「被団協」296号 2003年9月

主な内容
1面  アメリカで証言活動 マックブライド平和賞授賞式   
2面  つたえよう ヒロシマ ナガサキ集会  原爆症認定集団訴訟  「核かくしかじか」
3面  韓国の被爆者追悼式典  都道府県だより 
4面
  相談のまど「健康管理手当の更新手続きに関して」 

核使用政策すすめるブッシュ政権のアメリカに遊説

 戦後58年夏のアメリカ遊説には、7月31日から2週間、岩手の宮永龍馬、斎藤政一、東京の上田紘治、日本被団協の中西英治(団長)の4人がいってきました。

 オマハの戦略司令部で
 ことしは例年のワシントンDCとニュージャージー州のほかに、ネブラスカ州オマハの行動がプラス。「使える核兵器」開発や先制攻撃戦略に関する米政府と兵器専門家のハイレベル会議が同地で開かれるのにぶっつけて、市民が3日間の反核行動を企画。「ぜひ被爆者の参加を」とDCの広島・長崎平和委員会に電話で要請、わずか30秒の対話で決まったとか。
 それが示すように、この夏米国平和運動の標的は「ブッシュ新核戦略」で、招かれたどのイベントも同じでした。
 オマハでは、米戦略司令部ストラトコムに市民が「査察」に訪れ拒否された場面で、中西が「私たちはイラク大使館にも大量破壊兵器をもっているなら隠すなといった。中にいる人にいいたい。きみたちは新しい核兵器をつくっているか。それなら米国も隠すな。自分のつくった兵器で女子どもが焼かれるのを見たことがあるか。なければ出てこい。生身で原爆を体験した人間がここに4人いる」と訴え、「一番パワフルなスピーチだった」と喜ばれました。今回は「米市民とともにたたかう遊説」の色彩が濃かったと思います。

 ワシントンDCで
 今回の参加者は四人とも広島被爆。20歳被爆の斎藤さんと3歳被爆の上田さんがDC組、15歳被爆の宮永さんと3歳被爆の中西がニュージャージー組に、それぞれ老若コンビで旅しました。
 DC組はリンカーンメモリアル公園での証言、子どもたちとの折り鶴交流、核実験風下地域被害者やNGOと交流など。
 斎藤さんは、人事不省のまま死体の山の中で焼かれる寸前に蘇生した希有な体験を涙ながらに語って大きな感動をよび、上田さんは「被爆者は泣いてばかりはいない」と原爆症認定集団訴訟などでたたかう姿を紹介、連帯の輪を広げました。

 ニュージャージーでは
 宮永さんと中西は、世界最大の兵器会社、ロッキード・マーティン社に「核兵器をつくるな」と迫る行動、プリンストン大学、エリザベスの教会の集いなどに参加。
 宮永さんは、全身を焼かれた人、首だけ残して後は骨になった人、川面を埋めた死体同士が皮膚が癒着してくっついた様子など生々しく証言し衝撃を与えました。「真珠湾のことは深く謝罪したい。しかし原爆は許せない」という中西の発言は何人もから「謝罪されておどろいた。原爆のことも許してもらえるだろうか」といわれました。
 「被爆者、日本壊滅の物語を語る」(ワシントンポスト)など、今回もテレビやラジオ、新聞などマスコミは強い関心を示しました。(中西記)

ショーン・マックブライド平和賞授賞式

 本紙7月号でお伝えしたショーン・マックブライド平和賞の授賞式が8月7日、長崎市内のセンチュリーホテルで行なわれました。
 国際平和ビューロー(IPB)を代表してレイ・ストリート副会長から、同賞の銀製メダルが日本被団協の山口仙二代表委員に手渡されました。山口代表委員は、被爆者を支えてきた人々への感謝を述べ、「残り少ない命を授賞に恥じないよう精一杯、核兵器の廃絶のためにささげる」と決意を語りました。
 授賞式にはIPBのケイト・デュース副会長も出席し、コーラ・ワイス会長からの祝辞を紹介。日本被団協の役員や全国各地の被爆者、支援団体代表、IPBメンバーであるインド、オーストラリアの平和組織、世界の核実験被害者として韓国、マーシャル、ロシア、フィジー、タヒチなどの代表が参加しました。

「つたえよう ヒロシマ ナガサキ 2003・長崎」開かれる

 「つたえよう ヒロシマ・ナガサキ 2003・長崎」の集会が8月8日、長崎市メルカつきまちホールで開かれ、被爆者や市民など270人が参加しました。日本被団協と「つたえよう ヒロシマ・ナガサキ」が主催したもの。
 集会では、原爆症認定集団訴訟運動が中心に据えられました。裁判の訴状をもとにした朗読構成劇には、生協の組合員や青年団のメンバーが出演。原告の被爆時年齢に近い少女や同郷の若者たちが、被爆体験やその後の苦しみを、被爆者にかわって訴えました。
 朗読劇の後、全国弁護団長の池田真規弁護士が、今回の裁判の意義を強調。集団訴訟運動の支援の輪を広げ、日本政府の被爆者対策、核政策の転換を要求していくことを参加者とともに確認しあいました。
  日本被団協の山口仙二代表委員は、被爆者運動が多くの市民に支えられていると報告。ミニ講演では、立命館大学平和ミュージアム館長の安斎育郎氏が、アメリカの核戦略と、それに追随して有事法制を成立させた日本政府を批判しました。

原爆症認定集団訴訟 各地裁で最初の口頭弁論

 長崎、名古屋につづき札幌、東京、大阪、広島と相継いで第1回の口頭弁論が開かれました。
 【札幌地裁】7月28日の弁論では、証拠として提出されたビデオ「にんげんをかえせ」を法廷内で上映。続いて、3人の原告と弁護団が意見陳述を行ないました。次回は10月6日。
 【東京地裁】7月28日の弁論は、180人が交替で傍聴する中、原告2人と弁護団3人が意見陳述し、証拠として提出された写真を大きくしたパネルを示して説明。25日に死亡した田川東友会会長、提訴後に死亡した右近さんへの哀悼を込めて喪服での傍聴者が目立ちました。次回は9月11日。
 【大阪地裁】8月8日、法廷からあふれる傍聴者が参加。原告2人、弁護団2人が意見陳述を行ないました。7月28日に追加提訴された2人も併合審査が決定、報告集会に参加し決意を述べていました。翌9日には被爆者110番を実施。次回は10月10日。
 【広島地裁】8月20日に開かれた弁論は、満員の傍聴者が参加。原告団から2人と弁護団長が意見陳述を行ないました。弁論後の報告集会では、社民党、共産党の代表、日本被団協事務局長などから激励のあいさつを受けました。
 またこの日の弁論に先立って新たに9人が追加提訴。広島地裁への提訴者は37人となりました。次回は9月24日で、3月31日までに6回の弁論期日が決まっています。

 長崎で3人追加提訴
 8月28日、長崎地裁に3人の被爆者が追加提訴しました。これで全国の提訴者は90人となりました。

 提訴者また1人死亡
 広島で提訴していた鳴床清吉さん(79歳)が8月4日に死去。これで提訴後に亡くなった提訴者は3人。弁護団では、提訴した被爆者の意思は当然、遺族に承継されるとしています。

韓国の被爆者追悼式典に出席

 被爆58周年韓国人原爆犠牲者追悼式典が8月6日、韓国赤十字ソウル支社で開かれ、被爆者や日本からの来賓など180人が出席。韓国被被爆者協会の李廣善会長は、「昨年、日本政府は海外の被爆者にも援護法を適用することになり、私たちが長年主張してきたひとつが達成された」と喜びを語りました。
 日本被団協を代表して出席した西山進代表理事は、「日本政府があらゆる手続きを被爆者が住む国で実施するように、また日本が再び軍事国家に進むことがないように、私たち日本の被爆者はがんばります」とあいさつ。式典は、慰霊歌の合唱、献茶、献花を行なって犠牲者の冥福を祈りつつ、核兵器廃絶の誓いをいっそう固くして終了しました。

都道府県だより

 群馬
 群馬県原爆被災者の会(群友会)高崎支部は、県内の村では初めて倉渕村で8月6日から9日まで「原爆と人間展」と「被爆者からの伝言」の原爆展を開きました。人口4,800人の村で入場者は295人と、たいへん好評でした。
 会場の中央公民館が夏のメイン行事としてとりくんでいただき、村長、助役、収入役、教育長、中学校校長など村の幹部も観覧し、よい企画だと評価されていました。
 慰霊式も
 第24回群馬県原爆犠牲者慰霊式が8月17日、前橋市嶺公園の「原爆碑」前で開かれ、被爆者、遺族、一般市民ら約200人が参列。この1年間の県内死没者9人。これで237人の死没者の名簿が碑に奉納されたことになり、初めて現在の生存者数234人を上回りました。

 千葉
 千葉県被爆者友愛会は、今年初めて県庁内で「平和のための原爆展」を開催。7月29日から8月8日まで、県庁本館19階の展望室で「原爆と人間展」パネルを展示しました。これは、友愛会と県担当課が協力して実現したものです。
 マスコミ各社の取材・報道もあり、参観者からは「千葉県にもたくさんの被爆者がいるのですね。びっくりしました」との感想も。「パネルが28枚だけなのは少ない」との声もあり、来年はもっと充実した展示にしようと張り切っています。

 佐賀
 佐賀県の唐津原爆被害者の会は8月8日、「原爆投下58周年慰霊式典」を開き、被爆者、遺族、市長や市議会議長などの来賓約70人が出席。この1年間に亡くなった六人を加えた計183人の死没者名簿を納め、献花しました。
 「被爆者は残り少ない命を、核兵器も戦争もない平和な世界になるよう懸命の努力をする」と誓いあいました。
 今年は台風の影響で離島からの船便が欠航するなど高齢被爆者の参列が無理な状況でしたが、昭和42年から始めて36回目の式典を無事に終えることができました。

 北海道
 8月6日、札幌市の北海道厚生年金会館で原爆死没者北海道追悼会が開かれました。北海道被爆者協会と追悼会実行委員会が共催したもの。昨年亡くなった17人を含む死没者名簿が置かれた祭壇に、折り鶴と白菊を献じました。
 追悼会に先立ち、会場では「あの日を語り継ぐつどい」などが行なわれました。原爆症認定集団訴訟の北海道原告のひとり、柳谷貞一さんが被爆時の体験から今日までの足跡を語り、高校生の加藤珠海さんが「十六歳平和への願い」と題して意見発表しました。

 静岡
 今年は、親子孫三代の8人で原水爆禁止世界大会に参加しました。私自身は46回目の参加になります。
 静岡県内の平和行進のときに、県知事、県議会議長をはじめ全自治体の首長・議長から寄せられた反核ペナントを長崎原爆資料館に贈呈してきました。

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