「被団協」新聞300号 2004年1月

主な内容
1面 壊滅から創造へ(片岡修氏ポスターより)
2面 年頭にあたって 日本被団協代表者会議 「核かくしかじか」 
3面 集団訴訟の動き エノラ・ゲイ展示要請の署名渡す 
4〜5面 新春座談会「記憶を共有したい」
7面 在米被爆者が提訴 都道府県だより
8面 相談のまど「死亡した被爆者の手帳について」


年頭にあたって      山口仙二(日本被団協代表委員)                                          

 あけましておめでとうございます。
 あの8月6日、9日から59年目を迎えようとしています。決してくり返されてはならない体験をした私たち被爆者の願いは、国の内外で着実に広がり、その支援の輪は国連にまで及んでいます。
 しかし、原爆被害の全体像普及はまだまだ不完全です。特に被爆国日本政府がその被害をより小さくみせようとする企みを打ち砕くことが、急がれます。58年たっていまなお続く被害を国に償わせることは、私たちの責務です。
 昨年から争われている原爆症認定却下処分の取り消しを求める集団訴訟に勝訴し、被爆者対策を抜本的に改善させましょう。
 広島、長崎に投下された核兵器は、小型のものでした。しかし、それでも想像を絶する被害を未だに与え続けています。
 2005年の開催が予定されている「ノーモアヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」に向けて、核兵器の犯罪性を明らかにする取り組みを強化しましょう。
 核兵器廃絶の日をめざして、運動への決意を新たにしましょう。   
代表者会議開かれる

 被団協は12月2〜3日、東京・日本青年館で03年度全国都道府県代表者会議を開きました。
 田中煕巳事務局長の基調報告は、緊迫する情勢に多くをさいて、全国の被爆者の運動を強めようと訴えました。宮原哲朗弁護士は「集団訴訟の現状と課題」、小海範亮弁護士は「集団訴訟の中での被爆の実相」について特別報告をしました。
 集団訴訟のすすめ方では、「原爆被害のとらえ方をめぐる国と全被爆者のたたかい」、「すべての被爆者が『私の意見陳述書』を裁判所に送る運動」が提起されました。
 2日目の討論では、裁判をたたかっている県のほか、準備中の静岡、宮城などからも集団訴訟運動の前進が報告され、陳述書を書く運動も論議。「原爆と人間展」パネル普及の経験交流も。最後にアピールを採択しました。

 核武装検討議員に問う
 日本被団協では代表者会議の翌12月4日、政府・国会・政党要請活動を展開しました。
 厚生労働省交渉では、在外被爆者が居住国で医療を受けた場合、医療費を助成できるよう検討していることが明らかになりました。これは、手帳をもっていなくても被爆者と確認できれば適用され、早ければ来年4月からでも実施したいという厚労省の回答でした。
 また、被爆者手帳の返還は、都道府県の管轄で地域によって対応が違うことから、手帳に「無効」印が押してあれば施行規則を改正しなくても返還しなくてよいという発言がされています。
 さらに、被爆者実態調査については、被爆60周年の実施を検討していくことが示されました。
 今回は、総選挙直後の毎日新聞アンケートで「核武装を検討すべき」と答えた議員が83人もいたことから、政党や議員要請では、その姿勢を正すことも中心に据えられました。「核武装検討議員」を抱える民主党、公明党への要請では、両党ともそうした議員の存在に驚いた様子。今後、注意を促すなどの答えがありました。

集団訴訟のうごき

 【長崎】11月25日の第4回弁論は、900mで被爆した長山敏さんと4.5kmで被爆した山口初江さんが意見陳述を行ないました。山口さんは、被爆後入市。急性症状の後、次々と病気になった体験を語りました。
 国は「各原告を原因確率に当てはめ、総論を年内にも出したい」と述べました。一方、国側の主張が難解であるためか、裁判長は「放影研の専門家を呼んで三者で勉強会をしてはどうか」と提案。、検討することになりました。次回は、1月13日。
 【広島】11月26日に開かれた第3回の弁論では、国は「DS86は現時点で最良のものであり、DS02が年内に出るのは無理」、「疫学上で放射線との因果関係が認められても、法律上の因果関係がない場合がある」と主張しました。
 次回は、12月24日で、今年1月には第三次の追加提訴が予定されています。
 【名古屋】11月4日に開かれた第三回の弁論では、69ページに及ぶ原告準備書面が提出され、入市被爆者の疾病と放射線の関係などについて、いよいよ裁判が本格化してきました。また、前回の弁論で裁判所は原告が証拠申請していたビデオ「にんげんをかえせ」の却下しましたが、今回新たに申請したビデオ「ヒロシマ ナガサキ核戦争のもたらすもの」の採用について国は「法廷での上映は必要ない」と主張。裁判所は「まだ検討中」としています。
 かたくなな裁判所を変えるために、全国からも要請をしていくことが大事になっています。次回は2月4日。
 【札幌】12月8日に行なわれた弁論で裁判所は、安井晃一さん個人の裁判と安井さんを含む集団提訴第一次の裁判を併合する、しかし第二次集団提訴者の加藤さんについては、併合せず同時進行する予定であると述べました。
 国からは原告がまだ主張もしていない原因確率論に反論する準備書面が先行的に出されました。次回は3月1日。
 【大阪】12月10日に第三回の弁論が開かれ、新たに集団訴訟の原告に加わった2人が意見陳述を行ないました。20歳の時、広島で被爆した京都の小高美代子さんは、「真っ黒な雨の中を歩き、髪の毛がごそっと抜けた。長い間身体の不調で苦しんできたことを認めてほしい」と陳述。
 衛生兵として8月6日夕方から救出・救援に従事した大阪の甲斐常一さんは、戦後体調不良で、入退院を繰り返し、ほとんど定職につくことなく現在にいたった、と涙ながらに陳述しました。 次回は未定。

エノラ・ゲイ署名渡す

 アメリカ・スミソニアン航空宇宙博物館が広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」を完全復元し、12月15日から展示することに対して、日本被団協は原爆被害も展示せよ、それができないなら展示を中止せよと要求してきました。こうした抗議行動に参加するため、田中煕巳事務局長を団長とする日本被団協代表団4人が12月11日、アメリカに向かいました。
 一行は、2か月足らずの間に緊急集約した署名2万3747人分を持参。12日にスミソニアン博物館を訪れ、秋葉忠利・広島市長からのメッセージとともに署名を手渡しました。

在米被爆者が提訴 
 
 アメリカの被爆者2人が12月17日、保健手当と健康管理手当申請の却下取り消しを求めて広島地裁に提訴しました。
 提訴した2人は、来日せずにアメリカから広島市に手当を申請、却下されたものです。現在は、認められると帰国後も手当が継続して受給できますが、申請には一度日本に来なければなりません。多くの被爆者が高齢化し、来日が困難になる中、日本被団協は居住する国から手当や被爆者健康手帳の申請ができるようにと厚生労働省に要求しています。

このページのトップへ

戻る