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乙姫静香
◇第三十話◇
「美味しいワインの楽しみ方4」
はぁ、洒落になんねぇ。
俺はため息をつくと、傍らのコーヒーに手を伸ばす。目の前のPC画面など目に入らないし、思考力は著しく低下している。
そう、他のことが考えられないのだ。寺島さん以外のことが。
自分の中に芽生えたらしい仄かな想いは、ある種興味本位だと思っていたし、ある種気の迷いだとも思っていた。それを、楽しんでいる自分はいたけれども。
でも、金曜の夜、寺島さんの家に泊まってはっきり分かった事実。これは興味本位というよりも、欲そのものだ。眠っている寺島さんを見て、抱くことも可能だと、分かってしまった。
「でもなぁ〜・・・」
そこに、寺島さんの気持ちがどうとか、そういうメンタルな部分は入ってこない。まさに、オスとしての本能で抱けると気付いてしまったのだ。う、俺ってサイテー。かなりの自己嫌悪だ。
「でも、なんなんだよ」
ふと、パーティションの向こうから聞こえてくる声。横を見ると、二年上の一ノ蔵先輩の顔があった。パーティションの脇から、こっちを覗いている。
「え?なんスか?」
「なんスかじゃないよ。気になるだろ、そんな変な呟きされたら」
しらばっくれようとしても、そうは行かないらしい。確か今はフリーだと言っていたから、人の話に敏感なのかもしれない。そういや、先輩は寺島さんと結構仲が良かったっけ。
「また上書き保存の仕方を間違えて、見積もりを真っ白にしたかと思うじゃないか」
痛い過去をチクチクと責められ、思わず苦笑い。
「その節は、大変ご迷惑をおかけいたしました」
深々と頭を下げながら、ついでに手も前に出してみる。すると先輩が冗談めいた表情で言った。
「あ、本当に違うんだ」
「違いますよ〜。さすがにあんなミスしょっちゅうしてたら顰蹙もんですよ」
パソコンに慣れていない所為で、当初は先輩が言葉をなくすようなミスを何度かしたのも事実。ちゃんと失敗からは学んでいるので、ご容赦ください。
すると先輩は短く笑って、自分の仕事に戻ろうと椅子を引いた。そういや、この先輩もやたらとモテるんだよな。女子社員の中では狙ってる子が多いみたいだし。
「・・・一ノ蔵先輩」
「ん?どうした?」
思わずパーティションににじりよって、相手の机を覗き込む。先輩は、ボルヴィックのボトルを手に振り返った。
「先輩、いま彼女いるんスか?」
と、一瞬、先輩が息を止める。そして、ゆっくりと俺を見て返した。
「なんだ、藪から棒に。・・・お前の悩みって、そういう方面なわけ?」
「まぁ、いいじゃないですか。で、いるんですか?」
からかうでもなく、納得したようにふぅ〜んと唸る先輩。水を一口飲むと、先輩は首を横に振りながら言った。
「いや、いまはフリーだけど」
へぇ〜、こんなにモテるのに、本当にフリーなんだ。女子社員に教えたら喜ばれそうなネタだな。
「マジっスか?そうしたら質問なんですけど、フリーの時間が長いと・・・」
男に欲情することってありえるんですかね?と言いかけてやめる。それはあまりにも直球すぎるし、下手するとその瞬間から、先輩の俺を見る目が変わりそうだ。大体、どれだけフリーの時間があろうとも、男に欲情することとは話が違う気もしたし・・・。
「長いと?」
先輩は真剣に俺の話を聞いてくれているようで、俺の次の言葉を待っている。俺は、深呼吸をしながらなんて続けようか考え、そして口を開いた。
「フリーの時間が長いと・・・誰でもいいっていうか、見境なくなっちゃうってこと、ありますかね?自分のいつもの好みとは真逆にいるような相手でも気になったりとか・・・」
とりあえず、遠からずこんな表現で。真逆と言っても、女から男ってことなんだけど。逆すぎるだろうか・・・すぎるよなぁ。
「う〜ん。どうだろう」
先輩はピンと来ないという顔で、大きく息をついてみる。手の中でボルヴィックのボトルがグルグルと回っていた。
「人によるんじゃないのか?見境なくなってくる人もいれば、逆にどんどん譲れなくなってくる人もいるだろうし。好み自体が変わる場合もあるしな」
はぁ、それはそうかもしれない。納得。
「先輩はそういうことないんですか?」
つい聞き返し、瞬時に後悔。そうだ、この人は振られて泣いたことがない人なんだ。しかもフリーの時間もそんなに長くあるわけではないだろうし。
「あるというかないというか・・・そもそも、そんなに自分の好みにどんぴしゃりな相手と付き合ったことがないというか・・・。あまり自分から押していく方でもないからなぁ」
やっぱり。モテる男は努力知らずなのだ。自分の好みに合った相手と付き合ったことが無いということは、好みじゃない相手に告白されて付き合ったことがたんまりあるってことで、それはモテちゃってますってことだろ?しかもイヤミでなく素で言ってるあたりがちょっとムカつく。でも、このがっついてない辺りが、女子社員に人気のあるポイントなんだろう。
「それ、フツーに人前で言ったら、かなりイヤな男ですよ・・・」
「すまん・・・」
しかし、男に嫌われないのはこの素直なところだろう。モテる外見の割に、性格が真面目だから好印象なのだ。だから上司にも・・・そうだ、ここにも男に好かれてる人がいるじゃないか。岡本係長は、絶対先輩に惚れてる筈だし!
「先輩、男に惚れられたことって・・・あります?」
すると、途端に先輩の目が泳ぎだす。あ、係長のこと、やっぱり自覚あるんだ。
「ど・・・どうして、そういう話になるんだ?」
ふぅ〜ん、やっぱり表向きは気付かないフリをするのか〜。ってことは、俺が接近しても寺島さんにそういう反応される可能性も大ってことだな。まぁでも、確信がないかぎり、好かれてるかもと思っても、どうにもできないよな・・・フツウ。男同士じゃ尚更。
「いや、ちょっと・・・友人に、男に惚れちゃって困ってるヤツがいて、どう言ってやったらいいのかと」
と、俺が苦しい言い訳をしていると、そこに当の岡本係長がやってくる。話しているトピックがトピックだったせいか、一ノ蔵先輩の顔がビクリと反応した。
「二人とも、ちょっといいか」
「はい」
先輩と声をそろえて返しながら、立ち上がる。すると、係長が他の会社の人間と思われるサラリーマンを一人連れてきた。
「こちら、一八出版の大澤さんだ」
「はじめまして大澤です」
・・・イチロー?と瞬間的に思ってしまうほど、よく似ている。先輩と二人して頭を下げると、係長が大澤さんに言った。
「うちの一ノ蔵と中山です。今度から御社の担当をこの一ノ蔵と一緒にさせていただきますので、ご挨拶をさせていただこうと思いまして。本来なら御社に御伺いするべきところですが、丁度いらしていたので、すみません。中山にも一ノ蔵の下で勉強させていただければと思ってます」
「そうですか、どうぞよろしくお願いいたします。一ノ蔵さん、中山さん」
「あ、はい、一ノ蔵です。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
「中山です。よろしくお願いします」
とりあえずはサラリーマンらしく、名刺交換。大澤芳之っていうのか〜。タイプは違うけどこの人もこの人でモテそうな感じがするな。なんか、妙に係長と仲良さそうだし。スタイルいいしな。
「では、詳しいことは後日改めて。大澤さん、こちらへどうぞ」
「はい、失礼します」
サワヤカな挨拶に、俺達も頭をさげる。大澤とやらの姿が消えると、隣で先輩がため息混じりに漏らした。
「なんなんだ。そんな話、初耳だぞ」
「えっ!?そうなんスか?てっきり俺、先輩は知ってたのかと・・・」
先輩を見ると、先輩は俺を見ながら首を横に振る。
「それは、あの係長にしてはめずらしい話ですねぇ」
説明をし忘れるとか、確認を怠るとか、そういったこととは無縁の係長なのに、引継ぎなんて大事なことを言い忘れるなんて。
「そうだな、ちょっと・・・気になるけど」
先輩は先輩で、なにかがひっかかるのか、もらった名刺に視線を落として口を閉じる。俺は、デスクの上のカラのマグカップを手に取ると、無言で考え込む先輩に言った。
「コーヒーいれてきます」
それにも、先輩は、あぁともうんともつかない声で唸るのみ。俺は営業のオフィスを出ると、カップを片手に廊下を進んだ。すると、再び前方に見える係長の姿。例の大澤も一緒だ。そしてもう一人。
・・・寺島さんだ。
大澤とかいうヤツ相手に、寺島さんが楽しそうに話をしている。なんだ?なんだか知らないけど、妙に盛り上がってるぞ。
寺島さん、結構人見知りするタイプだと思ってたのに、大澤とは随分親しげに話をしている。俺は、気付かれるのも気まずいので、できるだけさっさと給湯室に入ると、コーヒーメーカーのコーヒーをカップに注いだ。廊下の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
「そうですね、好きですよ。金曜も二人で三本開けましたし」
あ、俺と飲んだワインのことだ。なんだ、俺とのこと話してんじゃん。な〜んだ。
俺はちょっと気分がよくなって、コーヒーをなみなみと注ぎ続ける。寺島さんが俺のいないところで俺の話をしていることが、なぜだかとてつもなく嬉しかった。
「・・・あ、いいですねぇ」
湯沸かし器の音のせいで、やっぱり所々聞こえない声。そして、次の寺島さんのセリフが耳に飛び込んだとき、俺の幸せな時間は終わりを告げた。
「ぜひ、近いうちに飲みにいきましょうよ。電話ください」
−終−
ふぅ、やっとヨッさん出せました(^^;)
これからが本番!山あり谷ありでございます。