くる日もくる日も 姉と小さな弟を焼く炎の前で 私と母が立ちつくし そばに小学生の弟も うずくまっていました。 けれど その母も、弟も 十日と生きることが できませんでした。 生き残ったと思った 多くの被爆者も 原爆症にかかり その年の暮れまでに ばたばたと死んでいきました。