「被団協」新聞2008年 6月号(353号)

2008年6月号 主な内容
1面 原爆症認定集団訴訟、仙台・大阪高裁で勝訴 9条世界会議で被爆者が訴え
2面 被爆者と憲法 集団訴訟解決へ連日行動 在外被爆者問題で与党に要請  非核水夫の海上通信
3面 わが街の被爆者の会―大分県被団協 NPT準備委員会で発言
4面 相談のまど「原爆症認定申請・以前に却下されたが新基準に該当し、今も治療中の時は?」


国の新基準きびしく批判―仙台・大阪両高裁で判決

 原爆症認定集団訴訟の控訴審判決が5月28日仙台高裁(原告2人)、同30日大阪高裁(同9人)であり、いずれも原告が全員勝訴しました。判決は「新しい審査の方針」の抜本的な見直しを迫っています。原告、日本被団協側は、国に上告を断念し、全面解決をはかるよう求めています。


 仙台高裁(井上稔裁判長)は、放射線起因性について「既往症、生活環境等も勘案して」判断すべきであるとし、要医療性については従来の判決を一歩進めて、がん切除後の後障害と再発予防のための検査も認めるべきであるとしました。さらに被告大臣に対し「被爆者援護法の精神に照らすと、いささか柔軟な対応に欠けていた」と指摘。
 日本被団協などは声明で「従来の被爆者行政の誤りがさらに明らかとなった」と評価しました。
 大阪高裁(井垣敏生裁判長)は「入市被爆者や遠距離被爆者についての放射線による被曝が過小評価されている」として厚労省の認定手法を厳しく批判しました。また、甲状腺機能低下症、循環器疾患、貧血など4月以降に厚労省が実施している「新しい審査の方針」による積極認定の対象となっていない疾病についても、幅広く放射線起因性を認めました。

 「審査の方針」再改訂を
 2つの高裁での勝訴判決を受け、日本被団協、原告団、弁護団は厚生労働大臣に対し、それぞれ判決当日「申入書」を提出しました。
 高裁判決によって、これまで国が行なって来た、被爆の実態を無視した被爆者行政の誤りが明らかになったとし、次の5項目を要求しています。
 (1)高裁判決に従って上告を断念すること (2)「審査の方針」を原爆被害の実態に即したものに再改訂すること (3)全国の原爆症認定集団訴訟を一括解決すること (4)これまでの被爆者切り捨ての認定行政を反省し、被爆者に謝罪すること (5)厚労大臣が面談してこの申し入れに回答すること。

 札幌地裁で弁論再開
 札幌地裁で5月19日に判決予定だった北海道原爆訴訟第1部(原告7人)は、国側の強い要請を裁判所が受け入れ、同日弁論が再開されました。
 国が「原告3人が判決を前に認定され、訴えの利益がなくなった、他の原告も認定される可能性がある」として弁論再開を求め、裁判所がそれに応じたことに対し、弁護団は法廷で厳しく抗議。「本日は長年かけて争われたこの原爆症認定問題が決着し、原告は勝訴判決を高齢化した身体に受け止める瞬間だった。弁論再開は理解できない」と述べ、一日も早い判決を強く求めました。


「ノーモア・ヒバクシャ」に共感

          9条世界会議で被爆者が訴え
 
 9条世界会議が5月4〜6日、千葉・幕張メッセで開かれました。のべ2万2千人を超える参加者を得たこの催しに、日本被団協は、被爆者からの9条に寄せるメッセージを携え参加しました。
 「被団協」新聞3月号で呼びかけたはがきメッセージをもとに、ノーモア・ヒバクシャ9条の会の全面的な協力を得て『被爆者が綴った わたしが憲法9条を大切に思うわけ=抜粋版=』(A4判8ページ)を作成。会場で約900部を配布しました。
 5日午後4時からのシンポジウム5「核時代と9条」に、日本被団協から吉田一人氏(東京)が、浅井基文(広島平和研究所)、アリス・スレーター(アメリ/カ核時代平和財団)、キャスリン・サリバン(アメリカ/軍縮教育家)各氏とともにパネリストとして登壇し、発言しました。9条は「ノーモア・ヒバクシャ」の願いを表したものであること、被団協が求めている「原爆被害への国家補償」は、憲法前文と9条を実体化するものでもあることなどを紹介。「21世紀被爆者宣言」での結びに、約600人の参加者から、しばらく鳴り止まない大きな拍手を受けました。

 吉田さんの発言内容全文と『被爆者が綴った…=抜粋版=』は、被団協とノーモア・ヒバクシャ9条の会のホームページで公開しています。

 世界会議展示ブースで被爆者コーナー
 9条世界会議で日本被団協は、ノーモア・ヒバクシャ9条の会とともに展示ブースの1区画をかりて被爆者のコーナーを設けました。後ろのボードに「原爆と人間展」パネル3枚(千葉県友愛会提供)を貼り、前のテーブルに各種パンフレットやチラシを置いて、訪れる人と対話しながら販売、配布を行ないました。

 
被爆者と憲法

 憲法9条は国民の英知と決意 千葉 堀口士郎
 私は長崎の爆心地から1.8キロの距離で胎内被爆しました。両親は「あの地獄は二度とくり返してはいけない」と、涙ながらに原爆の恐ろしさを語ってくれました。
 私は、歴史の事実に即して憲法の成り立ちを考えることが大切だと思います。日本は明治以降ほぼ10年おきに海外での侵略戦争を拡大し、広島・長崎への原爆投下で侵略の歴史に終止符が打たれたことがわかります。
 その反省の上に制定された憲法は、前文と9条で「戦争しないこと」「国民を戦争に動員しないこと」を明記し、国民の平和な暮らしを守ることが国の責任であると示しています。それは、この国を戦争のない平和な福祉国家にと願う、国民の英知と決意を示したものではないでしょうか。
 憲法「改正」を叫び、「原爆投下はしょうがなかった」などと発言する人たちは、歴史の事実をしっかり見つめ、たった1発の原爆で、広島で14万人、長崎で7万人もの尊い命が奪われた悲惨な事実に学ぶべきです。
 亡き両親の最後の言葉は「あの原爆さえなかったら」というものでした。私もその思いを大切にしながら、被爆者の最後の世代として微力を尽くしたいと思います。


集団訴訟解決へ連日行動

 超党派で院内集会 
 原爆被爆者救済を進めるための超党派院内集会が、5月26日開かれました。自民、民主、公明、共産、社民の各党から18人の国会議員が出席。日本被団協からも藤平典代表委員、田中熙巳事務局長ほか、集団訴訟の原告など被爆者が多数参加しました。
 議員はそれぞれ「超党派で力を合わせ、政治の力で集団訴訟の解決を」などと発言。集会の最後に「『一日も早く』、『一人でも多く』の被爆者を救済すべきである」「我々は不戦の誓いをいよいよ固くし、輝ける平和国家、福祉国家に向け邁進していくことを全世界市民にむけ表明するものである」とのアピールを採択しました。

 5月末の仙台・大阪高裁判決をはさんで、日本被団協と全国原告団、全国弁護団および支援ネットは、政党と国会議員にむけ、連日要請行動を行ないました。
 集団訴訟の全面解決のため、政治的解決を求めるもので、5月21日から、全国会議員に資料を届け、毎日FAXで速報を送り、電話で約束を取って面会し、要請しました。27〜29日は首相官邸前でのビラまきも行ないました。
 被爆者は首都圏を中心に熊本からも駆けつけ、奮闘しました。

 原爆症認定 5月は125人
 厚生労働省は、5月12日と19日に審査部会を開き、新たに125人を認定しました。このうち集団訴訟の原告は58人でした。これで「新しい審査の方針」に基づく認定は274人、認定原告は全原告305人中105人となりました。

 厚労省が要求を拒否 第5回協議
 日本被団協、全国原告団、全国弁護団の3者と厚労省との第5回協議が5月9日開かれました。
 前回提出していた訴訟解決に関する要求書への回答は、(1)これまでの認定行政を反省し、被爆者に謝罪することについては「改めるべきことは改めた。謝罪の必要はない」 (2)原告全員を原爆症と認定することについては「難しい」 (3)原告の訴訟遂行費用を解決金として支払うことについては「正直勘弁してほしい」と、いずれも要求を拒否しました。


在外被爆者問題で与党に要請

 5月22日、来日中の在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆会長が、与党被爆者対策に関するプロジェクトチームの議員と面会し、要請を行ないました。支援団体とともに日本被団協から田中熙巳事務局長と山本英典事務局次長が同席しました。


 与党PTからは河村建夫座長、谷合正明副座長ほか与党議員が出席。厚生労働省から北波孝推進官ほかが同席しました。
 森田会長から高齢化したブラジルの被爆者の現状が話され、在外での手帳申請ができるよう、一日も早く法改正を行なうことを要望し、その他の対策についても要請しました。


核兵器廃絶へ 2010年までに取り組みを

 4月28日から5月9日まで、スイス・ジュネーブの欧州国連本部で、2010年開催の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議に向けての第2回準備委員会が開催され、日本被団協の田中熙巳事務局長が参加しました。
 2日目、NGOの意見を聞く時間帯の冒頭発言者として、田中事務局長が指名され発言(内容抜粋2面に)。自らの被爆体験を交えながら、核兵器は悪魔の兵器で人類とは決して共存できないと強く訴え、2020年までの核兵器の廃絶を展望し、2010年NPT再検討会議までに、核保有国をはじめすべての国が取り組むことを具体的に要求しました。
 田中事務局長はまた、日本政府と国連軍縮教育研究所が共催した、軍縮・核不拡散教育のフォーラムにパネリストの一人として参加しました。
 またメキシコ代表部、ノルウェー代表部などを訪問して国連大使と会見したほか、本部ラウンジで、中国、スウェーデン、南アフリカなどの大使や代表と会談しました。


米国の友人とともに被爆者の思いを… 井上史

 2度目の留学で、アメリカの友人たちに被爆者の声を届けなければと考え続けていた私は、映画『アンゼラスの鐘』の上映会とミッシェル・メイソン准教授(「文学と記憶の中の原爆」の授業担当)を囲むディスカッションの企画で、その思いの一端を実現できました。「コミュニティ・ルーツ」という学生グループが支援してくれました。
 ディスカッションは、広島の被爆者・土屋圭示さんの証言をもとにメイソン先生が製作したドキュメンタリー上映後、講義を受けての自由な討論でした。テーマはNPT体制、イラン核問題、スミソニアン論争です。熱心な討議のなかで「日本の軍部を屈服させるために原爆投下はやむをえなかったのではないか」「なぜ長崎に原爆が投下されたのか」など、原爆投下と現在の核問題の核心につながる質問も出されました。私からは、祖国を思いながら死んでいった韓国人被爆者のこと、被爆者はアメリカの人たちにも「あなたがたは友達なのです」と語りかけ続けていることなどを伝えました。終了後、私の周囲にみんなが集まって「今日一日で多くのことを学んだ」「素晴らしい企画をありがとう」など暖かい言葉をかけてもらったときは、うれし涙があふれました。ここで出会ったアメリカの友人たちは、被爆者の反戦・反核の思想を継承していきたいと決意しています。


米国平和活動家と交流

 アメリカの平和運動代表団が5月2日午後、被団協事務所を訪問、懇談を行ないました。
 訪れたのは、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソン氏ら6人です。被団協では小西悟、岩佐幹三両事務局次長と神奈川県原爆被災者の会の中村雄子事務局長が応対しました。
 被団協側からは、被爆体験を中心に核兵器廃絶への思いを語りました。
 代表団からは「被爆者の皆さんが核兵器廃絶のためにたたかっているように、私たちはアメリカで平和と正義を追及しつづける」などの発言があり、交流を深めました。


わが街の被爆者の会 大分県被団協

 写真は、今年3月26日に開いた、県被団協主催の相談員研修会のものです。県の担当課からも2人が出席し、行政側からの説明も受けました。
 相談員は、大分県内21支部に各一人ずつ置いています。以前は保健所での被爆者健診のときに相談を受けていましたが、今はその機会が減り、主に自宅で相談活動をしています。
 会員は960人。「被団協」新聞の読者はその3割強で、県被団協が一括で扱っています。大所帯ですが、地域ごとに細かく分かれた支部での相談・世話活動を中心にがんばっています。


相談のまど 原爆症認定申請について

 【問】私は平成16年に前立腺がんで原爆症認定申請をしましたが、却下されました。
 軍の命令で、8月7日から広島市内各地で救援作業をしました。入市被爆だからダメなんだろうと、あきらめていましたが、このたびの新しい認定基準では該当するようです。前立腺がんは現在ホルモン療法で治療をしています。
 一度却下されても、再度申請はできるのでしょうか。
*  *  *
 【答】再申請はもちろんできます。すぐに申請してください。
 厚生労働省が4月から実施している「新しい審査の方針」による原爆症認定では、(1)3・5キロ以内の直接被爆 (2)100時間以内に広島・長崎の2キロ以内に入市 (3)1週間後に2キロ以内に入市後1週間滞在した、という3つの条件に該当する被爆者が、がん、白血病、副甲状腺機能亢進症、白内障、心筋梗塞のいずれかの病気で原爆症認定申請をした場合は、積極的に認定されることになっています。
 しかし、今まで認定されていた甲状腺機能低下症などは「被曝線量、既往歴、環境因子、生活暦等を総合的に勘案して個別に判断する」としており、これがどのようなものになるかは、今もはっきりしていません。
 日本被団協と集団訴訟全国原告団、および全国弁護団は、すでに出されている6つの地裁判決に基づいて認定するよう求めています。


ツボはここ

 暦の上では10日は入梅。梅雨の季節は、梅雨寒や湿気が原因で腰痛や神経痛など持病が再発しやすいといわれます。
 衣類が夏物になっても、高齢者の身体はまだ夏の陽気に慣れていません。夏物への衣替えはすぐにしないで、徐々に切り替えるようにしましょう。
 坐骨神経痛の簡単なツボ療法を紹介します。膝の裏のくぼみの中心にある「委中(いちゅう)」の温熱刺激です。ふたがねじ式の180ミリリットル入りのワインなどのビンに50度前後のお湯を入れて、ふたをしっかり閉めます。ビンを横にして、楽な姿勢で膝の裏に当て、ころころ転がします。ズボンなどをはいて行なってください。
 気持ちよさを味わいながら、満足するまで温めましょう。是非毎日続けてください。