気が向いたときに 取り留めのない事を書くけど
よろしくね オレからも発信しないとさ 
ヒデトより
気が向いたときに
2020年 
1月
オックスから50年越えして 真木ひでとになってから45年目を迎えた2020年 早いものだねぇ 
この前ハタチになったたと思ってたのに アッというまだね人生は ほんに瞬きするまにこんな年齢になっちまった 
で 来年が野口ヒデトソロデビューから50年 「仮面」は売れるかもなんて淡い期待をしてたけど まったくダメだったね
今 考えるとGSの奴が今更なんて雰囲気があったからしょうがなかったのかな?

この歌手人生の中で悔いがあるとすれば オックスのライブ盤かな? あのLPの中の童謡とかなんかを唄ってるのが
リアルを知らない人には妙な誤解を与えてるからね 
オックスは完璧なロックバンドだったんだけど あのLPを完結するために取ったやり方があれしかなかったからね 
レコード会社も機材を東京から持ち込んで張り切ってたからイヤですなんていえない雰囲気だったしさ
いつものように洋楽だけのステージをやってたら3曲くらいで中止だからね 
それかいきなり緞帳を下げられて警察官がステージにやってきて「やめろ 演奏!」だもんねぇ 羽交い絞めにされて
何度ブチ切れたことか (若気のいったりきたりです)

まぁ それが悔いといえば悔いなんだけど 田浦が加入した時にライブ盤を出しておけば 後期のオックスがどんな洋楽を
唄ってたかもわかってもらえたと思うんだけど・・・少ないよねぇ 3年でアルバム2枚なんて サンケイホールのリサイタルは
ほとんどが洋楽だったし お客さんも満員でかなり熱狂的な感じだったんだよ だから こちらがホントのオックスなんだよ

とは言うもののリーダーが最近の歌謡曲も歌おうなんて提案して「白い蝶のサンバ」とか「夢は夜ひらく」なんてのを
メンバーがワンコーラスずつ歌ってたから やっぱ変なバンドなのかもね オレは嬉しかったけど・・・ 
ただ青春歌謡はダメだったね
45年当時 西郷さんの「真夏のあらし」やら「情熱」なんてのがヒットしてたけど これも却下だった

オレがさ なんで演歌なの?って皆さん口を揃えて言うけど ジュリーがPOPのKING 
ショーケンは俳優としてカッコたるものを作りあげてたじゃん
POPで失敗したオレに残された道は演歌 これしかないと思ってた
だから ホリプロにいた後期はホリプロスクールで歌謡曲の発声練習を毎日やってたんだよ
(これ初めて書くのかな?)
で 
命がけで全日本歌謡選手権の予選を受けに行ったんだよ 合格した時は嬉しかったなぁ 
これが真木ひでとになる原点だもんね そして審査員に山口先生や竜崎孝治さんがいたのも大きいね 
でも 最大の理解者は船村徹先生と西沢爽先生かな 厳しかったけど愛情あふれたコメントを毎回くれていた 
ただ オレが途中で慢心してたら途中で落とすつもりだったって聞いてゾッとしたけどね 
毎回 心の底から唄ってて良かった(これは再デビューした後に竜崎さんから聞いた話)
あれから 45年目です 自分でも信じられないけど 今後もオレなりの解釈の詩があなたがたの心に
インパクトを与えるよう唄っていくよ これがオレがこの世に生まれてきた使命だと思うから

最後に年頭からきな臭いことが世界で起こってるけど何事もなければいいね 
誰も得をしないことはわかってるはずだから
さぁ オレのポリシー「明日は明日の風が吹く」この気持ちで何事にも負けないで今年も頑張るよ
みんなもパワーをくれよ 古希を迎える昭和の乙女の王子様に そしたら頑張れるから 
王子様かぁ ホントはおじい様だろアハハ! 
みんな体調壊すなよ じゃまたね

                          
by hideto
12月 青春歌謡大好き人間のオレ 堺の中学の頃 同じクラスの友達が「すげえバンドがいる」って聞かせてくれたのが
ザ・ビートルズの「抱きしめたい」 友達が興奮して「凄いだろこの歌」って騒いでいたけど 
今一ピンとこなかったオレの一言 「このバンドよりお前 やっぱ西郷輝彦だろ」 この言葉でワタクシの友達は
ポケッとしたお顔をなさっていたのを今も覚えてるよ

そりゃそうだよね 世界の音楽シーンを変えるバンドが出現して騒いでる友に青春歌謡を語っても話はあわないよね
しかし 当時はオレは本気でそう思ってたからね 何でこんなにうるさい音が凄いんだなんて事平気で思ってた
変わった少年だったのですよワタクシは・・・ 
それがバックボーンに入って「ロックも唄え」なんて言われて唄い始めたらはまったもんね ロックに!
特にストーンズだね ブライアンがいた時の荒削りなストーンズが好きだったなぁ ストーンズもシングルから聞いてたら
歌ってなかったかもしれないね ライブアルバムから入ったのが良かったと思うんだ 
色々唄ってたよ アウトオブタイムとか結構マニアックなストーンズ作品を唄ってたね 
テルミーはその後くらいかな トロッグスやモンキーズも好きだった もう これくらいになると日本語の歌は皆無だったね 

今になって 初めて友達が言ってたビートルズの凄さがわかるよ ジョンの声とポールの声の違いがわかるし
オレの一番好きなアルバムはリボルバーかな 後年のアルバムもいいけどね
あとカーペンターズもいいね カレンの声は素敵だね 癒されるもん
 
あの時「ロックも唄え」というのを拒否してたら どうなってたんだろうね そして横山ノックさんが移籍にOKしてくれなかったら
まぁ 人生ってこんな運にも支えられてるんだろうね オックスも最初7人編成だったのが 東京に来るときは
5人編成になってたしね 「女友達」というタイトルも「ガールフレンド」に変わったし いい風が吹いてる時って
いつもいい方向に導いてくれるんだろうね 今後もいい風が吹いてくれる事を信じてるよ
来年は45周年だし GSBIG3を結成して10周年 ソロもGSも頑張るぞって気合が入ってる 
ステージのオレはたぶん 
たぶん たぶん(しつこいぞ ひでと)年齢を感じさせないパフォーマンスを
告知が出たら応援に来てくださいませ

                         BY hideto

11月   アンケートの回答を見てるうちに色々な事を思い出したことがあるんだ
 バックボーンの頃・オックスの頃・野口ヒデトとして不安ながらも夢を抱いてデビューした頃・
思惑とは違いシングルが売れずに悩んだ頃・覚悟を決めて全日本に挑戦した時の頃・
恩師に真木ひでとという芸名をつけて貰って燃えてた頃の事 
そして再デビュー曲の「夢よもういちど」がオリコンのベストテンに入って 
ソロ歌手としてやっていく自信が出来た時のこと
これらが走馬灯のように頭の中を駆け巡った
 
オレの歌手人生って山あり谷ありだけど 真木ひでとになってからは 
順風満帆にこれたという気がしているよ 
CBSソニーというレコード会社のスタッフにも恵まれ
事務所からも大事にされて 45年間ソロ歌手として唄ってこれたんだ 
ホントに感謝しています

二十歳を超えると早いと聞いてたけど ほんにアッという間に 50年を超えたんだね 

 ソロとして 数曲はヒット曲が出せて 子供の頃の夢を叶えた事は素直に嬉しい

オレって 制約をかけられるとダメな歌手なんだよなぁ
 ナンイチの頃のようにひたすら夢に向かって唄ってる時
オックスで3人しかいない客席に向かってテルミーを唄って 
これがオックス・野口ヒデトなんだというパフォーマンスしてる時
 何も考えないでステージをやってる時がオレが一番輝く時だと思う
アクションも その場でひらめいた動きをやってたもの
だから 振り付けなんて論外だけど 唯一の振り付けが
「ガールフレンド」 先生の方を見てやってたから
BOXを反対に覚えてしまったけどね

「仮面」という歌を出した頃が ソロになって一番最悪の時かな
というのも
解散と同時にオレの個性を知ってるスタッフが全員やめて
野口ヒデトの良いところを知ってる人達が誰もいなくなった
ショックだったね バンド時代の動きなんか全否定されたもの
事務所から動いて唄うななんて言われて・・・トホホだったねぇ
オレからアクション取ったらどうなんのよ
まあ「他に何がある」の時は好きにやってください
との事だったのでシャウトして唄いまくった
多少売れたけど全国的なヒットにはなんなかった
いい歌なのに残念だった!
(本当は 8番まで詩があったんだよ そこまで唄わないと意味がさっぱりわかんないからね)

 会社の意見で素直に言われるままにやるというのも
グループの一員から一人になったという不安もあったし
心の葛藤もあったから言うとおりにしたんだろうと思うけど
自分の個性は大事にしなきゃいけないと今更ながらに思うし
型にはめられないで自由にやるのが オレの一番良いところだもんね

だから 池袋ACBで 自分なりに良いところを探して色々な歌に挑戦してたんだと思う
(リアルタイムでオレのライブを見てた人はわかると思うけど)

今は 制約を受けずに色んな歌を唄えてるけど
一般の人達は TV等に露出してないと売れてないとか判断するらしいね

オレはライブ歌手 これがポリシー
何も考えないで ただ 皆の心に伝わる歌い方を目指してる
うまいにこしたことは無いけど 心に突き刺さるような歌唱じゃなきゃね
後は 年令を感じさせずに自信を持ってオンステージすること
それが オレの今の最大の目標

by hideto