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乙姫静香
◇第九話◇
「美味しいワインの楽しみ方3」
週末の終電はかなりの混み具合で、俺も寺島さんも苦しい体勢でドアに押し付けられた。俺はドアに背をつける恰好で、寺島さんと向かい合っている。
ガタンと揺れる電車。寺島さんの身体が更に俺に押し付けられる。胸と胸が押し合うような格好になって、寺島さんが俺を見た。
「大丈夫ですか?」
何か言いたげな寺島さんの瞳に、思わず言った言葉。寺島さんは小さく口を開いて、短く返した。
「あ、すまん」
そして落とす視線。この近距離は、確かに気まずい。
「いや、俺はいいですけど。寺島さんモバイル持ってるでしょ?つぶれちゃまずいんじゃないですか?」
「そうなんだけどな・・・」
満員電車の中で下手な動きをすると変な疑いをかけられたりする。特に寺島さんの隣りには会社帰りと思しき女性。身長180センチの男の腕は女性の微妙な位置にフィットするし。言いたいことはなんとなく分かった。
「じゃあ、次の駅でこっちに来て下さいよ」
「え?」
寺島さんの返事を待たずに電車が駅に停まる。俺は乗り降りで僅かな余裕が出来た瞬間を狙って、寺島さんの身体を引っ張った。
「あ、おい」
寺島さんが短く言う間にも、再び乗車率を明らかに100%越した状態になる。俺は寺島さんをドアの前に立たせると、自分の背が壁になるように向かい合った。
「これでどうですか?」
「あ・・・・・あぁ。サンキュ」
近づく顔。あ、寺島さんコロンつけてる。なんだったっけ、この香り。爽やかで、それでいてどこか甘い。
ふせられた長い睫毛。密度濃く生えたそれは綺麗にカールしている。瞼にくっきりと刻まれた二重の線が目に付いた。
ガタンッ
電車が大きく揺れ、人の波の重さが俺の背にのしかかる。俺はドアに肘を突いて、寺島さんを潰さないようにかばった。
「中山、大丈夫か?」
胸にモバイル入りの鞄を抱えたまま、心配そうに俺を見る。俺はとりあえず曖昧な笑みで答えると、ぶつけた拍子に痛む肘をちょっとだけ動かした。
吐息が交じり合う距離。それを感じてか、寺島さんが少しだけ顔を横にずらす。このまま力を抜けば、寺島さんの頭を抱き寄せられるのに・・・・。近いのに、遠い。
「次で降りるぞ」
「あ、はい」
大きな駅に挟まれた住宅街に位置する駅で、俺たちは電車を降りた。むせ返るような熱気から解放され、涼しい夜風が頬を撫でる。
「すまなかったな。ありがとう」
「いえ、寺島さんのモバイルが壊れたら、俺たち営業も困りますし」
言いながら、何でもっと上手いことが言えないのかと自分に突っ込む。なんつーか、胸が切ないとかそういう以前に、自分に腹が立つ。俺ってこんなに守りに入る奴じゃ無かったはずだぞ。
駅を出て二人で静まり返った道を歩く。角にはコンビニの灯り。寺島さんが俺を見て言った。
「なにか買ってくか?軽いもんとビールくらいならうちにもあるけど」
「そうっすねぇ。ミネラルウォーターありますか?」
「あぁ、あるよ」
「寺島さんの家、ここから遠いですかね?」
「いや、もうすぐそこ」
「じゃあいいです。どうしても必要になったら後で来ますから」
「そうか」
そして、二人でまた歩き出す。本当に寺島さんの家はすぐそこで、コンビニから実に1ブロック先のマンションだった。
「先に言っとくけど、狭いからな」
エレベーターに乗り込み、8階のボタンを押す。俺は寺島さんの言葉に微笑みで返すと、彼に並んで上にある各階の表示を見つめた。
すんなりと8階につき、開くドア。寺島さんに促されてエレベーターを出ると、今度は寺島さんの後について、廊下を歩いた。
「あ、ここなんだ」
廊下の端、日当たりの良さそうな角部屋。寺島さんは鍵を開けると、もう一度だけ笑顔で言った。
「本当に、狭いからな。覚悟しとけよ」
望むところです、と心の中で返しながら、意味深な笑顔を返す俺。あぁ、もう下心がバレバレかも。
「おじゃまします」
狭い玄関に入って、靴を脱ぐ。先に上がった寺島さんは、奥の部屋に入って電気を点けていた。
「うわ」
中に入って思わず呟いてしまう。確かに、お世辞にも広いとは言えない部屋だけど、なんというか、寺島さんらしいというか・・・・綺麗だ。
パソコンとベッド。それが部屋の印象・・・それしかない所為なんだけど。モノがあまりなくて、綺麗に整理されていて、俺の部屋とは大違いだ。もし寺島さんを俺の部屋に呼ぶ日が来るのなら、俺は数日かけて大掃除しなくちゃならないだろう。
「何飲む?あ、そこにクッションがあるから」
「あ、はい。寺島さんと同じ物で」
寺島さんはハンガーのありかを手で示しながら冷蔵庫を開ける。俺はスーツを脱いでハンガーにかけた。
「そうだ」
テーブルに飲み物を置いて、寺島さんはクローゼットの中を探り、Tシャツとトレーナーを俺に手渡す。自分もスーツをハンガーにかけながら、あっさりと言った。
「シャワー使いたければ、タオルはここ。俺は夜にちょっとすることがあるから、寝るなり飲み食いするなり自由にしてくれて構わないから」
「あ、どうもありがとうございます」
着替えを受け取り、とりあえず礼を言う。寺島さんも、シャワー浴びたり・・・とか?
と、そんなことを考えていたら、目の前の寺島さんが俺を見上げて言った。
「まぁ、とりあえず座ったらどうだ?」
「あ・・あぁ、はい」
それもそうだ。ずっと狭い部屋の中、立ったままで会話をしている。俺はテーブルの前に座ると、クッションを下に敷き、ベッドに寄りかかった。
「なんか、すごく綺麗な部屋ですね。ちょっと俺、緊張しちゃいますよ」
「そうか?あんまり部屋にいる時間がないし、モノを動かさないからじゃないか?面倒くさいのが嫌いなんだよな」
寺島さんも向かいに座って、壁に背を預ける。リモコンでステレオをonにすると、静かな音楽が流れてきた。
「あ、じゃあ戴きます」
出されたワインを飲む。今度はフレンチの赤。やや辛口。結構飲み易かった。
「夜にすることって、仕事ですか?」
「うん。ちょっと、気になることがあってな」
「え、いつも仕事持ち帰ってるんですか?」
「別に、しょっちゅうって訳じゃないよ。ただ、気になることがあると眠れなくなるから、一刻も早く終わらせたくなるんだ」
チーズを摘まんでグラスを傾ける。寺島さんがネクタイを緩めシャツのボタンを外す姿を、つい目で追ってしまう。
「そんなんじゃ、デートもする時間ないっすね」
探るように呟いたセリフ。反応が気になるけど、少し怖い気もする。俺も、自分のネクタイを緩めた。
「そんな相手がいないから余計にそうなっちゃうのかもしれないけどね」
「寺島さん、彼女いないんですか?」
期待が安心に変る。思わず、ほっと息をついてしまった。
「今はいないな。中山は?」
今は。ということはいつまでいたのかな?もう、忘れてるのかな?
「俺は、ちょっと前に別れたばかりですけど。なんか、丁度仕事が面白くなってきた時で・・・」
「あぁ。あるな、そういうの」
そう言って、寺島さんはグラスのワインを一気に飲み干した。つられて俺も、グラスを空にする。
彼がフリーということを知った嬉しさからか、あっという間にボトル一本まで、また俺たちは飲み干してしまった。
シャワーを借りて、俺はTシャツにトレーナー姿で部屋に戻る。と、仕事をすると言っていた寺島さんは、テーブルの脇で気持ち良さそうな寝息を立てていた。
さすがに結構量を飲んだような気がする。俺もシャワーを浴びてなかったら陥落していただろう。タオルで頭を拭いて、彼の脇にしゃがむ。軽く揺すっても起きる気配はなかった。
どうしよう。起こしてあげるべきか。ベッドに運ぶべきか。トレーナーに着替えたところで、ちょっと横になったんだろうな。で、そのまま・・・か。とりあえず、着替えてくれてたのはありがたい。俺は彼の身体の下に手を入れると、そのままよいしょと持ち上げた。
細身とはいえ、身長のある男のこと、軽い訳はない。半ば落とすように、俺は寺島さんの身体をベッドの上に横たえた。
「う・・・・ん」
彼はすぐにベッドの上で寝返りをうち、素直な寝息を立て始める。俺はそのままベッドに腰を下ろし、長い睫毛の横顔をじっと眺めた。
指先で、前髪に触れる。艶やかな感触。なんだか変な気分になってきて、俺は立ち上がりクローゼットを開けた。
中から客用の布団を出し、ベッドの横に敷く。掛け布団を整える時に、ベッドの上の寺島さんと顔が並んだ。
無防備な寝顔。そういえば、初めて戯れにくちづけをした時も寺島さんは眠っていた。
今なら、なにに邪魔されることもない。今なら・・・・。
俺は眠る彼に、自分の顔を近づける。そう、電車の中でだってこのくらい近づいていた。彼の肩を握る手。動かない彼の口唇に、自分のそれを近づけて・・・・。絡む吐息。体温が、触れ合う距離。
でも、俺の口唇は彼のそれに触れることなく、その距離を広げていった。
心臓が震えるような緊張。俺のそんな一人上手もお構い無しに眠る寺島さんの横で、俺はベッドに腰掛けた。痛い、深呼吸。
もはや、戯れさえもできない。自分でも気付かぬうちに。
重症だな、これは・・・・・と思った。
−終−
一体、彼等はいつまでワインを飲み続けるんだか・・・(苦笑)
タイトルの本当の意味に届く日はまだまだ遠そうですしねぇ(^^;)