100moments
乙姫静香
◇第二十五話◇
「波ノカタチ・3」(2)
ガチャガチャと鍵を回す。店から歩いてすぐの小さなアパート。俺はでっかい、いかにも物々しい家を想像していたので、本当にここかと疑ったが、先輩の差し出した鍵は確かにこの扉を開けた。
「先輩。大丈夫ですか?着きましたよ」
狭い玄関。中を見ると四畳半と六畳の部屋に台所があるだけ。とても、お坊ちゃんの暮らしには見えなかった。
「先輩?一人暮らしはじめたんですか?」
どう見ても彼以外の人が住んでいるとは思えない。俺は彼の身体を引きずるように玄関の中へ運ぶと、簡単に開いてしまいそうな、シンプルな鍵しかついていないドアを閉めた。
「布団敷きますから、ちょっとそこで待ってて下さいね」
彼は既に俺の言葉を理解しているのか分からないほど眠りこけている。夏海さんの言葉ではテーブルの上にあったボトルの前に、既に一本空けているらしい。そんなに一人で飲む割には、正体無く酔っぱらい過ぎだ。何かあったのかなと、俺は少し気になった。
「ヤマト・・・」
布団を敷いている間に、耳に届いたような気がした彼の声。まさか、宇宙戦艦ではないと思うけど・・・。
布団を敷き終わり、彼の靴を脱がす。布団の上に彼の身体を乗せると、彼は無防備にその身体をくねらせた。顔を布団に押し付けて、自分の腰に手を回している。
「先輩。せめて靴下くらい脱ぎましょうよ」
のぼせてもいけないと、俺は靴下に手をかける。
白く華奢な足首。青い血管が、浮き出て見えた。俺はなにか見てはいけないものを見ているような気分になって、靴下を脱がせた瞬間に彼の足から目を逸らした。
「う・・・ん・・」
ちらりと横目で横たわる彼を見て、立ち上がる。台所でコップに水を入れると、彼の元に戻った。
「先輩。水、飲んだ方がいいですよ。先輩」
肩をそっと叩く。面倒くさそうに寝返りをうった彼の身体を支えると、俺の胸に背を預けて彼が半身を起こした。
震える手がコップを受け取り、ゆっくりと透明の水を飲み干していく。白い喉がゆるやかなリズムに乗って動いた。
「・・・・っ・・ふぅ・・・」
一気に飲み干し、息をつく。俺にコップを渡し、彼はそのまま目を閉じた。
俺に寄りかかったまま眠る彼を、背後から見下ろす。コップを持つ、自分の陽に焼けた腕と、シーツにしどけなく下ろされる彼の白い腕。そういえば、最近彼のサーフィン姿を見ていない。彼が卒業してから、彼の姿自体を見かけていなかった。そうだ、会うのって随分久しぶりなんだ。
俺は彼の身体を静かに布団の上に横たえ、コップを持って立ち上がる。窓から外を見ると、遠くに白い波の線が見えた。
海が見える部屋に、たった一人。
今、何をしてるのかな?仕事?学校?
何で一人でワインを二本も開けたのかな?
次々と胸に浮かぶ疑問。でもきっと、聞いたところで答えてくれそうもない。また、分かるはずもないとため息をつかれるのかもしれない。俺なんかには、分かるはずもないと・・・。
何が違うというのだろう?俺も彼も、同じ町に住み、同じ高校に行き、同じ景色を見て、同じ海に入り、それでなにが違うと彼は言いたいのだろう。俺は、そこまで違わないと思うのにな。彼が思うほど、俺たちは接点のない人間だとは思わないのに。
クーラーもない部屋には、生ぬるい空気。うっすらと汗ばんだ肌。
俺は台所にコップを置くと、そのままサンダルを履いて外へ出た。幸い内側のボタンを下げるだけで鍵がかかるタイプだったので、しっかりと鍵も閉めて。
家までの道を、サンダルの踵を削りながら歩く。その間も、考えることといえば彼のこと。
どうしたのかな?何があったのかな?辛いことでもあったのかな・・・?それはどんなことなのかな?俺じゃ、話し相手になれないのかな?
ぐるぐるぐるぐる。想いは巡り巡って、また始発点に戻る。湿った空気に薄暗い街灯。俺は短い髪をくしゃくしゃっと掻いてため息をつく。そういえば、先輩の髪・・・すこし伸びてたなぁ。でも相変わらず細かったし。ちゃんと食べてるのかなぁ?いつのまにか俺の方が背が高くなってたな。体重や体格にも差が出てるような気がする。大丈夫かな?遊びに行ったら、怒られるのかな?
切れかけの街灯がジジジッと音を立てる。明りに吸い寄せられた虫の影が、大きく小さく道路に淡い水玉模様を作り、そんな中を歩きながら俺は、やっぱり彼のことばかりを考えていた。
><><><><
授業が終わり、今は放課後。今日も今日とて波に乗り・・・・。
タクが向こうからボードを片手にやってくるのが見える。あー、やっぱりあいつカッコイイよなぁ。人目を引くというか、なんか、うん、カッコイイ。その一言につきる。
あ、あれ結構いい具合に乗れそうな波。今日は人も少ないから波も選び放題だよな。なんか得した気分・・・・と、あれ?
俺はパドルを始めようとした手をふと止める。タクの後方、階段の上。俺はどこかで見たことのある姿に目をとめた。髪をひとつに束ねて、こんな夏の海に似合わない白い肌をTシャツに包んでいる。
あれは・・・・・・・・ミコト先輩だ。
俺の身体は高まる波にゆっくりと持ち上げられて、そして波が過ぎ行くとともに下に戻っていく。良い波に乗ろうともしなかった俺を不思議に思ったのか、岸にいたタクが俺の視線の先をたどり、そのまま俺と同じように固まった。
俺は慌てて次の波に合わせてパドルを始める。けれど彼がそこにいるということが変なプレッシャーになってる。波を逃がすところを見られたら恥ずかしいと思いながらも、早く岸に戻りたいとも思う。
かろうじて波をつかまえ、長めのライド。ボードを抱えて岸に戻ると、タクがそこで待っていた。
「いるじゃん」
切れ長の目をチラリと上へ向け、タクが言う。
「あ・・・うん」
なんと答えていいのか、とりあえず俺はボードを置くと、濡れた髪をかきむしった。
「この間、あれからどうしたんだよ」
「どうしたって・・・別に、家送って布団敷いて、水飲ませて・・・・それだけ」
「ふぅん・・・じゃあ、礼言いに来たんじゃない?ビビることないじゃん」
あっさり言って、タクは俺の肩に手を置いた。
「別に、ビビッてなんかねぇよ」
「そうか?なんか表情固まってるぞ。コチコチ〜」
でかい両手で、タクが俺の頬をうにょーんっと引っ張る。う、確かに固まってるかも。
「へもは・・・」
引っ張られたまましゃべったので、「でもさ」と言いたいところが変な言葉になってしまう。でもタクはそれも含めて分かっているようで、うんうんと肯き、そして手を離した。
「なんだろう・・・・・お礼を言われなくてもいいって場合・・・・ないか?」
そう。なんだろう。俺の中では、この間のことは暗黙の了解で再び掘り起こしてはいけないことのような気がしていた。きっとミコト先輩もそう思ってると感じていたから、だからそのことの礼を言いに来たとしたら、それは少し違うような気がしたのだ。
「どういうこと?」
もっと分かりやすく説明して欲しいと言わんばかりのタクの視線。俺は口唇をむーんと横に引きながら考えた。
「だからぁ・・・・・うーんと、あ、そうそう。お前が告ったことに関して、夏海さんが後からコメントしてくるような・・・・って言ったらいいのかなぁ・・・」
「お前、告ったの?」
目を丸くしてタクが言う。うがー、だからそうじゃなくって!!
「告ってねぇってば!そう言うんじゃなくって・・・・」
「目をつぶっとくコトってことか?」
「そうそうそう!」
思わず俺は激しく何度も肯く。なんだよ、分かってんじゃんか。
「だから・・・・変かなって思ったの。以上!」
タクに納得してもらえたことで少し落ち着いた俺は、濡れた髪を撫でてチラッと先輩が居た方を見てみた。あれ、いない。
「じゃあ、それ以上かそれ以外の何かがあるってことか」
「へ?」
タクの視線が俺を素通りしてる。何見てんだこいつ?と後ろを振り返り、即座に顔を戻した。ミコト先輩、なんで後ろから来るんだよ!
「じゃあ、頑張れよ」
何を頑張れって言うんだよ。タクはさっさと自分のボードを持って海に入っていく。俺は振り向くことも立ち去ることも出来ないままに、その場に立ち尽くしていた。身体の上を玉になった海水が伝っていく。
しかし、いつまで経っても来るかもしれない声は背後からは来ず、俺は落胆半分安心半分で振り向いた。どうせ、どこかに歩いて行ったに・・・・・うわっ!いるし!
「あの・・・・」
その場に無言で立っていたミコト先輩は、言いづらそうにそれだけ言うと、砂浜に視線を落とす。ど・・・どうしよう。
「い・・・いい天気ですね」
「・・・そうか?」
曇ってるッツーの!!太陽見えてないし、「雲ひとつ無い良い天気」どころか雲しか見えねぇってば!!
「あ・・・あの、お元気ですか?」
げ。俺ってば何言ってるんだろう。見りゃ分かるじゃんよ。すると先輩は、少し困ったように自分の姿を見て、言った。
「あ・・・・見たまま・・・」
「っそ・・・そうですよねっ!元気そうで何よりです」
しゃちほこばった自分を情けなく思いながらも、緊張は消えていかない。何故だか昔よりも数段緊張した俺がそこにいた。高一で初めて話しかけた時の方が、まだリラックスしてたような気がする。
「お前さ・・・・あそこ、よく行くの?」
俺の斜め下を見ながら、ミコト先輩はぎこちなくそう呟いた。俺はなんだかそんな彼の様子が嬉しくて、思わず微笑みながら返した。
「はいっ。あの、あいつ・・・いま海に入っていったあいつ、タクっていうんですけど、あいつがバイトしてるんですよ。だから週に半分は行ってます。たまに手伝ったりもしてるんで」
「ふぅん・・・・。お前、酒・・・飲むの?」
あ、今ちらっと俺のこと見た。やっぱりミコト先輩、綺麗な目してるよな。
「たまに・・・ですけどね。そんなに金ないんで」
頭を掻きながら照れ笑い。何故だか、先輩はそんな俺の姿を不思議そうに見上げた。
「・・・なんか、変なこと言いましたか、俺?」
あまりにも長く先輩が俺のことを見つめるので、つい聞いてしまう。すると彼はゆるく首を振って再び視線を落とした。
そういえば、昔は視線が並んでたな。何時の間にか、すっかり俺、先輩のこと見下ろしてるや。この間そう感じたのは間違ってなかったんだ。なんだか、細いや、先輩。細くてはかなげで、胸が・・・痛い。
「先輩、もう波には乗らないんですか?」
「俺?・・・・・・・」
そう言って、先輩は眉を寄せて波の彼方に視線を投げる。その様子はなんだかひどく辛そうで、俺はそんな質問をしたことを少し後悔した。
「どうだろう・・・・・乗るのかな・・・・乗らないのかな・・・・?」
自分でも分かりかねているような台詞。寄せては返す波のように繰り返す呟きに、俺はあることを思い出して、口を開こうとした。その時・・・。
「坊ちゃん」
上から降ってくる声に二人で顔を上げる。すると階段の上には、以前見たことのあるスーツの男が立っていた。波の音にも負けない、低く張りのある声。
「ちょっと・・・よろしいですか」
男の言葉に、先輩は俺を見る。
「あ、どうぞ。俺なら・・・・」
俺は曖昧な笑みを浮かべて海を指差す。するとミコト先輩は、また何も言わずにじっと俺を見た。
「・・・・・先輩?」
「・・・・・・・・・邪魔したな」
そして、そっと視線を外して歩き出す。
「いやっ、そんな・・・邪魔なん・・・て・・・・・」
繕う言葉も虚しく、ミコト先輩は砂浜を歩き階段を登っていく。
別に邪魔だなんて思ってないのに。なんだろう、気を損ねてしまっただろうか?それに大体、話らしい話ってしてないし・・・。
『じゃあ、それ以上かそれ以外の何かがあるってことか』
さっきのタクの言葉が頭をよぎる。何かなんて、あったのだろうか?
スーツの男が俺に小さく会釈をする。俺はそれに返すことも忘れて、ただ歩いていくミコト先輩の背中を見ていた。
><><><><
−波ノカタチ・3/続−
まだまだ続きます。
読みきり?なんのことでしょう??(←おい)
今年の夏こそ一冊の本にしようと思ってたのに
夏はもう・・・・(−−;)いえ、暑いですけどね。
とりあえず、じりじり進めますよ。はい。