、藪の湯に向かうことにしたのである。

  出発当日はあいにくの雨で、昇仙峡の紅葉見物は余り期待できない状況であったが、雨の中を少し歩いてみるのもまた趣が変わっていてよいのではないかということである。昇仙峡を訪れるのは、記憶にある限り、3回目になる。昨年の秋に来たときは、紅葉の終わりころであったが仙娥滝の下流部にはまだ目に鮮やかな部分もあった。しかし、今回は雨のためそのような光景は余り期待できないであろうと予想された。

  昇仙峡滝上バス停までのバスは、少数の客を乗せ甲府を出発した。天気が悪いためか、紅葉の時期が過ぎたためか、今年は秋に雨が多くてあまり紅葉が期待できないのか、観光客は多くいないようである。後で判ったことだが、この昇仙峡も他の観光地の例に漏れず、団体旅行客が客の大半を占めるようで、我々のように個人で訪れる訪問客の絶対数は割と少ないということであるらしい。特に年配の旅行客の場合は、団体が多いようだ。旅行会社、鉄道会社、航空会社などによるパッケージツアーが、国内旅行のスタイルとしても手っ取り早い旅行の手段として定着しているということであろうか。言葉の通じる日本国内くらいは、団体旅行で余暇を楽しむのではなく、自分で旅行のプロセスを組み立てて楽しむという努力をしてもたいしたことではないと思うのだが。

  昇仙峡ロープウェイ乗り場の土産物屋で、松茸茶と椎茸茶を買い、仙娥滝の上流部の食堂で昼食を済ませた後、遊歩道を下流に向かった。仙娥滝の見えるところでは、年配の団体客が多かったものの、下流部に向かうにつれて観光客も少なくなり、往きのバスで一緒だった若い女性の二人連れとあい前後しながらグリーンライン昇仙峡のバス停に着いたが、その他に観光客がおらずとても静かで不思議なものを見る感じであった。しかし、何時もこのように観光客が少なければ、土産物屋もあがったりであろう。

浴場の入り口 藪の湯での一時
  昇仙峡を後にして、甲府駅から日野春に向かいここでタクシーを呼んだ。この辺りでは、東京のように夕方の通勤ラッシュはない。7、8人の学生やサラリーマン2、3人が迎えの車を待っているだけである。東京からそんなに離れてもいないのに、このように静かな場所というのは、今となってはこのまま静けさを守ってもらいたい貴重な存在である。

  話の面白い運転手のタクシーに乗って、藪の湯の元湯鈴木旅館に向かった。鈴木旅館は木々に囲まれた別荘地のような環境の中にある。事実、この周辺には別荘地があった。建物は新しいとはいえないが、中はきれいに整頓されていて気持ちがよい。早速、大浴場に向かう。北海道の湧駒荘の湯船ほど大きくないが落ち着いた感じである。客の少ない時期のためか、我々二人以外には、三、四組の客が泊まっているだけのようである。浴場では他の客には会わなかった。私は、どちらかというと風呂は余り好きなほうではないが、温泉の大きな湯船は自宅の風呂と雰囲気が違うし広い分脚を伸ばすことが出来てしかも体がよく温まり、湯上りの気分がとてもよいので、年を重ねるにつれてその良さを感じるようになってきた。この夜は、温泉で気分が良くなったところで、夕食のとき以外は、ホームページの作成作業で夜半まで起きていた。

日野春駅から甲斐駒遠望
  次の日は、展望台がある中山というところの肩の辺りにある峠を越えて白州というところまでゆっくりとハイキングを楽しんだ。中山辺りでは、別荘に電力を送るためのケーブル?の工事関係者以外は他の人にほとんど会わず、静かというよりも何か寂しさを感じるくらいであった。見通しの良い所では、甲斐駒の特徴のある山容が目につき若いころに登った時のことに思いを巡らした。白州というところは、信州往還の新道と旧道が平行して走っているが、街の清掃が行き届き小奇麗で歩いていても気持ちがよい。学校帰りの小学生も我々の歩いている横をきちんと挨拶して通り過ぎて行く。I氏がラーメンを食いたいということで、その小学生の一人にラーメンを出してくれる店を尋ねていたが、ハキハキと答える姿は清々しさを通り越して、しっかりした大人の雰囲気さえ感じさせた。教えてもらったドライブインの店でラーメン、餃子などを食い、I氏がデジカメの電池が切れたと言うので向かいのローソンに行き補充の電池などを購入した。そこから旅館に戻り、温泉に浸かった後一眠り。パッケージ・ツアーの旅と違い日程に追われて急かされることもない。気楽な旅である。

  帰宅の日は、旅館から近くの精進ヶ滝にタクシーで向かったが道路の脇に展望台という表示板がありそこから遥か向こうに滝らしきものが遠望できるだけで、余りにも遠いのでがっかりするよりも呆れてしまった。ここから1、2時間歩くと滝の側に着くという事であったが、帰りが遅くなるので暫しの遠望の後、日野春駅に向かってもらった。

  日野春駅から各駅で韮崎駅に着き、特急を待つ間韮崎の街を散策したが、本を買うため韮崎のイトーヨーカ堂に入ったころから、私は嘔吐、下痢、発熱の後、下痢と発熱が続き帰りの特急はシートに横になり帰宅するという体たらくで旅行の最後を、終わらせることになってしまった。ウィルス性胃腸炎ということであったが、完治するまでに10日ほどかかった。

《2000年12月27日最初のタグを作成、2021年10月1日タグを更新》


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