みねかた沢の思いで
私のフィールドがなぜ北信地方になってしまったかお話ししなければなりません。昭和51年写真学校を卒業した私は長年の夢であったカメラマンになりました。(スポーツ関係)しかし、あまりのきつい労働の割にはそれに見合う給料がもらえないことに不審を感じておりました。
その頃、私の学友たちは第1次ブームと言えるペンションを自分たちの手で作るべく白馬方面に土地と建物を探している最中でした。その話は聞いてはいたのですが、仲間に入れてもらえませんでした。
なぜかは今だにはっきりしたことは聞いていないので解りませんが、多分、自分の環境では誘えないと思われたようです。彼等は夢を実現すべくがんばったのですが、最初に買った土地と家が何回か転売になり、いろいろあった未に松川村の山林に土地だけが残りました。
メンバーは5人で地元に残ったのは1人でした。連絡役をかって出た彼(志村眞夫、後に小川眞夫、祖父が彫刻家の小川大系)は大町に6年、松川村に6年、穂高に7年、今は穂高でムコになり幸福な毎日を送っています。大町時代に何年間か残ったのが今は山渓で専属カメラマンをしている磯貝猛でした。彼は持ち前の人柄のよさから地元で人脈を広げていたのですが、その中に昭和電工の小林哲(地元では釣りパカで有名)がいました。釣りのほかに趣味だった写真で大町の銀嶺堂で知り合い、交友を深めていったのです。
私はその頃釣りというよりも都会で遊んでいるのがとても好きでした。23〜24歳だらしかたないかもしれないですが。ただ2〜3カ月に1度くらいは志村の顔を見に大町に通っていました。でもただ車を走らせていくのが楽しみなだけで地元で何かするということはありませんでした。(その頃は漸く若い人でもちゃんと働いていればオーナードライバーになれた。)
でもここで何かしなくちゃというよりも、ただ何となくという感じで松川村の芦間川で釣りをしました。多分、この時が渓流釣りデビューだと思います。そのときはもちろんボウズ、志村がヤマメを1尾という成果でした。ただそのヤマメのアタリがあまりにヤマメの生態のままだったので記憶に残っています。
つまり、イワナのように突然バグゥッと来るのではなく、釣をくわえたり、放したりと目印がくるくる回り、とても合わせがむずかしかったのです。そばで見ていた私はこの微妙な釣りに魅せられてしまいました。その頃釣りといえば江戸川で小中学生の頃やった投げ釣りのハゼくらいしか知らなかったのです。それから大町に来る目的が渓流釣りに変わっていきました。
当時、北信地方はどこの渓流へいってもハズレはないといわれました。そのなかでも姫川の支流みねかた沢は地元の人しか行かないところでした。川幅はせいぜい3〜4メートル、水深は50〜60センチでした。『ここなら三吉でも釣れるだよ』といって小林が連れて行ってくれました。 沢沿いにりっぱな道路ができているところでしたが魚影はとても濃く見える魚は釣れないというのはウソでいれ食いという状態でした。
姫川の支流なのでイワナぱかりではなく、放流もののニジも交ざり、なかにはパーマークの付いたヤマメもどきも釣れました。橋の下の深場など餌を流しただけで食ってきました。魚があふれていたといってもいいでしょう。何回か通って、ここで30センチのイワナを釣りあげた時はとても感激でした。それからというもの1カ月に2回、多いときは3回、東京からみねかた沢に通いました。(中央高速がまだ勝沼までの時代す。)
ある夏の日、志村が興奮した面持ちで電話してきました。夕立ちの前にいきなり食いがたち、1時間で30尾あげたという報告でした。7月の山わさぴや魚籠に魚をいれて最後の断末魔のはねる感触、釣り終わってウエーダーを脱いだときの気持ちのよさ、そのあとの温泉、今でも忘れることができません。
しかし、このみねかた沢も昭和59年か60年(スミマセンはっきり覚えていない)集中豪雨により壊滅的な打撃を受けました。そのときの雨は95年の小谷対の時と違い峰方周辺だけ短時間に集中して降ったそうです。小谷村の時は長く降り続いたため周辺にもかなりの被害を出したのですが、峰方の場合はここだけ被害が出たそうです。改修工事が2年に渡って行われ、沢はまったくといっていいほどその姿を変えてしまいました。魚はいるみたいですが、水深が前以上に浅くなり、ただの水たまりになってしまいました。さぴしいかぎりです。
その後も何年か松川、姫川、平川、楠川、鹿島川、高瀬川と小林や小川と釣行しましたが年々悪くなるばかりです。もう5年ほどイワナさんの顔を見ていません。それだけじゃなく年にも関係あると思うのですがーーー。(42歳) 96年7月に小谷村でまた集中豪雨があったときに小川に電話したところ、『北信の渓流は終わった。』といわれました。自然現象に立ち向かうことはできませんがこのような沢が今もあったらいいなと思っている次第です。
おまけです。95年7月の北信地方の集中豪雨の後、8月26日に白馬大雪渓に行って来た写真です。このような状態になったのは実に50年ぶりと言うことです。残雪が雨によってほとんど流されてしまいました。これでは渓流がだめになっても仕方ありません。