100moments
乙姫静香



◇第三十二話◇



「In The Rain」






  困ってます。
  ホント、マジで緊張してます。
  何でかって言うと、それは久しぶりに尚也に会うから。
  アメリカから帰って、俺はちゃんと父さんと話をした。アメリカに居ると思われた、血の繋がったお父さんは既に他界していたこと。そのお父さんは、俺の存在を知っていて、俺がこの世に生まれたことをすごく喜んでくれていたこと。そして、たとえ血が繋がっていないと分かっても、俺はやっぱり、父さんの息子でいたい……ということ。
  父さんは、静かに俺の話を聞いてくれて、そして、最後に言った。
「そうか…分かった」
  ……と。すぐに席を立たれちゃったから、どういう顔をして言ったのかは分からなかったけど、父さんのついた安堵の息は、俺の耳にも届いてきた。やっぱりあれって、安堵の息…だよね?まさか、「やれやれ」ってため息ではないと思うけど…。
 それで、俺と父さんの生活は今まで通りに戻って、俺はまぁその後しばらく、休んでいた分の授業に追いつくために、友達にノート借りたりしながら、なんとか頑張っていた。
  尚也もなんだか、俺の所為でいろんな予定がしわ寄せ食ったみたいで、忙しそうな日々。
  とまぁ、そんな訳で、尚也に会う機会が無いまま、実に二週間もの時間が流れていたのだ。
  そんな時、尚也からかかってきた電話。久しぶりの尚也の声は、「知らない人」のような響きをしていた。
「子規くん、元気?」
  その日は丁度、五月晴れ。見上げた青い空と、脳裏の尚也の姿が重なった。
「う……うん。尚也は?」
  俺はどう答えていいのか分からずに、ぎこちなく返す。だってさ、ちょっと前にいきなり親しくなって、それであ〜んなことや、こ〜んなことをしちゃった相手。やっぱり、なんか恥ずかしい……。
 実はね、時折尚也のことを思い出してた。いまどうしてるかな?とか、忙しいのかな?とか、もう……俺のこと忘れちゃったのかな?なんて…。だって、電話一本もくれなかったからさ。
  まぁ、俺も電話しなかったっていうか…出来なかったから、人のことは言えないんだけど、なんせ尚也の本気が見えないから、電話してウザく思われたら悲しいなって思ったし…。それで、電話こない日が続くと、余計にどんどん「あ、やっぱり…」って気になって、ちょっと…へこんだし。
  だから、電話が来たときには、喜びよりも先に、なんだか心臓がバクバクしちゃってしょうがなかった。
「俺は、まぁ元気だよ」
  まぁってなんだよ、まぁって!なんとなく歯切れの悪い尚也の返事に、俺もまたへこんでみたり。だってさ、やっぱり尚也……後悔してるのかな?なんて思っちゃったから。アメリカに居た時は、ヤマトくんと会ったあとに戻ってきてくれたりしたけど、日本に帰って冷静に考えてみたら、やっぱりヤマトくんの方がいいって気付いちゃったのかな……とか。うわ、なんか俺…イヤな奴だ。
「そっか…」
 とりあえず、沈黙が怖くて呟いてみる。なんだよ、せっかく尚也が電話くれたのに、俺…。
「……子規くん?」
「ん?」
  お互いの呼吸が聞こえるくらい、会話の間に時間がある。変なの。俺と尚也って、こんなんだったっけ?
「最近忙しい?」
 尚也の質問に、ちょっとドキっとする。どうしてだかは、分からなかったけど。
「あ、ちょっと前まではすごく忙しかったけど、これからは多分、そんなに忙しくないと思う」
  「すごく」の部分を強調して言ってみる。電話の向こうで、尚也が笑ったような声がした。
「俺も、最近やっと時間が取れるようになったんだ。よかった、子規くんが忙しくなくなって」
 なんだよう。意味深な言い方するなぁ。そんな、遠まわしな言い方しなくても、はっきり言ってくれればさ……俺だって、用意してる答えがあるんだからさ…。
「じゃあ、近いうちに会わない?」
  あ、来た。
 近いうち…近いうちって、言ったよね?用意していた答えで、いいんだよね?
「………うん」
 俺は、電話を握り締めながら、深く、深く肯いていた。
  ……で、今、困ってます。
  待ち合わせ場所は、尚也のマンション近くのファストフード。なんでこんなに緊張するんだ?あ、そうか。初めて会ったのも、ファストフードだったもんな。だから、なんか思い出すのかも…。
「子規くん、お待たせ」
  思わず机のつなぎ目なんかを見つめながら俯いていたら、上からかかる声。顔をあげると、そこには久しぶりに見る尚也の顔があった。
「あ、うん、俺も…来たばっか」
 俺の向かいに座りながら、尚也が俺に微笑みかける。いや、尚也の顔は元々こんなんだけどさ。
「ふ〜ん、お腹すいてたの?」
 尚也は視線を落としてそんなことを言う。俺が「なんでそんなこと聞くの?」という顔で尚也を見返すと、尚也が視線で俺の目の前を示しながら続けた。
「だって、ポテトもハンバーガーも食べ終わってるみたいだから……」
 ぎゃふん!ば…ばれてる。確かに俺は、待ち合わせの三十分以上も前に来ちゃいましたよ。食事もすっかり終わっちゃってるし、氷も…溶けちゃってるし。くっは〜!恥ずかしい〜〜!
「あ、うん……まぁ、ちょっとね」
 俺は顔を真っ赤にしながらも、かろうじてそんな返事。尚也は笑いを堪えるように、小さく俯いた。ちくしょ〜!笑うな〜!
 俺のそんな気持ちなんか知らない尚也は、目尻をさげながらストローをジュースのカップに挿す。そして、さらに目尻を下げて俺に言った。
「子規くん、久しぶり」
  あ、これ……。この顔、やっぱり尚也だなって思う。久しぶりだけど、これが尚也だなって…。
「う…うん、久しぶり。…でも、あんまり久しぶりって感じしないよな?」
「そうかな。俺は、結構長い間会ってなかったって気がするな」
 実は、俺もそう思ってた。でも、それを言うとなんだか恥ずかしい気がしたから、嘘ついちゃったけど。だってさ、毎日毎日、尚也のこと考えてたみたいじゃん?
「ねぇ、子規くん」
「なに?」
 尚也は、ちょっと違う口調で俺を呼ぶ。俺はぎこちない笑顔でそれに答えると、まっすぐに尚也を見た。
「……子規くん、なにか……あった?」
  それって、どういう質問?
「なにかって、なに?」
 そこは素直に聞き返してみる。すると、尚也もちょっと困ったような顔で言った。
「なにって聞かれても困るんだけど、まぁ……なにか、かな?」
「別に、なにもないけど、どうかした?」
 素で即答。だって、尚也が何を聞きたいのかもよく分からないし。
  すると尚也は、少しだけ視線を下げて、それでも微笑と共に返した。
「いや……なんでもないよ」






  くはっ!デートです。
  すっげーフツーに、デートしちゃったよ、俺…。
 横浜行って、買い物したり映画見たり。フツーすぎて怖い。っつーか、男同士って時点でフツーではないのか?でもまぁ、手つないだりはしないから、そこはやっぱりフツーではないんだろうな。
 で、今は尚也のマンションにいる。バイクで送ってくれるっていうから、ヘルメットを取りに来たんだけど、部屋にあがるときには、さすがにちょっと緊張した。だって、外では手もつなげないけど、部屋の中だと、いろいろ……できちゃうわけで。
  でもでも!
  正直言って、それはまだ…心の準備が出来てないっていうか…。
 そりゃ確かに最初は勢いでやっちゃったし、その後も、なんつーか、なし崩しにしちゃったけど、最初は酒の力もあったし、その後だって、ず〜っと一緒にいた末のことだったから、その…抵抗があんまりなかったって感じで。だけど、こんな風にしばらく離れちゃうと、どうしてだか、「ちょっと待ってよ」って気になっちゃう。俺、なんか変なのかな?
「子規くん、お茶飲む?」
  ベランダから外を眺める俺に、尚也が話しかける。俺は、部屋の中に戻りながら返した。
「あ、うん。俺、自分で淹れるよ。尚也も飲むよね?」
 俺はキッチンに立って、急須と湯飲みの準備。尚也はそんな俺にお茶っ葉を手渡してくれた。
「ありがと」
「いいえ」
 一日中一緒にいたせいか、会話もぎこちなくなってきてるし、なんだかいい感じ。やっぱり、今朝はちょっとギクシャクしてたもんね…。
急須に茶葉をいれ、電動湯沸かし器がお湯を沸かすのをちょっと待つ。隣に立ってる尚也が、俺のことをじっと見ていた。や、やだなぁ。恥ずかしいじゃん。もういいから、尚也はあっちで座って待っててよ。首まで熱くなってくるし。
「子規くん…」
  ちょこっと近づく尚也の気配。俺が顔を尚也の方に傾けると、少し屈んだ尚也の顔が、俺の顔に近づいてきた。も…もしかして!これはっ!
「ん……」
  ぎゃあ!案の定、キスされてるっ!案の定、部屋の中は危険!で…でも、気持ち…いいかも…。
  尚也の口唇に応えながら、そっと目をつぶる。すると、尚也の腕が、俺の腰に回されてきた。そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。俺も、尚也のシャツをそっと掴んだ。
 やっぱり、尚也ってキスが上手い。なんでこんなにフワフワな気持ちになれるキスができるんだろう?背中に回された腕が、さらにきつく俺の身体を抱きしめる。尚也の鼓動を、シャツ越しの胸で感じた。
  …が、だけど!ちょっ!それは駄目っ!
  尚也の手が動いて俺のTシャツの裾をたくしあげる。尚也の舌で絡めとられた俺の舌は、当然「ちょっと待った!」と言えるはずもなく、尚也の手はそのまま、俺の胸をまさぐり始めた。
「んっ…」
  うわっ!駄目だって!そんなトコいじられたら、気持ちに関係なく、腰に響いてきちゃうし!おまけに、尚也の反対の手は、尻もんでる〜〜〜!
 だから、その気にさせんなっちゅーの〜〜〜〜っ!
  ピーッピーッピーッ
  と、その瞬間、電動湯沸かし器が、お湯が沸いたことを示す電子音を部屋中に響かせた。
「…っ、尚也…っ」
  俺は、口唇を放して尚也を見上げる。すると尚也は、俺の耳たぶを甘噛みしながら言った。
「お茶……あとでいい?」
  ってことは、やっぱり尚也ったら、その気ってコトだよね?マジッ?だっ…それは、駄目だってばっ!
「ちょっ……待っ…!」
 思わず、尚也の胸に手をついて身体を離す。俺は、乱れ始めた息を整えながら、視線を床に彷徨わせて言った。
「そ…そうじゃなくて、俺、その……今日、早く帰らなくちゃいけなかったっての忘れてて、だから、あの…もう、今日は帰るねっ……」
  尚也のことが見られない。俺は居間に置いてある上着を取ると、半ば走るように部屋を出た。
「ごめんっ!」
  と、言い残して。






 やばい。また、へこんだ。っつーか、「更に」へこんだ。
 自分で自分が、何をしたいのか分からないよう!あんなんじゃ、尚也が変な誤解しちゃうじゃん!
 尚也のことは、好き。きっと、間違いない。
  で、男同士ってことも、尚也とするってのも…、別に、嫌じゃない。これも、間違いない。会わない間に、何度も自分に確認したんだから…。本当の本当に、いいんだな?って。
  なら、何で?
  本当は、家に帰らなくちゃいけない事情なんか無い。でも、どうしてだか今日はしたくなかった。しちゃったら、何かが崩れてしまうような気がした。それを、尚也に上手く説明はできなかったけど。
  でも、あんな態度とっちゃったら、まるで俺、尚也のこと好きじゃないみたいじゃん!そう思われたってしょうがないじゃん!
  いかん!こんなことじゃいかん!誤解はなるべく早くに解かなくちゃ!
  俺は部屋にある電話の子機を取ると、尚也に電話をした。
「今度、いつ会える?」
 って。それで、分かってもらえると信じながら。



  でも、その後しょっちゅう会ったにもかかわらず、尚也は俺に軽いキス以上のコトはしてこなかった。
 二人っきりで、部屋の中にいても。………二ヶ月も。






 どどど…どういうことでしょう?
  本当に、な〜んにもしてないよ。触れる程度のキスくらいしかされないし、今日こそは来るかな?と思ってても、な〜んにもされない。されないどころか、舌だって入ってこない…っておい、俺は一体なんつーことを考えてるんだ。
  これじゃあまるで、悪ふざけに軽くチュウしちゃってる男友達みたいなんだけど…。こんだけしょっちゅう会ってるんだから、別れ話って展開も変な気がするし、一緒に居る時は楽しいし。尚也は相変わらず優しいし。
  俺は、学校帰りに寄るべく、尚也のマンションへの道をテクテクと歩きながら、そんなことを考えていた。今日は土曜日。まだ真昼間だし、尚也も午後は丸明きだって言ってた。何時くらいに帰ってくるのかな?
  キーチェーンの先を探って、合鍵を取り出す。ほらね、合鍵だってもらってるんだしさ。俺の考え過ぎだって。
  でも、尚也が優しいのはいつものことだし、もしも尚也が俺のこと嫌いになってても、尚也は急に俺のこと拒絶したりはしないような気がする。きっと、俺のこと傷つけないように、タイミングを計るんじゃないかな…。
  ば…ばか、なに考えてんだ俺?大丈夫、大丈夫。この二ヶ月なにもなかったのだって、尚也がそんなにしょっちゅうしたがるタイプじゃないってだけだって!いつも俺と一緒にいるんだから、他のヤツとデートする時間だってないだろうし、も〜疑うんじゃないの!
 俺は居間にカバンを下ろし、制服の上に着ていたフード付きのパーカーを脱いでハンガーにかける。さて、夕飯はどうしようかなと考え出したとき、俺の気配で目覚めたであろう獅子丸が、足元にすり寄ってきた。
「獅子丸〜、一人で淋しかったか〜。はいはい、抱っこな」
  獅子丸を抱き上げて、ソファに座る。獅子丸は喉をグルグルと鳴らしながら、俺の顔を揉んできた。
「いて、いてて。お前、爪とがってるだろ〜。痛いってば」
 俺は獅子丸の肉球をキュっと押してみる。すると、頑張って研いだらしい鋭利な爪がニョキっと出てきた。
「お〜、頑張ってバリバリしたんだな〜。でも危ないから切らないとな。爪きりはどこだっけ…」
  獅子丸を抱きしめたまま、俺は尚也の寝室へと移動する。そう言えば、全然そんな雰囲気になってなかったせいか、この部屋に入るのも久しぶりのような気がした。
「爪きり〜」
 呟きながら、部屋をうろつく。確か、どこかの引き出しの中にあったような……。
 と、そのとき俺の目に、机の上に置かれた写真が目に入った。
 一度は、どこかへしまわれた写真。存在すら、忘れていた写真。腕の中の獅子丸が、床にトンっと降りた。
 俺は、その写真をそっと手に取ってみる。するとその下に、もう何枚か写真があった。尚也と一緒に写っているのは、ヤマトくん。楽しそうに、二人は笑っていた。
 そして、机の上に置いてあるもうひとつのものに視線を投げる。
  そこには、尚也宛に書かれた、ヤマトくんからの手紙があった。






  「ただいま」
 尚也は部屋に入ると、静かな部屋の中で何度か首を左右に振った。おかしい。今日は来ると言っていたはず。なのに全く気配が無いのはどういうことだろうか。
  時計を見ると、まだ三時にもなっていない。居間にはカバンも置いてあるし、パーカーもかけてある。
 昼寝でもしてるのかな?と思い尚也は寝室を覗き込む。やはり、いない。まぁ、最近子規はこの部屋に入らないし、昼寝をするならソファの上でしていただろう。それ以前に、靴がなかったのが気になった。
「おい、獅子丸。かくれんぼでもしてるのかな?」
 と、尚也の気配で起きてきた獅子丸に話しかけてみる。しかし、獅子丸は面倒くさそうにあくびをひとつするだけだった。
 買い物にでも行ってるのかもしれない。尚也はそう判断して部屋を出ようとする。しかし、何かが床に落ちているのに気付き、それを拾い上げる。その瞬間、さっきまでの甘い考えが全て打ち消された。






  雲が厚い。
 俺は、電車の窓から外を眺めながら、もう何度目かのため息をついた。
 ヤマトくん、日本に帰ってくるのかな?それで、尚也に会いに来るのかな?
 当然、手紙の中身がなにかなんて知らない。人の手紙を読むなんて出来ないし、尚也が読んでもいいと言っても、多分俺は見ないだろう。
 気にならないわけなんか無い。でも、気になる気持ちは、きっとそれを読むことでは消えやしない。逆に、ヤマトくんとのことを知れば知るほど、俺は比較したり考えたりしてしまうと思うし、それに…それに、俺は、ヤマトくんになりたいわけじゃないから…。
 ガタタン ガタタン
  電車は揺れて南を目指す。厚い灰色の雲は、まるで生きているみたいに猛スピードで空を駆けていた。






 電車を降りた時、PHSがポケットで震えてるのに気がついた。そっか、持ってきてたんだっけと思い無意識に電話に出ると、電話の向こうから、今は聞いちゃいけない声が聞こえてきた。
「もしもし!子規くんっ?」
「あ……」
 電車の扉が閉まる前の音楽の所為で、尚也の声はすごく聞き辛い。多分、俺の声もよく聞こえないだろう。でも、尚也の声の必死さから、尚也が状況を理解して電話をしてきたんだってことは良く分かった。部屋、飛び出しちゃったもんな。
 俺は眉を寄せて一瞬ためらうと、ゆっくりと歩き出しながら言った。
「…ごめん……、写真…勝手に見ちゃった」
  そして、尚也の返事が聞こえるよりも先に、電子音が電波の悪い事を伝える。立ち止まったけれど、電話は…切れた。
 人の流れに身を任せ、駅の階段を降りる。改札を抜けるとき、俺はPHSの電源をオフにした。
「子規、他人の所為とか、なにかの所為とか…そんなことばかり言っては駄目よ」
 小さい頃から、よくそんなことを母さんに言われてきた。
「他の所為にすることで、出来るはずのいろんなことは出来なくなってしまうんだからね」
  …と。幼い頃は、それがどういう意味か、実はよく分かってなかった。無理なもんは無理じゃんって思ってた。でも、今はなんとなく分かる。理由つけてるうちはなんにもできない。何かの所為にしてる限り、人は成長しない。
  だから、尚也とのこともきっとそう。ヤマトくんの写真や手紙を見つけてショックだったのは、ヤマトくんの所為でも尚也の所為でもない。……理由は、俺の中にあるんだ。
  暗い空の下を、俺は一人で歩く。七月だというのに、なんだか肌寒い。
  しばらくすると、大粒の雨が降り始めた。






 激しい雨が降る中、尚也は実家の駐車場にバイクを停めた。
 キーを引き抜くのももどかしく、ヘルメットのままで玄関に駆け込む。すると、バイクの音に気付いた尚也の姉の果花が玄関に現れた。
「あれ?どうしたの?」
「花姉、悪いけどこのメット、俺の部屋に置いておいて。それと、一万貸して。明日には必ず返すから」
 果花は濡れたヘルメットを受け取り、思わず弟をポカンと見つめる。しかし、弟の必死な様子に状況を悟ったのか、無言で奥へと消えた。
「はい、持ってき」
  帰ってきた果花は、尚也に一万円札を二枚渡す。尚也が驚いて姉を見上げると、果花はひどく姉っぽい顔で言った。
「いいわよ。テンパってんでしょ?持ってるに越したことないしね」
「花姉…、サンキュ」
 尚也は、深く息をつきながら札を畳んでポケットにねじ込む。尚也がそのまま玄関を飛び出していくと、その背中に果花が言った。
「いいのよ〜、トイチだけどね〜」






 母さんの墓は、とても綺麗に掃除されていた。
 父さんがよく来てるのは知ってる。たまに一緒にくるけど、やっぱり法事でもないのに男二人で墓参りするのはちょっと恥ずかしい。だから、俺も一人で来ることの方が多かった。
 もしも母さんが生きてたら、なんて言ったかな?
「悩みたいだけ悩んだら、すっきりするんじゃない?」
  っていうかな?どうだろう。こんな相談したことなかったから、想像もつかないや。
  まだ夕方前だっていうのに、こんなにも暗い空。でも灰色っていうよりも、ブルーグレーって感じ。薄蒼い靄がかかってるみたいだ。
  俺は一向になにも言ってくれない母さんの墓石を見つめる。そしてふと、もしもマシューさんが生きていて、母さんと俺を迎えに来ていたら、父さんはどうしていただろうか……なんてことを考えていた。






 尚也はタクシーを降りると、子規の父親に教えてもらった場所まで一目散に走っていった。
  そこは、子規の母親の眠る場所。激しい雨のせいか、墓地には人影が全くなかった。
「子規くん!」
  周りを見ながら何度か呼んでみる。返事は、なかった。
 尚也は、少し焦っていた。いつもの尚也だったら、冷静に子規が帰ってくるのを待つかもしれない。しかし、今日は、今日だけは「今、会って話さないといけない」と感じた。そうしなければ、ヤマトを無くした時のように、手繰り寄せるべき糸が切れてしまうような気がした。
  ヤマトの写真は、処分するために出しておいたものだった。最近子規が寝室に行かないから、油断していたとしか言いようが無い。
「子規くんっ!」
 キス以上をしなかったのは、子規がとまどっているようにも見えたから。急いだら、傷つけてしまいそうだったから。軽いキスしかしなかったのは、それ以上してしまうと、自分の抑えがきかなくなるかもしれない危険性があったから…。でも、もしかしたらそのことも、子規に変な誤解をさせたかもしれない。
 尚也の前髪がゆれ、雨の雫がしたたり落ちる。自分の詰めの甘さに、嫌気がさした。
 子規の母親の場所は、すぐそこの筈。砂利を踏んで『真岡家』と書かれた墓にたどり着いた時、尚也は肩で息をしながら、しばらく呆然とそこに立ちすくんだ。
  そこには、誰もいなかった。
  PHSから聞こえてきた構内放送で、子規が鎌倉駅にいることは分かった。そしてそれが子規の墓参りのルートであることは、子規の父親に聞いた。絶対にここに来ていると思ったのに…。
 ここにいないとしたら、じゃあどこに?
  いや、もしかしたらここに来て、それから移動したのかもしれない。…としても、どこへ行った?持ち物は財布と定期とPHSだけだろうし、PHSには何度も電話したが通じなかった。もしも、傘も差さずに歩いてるんだとしたら、相当濡れてる筈で、そうなると電車に乗るのも気が引けるだろうし。歩いて移動するにしても、範囲は限られる。
「子規くん…」
  痛いほどの雨が、尚也の身体に降り注いだ。






 どれくらい歩いたろう。俺は、少し暗くなってきた空を、立ち止まって見上げた。目に刺さるような雨。制服のシャツには、もう乾いてる場所なんて一箇所も無い。身体にはりついたシャツも、もう剥がそうという気にさえならなかった。
  蒼い空。雨の激しさに、霧のような白い靄。交差点で立ち止まったまま目を閉じると、雨の音が耳の奥にこだました。
そうだよな。「最近忙しい?」って聞かれてドキっとしたのも、きっと「言い訳しなくちゃ」って思ったんだよな。言い訳、ずっとしたいと思ってたから。電話したいのに、できなかったんだよって、……本当は、電話できない理由なんかないのに。ただ、尚也からして欲しかったってだけで……。
 なんだよ、俺、すげぇ〜ワガママじゃん。愛されたいだけの、ただの、ワガママなガキじゃん。そんなんじゃ、尚也が離れたとしても、当然だよ……。
 雨の雫が頬を伝う。それに紛れて、ひときわ熱い雫が俺の頬を伝った。
 やば。目、開けらんない。今開けたら、これ、止まらなくなる。ふてくされたように突き出した下唇も震えてる。閉じたままでも零れ出す涙は、俺の頬の上を幾筋にも分かれて伝っていった。
その時、痛いくらいの力で掴まれる肩。驚いて目を開けると、俺の目の前にずぶ濡れで立っている人物と目が合った。
 尚也だった。
 瞬間、俺の眉がきゅ〜っと寄っていく。充血した目からは止まることなく溢れるもの。
「子規くん……よかった、見つかって…」
 走って来たのか、尚也は息を整えようと肩で呼吸をしている。誰もいない雨の中、俺は濡れそぼった尚也の胸に抱きついた。
「…っ、尚也ぁ……」
「子規くん…ごめん…ね」
 尚也は謝りながら、冷え切った腕で俺のことを抱き返してくる。俺は、嗚咽をこらえながら、幾度も首を横に振った。謝るのは、尚也じゃないから。
  久しぶりに会ったとき、ぎこちなかったのは俺の所為。尚也はいつも通りだったのに、俺が変なことにこだわって、尚也のこと傷つけた。俺、だっていま分かっちゃったんだもん。あの時しなかったのは、するよりも先に、尚也に言って欲しかったから。
「子規くんが好きだよ」
 って。自分からは言えないくせに、尚也には言ってもらいたかったから。単なる、俺のワガママだから…。
 ちょっと離れたくらいで、不安になった。忘れられたかな?って思った。なんで、相手の気持ち疑ってんだよ。俺、ばかじゃね〜?だって、俺の方は肝心な一言を言ってないのに。言わなくちゃいけないのは、俺の方なのに…。
「尚…也…っ」
 濡れた目を上げて尚也を見る。しゃくりを上げそうになって、俺は息を飲んだ。
「俺……っ、尚也のこと……好きだから…。ちゃんと、好きだから……っ」
「子規くん……」
  尚也は突然のことに驚いたように、それでも嬉しそうに微笑む。その笑顔を見られたことで、俺はまた妙に安心しちゃって、さらに泣きながら言った。
「だから……っ、ごめん…ねっ…」






 濡れたシャツを引き剥がす尚也の腕。熱いシャワーの湯気が浴室に充満する中、張り付いた服を脱がしあいながら、苦しいほどのキスを繰り返した。痛いほどに絡む舌。噛まれるみたいに吸われる首筋。
 ホテルに入ってから、俺たちは一言も言葉を交わしていなかった。ただ、冷えた身体を温めるため、浴槽にお湯を出し、そのまま浴室を出て行こうとする尚也の腕を、俺の腕が掴んだ。それだけで、充分だった。
「んっ……」
 それを咥えられ、と同時に後ろに入れられる指。今までみたいに焦らしたりしない、先を急ぐような、むさぼるような尚也の愛撫。尚也の背中に注ぐシャワーの熱いお湯が、尚也の身体を伝って、一糸纏わぬ俺の身体にも落ちてきた。
「あっ……尚也…っ……なお…っ」
 脳にジンジンと響く快感に、きつく目を閉じる。浴槽の脇に敷かれたマットの上に横たわりながら、雨の様に降ってくるシャワーのしぶきを顔面に感じた。反らせた背中の下を、浴槽から溢れたお湯が流れていく。
「っ……う…んっ」
 指が抜かれたと同時に、感じる圧迫感。尚也の熱を内側で感じながら、俺は尚也の背中に腕を回した。
「子規くん……」
 名前を呼ばれて、重ねられる口唇。その間にも、更に奥へと入り込んでくる尚也の身体、
 そのまま動き出した尚也の身体は、まだ風呂につかっていないにもかかわらず、熱くなっていた。
 息苦しさは湯気の所為。胸の切なさは愛しさの所為。こんなにも満たされた気分になるのは、きっと………自分の気持ちを伝えられた所為。
「はっ…ん……っ」
 今までで一番深いトコロからかけ上げって来る快感。自分の意思に関係なく、尚也をすごくしめつけてることも良く分かる。尚也の手が俺のそれにかかると、泣きたいくらいに腰が痺れた。
「な…っ……こん……な……」
 気持ちが良すぎて、涙が止まらない。尚也の動きに合わせて大きなうねりとなって襲う快感に、俺は、思わず尚也の背中に爪を立てた。






 う……。
 目が重い。俺は、目覚めた瞬間、あまりの瞼の重さにビックリした。そっか、泣き過ぎたから顔が腫れてるんだ。
「う……」
 喉が痛い。声を出そうとして、今度は喉の痛みに気付く。風邪をひいたかな?とも思ったけど、きっとそうじゃない。「鳴き過ぎた」から、喉が疲れてるんだ……。うわぁ、なんてこったい。
  でも、胸の中は、なんていうか、スカーっとしたって言うか、見事な五月晴れだった。憑き物が取れたみたいに、すっきりしている。
  そして、半身を起こして部屋を見回すと、尚也はいなかった。っつーかさ!半身起こすのにこんなに辛いってどういうことだよっ!身体が鉛みたいに重いんだって。しかも腰から下は感覚ないし!
  顔は引きつってるしさ、鏡見る勇気ないっつーの。あ、濡れタオル。
 俺は、尚也が置いて行ってくれたであろう濡れタオルを瞼の上に押し付けた。あ〜、気持ちいい〜。でも、一体尚也はどこに行っちゃったんだろう。まさか帰ったわけではないと思うし。そういや、昨日の濡れた服を着て帰らなくちゃいけないのかな?うわ…気持ち悪そう。
 すると、部屋の鍵が開く音。ちょっ…ちょっと、まさかホテルの管理人さんじゃないよね!ふ……服〜〜!
「あ。起きたの?」
 と、耳に届いてきたのは尚也の声。タオルをずらして見ると、尚也が何かを持って目の前に立っていた。
「うん、起きたけど…。どこ、行ってたの?」
「実家に、ちょっとね。すぐ近くだから、服を着替えて、子規くん用に俺の服も持ってきたよ。ついでにバイクもね」
  は〜、なんて準備のいい。それにしても、いま何時なんだろ?
「丁度、十時くらいかな。お腹すいた?」
 おいおい、尚也ったら俺の心が読めるのか?俺は下瞼に冷えたタオルを当てながら、実に不気味な姿で尚也を見上げていた。
「お腹…ねぇ、別に……」
 しかし、掠れる声でそう呟いた瞬間、俺の言葉に反するように、俺の腹がグゥ〜〜〜ッと鳴った。ぎゃ!恥ずかしいっ!
「す……空いてないって言ってないじゃん!」
  苦しいフォロー。尚也はベッドに腰掛けて、息も絶えんばかりに笑っていた。ち…ちくしょう、顔が熱いぜ。
「そうだね、じゃあチェックアウトしてブランチでも食べに行こうか」
  そう言いながらも、まだ笑っていやがる。尚也め〜。
  俺は尚也の渡してくれた服をノロノロと身につけながら、窓の外に見える景色を眺める。昨日の雨が嘘のような、晴れ渡った日だった。
「子規くん」
 すると、尚也が笑い終えたのか、ちょっとマジなトーンで俺を呼ぶ。俺は顔を尚也に向けると、なに?という意味で首をかしげた。
「あれは、処分するために出しておいたんだよ。手紙も昔のものだし」
  真剣な尚也の顔。それでもやっぱり、天然笑顔だったけど。
  俺は、しばらく尚也の顔を見つめ、ふっと笑うと、着替えを再開しながら返した。
「……うん」
 本当は、もうどうでも良かった。尚也がそれを処分してもしなくても。
 俺の気持ちが、はっきりしたから。
「それよりさ、尚也……疲れてないの?」
  あんなにすごい昨夜だったのに、尚也を見てると、まるで何も無かったみたいに見える。それが不思議で聞いてみたのに、尚也は何を勘違いしたのか、嬉しそうに笑って言った。
「じゃあ、延長して、疲れてるかどうか確認しようか?」
  ぎゃあ!なんてこと言うんだよう!聞いてるこっちが恥ずかしくなるわ〜!
  俺は、恥ずかしさ紛れに、傍らにあった枕を尚也めがけて投げてみる。尚也は楽しそうにそれを受け取ると、まんざら冗談でもなかったような顔でもう一度ニコッと笑った。
「ほら、いい風だよ」
  尚也が窓を開け、外の空気を部屋の中に入れる。確かに、今日はいい天気になりそうだ。

  そして俺は、キラキラに輝く太陽を見上げながら、これが「雨降って、地固まる」ってヤツかな?……なんて思った。






−終−



ひさびさの更新だっちゅーのに、一年前の作品です(^^;)
2003年の11月にコピーで出した「それ嘘」の番外編にあたります。
時期は丁度「それ嘘」の直後あたりと考えていただければ
いいかと・・・。いやはや(笑)。相変わらずの雨好きで・・・(^^;)

文章白くて読みにくいときは、選択していただければ・・・。すみません(^^;)


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