100moments
乙姫静香

◇第二十九話◇



悩めるわがままな男



 わがままな男、大澤は落ち込んでいた。
 きっかけは些細なこと。偶然再会した昔の男に言われた一言が、大澤のプライドを傷つけたのだ。
「キスが苦手だったよな」
 相手にしてみれば、傷つけるつもりもなにもない、単なる思い出のひとつ。しかし、無垢に放たれたその言葉は、即座に大澤の直面すべき問題となった。
 苦手って・・・下手ってことか?いや、普通に考えればそうだろう。それ以外の解釈方法なんか思いつきもしない。
 過去に付き合った相手に下手だと言われたことなんて、今までに一度もない。そりゃ、天にも昇る気持ちだと言われたこともないけれど。でもまぁ、一般レベル程度ではあると思っていた。
 が。今知る現実。過去の何人がそう思ったのだろうと考え出すと、夜も眠れない。
というわけで、今日大澤は宮坂の元に来ていた。
「え?なんでそんなこと聞くのさ」
 目を丸くし、心なしか頬を赤らめて宮坂は身体を引いた。家に上がりこむや否や、いきなり変な質問をぶつけてくる大澤に、さすがの宮坂も警戒する。
「いいから、これは俺にとってすっごく大事なことなんだから、真面目に答えてくれ。・・・珠ちゃんは、キスが上手いか?」
 ソファに座った宮坂を見下ろし、両手を前に差し出す大澤。野球のアンパイアのようにかすかに腰が引けているのはどういうわけか。
 真剣なのか?それともまた何かの冗談なのか?しかし、もしもこれが冗談なんだとしたら、大澤は相当の演技達者だなと思う宮坂だった。
「・・・俺は・・・上手いと思う・・・けど」
 疑いの眼差しをキープしたまま、それでも重い口を開く宮坂。大澤は一度軽くガッツポーズをしたものの、ふと我に返って言った。
「上手いと思う、けど・・・?けどってなんだよ」
「・・・けど、それが、芳之になんの関係があるんだよ」
 また余計なことでもする気なんじゃないかと言いたげな宮坂の瞳。大澤は前に出した手を横に振りながら、明るく否定してみせた。
「あ、大丈夫大丈夫。お前にはなんの迷惑もかけないから。ただ、参考に聞いてみただけ。ほら、普通恋人には中々正直に言えないもんだろ?直接はな」
 言いながら、しくしくと胸が痛む。そりゃそうだ、自分ははっきりと正直に直接言われたのだから。すると宮坂、納得したように小さく何度も肯きながら、目の前に置いておいたミネラルウォーターのペットボトルを手にした。
「そりゃねー、付き合ってる真っ最中には、たとえ下手でもそうとは言えないよね」
 ぐさ。大澤の胸に、さらに突き刺さるなにか。宮坂が笑顔な分、余計リアルに響く。
 なんだ?別れたから言われたのか?そういうことなのか?付き合ってる最中はずっとそう思ってたってことなのか?
「鼻毛が出てるとかってのも、中々言えないよね」
 ぐさぐさ。なんだ?俺のキスは鼻毛と同列なのか?鼻毛キスか?いやいや、忍はなにも知らずに言ってるわけで・・・。でもこいつ、キスが上手いって昔っから評判いいんだよな。舌に特別な筋肉でも入れてんのか?それともウィルに特別なテクでも習ったのか?あぁ、なんにせよこいつには今の俺の気持ちなんかこれっぽっちも分からないに違いない。こんな悩みだって持ったこと無いだろうし。だから笑顔でいられるんだよな。
「・・・芳之?」
 自分を見ているものの、長い沈黙をキープしている大澤に、宮坂が問いかける。大澤は小さなため息をつくと、突然渋い顔をして返した。
「・・・忍なぁ、鼻毛だって一生懸命生きてんだぞ」



 一ノ蔵は、自分の部屋の前に誰かの気配を感じ、玄関近くで立ち止まった。
 まだ人気の無い深夜というわけでもない、どっちかというと夕方に毛が生えた程度の夜。しかし、何時にしても自分の部屋の前に誰かがしゃがみこんでいるというのは、好ましい状況ではなかった。
 話しかけるべきかどうか悩みながら、距離を測りつつ近づいてみる。スーツの背中をじっとみつめ、ふと考える。どこかで見たことがあるような・・・。
「・・・ヨッさん?」
「あ、珠ちゃん。おかえり」
 一ノ蔵の声に振り返った大澤は、どこか元気が無いように見える。一ノ蔵は安堵の息をつきながら、鍵を取り出しドアを開けた。
「やだな、おどかさないでくださいよ。一体誰かと思ったじゃないですか」
 玄関の電気を点けながら靴を脱いで部屋にあがる。大澤は、慣れた様子で一ノ蔵の後に続きながら、皮肉っぽく呟いた。
「なに?昔の男が来たりするわけ?珠ちゃんのキスが忘れられずに・・・」
「まさか」
 一ノ蔵は、冗談だと思ったのか短く笑って返す。一ノ蔵がスーツのジャケットを脱いでいる間に、大澤もセルフサービスでハンガーにジャケットをかけた。
「ビールでいいっすか?・・・って、もう・・・」
 一ノ蔵がネクタイを緩めている間に、これまたセルフサービスで冷蔵庫を開ける大澤。そもそも、この部屋の冷蔵庫内に入っているビールは、先日大澤が持ち込んだものだった。ダースで。
「なぁ珠ちゃん」
「はい?」
 グラスを二つだし、そのグラスにビールを注ぎながら大澤がクッションを引っ張り出して座る。一ノ蔵はもはや慣れたもので、大澤に構わず部屋着に着替えようとしていた。
「折り入って、話があるんだが」
「どうしたんですか?妙に真剣ですね」
 シャツを脱ぎ、朝脱ぎ捨てたTシャツを着ながら、一ノ蔵が笑顔を向ける。大澤はとりあえずビールを一口飲んで、息をついた。
「・・・あのなぁ、珠ちゃん」
「はぁ」
 どんどん声が沈んでいく大澤に、一ノ蔵の心の中に不安の芽が生える。それでもスウェットのパンツを傍らに置くと、ベルトに手をかけてカチャリと外した。
「キス・・・させてくんないか?」
「・・・・・・」
 一ノ蔵の手が止まり、一瞬の静寂が訪れる。そして、外しかけていたスラックスのボタンを留めなおし、ベルトをしっかり閉めなおすと、一ノ蔵は深呼吸の後に返した。
「・・・はいぃ?」
 直視することができず、大澤の五十センチ隣の空間を見つめたまま、直立で固まる一ノ蔵。大澤は、そんな一ノ蔵の様子に、珍しく慌てて言った。
「いや、そんなに構えるようなことじゃないんだけどな。珠ちゃんにしてくれって頼んでるんじゃなくて、俺にさせてくれって頼んでるわけで・・・」
 そりゃどっちにしたって同じじゃないか?と心の中で反論する一ノ蔵。どっちにしたって断ることに変わりもないし。
「じょ・・・冗談ですよねぇ?」
「こんなこと冗談で言えるか!?」
 あくまでも真剣な瞳の大澤。しかし、以前にも「抱かれてみない?」と一ノ蔵に言ったりした大澤のことだ、冗談という可能性は大きい。というか、冗談であってくれという祈りにも似た気持ちがあった。
「でも、ヨッさん前に、抱かれてみないかとかって、言ったりしたし・・・」
「あれとこれじゃあ話が違うだろうが!第一、あれは勧誘で、これは依頼なわけだし・・・」
 その違いはどこで見極めるんスか?と、これまた心の中で叫ぶ一ノ蔵。しかし、今回ばかりは信じて良さそうな雰囲気が漂っていることも確か。大澤の目が血走っていることからも、それは窺い知れた。
「それにしたって、一体どういうことなんですか?なんで急にそんなこと・・・」
 仕方なくスラックスのまま床に座る一ノ蔵。大澤は、その間もビールを一口飲んでいた。
「それを聞くのか?」
「へ?」
 明らかに苦々しい顔をしている大澤。口をへの字に曲げたまま、深いため息をついている。
「それを聞いちゃあ、おしめぇだなぁ・・・」
 今度は江戸っ子かい。一ノ蔵は頭が追いつかず、首を斜めにかしげる。とりあえず自分も落ち着こうと、一ノ蔵もビールを一口飲んだ。
「じゃあ、理由も教えてもらえずに、ただ黙ってキスされろ・・・と?」
「まぁ、そういう言い方をされると、なんだか俺が酷いヤツみたいに聞こえるけど、要はそういうことだな」
 それは実際に酷いヤツなんじゃあ?と言いたい気持ちに封をして、一ノ蔵は頭をポリポリと掻く。さて、どうしたもんだかなと思ったとき、大澤がさらに言った。
「忍に聞いたんだが、珠ちゃんはキスが上手いらしいな」
「忍さんが言ったんですかっ?」
「うん」
 口唇についたビールの泡を手の甲で拭いながら大澤が肯く。一ノ蔵は、その言葉を即座に信じると、口端を緩ませて夢見がちな瞳を見せた。
 ホワン
 そんな音が似合いそうな感じで。
「そ・・・そんな、上手いって・・・忍さんの方がよっぽど・・・」
 誰に対してのテレなのか、目尻をさげたままで頭を掻く。その顔を見ながら、大澤は、「付き合ってる最中は下手でもそうとは言えない」とも言っていた事実は隠蔽しようと決めた。
「だ〜か〜ら〜!」
「はい?」
 このまま夢の世界にトリップしていきそうな一ノ蔵をつなぎとめるため、大澤はゴンっと音を立ててグラスをテーブルに置く。見事な一気飲みで、グラスはすでに空になっていた。
「その、キス上手な珠ちゃんを男と・・・そして、真の友達と見込んで頼んでるんじゃないか!贅沢は言わん!上手いか下手か、教えてくれるだけでいいから!」
 すると一ノ蔵、真剣な大澤の目を見つめて、優に十秒もの間、息を止めた。
「・・・上手いか下手か?もしかして、ヨッさん・・・」
「うわっ!皆まで言うな!」
 自分でも口が滑ったと思う大澤。一ノ蔵とてそこまで鈍い方ではない、大澤が突然こんなことを言い出した理由も、これで明白と言うわけだ。
「一体・・・誰に言われたんですか、そんなこと」
 これが裕次郎ならすぐにでも笑い出しただろう。しかし、弟の方は真面目な顔でそう言うと、困った顔で息をついた。
「それは、その・・・昔、ちょっと付き合ってたヤツに、最近、な・・・」
 バツが悪そうに呟く大澤。一ノ蔵は、大澤を茶化す気も無く、ただひたすらに同情する。それは確かにへこむかもしれない・・・と。そして、キス程度で本当によかった・・・という安堵も添えて。
「気にする気持ちもわからなくもないですけど・・・。でも、気にしない方がいいんじゃないですか?単に、ヤキモチかもしれないし」
「ヤキモチ!?なんだそりゃ?」
 大澤は一ノ蔵の提案に耳を貸す気もなく、ひたすらネガティブに落ち込んでいる。これもまた不思議なもんだなと一ノ蔵は思った。大澤だって、そこまで悲観的なタイプでもないわけだし。
「例えば、ヨッさんにまだ未練があって、ちょっと意地悪したかったとか、今の相手へのヤキモチとか・・・」
「違う!そんなんじゃない!アイツにはもう次がいるって言ってたし、俺とのことは本当にもうただの過去なんだってば!」
 首をブンブンと振って否定する大澤。これは益々おかしい。
「じゃあ、ヨッさんの方が相手に未練があるとか?」
 覚悟の上で切り込んでみる一ノ蔵。しかし、それにも大澤は強く首を横に振った。
「ふむ。ヨッさん、考えすぎなんじゃないスかねぇ?大体、昔の話じゃないですか。昔の恋愛でしたことをほじくられたら、誰だって恥ずかしいことだらけですよ。そんなに悩むことないと思いますけどねぇ」
 しかし、大澤はさらにブンブンと首を振る。一ノ蔵もさすがに困って首を傾げると、この世の終わりのように真剣な眼差しで大澤が言った
「これはなぁ、なんつーか、男の沽券に係わる問題なんだ。そして、この問題に明確な答えを出せるのは、俺と付き合ったことも、ましてや付き合う気も無い中立の立場にいる珠ちゃんだけなんだ!!」
 宮坂の「付き合ってる最中は〜」発言を聞いていない一ノ蔵には、大澤がなぜそこまでこだわるのか、さっぱり理解できない。ただ、単なるテクニックの問題ならば、大澤の言うことも一理あるなとは思った。
 なんとも重苦しい空気が二人の間を流れる。一ノ蔵が断る方法を必死に探していると、思いもしない方から声が聞こえてきた。
「俺は男の沽券よりも、男の股間に係わっていきたいなぁ」
 現れたのは裕次郎。そういえば、鍵を閉め忘れていたっけ。にしても、ノックもなにも無いまま上がりこんでくるとは・・・。
「茶化すんじゃねぇ。マジな話の最中なんだから」
 当然のように一緒にテーブルを囲む裕次郎に、大澤が厳しい視線を投げる。裕次郎は、それにめげる気配もなく、笑顔で返した。
「じゃあ、なんで俺に相談しねぇんだよ。俺だったら、いますぐにでも要求を呑んでやるのに」
「ぎゃあっ!」
 心の中で叫ぶつもりが、しっかり口にでている大澤。一ノ蔵は左右に座っている兄と大澤を交互に見ながら、どこで口を挟むべきか考えていた。
「俺の方がタマよりも上手いだろうし。芳之になにか問題があれば、そのままレクチャータイムにもつれ込んだって・・・」
「うわぁ!うわぁ!うわぁあああああ!」
 聞きたくないと言わんばかりに、両手で耳をふさぎ、わめく大澤。そして、一ノ蔵はここでも言葉を挟み損ね、ただ視線を左右に動かしていた。
「誰もが思わずベルトを外したくなる様なキスを教えてやるから・・・」
 そんなキス、本当に存在するのか?と一ノ蔵は考えながら冷静に聞いている。しかし、大澤は拒絶モードに入ってしまったのか、裕次郎が何を言ってもわめくばかり。
「友達でもないお前の言うことなんか誰が聞くか〜!去れ悪魔め!邪悪なモノめ〜っ!」
 叫びながら立ち上がるエクソシスト大澤に、あくまでも楽しげな悪魔裕次郎。一ノ蔵は、完全に傍観者と化しながら、目の前のコントを眺めていた。
「お前が去らないなら、俺が去ってやる!お前の母ちゃんで〜べそ〜〜〜っ!!」
 上着を掴み、鞄を抱え走り去る大澤。バタンと音がして扉が閉まると、一瞬の静寂が訪れた。
「これは、追いかける・・・べきなのか?」
 大澤が去っていった方向を見ながら、一ノ蔵がポツリともらす。裕次郎は大澤が残したグラスにビールを注ぐと、優雅にそれを飲みながら、サラリと言った。
「追いかけるってことは、キスするってことだぞ」
 その言葉に、上げかけた一ノ蔵の腰が固まる。そして、しばし考えた後に再び腰を下ろすと、一ノ蔵は深く長いため息をついた。
「う〜ん、でも、そんなに悩むようなもんか?キスって」
 追いかけることは断念し、自分のグラスにビールを注ぐ一ノ蔵。裕次郎はしきりに首をかしげる弟を横目で見ながら答えた。
「もしもお前のカレシが『お兄さんのキスの方が上手だね』とニコヤカに言ったら?」
「あのなぁ、どうしてそういう例えばっかり・・・」
 相変わらずな兄の言葉に、一ノ蔵はさらに大きなため息をつく。
「いいから考えてみろよ」
 意外と真面目な顔をしている兄に、一ノ蔵も宮坂がそのセリフを言っているトコロを想像する。その想像のために「宮坂と裕次郎がキスをした」という前提を設定することが、非常に許しがたくはあったが・・・。
 そして、一ノ蔵は目の前のビールを一気飲みした。



 翌日の夜。大澤は宮坂とカナメのマンションでくつろいでいた。安堵の笑顔と共に。
「え?『軽々しいキスが苦手だったよな』って言ってただろ?」
 勘違いを訂正してくれたのは、その発言があった現場で一緒に飲んでいた知人。この一言で、大澤は一気に解放された気分になっていた。
「キスそのものが問題じゃなかったんだよな〜」
 はっはっはと笑いながら、ソファの上でクッションを抱きしめる。返す返すも苦い勘違いであった。
 その時、小さな幸せに浸る大澤の耳が誰のものとも知れない足音を拾った。おそらく廊下であろうが、こっちに近づいているように聞こえる。そして、おや?と思う間もなく、この部屋の玄関のドアが開き、誰かが上がりこんできた。そういや、鍵かけてなかったっけ。
「ヨッさん!」
 マンションに上がりこむと、一ノ蔵はソファに座っている大澤の目の前に立った。会社帰りに、まっすぐこっちに来たことは、時間からもよく分かる。
「タマちゃ・・・」
「ヨッさんが真剣に悩んでることは、良く分かりました!俺も、もし忍さんに下手って言われたら、かなりへこむと思うし・・・。友達として、協力したい気持ちはありますが、されるのはさすがに無理だから・・・」
 おおっと、そういやそんな話もしたっけなと大澤は思いながら、訂正しようと片手をあげる。
「いや、タマ・・・」
「絶対に一回こっきりで、絶対に口外しないでくださいね!約束ですよっ!!」
 しかし、それが決意の表れか、一気にまくし立てると、一ノ蔵は大澤の言葉も聞かぬまま、ソファに座っている大澤の顔を鷲づかみにして、一気に口唇を奪った。
「んっ!・・・っ」
 なんとも濃厚なキスをされながら、こりゃ目は閉じるべきか?などと考えつつも、それでも目を開けている大澤。一ノ蔵は律儀というか、現実逃避というか、しっかり目を閉じていたが。
 が、しかし。
「んっ!ん〜〜〜〜〜っ!!」
 突如、一ノ蔵の背中をバンバンと叩く大澤。一ノ蔵が、不思議に思い目を開けると、大澤が必死の瞳で、一ノ蔵の背中の方向を指差した。
「・・・?どうしたん・・・」
 濡れた口唇を離して振り返る一ノ蔵。するとそこには、宮坂が呆然とした顔で立っていた。
「しっ!忍さん!こっこっこっこれはっ!」
「・・・なにこれ。どういうこと・・・?」
 狼狽する一ノ蔵に、こわばった表情の宮坂。大澤は、二人の顔を交互に見つめると、人差し指を立てて言った。
「鼻毛!」
「・・・鼻毛ぇ?」
 大澤の言葉に、マヌケな顔を見せる宮坂と一ノ蔵。だから、そこで珠ちゃんが一緒に驚いちゃだめだろうと思いながら、大澤はさらに続けた。
「お前だって言ってたじゃないか、付き合ってる最中は鼻毛が出てることも正直に言えないって。だからお互いに出てないかチェックして・・・な、珠ちゃん」
「そっそっそう、そうなんですよ、忍さん・・・」
 だから、うろたえるなっつーの!と心の中で一ノ蔵を叱咤する大澤。一ノ蔵は一ノ蔵で、なにかに居たたまれないのか、そわそわしながら上目遣いで宮坂を見た。
「本当にぃ〜?なんか変だなぁ〜」
 宮坂は、不審な目で二人を見つめる。すると、居たたまれなさが限界にきた一ノ蔵が、弾けたように口を開いた。
「うわぁ!すみません!ヨッさんとキスしました!」
「ええっ!?」
 突然の告白に、仰天する宮坂。大澤は、あちゃ〜と頭を抱える。しかし、さらに仰天することがその後に起こった。
「でも、浮気する気とかそんなんじゃあ決してありません。俺の心にいるのは忍さん一人だし、遊びでもないしこれは友情というかなんというか、いや言い訳はさておき、とにかくすいませんごめんなさい。頭冷やしてきます〜〜っ!!」
 まさに、マッハの速さという感じで、ドタバタと部屋を飛び出していく一ノ蔵。一陣の風が、宮坂と大澤の前を駆け抜けた。
「・・・えーっと、・・・で、どういうこと?」
 どう対処していいのか分からずに、指先でこめかみをポリポリとかく宮坂。大澤も、一ノ蔵が去っていった方向を眺めながら、冷静に呟いた。
「なんというか、俺の悩みの相談にのってもらったってだけで、マジでなんでもないんだわ。珠ちゃんが、思った以上に真面目な人間だったという以外は・・・」
「ふぅ〜ん」
 もはや怒る気も失せた顔で、宮坂はコックリと頷く。
「で、追いかけるべき?」
 大澤に視線を投げて問う宮坂。すると大澤、わざと難しい顔で首を振りながら静かに答えた。
「今はそっとしておいてやれ。腹が減ったら帰ってくるだろう」
「そうかなぁ」
楽観視している大澤に比べ、心配そうな宮坂。すると大澤、パッと目を見開いて言った。
「そりゃそうと、珠ちゃんキス上手いな〜びっくりしたわ、俺!」



 その頃、自分が子供の家出扱いされていることも知らず、町内を全力疾走しているサラリーマンが自由が丘町内の各地で目撃されていた。
 わがままな男、転じて罪な男である。




−終−


珠ちゃん受難の日々・・・。
これも一応、友情と愛情の板ばさみってヤツでしょうかね?




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