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乙姫静香
◇第二十八話◇
「さらに誘う男」
だ〜か〜ら〜。
大澤は目の前の男を座った瞳で見つめながら、心の底で呟いた。
どうしてこいつがいるんだ?
…と。大澤の目の前に座っているのは、サマーニット姿の裕次郎。なぜだか、裕次郎。
大澤が一ノ蔵の家に電話をしたのは今日の昼。前から今日は二人で飲む約束をしていたのだが、現れたのはなぜか、珠三郎ではなく裕次郎だった。
「どうして、ここが分かったんだ?」
大澤は、目の前でグラスの中身を着実に減らしている相手を見て言う。すると裕次郎は困った子供をたしなめるような微笑みで返した。
「タマの部屋に入ったら、丁度お前が留守電残してたからな。俺の方に連絡寄越さないなんて水臭ぇな」
どうしてこいつはいつも勝手に弟の部屋に入り込んでいるんだ?一ノ蔵が裕次郎の部屋に勝手に入り込んでるなんて、聞いたことが無いのに。
「連絡するもなにも、俺、お前の携帯の番号知らねぇもん」
そうなのだ。いつも裕次郎を呼び出しているのは一ノ蔵。大澤は裕次郎の住んでいるところ以外、個人的なことを全く知らないのだった。
「なんだ、タマのヤツ俺の番号教えてないんだ」
兄弟だって、普通しないだろ、そういうこと。と、大澤は思いながらビールで喉を潤す。ジョッキが空になると、大澤は立ち上がりながら言った。
「同じの頼んどいてくれ。ちょっとトイレ」
大澤はスーツのジャケットを脱いで椅子の背にかけると、大きなため息をついて席を離れる。裕次郎は大澤の疲れた背中をしばし眺めていた。
先日の会話以来、なんだかぎこちない。いや、当然この間の裕次郎のセリフが冗談だということはよく分かっている。しかし、ああいうことを言われてまんざらでもない自分がどこかにいるような気がすることが、大澤の中で言葉にできないくすぶりになっていた。しかも、今の自分は試乗キャンペーン中。もしも一ノ蔵と知り合う前に裕次郎に出会っていたら、一度くらいは寝ていたかもしれないとも考えられる。たった一度でも後腐れがなさそうなところは、ある意味裕次郎の魅力でもあった。
いやいやいやいや、それは危険思想だってば。と、咄嗟に自分で思い直すも、その想像が間違いでないことは自分が一番よく分かっている。ただ、一ノ蔵との友情やその他モロモロの事情を考えると、もはやそういう対象でないこともよく分かっている。何より、裕次郎のあのキャラクターが、『ありえない』理由のナンバーワンであった。
「だからおい!」
大澤はトイレから戻ると、裕次郎が手にしている携帯に目をとめる。それは明らかに…大澤の携帯だった。
「念のために聞くが、まさか俺と同じ機種で同じ色ってことではないよな?」
「…これか?もちろんお前のだぞ」
全く悪びれずに答える裕次郎。大澤は呆れて視線を天井に向けると、片手で裕次郎から携帯を奪い返した。
「お前の良心はどこにあるんだ…?」
画面を見ると、ちゃっかり裕次郎の番号が登録されている。しかも、なぜだか登録番号は119番だった。
「俺の両親か?実家にいると思うが…」
分かって言ってるのか、それとも素ボケか。
「なんで119番なんだよ。『お前の心の救急車になりたい…』とかって寒いこと言うんじゃねぇだろうなぁ」
言ってる自分も、さすがにこりゃ寒いわと思うセリフ。すると、裕次郎は微笑を浮かべたまま大澤を見つめて返した。
「それも悪かないが、できたら芳之が一人で燃えたぎってしょうがない時に呼ばれる方が嬉しいよな。…ま、鎮火させる気はないけど」
大澤はその視線を横目で見返しながら片手で持ったビアジョッキを空中で止めている。よかった。飲んでいたらまた吹く所だった。
とりあえず気を取り直したところで、一口ビールを飲み、ジョッキをテーブルに置く。そうそう、落ち着いていればこいつの冗談なんて、余裕でかわせるんだから。お互い大人であることを承知の上での冗談なんだから。
「じゃあ、その時には呼ぶから。ぜってぇ完全燃焼させろよ」
冗談には冗談で。座った瞳で裕次郎に言ってみる。ニカっと笑うと、裕次郎も不敵に笑顔で返してきた。
ほらな、返してみれば他愛も無い冗談。これが大人ってもんだよなぁ。
大澤は自分のペースを取り返しつつ、ジョッキを傾ける。ついでに腕時計に視線を落とし、何気なく呟いた。
「それにしても、珠ちゃん遅いな。遅れる時は必ず連絡くるのに…」
裕次郎は何も言わずに視線をそらしてグラスを傾ける。琥珀色の液体の中で、大きなロックアイスがクルリと回った。
「なぁ、そっちには連絡なかったのか?」
大澤が裕次郎を見て、はっきりと問う。しかし、裕次郎はそれにも何も言わず、長い息を吐きながら視線を天井に向けた。
「おい。裕次郎?」
大澤の問いかけに、裕次郎はゆっくりと視線だけを大澤の方に向ける。そんな裕次郎の態度に、大澤も実に5秒以上の時間をかけて表情を変えた。
「お前…、まさか……」
「勘違いするな。これは事故だ。何者かが俺にとりついて…」
裕次郎の右人差し指がゆっくりと動き、ボタンを押すような動きを見せる。
「留守電消したのか〜っ!?」
思わず大澤がその場で立ち上がる。大きな音をたてて椅子が後ろに弾かれ、同時に店内の視線が二人に注がれた。
「だから、俺じゃなくて、俺の右手が」
「お前は『寄生獣』かっ!?ふざけんな!いくら待っても珠ちゃんは来ねぇんじゃねぇかよ!」
「いいから座れよ。迷惑だから」
「迷惑!?お前の方がよっぽど迷惑じゃねぇか!俺は帰るからな!」
椅子の背にかけたジャケットを手に取り、大澤が去ろうとする。しかし、大澤の足は一歩も動かなかった。
大澤の腕を、裕次郎が掴んでいたのだ。それも、かなりの力で。
「…いいから、座れよ」
振り返ればそこには、裕次郎の真剣な瞳。凄みすら感じるその視線に、大澤の動きが止まった。
「あぁ、タマか?俺だ。すまん、芳之から伝言を頼まれてたんだが、言い忘れた。いま渋谷の店なんだけど、お前来れるか?…あぁ。……あぁ」
片手で大澤の腕を掴んだまま、もう片方の手では携帯を持って一ノ蔵と話をしている。大澤は結局、大きなため息をついて再び椅子に腰を下ろした。
「あぁ、今代わる」
そして、目の前に差し出される裕次郎の携帯電話。大澤はそれを受け取ると、一呼吸の後に耳に当てて言った。
「もしもし」
「あ、ヨッさんですか?すみません、俺の方からも電話しなくちゃと思ってたんですけど、残業してて。丁度会社出たトコなんで、すぐ行けると思います」
「あ、そっか。……じゃあ、待ってる」
一ノ蔵の明るい声に、どこか後ろめたさを感じるのは何故だろう。大澤は携帯を裕次郎に返すと、目の前に置いてあるビアジョッキを見つめた。白く曇ったガラスの外側を伝い落ちる、透明な雫。
「30分もあれば来るんじゃねぇか?」
携帯を切った裕次郎が、テーブルの上にその携帯を置く。大澤は裕次郎を見ないままに、返した。
「……痛ぇよ」
テーブルの下では、いまだ裕次郎に掴まれたままの腕。シャツ越しに感じる、裕次郎の握力。
「珠ちゃん来るんだろ。なら、帰らねぇよ」
ゆっくりと放される腕。大澤は、掴まれていた場所を軽くさすった。
「俺は、この手の冗談は嫌いだからな。二度とやるなよ」
そう言いながら、大澤自身、どうしてあんなにカッとしたのか分からない。しかも、カッとしたのは、自分をハメた裕次郎にか?それともあっさりハメられていた自分にか?
すると、裕次郎がウエイターに次のグラスを頼んだ後に言った。
「俺もこんなことは嫌いだぞ。……冗談…ならな」
顔をあげて裕次郎を見る大澤。裕次郎は、もはや笑ってはいなかった。
「でも、お前が冗談にしたいんだったら、それでも構わないさ。今日のは、俺の悪ふざけだ」
「あぁ、そうだな。もし同じことをしたら、その時は俺は本気で帰るぞ」
冗談の仮面がはがれ、本音がボロボロと零れ出る。裕次郎はハッキリと語る大澤に、思わず微笑んで言った。
「芳之、お前…」
そこまで言って、裕次郎は椅子を少し近づけ、大澤の耳元に口を動かす。そして、小さく鼻で笑った後に続けた。
「俺のこと、怖いんだろ?」
「ばっ!」
馬鹿!なにを!?…と言いかけ、大澤が目を丸くする。次の言葉を吐く前に、裕次郎に視線を向けると、裕次郎はいつもの表情で楽しそうに大澤を見つめていた。
「誰が、お前ごときを…」
「でも、俺と二人で会うのは怖いんだろ?だから、タマがいないと困るんだ」
裕次郎の表情が勝ち誇ったように見えるのは、大澤の気のせいか。
「んなわけあるかよ。今日は元々、珠ちゃんと飲む約束だったから…」
そう、だから腹も立ったのだ。裕次郎が二人の友情の妨げになっているから怒っただけで、別にそれ以外の気持ちなんかこれっぽっちもない。そう、無いったら無い!
「じゃあ、今度俺が誘ったら二人っきりで飲みに行けるか?」
「あったり前だろ。行けないわけなんかある訳ないじゃねぇか」
強気でたたきつける言葉。が、その直後に裕次郎が見せた微笑を見て、大澤がハッとした。
これはまさか、二人っきりのデートを快諾したってことか?しかも、かなりノリノリで誘いを受けたってことか?
一体どこまでが裕次郎の術中なのかが分からなくなってくる。考えれば考えるほど、深みにハマっていくような気もするし。どれもこれもが裕次郎の思い通りのような…。
目の前には、満足げな顔で酒を飲んでいる裕次郎。遠くに一ノ蔵の到着を見ながら、大澤は低く唸ってうなだれた。
おいおい、こっちが本当のオチってヤツか?
−終−
はてさて、裕次郎の本意はどこに?
そして大澤の本音はどこに?
そして、この不穏な空気に珠ちゃんは気付くのか??
『寄生獣』っつーのは、人間を捕食する未知なる
生物に右手を乗っ取られた男の子の話です。
怖いけど面白いですよ〜♪