「被団協」290号 2003年3月

主な内容
1面 全国各地で被爆者が行動 在外被爆者裁判
2面  人生かけて訴える   原爆症認定裁判   「核かくしかじか」
3面 都道府県だより-各地のイラク攻撃するな、核兵器使うな行動  被爆者・青年往復トーク
4面 相談のまど「特定医療費について」

イラク攻撃するな、核兵器つかうな 全国各地で被爆者いっせい行動

 日本被団協がよびかけた「ブッシュ政権はイラク攻撃するな、核兵器使うな、第三次被爆者全国統一行動旬間」は2月10日〜20日まで、全国各地でとりくまれました。
 イラクをめぐる緊迫した情勢は、国連査察委員会が査察の成果と継続を国連安全保障理事会に報告しているにもかかわらず、武力行使にこだわる米英は強硬な態度をくずしていません。日本政府は国連演説で、武力行使に道をひらく「新決議」の採択を要求。米英の後押しをしています。

 日本被団協の行動は2月19日、東京・渋谷ハチ公前で。東友会、千葉友愛会などから50人が参加しました。
 被爆者は横断幕と「原爆と人間展」パネルを掲げ、チラシを配布。次々にマイクを握って「戦争を、核兵器の被害を体験した私たちは、イラクへの武力行使に反対です」と訴えました。
 東友会のホームページを見て参加した被爆二世の青野美由紀さんと鈴木麻由美さんは、「被爆者を親に持つ二世として黙ってはいられず、初めて行動に参加しました。核兵器被害は世代をこえてつづきます。戦争は絶対反対」と訴えました。
 ブッシュ大統領あての抗議ハガキを購入した21歳の青年は、「大人なんだから、武力じゃない解決を目指してほしい」と話していました。

日本政府と米・英・イラク大使館に要請   アメリカへの要請書

 行動旬間のひとつとして日本被団協は、政府・大使館にも要請。2月19日には日本政府、アメリカ大使館へ。
 内閣府では児島課長補佐が、外務省では古谷徳郎主席事務官が、それぞれ対応し、要請書を受け取りました。
 アメリカ大使館は、代表だけを門前に通し、守衛が要請書を預かりました。イギリス大使館は、「ファックスで要請書を送ってくれればよい。来ても会わない」と。被団協からファックスで要請文を送付しました。
 イラク大使館は、2月21日にアブドゥルワハブ・M・ガザル二等書記官とムクリス・アリ・ラジャブ三等書記官の2人が面会。ガザル書記官の執務室で1時間余り懇談しました。



在外被爆者裁判  李康寧さん、福岡高裁でも勝利

 長崎で被爆した韓国人元徴用工、李康寧(イ・ガンニョン)さん(75)が「韓国への帰国を理由に健康管理手当の支給を打ち切ったのは違法」として訴えていた裁判の控訴審判決が2月7日、福岡高裁でだされ、李さんが全面勝訴しました。これは、昨年12月の郭貴勲さんの大阪高裁判決につづく勝利です。
 判決で石塚彰夫裁判長は、「(現行の援護に関する法律の)根底には国家補償的配慮がある。人道的見地から、健康管理手当の受給権を認めない解釈は相当でなく、在外被爆者を適用外とする解釈は立法の趣旨に沿わない」と述べました。
 また、「各種給付などの事務を行う権限や責務は国にある」と、国の責任を明確にしました。
 長崎の支援する会などでは、国にたいし「控訴するな」の要請を行ないましたが厚生労働省は17日、国側の責任を問われた部分を不服として上告。李さん側も長崎市の責任が問われなかった部分を不服として上告しました。
 
【関連通信】2月7日判決の日、被爆者を含む97人が傍聴席を埋めました。裁判長が国側の控訴棄却を宣告すると、法廷がどよめき、「勝った」という声が法廷を包みました。とくに「国が責任を持つべき」と明快に示されたことは、大きな特徴でした。
 一方、いまだに手帳もない在外被爆者への援護で、日本政府にどう対処させるのか、今後問われることになるでしょう。(福岡・西山進)



人生かけて訴える
                    
 入市被爆者は私につづいて提訴を   甲斐昭さん(愛知)

 いよいよスタートする原爆症認定集団訴訟。全国のトップをきって提訴することがきまったのは愛知県知多市の甲斐昭さん(76)です。
 広島の大竹市にあった海軍潜水学校の練習生だった甲斐さんは、原爆投下の数時間後には救援部隊の一員として市内へ。紙屋町(爆心から200m)にあった銀行の警備や被災者の救護などにあたりました。

大量の放射線あび
 「道は歩かれんほど熱い。瓦礫の中から鳶口で遺体をひきだすと、とくに女の人は正視できないほど恐ろしい姿でした」。福井空襲で母や妹を失っていた甲斐さんは「妹たちもこんな風に死んだのかと思うとたまらなかった。いま思い出しても涙がでる」といいます
 8月6日と7日の二日間爆心地周辺に滞在。大量の放射線を浴びました。8日から敗戦まで、宮島に近い大野浦国民学校で救護活動。舟で次つぎ港に運ばれてくる遺体を畑の中に大きな穴をほってならべて焼きました。
 福井に復員するも家はなく、廃材でつくったバラックで、脱毛、歯ぐきの出血など急性症状に悩みました。戦後は重いリンパ腫のため働けず、80年に甲状腺腫瘍手術を受けたのをはじめ、計13回の手術。病院通いの切れ目のない生活がいまもつづいています。

国のむごい仕打ち
 「原爆のために私の人生は狂った」という甲斐さんに、国は何をしたでしょう。恩給も年金もありません。九七年に原爆症認定を申請(甲状腺腫瘍術後機能低下症)しましたが却下。同年異議を申し立てると2000年8月、厚生省は「甲状腺がんの発症に放射線被ばくが考えられるとした根拠となる論文、データを提出せよ」という文書を送りつけてきたのです。
 「被爆者にどうしてそんなことができるのか」。怒りの世論がまきおこり、厚生省は「不適切だった」と謝罪。しかしその後はナシのつぶて。申立てから5年も放置したすえこの1月に「却下」を通知してきました。
 甲斐さんはただちに提訴を決意。訴訟代理人となる弁護団や支援組織づくりも急ピッチです。
 「被爆直後の爆心地にかけつけ、身の危険もかえりみず死体を処理した人、被災者を救おうと懸命に救護した人は多いはずです。それを国はほとんど認定しません。そんなことが許せますか。私は素手で遺体を処理し、ほこりを吸い、ちょろちょろ流れる水をのみ、黒い雨もあびた。私が認定されなければ、救援のため、肉親をさがすため、あとから入市した人は1人も認定されないでしょう。私は自分が突破口を開きたいと提訴を決意しました。入市被爆のみなさんはぜひ後につづいてほしい。そう大きな字で書いてください」



原爆症認定裁判  東原爆裁判

 東原爆裁判の第18回口頭弁論が2月3日、東京地裁で開かれ、被爆者、支援者ら80人が傍聴しました。
 この日は弁護団から、放射線影響研究所(放影研)の藤原佐枝子臨床研究部副部長を証人として申請しました。
 弁護団は、放影研の研究誌に掲載された同氏の論文に、肝機能障害の発症に原爆放射線が影響していることを示唆する記述があることを重視。同氏を証人として申請したものです。
 国側は証人喚問に難色を示しましたが、裁判長は請求を受け入れ、証人尋問を決定しました。
 法廷後の報告会では、弁護団から「藤原証言は東裁判のなかで最も重要な証言になる。全力をあげるので傍聴席を満席にしてほしい」との訴えがありました。
 次回弁論は4月14日です。  

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