100moments
乙姫静香
◇第十一話◇
「波ノカタチ・2」
吐く息が白い。
それは俺が2年の時の出来事。
昨日から降り続けている雪は、海の上にも白い羽のように舞い下りている。担任の用事で残されていた俺は、クラスメイトと二人で廊下を歩いていた。
「コーヘイ、今日どうすんだ?」
こいつの名前はタク。根っからの地元っ子で、夜は高校の目の前にある「Zeno Stoic」というレストラン・バーでバイトもしてる。こいつのおかげで、とうとう俺も夏に海デビューを果たしていた。
「あー、どうしようかな。でも今日遅くなると、かなり寒くなりそうじゃん?」
俺は最近こいつのバイト先によく遊びに行く。ビリヤードも好きだし、マスターとか、ピアノ弾く夏海さんとか、学校では知り合えないようなタイプの人と話せるのは楽しい。そう言えば、その夏海さんもウチの卒業生だって言ってたっけ。
「だよなー。俺一回うち帰って原チャ持ってきとこうかなぁ」
「でもこの雪だろ。こけたら最悪だって、来週の学年末テスト受けない訳にはいかないでしょ」
俺は白く煙った窓の外を指差す。雪はとめどなく降り続け、下校時につけられた生徒の足跡も、いまでは綺麗に隠されていた。
「うーん。今何時?」
「5時・・・15分位前かな」
「げっ!やべ。俺バイトいかねーと」
焦ってタクが走り出す。俺も付き合って走ると、すぐに教室の前まで来た。
「・・・・・」
教室のドアに手をかけて、動きが止まる。中に、彼がいた。
寺内ミコト。あの春の日以来、俺たちは口を聞くことも無かったが、やはり俺にとっては気になる存在だった。3年生になって、ますます無愛想になったように見えた。ますます、辛そうに見えた。
3年生はもう自由登校なはず。一体何をしてるんだろう。2年生の教室で、しかも、窓際の・・・俺の席に座って。
机の上で組んだ両腕の上に顔を横に乗せ、暗い海を眺める。灰色の空、深い緑色をした海。そんなくすんだ空と海をバックに、舞い踊る真っ白い雪。
タクは立ちすくむ俺を見ていたが、さすがにバイトへの気が焦ったのかドアに手をかけて開けようとする。その手を俺は無言で止めた。机の上で組まれていた腕が、すっと伸ばされたから・・・。
寒さで白く曇った窓に、白い指が線を描いていく。
歪んだジグザグ?左から右へ、ゆっくりと窓の上を滑る指。そこだけ透明に透けていく窓。
「ちょっと、マジ時間やばいんだって」
タクが小声で言い、ドアを開けようとする手に力がこもる。俺が尚も抵抗すると、タクが俺の身体を押しのけた。
ガタガタッ
結局二人の身体がドアにぶつかり、静寂を破る。教室の中で、彼の顔があげられた。
「失礼しまーす」
タクが悪びれずに言って、ドアを開ける。彼はその場で立ち上がると、眉を寄せて俺を見た。
「じゃ、俺、マジで急いでるから。気が向いたら店来いよ。じゃな」
自分の鞄だけをさっさと取って、タクが廊下へ飛び出していく。上履きの音が遠のくと、後には再び静けさが訪れた。
「・・・1年4組、高池光平・・・」
「え?」
彼の口から自分の名前が出たことが信じられず、思わず上げた声。すると彼は、少し気まずそうに俯いた。
「・・・じゃ、なかったのかよ」
「あ、あの・・・今は、2年1組の高池光平です」
不必要としか思えない細かい訂正。しかし彼は俺の意に反し、机の脇にかけてある鞄に目を留めると、怒るでもなく返してきた。
「もしかして、ここ・・・お前の席か?」
「はい・・・そうです」
言って、机の方に歩く。彼の声が少し聞きにくかったというのもあった。
「そうか・・・」
傍に寄ると、彼は以前より少し痩せたような気がした。もともとそんなに肉付きがいい方ではないのに。
そして、また言葉が途切れる。聞きたいことなら選び切れないほどあるのに、そのどれもが口を動かさない。彼はそのまま再び椅子に腰を下ろすと、自分が窓に描いた歪んだジグザグを見つめた。
「受験勉強・・・いいんですか?」
うちの生徒はほぼ全員が進学を選ぶ。だから俺は当然の様に聞いた。すると、彼は俺を見ないままに鼻で笑った。
「俺が大学受験なんてするわけないだろ。お前だってもう2年なら、俺が誰かくらい分かってるだろうに・・・」
「そりゃ・・・知らないって言ったら嘘になりますけど、それとこれとは関係無いじゃないですか」
適当にあしらわれたような扱いが、少し腹立たしかった。あの春の日もそうだったけど、彼のあきらめたような、それでいて自分だけが分かってるような物の言い方が嫌だった。
ただ、その時の俺は本当に分かっていなかったから・・・。
「本当にそう思うか?」
「え?」
この前と違って、彼は声を荒げて怒るような感じはなかった。ただ、黒い瞳はより空虚に、どこを見るでもなく開かれているような気がした。例え怒鳴られても、以前の彼の方が、生きている感じがした。
「夢とかって・・・・あるんですか?」
「夢?」
俺の言葉に彼の眉が上がる。彼は驚いたように俺を見ると、しばらくまじまじと俺の顔を見つめた。
「そんなに、変な質問でしたか?」
彼の驚きぶりに、俺の方が驚く。彼は小さく首を横に振ると、横目で俺を見て言った。
「そういうお前は、あるのかよ、夢・・・」
「俺の夢ですか?うーん、そうだなぁ・・・」
人に聞いておいて自分が思いつかない。夢ってなんだろう。目先の夢ならあるけど、将来の夢となると、あまりにも漠然としていて・・・。
「あ、そうだ。家が欲しいっすね。ビリヤード台が置けるような家。庭が広くって、犬がいたりして、海に近いんですよ」
「海に近い家は塩害で大変なんだぞ。洗濯物も外に干せないしな」
その場しのぎの夢に、現実的な意見。いや、ごもっとも。・・・汗かきそう。
「じゃあ、そういう先輩はどうなんすか?」
ノリで軽く振り返す。彼は一瞬、真剣に考えたように眉を寄せた。
「夢・・・そうだなぁ。・・・・・・波・・・かな?」
「波?」
意外にあっさりと出てきた言葉。気付けば俺は、彼の座っている隣りの机に腰を下ろしていた。
「いつ何で見たのかも忘れたけど、すごく綺麗で気持ち良さそうな波があって・・・。ああいう、包み込まれる位の大きな波、乗ってみたいなぁ。ああいう波が出るところで、サーフィンしたいな」
「へぇ〜。いいっすね。俺も乗ってみたいや・・・っつっても、まだまだ下手ッピーなんすけどね。ウェットもないから冬場は休業だし。実際そんなでかい波来たら、びびっちゃうんだろうな」
「あぁ・・・そうかもな」
初めて見た、彼の笑顔。微笑だけれど、確かに笑顔。思わず、返事も忘れて見つめてしまった。ほころぶ・・・という表現がぴったりな、花のような笑顔。
どうしてもっと笑わないんだろう。彼が笑ったら、きっと周りの奴だって家がどうのとかってことも気にしなくなると思うのに。それだけ、この人の笑顔は綺麗なのに。
俺がそんなことを考えていると、彼がふと口を開いた。
「・・・・・ごめんな」
突然謝られ、俺の心に浮かぶ疑問符。俺は何も言えずに彼を見る。彼は俺を見て、静かに続けた。
「あの・・・地下道で・・・」
そこまできて、彼の言わんとすることがあのキスのことだと気付いた。
「いや・・・あの、別に・・・気にしてないですから。俺は男だし・・・」
本当は、いまでも思い出すと胸が締め付けられる。あれから女の子と付き合ってキスもしたけれど、涙が出そうになったキスはあの時だけだった。
「そうだよな。はじめてって訳でもないだろうし」
「あ、いや・・それは・・・」
「え?」
初めてだったのか?と言わんばかりの驚きよう。俺は少し、言ったことを後悔した。
「・・・やっぱり・・・・ごめん・・・」
彼が再び謝る。
「でも・・・嫌じゃなかったから・・・」
言った瞬間、凍り付く空気。俺はまた、何を言ってしまったんだろう。普段の俺なら、こんな地雷踏みまくってるような会話するような奴じゃなくって、全く本当に普通の、ごくごくフツーの奴なのに。
「突然でビックリしたけど・・・全然、嫌とか気持ち悪いとか・・・なかったから」
危険信号を送る心に反して、俺の口はペラペラといらんことを話し続ける。俺は一体、なにがしたいんだ?
「お前・・・」
踏み込みたいのか興味本位なのか、俺には分からなかった。彼は、今日の会話で一番驚いたような顔をしている。
曇り空は真っ暗になっていて、電気も点けない教室に二人。冷え切ってる空気の中で、心だけが熱い。俺は微かに震える脚で机から降り、彼の座っている脇に立った。
暗い中でもはっきりと分かる、影より黒い瞳。汚れを感じさせない青みがかった白目の部分が目を引く。
それだけで、もう動けない。雨上がりの蜘蛛の巣のように、水をはらみ輝く美しい罠。
なんで、この人をみると、訳もなく泣きたくなるんだろう。
「ミコト先輩・・・・」
触れたら逃げられてしまうのだろうか。きっと、その次に来るのは攻めるような軽蔑の眼差しと、容赦のない罵声。
嫌われる?
別に好かれてるってわけでもないけど。でも、多分こんな風に話す事も許されなくなる。
でも・・・それでも。その白い頬に。その赤い唇に。
触れてみたい欲求はおさまらない。
とまどう指先。ぎこちない動き。俺を見上げる彼の方へ、かがむようにしてゆっくりと顔を寄せる。
鼻に触れる、彼の冷たい頬。
・・・・・・・・・・彼は、逃げなかった。
カタカタと風に窓が揺れ、机の上に置かれた彼の手が静かに握られる。
重ねた口唇はあの春の日と同じ、ほの温かく柔らかい。ただ、もう血の味はしなかった。
薄く目を開けると、彼も薄く目を開けていた。白く煙るはずの吐息も白くならない距離。
口唇を離す瞬間、彼の視線の先を辿り、見えるのは・・・歪んだジグザグ。
あぁそうか。あれは・・・。
−波ノカタチ・2/終−
波ノカタチは3で終わります。けれど3は結構長いです。
どこで掲載することになるのやら・・・たははー(^^;)