100moments
乙姫静香



◇第七話◇



「雨とピアノと君の吐息と」






 さっきまでの明るい真昼の空は影も形も無い。突然降り出した雨に、夏海は持っていた紙袋を抱え直し、走り出した。夏も終わりの、大粒の雨。
 海から渡ってくる風が背中を押し、夏海の柔らかい髪の毛を弄ぶ。以前は冷たく感じた雨も、今では心地よく思う。それが誰かの存在の為だということも、夏海はよく分かっていた。
 千章に誘われて行ったアメリカ。今では向こうと日本を行ったり来たりしている。以前夏海が働いていたレストラン・バー『Zeno Stoic』、そこのマスターから借りているセカンドハウスにも許可をもらってピアノを入れ、音楽の仕事もそこでできるようになった。
 遠くで雷鳴が轟く。夏海は一度立ち止まり空を見上げると、すっかり濡れた自分にあきらめたのか、走るのをやめて歩き出した。
 薄手の白いシャツに雨が降り注ぎ、夏海の肌の色を透かしていく。それでも見開いた大きな瞳は、どこか楽しげだった。青白い世界の中で、赤く濡れた口唇の端が、きゅっとあがる。
 一階は倉庫になっているマスターのセカンドハウス。階段に足をかけると、雨の音にまじってピアノの音が聞こえて来る。千章が起きて弾いているのかなと、夏海は思った。
「ただいま」
 玄関を抜けると、音の正体がすぐに分かる。コンポから流れるDes'reeの『I'm kissing you』。今更ながらに千章が気に入って、エンドレスで聴いているのだ。
 夏海はタオルを取って頭を拭きながらベッドの脇に立つ。起きているかと思った千章は、裸の肩をさらしながら穏やかな寝息を立てているように見えた。
「・・・・・夏海?」
 かすかに身じろぎ、閉じられていた瞼がゆっくりとあがる。淡く青い空気の中に夏海の姿を見て取ると、千章はその日焼けした腕を夏海の腰に回した。
「ただいま。起きてた?」
 引き寄せられるままに、夏海の身体が千章に寄り添う。千章は夏海の身体に顔を寄せて、その感触に顔を上げた。
「降られたのか?」
「うん。ちょっとだけ」
「電話くれれば迎えに行ったのに。夏海すぐ風邪ひくから」
 千章はすぐ夏海を壊れもののように扱う。そんな千章に微笑みかえすと、夏海は濡れたシャツのボタンを外しながら言った。
「だからもう子供の頃とは違うって。それに・・・雨も気持ちいいよ」
 首や胸を拭く夏海の白い腕。千章がそんな夏海のシャツを、するりと床に落とした。
「でも、やっぱり冷たい」
 雨に濡れた身体を、千章の暖かい手が這う。ジーパンひとつになった夏海の身体を千章がベッドに引き込んだ。『I'm kissing you』が静かに流れる室内にベッドの軋む音が響いた。
「ベッドが濡れちゃうってば」
 夏海が困った顔で抗議する。と、千章はいたずらっ子の瞳で優しく返した。
「じゃあ脱いで」
「ばか」
 夏海が恥ずかしそうに微笑み、そして触れる口唇。
「・・・・・ん・・・・っ・・・・」
 冷えた夏海の身体が温かい千章の身体に包まれる。
「・・・・?オレンジ・・・??」
 口唇を離した途端に、千章が首を傾げ、夏海の口に鼻を寄せる。夏海はそんな千章に、キッチンを指差し、言った。
「店先で味見したから。美味しかったよ、しっかり熟してて。後で食べよう」
「デザートにね」
 夏海の身体を組み敷いて、千章が自分の鼻を夏海の鼻につける。
「あ、そうか。遅いけど、ご飯どうする?何作ろうか・・・」
 昼過ぎに目を覚ました二人の、これからが朝食。夏海は冷蔵庫の中にあるモノを思い出しながら献立を考える。
「いいよ。俺作る」
 言って、千章が夏海の首筋に口づける。夏海はそんな千章の首に、細い腕を回しながら返した。
「なに作るの?」
「デザートはオレンジで・・・・」
「うん・・・・・っ・・」
 薄い胸を降りていく千章の舌。夏海の身体が、微かに震えた。
「・・・っ・・メインは・・・?」
「メインディッシュは・・・・・」
 夏海のベルトを外す指先。見上げる夏海を見下ろしながら、千章はニカッと笑い、言った。
「夏海」
 悪びれない千章に、夏海が口唇をとがらせる。頬が少し、赤かった。
「・・・・・ばか」
「だめ?」
 率直に聞いてくる千章。別にそんなこといちいち聞かなくっても分かってるくせに、と夏海は思う。最初は意地悪で聞かれているのかとも思ったが、そんなことをするような奴でないことは幼なじみの自分が一番よく分かっていた。要は、ただストレートというだけ。そんなところにも捕まってしまったのだから、それはもうどうしようもない。
 夏海の恥ずかしそうな視線が、ふいっと逸れた。
「・・・・・・・・・・・・・いいよ」
 ぼそっともれたつぶやきに、千章が微笑み、愛しそうにくちづける。
「でも、ご飯もつくってよね」
 恥ずかしさまぎれに夏海が付け足す。千章は夏海の身体を隠す最後の一枚を剥がしながら言った。
「いいよ。何食べたい?」
 その言葉に、夏海は目の前の相手をつい見つめてしまう。いや、深い意味はないのだが・・・。
 千章はそんな夏海を抱きしめると、夏海の濡れた柔らかい髪に顔を埋めて呟いた。
「雨と夏海の匂いがする・・・」
 千章の焼けた胸が上下する。その肌の感触を味わうように、夏海が千章の胸に手をそえた。
「やっぱり・・・・・身体・・・冷えたかな?」
「え?」
 夏海の呟きに、見返す千章の視線。夏海は千章の視線の隙を縫うように千章の首に腕を回し、囁いた。
「温めて・・・・」
 抱き返される腕の強さ。その感触に目を閉じると、夏海は千章の首筋に鼻をつけ、深い深呼吸をした。
 ピアノの音と千章の香り。



 ・・・・・外は、雨。





−終−



本の方をご覧になって下さってる方にはよく分かる二人です(笑)。
一応これだけでも分かる話にはしたつもりですが、どうでしょう?
海辺のバーのピアノ弾きだった夏海(なつみ)と、その幼なじみでアメリカで
音楽活動をしている千章(ちあき)、と申します。ともに23歳。
今は二人一緒に音楽関係の仕事してます。以後、御見知りおきを。
「水平線をめざせ」というちょいと長めな話が最初です。
あ、そうじゃん!あそこに夏海いるじゃん!!
うちのサイトのトップページにいるのが夏海です。(←いま気がついた。びっくり)


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