「被団協」新聞250号 1999.11月

主な内容
1面 日本被団協全国代表者会議報告 
2面  相談員研修会   アメリカの臨界前核実験に抗議 
3面 原爆裁判
4、5面 基本要求改定にあたって
6面  東海村臨界事故をどうみるか
7面 世界最初の核兵器実験場を訪ねて
8面 相談のまど「介護保険法」


核兵器廃絶、国家補償を -代表者会議

 日本被団協の全国都道府県代表者会議が、10月20、21の両日、東京・五反田のホール国光園で行なわれました。
 会議には、37都道府県から110人が参加。在外被爆者も韓国・崔日出会長、アメリカ・倉本寛司名誉会長、ブラジル・森田隆会長と綾子事務局長の3カ国代表が同席し、討論し合いました。
 会議は、高橋健、横川嘉範両代表理事を座長に進行しました。伊東壯代表委員は、東海村の臨界事故にふれ、「広島、長崎の教訓を学んでおれば起きなかった事故」などとのべ、「21世紀までの2年間にやれることはみんなやろう」とあいさつしました。
 海外被爆者・三代表のあいさつを受けて、藤平典事務局長が、今年6月の総会後全国で取り組まれた運動の特徴を4つにまとめて報告しました。そして@核兵器廃絶をめざしての国際活動と原爆展の多彩な開催。A国家補償請願署名への取りくみ。B原爆裁判。C現行法の充実での討論と経験交流を呼びかけました。
 こんどの会議での新しい提案は「原爆被害者の基本要求」の改定です。情勢にふさわしくあらため、21世紀に残るものにしようと、改定委員会の田中煕巳委員長が改定の重点を説明し、全国的討論を提案しました。
 二日目には、原爆裁判の補足報告、松谷英子さんと、新たに原爆症認定で札幌地裁に提訴した安井晃一代表理事から、冷たい被爆者行政をただすためにががんばる決意がのべられました。
 各地からの報告・討論では、発言が相次ぎ、被爆者運動が元気にすすめられていることを示しました。実相普及では、原爆と人間展パネルを自治体と協力して活用している例、証言活動でも活用している例などが多様に報告されました。
 福祉事業では、広島、長崎で実施されている施策を全国でも実施させていこうという声が強く出ていました。
 会議は、アピールを採択して閉会しました。

「核武装」発言に怒り

 代表者会議では、西村真悟防衛政務次官が週刊誌での対談で、「日本も核武装したほうがええかもわからん」などと発言したことへの怒りが強く出され、会議の名で、小渕恵三総理への抗議と要請が採択されました。
 文書では、西村発言が出るのも、核兵器についての日本政府の態度が明確でないからだとし、核兵器即時廃絶への行動を要請しています。

在外被爆者に法適用を

 日本被団協全国代表者会議の翌日の22日、「原爆被害への国家補償と現行法の充実を迫る決起集会」が、衆議院第一議員会館第1会議室で開かれ、被爆者と在外被爆者を支援する市民ら120人が参加しました。
 民主党から今井澄・雇用・社会保障担当ネクスト大臣、公明党から斉藤鉄夫・科学技術庁政務次官があいさつしました。
 決起集会では、藤平事務局長の問題提起をうけて、午前中の行動が要請団の責任者から報告されました。
 このあと、ブラジルの森田会長が、厚生省に、ブラジルで集めた要請署名を提出したことを報告し、「在外被爆者への法の適用は、壁が厚いようだが、来年も再来年もきて要請する」と力強く発言しました。
 アメリカの倉本名誉会長は、「日本人でカナダに移住した人が、健康管理手当を13,000ドルも返せといわれた」と、冷たい被爆者行政を告発。
 韓国の崔会長は「韓国では原爆投下で祖国解放を早めた」という考えが多く、被爆者は国内外で差別された苦しみなどを語り、日本政府に責任を迫る考えをのべました。
 原爆裁判の原告からの発言、福祉事業についての発言がつづき、国家補償と現行法の充実を求める決意を固めながら閉会しました。



「介護あって保険なし」に −相談員研修会

 中央相談所主催の第5回全国相談員研修会が、10月20日、「介護保険法と被爆者」をテーマに全国から100人が出席して東京で行なわれました。
 肥田理事長は、「諸問題を被爆者がどうなるかを土台にすえるのではなく、老人がどうなるかで考えないといけない」と主催者挨拶。
 つづいて元日本福祉大学教授で日本被団協専門委員の小川政亮先生が、「高齢者福祉と介護保険−『社会福祉基礎構造改革』がめざすもの−人権としての社会保障の権利の観点から検討−」と題して講演しました。
 介護保険法は、いつでも、どこでも、必要・十分な給付が差別なく受けられる制度なのか、65歳以上の13%しか該当しないと推定されること、「保険あって介護なし」といわれるように初年度の介護充足率は33%といわれていること、さらに「社会福祉基礎構造改革」によって、国や自治体の責任で社会福祉サービスをおこなう「措置制度」を、「契約制度」にかえ、社会福祉が営利化され、支払能力がなくても給付を受ければ負担するのが当然という制度にしようとしていることなど、多くの問題点を指摘し「介護あって保険なし」が理想と結びました。
 このあと現行法の38条、39条の福祉事業などについて質疑がおこなわれました。


東海村臨界事故をどうみるか (コラム核かくしかじか ワイド版)
 

 東海村のJCO核燃料製造工場で「臨界事故」が起こりました。とても心配です。

 今度の事故は国内ではじめて起こった「臨界事故」でした。アメリカのスリーマイル事故と並ぶ、世界でも有数の深刻な事故です。日本の原子力安全委員会は「レベル4」の危険度の重大事故としましたが、工場外に危険性が及んだという意味では「レベル5」に入ると思います。放射性廃棄物の処理、核燃料サイクル、安全性など、いずれをとってもまだ未完成な原子力技術なのに「安全神話」にもとづいて無謀に推進してきた結果だと思います。

 「臨界」というのはどういう状態ですか。

 ある量を超えてウランが1ヵ所に集まり、その中のウラン235の原子核が核分裂すると、その核分裂で放出された中性子が次のウラン235の原子核に吸収されて核分裂し、こうした反応が次々と連鎖的に続くようになります。そうなる境目の量が臨界量です。臨界量はウランの濃縮度、密度、ウランの塊の形、周囲に中性子を反射したり吸収する物質の有無、中性子のスピードを落とす減速材の有無などで変わります。今回の事故では、臨界が起こった沈殿槽で反射材と減速材の役割をしていた冷却水を抜いたために臨界状態から抜け出せました。

 アメリカの臨界前核実験の「臨界」も同じ意味ですか。

 そうです。臨界量以下のとき、未臨界あるいは臨界前といいます。臨界前核実験では、核分裂の連鎖反応は起こりません。しかし、核爆発しないといっても、核兵器開発という狙いに変わりはありません。

 原爆も核分裂の連鎖反応でした。今度の事故と規模を比較すると、どうなりますか。

 ウランを使った広島原爆は、百万分の一秒という瞬間に核分裂の連鎖反応を起こさせたものです。その結果約700グラム、1兆の1兆倍以上のウラン235の原子核が核分裂しました。今度のJCOの事故で臨界状態に達した最初の瞬間に核分裂したウラン235の量は1ミリグラムとマイクログラムの間で、広島原爆の1億分の1以下だと考えられます。

 三人の作業員が大量の放射線をあびました。その被曝線量は原爆と比べてどうなのですか。

 もっとも大量にあびた作業員の被曝線量は17シーベルトといわれています。これは広島の爆心地から600から900メートル地点の原爆放射線量に相当します。核分裂したウランの量は少なくても、臨界の起こったすぐそばにいた作業員は、これだけの放射線をあびたのです。約4シーベルトの放射線をあびると半数の人が放射線障害で死亡するとされています。被曝した作業員は、現在可能な最先端の医療を受けていますが、危険な状態が続いています。

 「臨界」が手作業で起きるなんて予想もしなかったと政府は言っていますが、そんな言い訳ですむのですか。

 政府の責任は重大です。人間は思わぬミスをします。そのため原子力施設では、たとえ失敗しても安全な方向に働くように「フェイル・セーフ」設計や、不用意な過ちを犯さないように「フール・プルーフ」設計が何重にも施されていなければなりません。地震国でしかも人口密度の高い日本では、さらに厳重な安全対策が必要です。しかし、安全性をチェックする「原子力安全委員会」は、原発推進派の専門家だけで構成され、電力会社や原子力産業が提出し、科学技術庁が作成した書類に目を通すだけで、国民の安全を守るために独自に調査するような機能は持っていません。こうした政府の無責任な姿勢が原子力産業にも反映して、JCOが安全性無視、効率優先の「裏マニュアル」をつくったり、従業員に当然行なうべき教育をしなかったことにつながりました。

 避難区域を350メートルにし、屋内待避を区域を10キロメートルにしたのは根拠があるのですか。

 避難区域の設定は事故の推移がつかめない段階では難しい問題です。今度の場合、避難勧告が5時間、屋内待避勧告が10時間も遅れたことが一番の問題です。放出された中性子線やガンマ線は距離の2乗に反比例して減少するので、100メートル離れると沈殿槽のそば1メートルの距離の線量の1万分の1に、300メートルでは10万分の1になります。今回の事故のように臨界状態が20時間も続くと、350メートルの距離では、国際放射線防護委員会が勧告した年間限度の2倍の中性子線をあびた可能性があり、避難勧告の遅れとともに避難範囲が小さすぎたと指摘されています。10キロ圏内に屋内待避がよびかけられましたが、これは風に運ばれた放射性ガスの影響を防ぐためでした。しかし、これへの対策の指示がなかったため、10日以上も法定限度を超える放射性ガスが放出され続けました。こうした放射能もれの場合、風向きによってかなり遠距離でも影響を受けるので、時々刻々もれた放射性ガスの量と風向きに応じた対策が必要です。

 被爆体験を持つ日本で、今度のような臨界事故が起こったことは、世界中で不思議がられています。単なる事故対策ではなく、原子力行政を抜本的に転換しなければなりませんね。

日本被団協が首相に要請書

 9月30日に茨城県東海村の核燃料製造会社ジェー・シー・オーが引き起こした臨界事故にかんして、日本被団協が10月22日付けで政府・科学技術庁に出した要請書の概要は次のとおり。
 
 この事故は、核物質のずさんな取り扱いと、不十分な監督から引き起こされたものです。
 54年前の原子爆弾により多くの犠牲を強いられた原子爆弾被害者として、この度の事故に対して深い憂慮の意を表明するとともに、以下の対策を速やかに取られるよう要請します。

1、事故の原因を徹底的に究明し、その結果をすべて国民に明らかにすること
2、多量の放射線被曝を受けた作業員に対する医療を十分におこなうこと
3、住民の健康について十分な配慮と調査をおこない、必要な対策を系統的、持続的に取ること
4、原子力関係施設の設置に関する規制措置を明確にすること 

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