**********



 ミドリは缶のオレンジジュースを片手に化学準備室の扉を閉めた。
 残業はいつものこと。いい加減校舎の中も静まりはじめる。やる気のなさがミエミエのガキどものために残業してまでプリントを作るのもなんだが、それでも結構あの悪ガキどもも可愛いと思えてしまうあたり、なじんでるのかな?とミドリは首を傾げた。
 暗い準備室の中で煌煌と光を放つパソコンのモニターの前に椅子を引いて座る。細い銀縁の眼鏡に、モニターに並ぶ化学式が青白く映った。
 缶ジュースを開けて、一口喉に流す。冷たい甘酸っぱさが口中に広がり、頭の中のけだるさを一瞬忘れさせた。
「ふう」
 息をついて、ふと息を殺す。部屋の中に、誰かの気配。整った眉をひそめ背後に意識を集中させたが、次の瞬間白衣の上に伸ばされた手に、ほっと息をついた。
「だ〜れだ」
 甘ったるい口調で背後から眼鏡を外してくる。ミドリはされるがままに眼鏡を取られると、振り返らずに返した。
「こんな時間まで何をしてるんだ?帰宅部君」
「ごほうび貰いに来たんだけどなぁ」
 外した眼鏡を片手に、両腕を首にからめてくる。柔らかい金髪が、ミドリの首筋に触れた。
「あの位お前なら満点取れて当然だろう?」
「でも、満点は満点でしょ?春休みの間だって、ミドリちゃんに会えなくって淋しかったんだし」
 こっちの登校日にはちょこちょこちょっかい出しに来たくせに、とミドリは心の中でごちる。それでも、そんなこいつにハマッてきているのも確かであった。
「ミ〜ド〜リ〜ちゃん?」
 言いながら、首筋を軽く噛んでくる。やりたい盛りのガキんちょに、ミドリが小さくため息をついた。
「お前なぁ。いいから今日は帰れ。補習用のプリントだって作らなくちゃいけないんだから」
「そうやって、俺以外の生徒とイイコトしようとしてさ〜。頑張った俺が、ハブになっちゃうのぉ?」
「イイコトって・・・・。あのなぁ・・・」
 ミドリが何かを言いかけて振り返る。と、そこに立っていたタケトがなんともあどけない笑みで言った。
「ユカちんって、ミドリちゃんの弟でしょ」
「え?」
 こいつにも言ってはいなかったのに・・・と、ミドリは思う。
「まぁ・・・めずらしい名字だからな。そう思うのも無理は・・・」
「ユカちんの持ってたハンカチ。この間した時に使ったのと一緒だった。兄弟で使いまわしちゃってるのかなぁ?」
 ぐ。っと、思わず詰まる言葉。
「まさか、養子縁組みしてる内縁の夫ってことはないよねぇ?それだったらそれで、修羅場も面白そうだけどさ」
 ミドリの髪に指を絡め、タケトが薄く笑う。
  IQの高さは校内一。変なところで妙に勘がよくて、変なことの覚えもピカイチのガキんちょ。そんなに若いうちからセックスばかりしてたら、脳細胞が溶けてなくなるぞとミドリは思った。
「でもちょっと妬けるかもなぁ。ミドリちゃんの、あーんな声とか、あーんな格好とか知ってるのが俺だけじゃないなんて」
「!・・おいっ!宮下!」
 タケトの瞳の奥で光るアヤシイ企みに、ミドリが思わず声を上げる。
「う〜そ。弟くんには妬かないよ。俺、ユカちん結構好きだもん。誰にも言わないよぉ〜ん」
 おどけていいながら、右手ではミドリの白衣の前をはだけていく。慣れた手つきでネクタイを緩め、ワイシャツのボタンに手をかけた。
「タケト・・・・お前なぁ」
「絶対に気持ちよくしてあげるから」
 手で押し止めようとするミドリに、目を見つめて笑顔で一言。どこから沸いてくるのか分からない根拠の無い自信に、呆れてミドリが顔を背けた。が。
「ミドリ」
 呼ばれて反射的に振り返る。と、そこにタケトの顔が近づき、口唇が触れた。
「んっ・・・・」
 すぐに歯を割ってくる舌。椅子を回され、手では胸をまさぐってくる。
 そのままキャスター付きの椅子を転がし、準備室奥のソファまで運ぶと、タケトはミドリの身体ごとそこに倒れ込んだ。
「ね、何回してもいい?」




**********




 「おっはよー!!ユカちんっ!」
 たんぽぽの綿毛のようなモノが近づいてきて、思いっきり肩をはたく。俺は顔を上げ、とても会って二日目とは思えないほどフレンドリーな相手に驚き、言った。
「おはよう・・・。なんか・・・すごく元気だね・・」
 周囲に眩しい元気のオーラを発散しながら、タケトが席に着く。
「そういうユカちんは、なんかあんまり元気がないのねぇ。どったの?番長グループには挨拶できたんっしょ?」
「それは・・・できたけど。あ!・・ありがとう。ヒロミちゃん紹介してくれて」
 思い出したように付け加える。
「そんなこといいけどさぁ。なんかあった訳ぇ?」
 なんかあったというか、なかったことが問題なのだとはとても言えない。裏番さん、あなたはどこのどなたですか?
「なんて言えばいいのかさぁ・・・・・・。タケさ、言ってたよね、裏番は番長グループの中でも限られた人間しか知らないって・・・」
「お〜!いえ〜っ!そういう噂だよん」
「ってさ、一体誰が知ってる訳?そんなにみんなが知らなかったら、誰かがフカシちゃっても分かんない訳じゃない」
 そうなのだ。誰が決めたもんか分からないけど、誰も知らないんじゃ、逆に誰でもいいような気がしてくる。
「でも、誰かがフカシちゃっても御本人さんはわかるっしょ?そいつがフェイクだってことにさ」
 タケトは意外にも冷静に答えた。
「でもでもさ、その御本人さんを証明する人がいないと、そいつだってフェイクかも知れないってことにならない?」
「う〜ん。それはそうだなぁ」
 タケトは腕組みをしたまま低く唸った。こいつでもこういう真剣な顔するんだ。
「あ、でも、そういえば〜、あったよ。裏番の証明」
「なに?」
 有力情報ゲット?俺は思わずにじり寄る。
「忘れた。あれぇ?なんだったっけ。裏番が継承するものが・・・」
 おいおい、頼むよ学級委員殿。あ、そういえばもうひとつ聞きたいことがあったんだ。
「そういえばさ、あれって誰なのかな?タケなら名前知ってるかと・・・」
「なぁにぃ?早速お目当て発見?ユカちん、おませさん〜♪」
 タケが片眉をあげてからかうような視線。
「べっ・・・別にそういう訳じゃないけど・・・ただ、昨日番長グループの中に姿がなかったから・・・」
 何故か俺もうろたえながら答える。いや、別にやましいことは何もないぞ!
「ふぅん。で、誰?」
 タケはまだ何か言いたそうながらも、薄笑いで俺を見ている。な・・なんだよう!
「えーとね、艶やかな黒髪が肩くらいまであって、肌が白くって、顔が小さくて、目が綺麗で、口唇も薄いピンク色の・・・」
「キスしたくなるような・・・」
「そうキス・・・・・っ!?なっなに言ってんだよ!したくならないよ!!どっどっどうしてそういうこと言うかなぁっ!?」
 俺の隣りで、ほおっと夢見る眼差しで投げキスの格好をするタケトを、赤い顔で見返す。
 はっ!なんで赤くならなくちゃいけないんだよ!
「だって綺麗な髪、白い肌、目が綺麗で口唇がどうって・・・いかにも一目惚れっていう言い方じゃな〜い?さ、俺はそんなことでユカちんを嫌いになったりしないから、未来のお兄さんに話してごらん?」
 急にお兄さんぶるタケトに俺はただ首を傾げる。なんで同級生のタケトが将来のオニイサンな訳よ。
「俺はタケとは違うの!ちゃんと女の子が好きなんだから!変なこと言わないでよ」
「そうでっか〜?ま、ユカちんがそういうならいいけどさ。でも、それだけじゃ誰かなんて分からないっしょ。ある意味ヒロミちゃんだってそうと言えばそうなるんじゃなぁい?」
 あ、言われてみれば・・・・。ヒロミちゃんも髪は長めだしなぁ。でも、あまりにも振り返った時の綺麗な顔が俺の心に残ってて・・・それ以外のこと・・・・・?
「あっ!」
「なによ」
 俺は思わず声を上げながら立ち上がる。一番インパクトのあること言ってないじゃん。
「長ラン!!」
「え?」
 タケトは突然元気になった俺を不思議そうに見あげている。
「長ラン着てた!その子!・・・・だから俺てっきり番長グループの子だと思ってたんだけど、昨日いなくって・・・」
 俺はタケトに向かって人差し指をたてて説明をする。すると、大きな瞳をきっちり開けながら俺の話を聞いていたタケトの方が、今度は声をあげた。
「あああっ!」
「なにっ?」
 俺を指差して固まるタケトに俺は聞き返す。すると、タケトは瞬きもせずにゆっくりと立ち上がり、俺を見て言った。
「それだ・・・・」
「どれよ・・・・?」
 思わず周りをキョロキョロ。なにもないじゃん。
「だからそれよ・・・・」
「だからどれよ・・・?」
 俺は再びキョロキョロ。登校してきたクラスメート以外、なにも不思議なものはないんだけど。
「長ランだ・・・」
 タケトは、どこを見てるのか分からない瞳のままに呟く。俺は焦れてタケトの立てた指を掴んだ。
「だから長ラン着てた子だって言ってるじゃない。それがどうしたのさ」
「そうじゃなくて、それが証明なんだって!・・・・裏番の」
 証明って、裏番の。あの子が長ラン着てて、そんで長ランが裏番の証で・・・ってことは、すなわち。
「えええっ!?マジッ!?」
 俺はこれ以上ないってほどに目を開いて、教室中に響き渡る声で叫んだ。周りの奴もさすがに振り返る。タケトと俺は、その視線をかわすようにゆっくりと腰を下ろした。
 腰を下ろした後も、俺たちはしばらく見つめ合う。相当妖しい・・・・。
でもって、タケトの小さなため息の後、示し合わせたように二人で呟いた。
「その子が裏番だ」