「被団協」新聞 297号 2003年10月

主な内容
1面 2005年に国際市民会議開催 被爆者の行動
2面 集団訴訟 「核かくしかじか」 
3面 都道府県だより 往復トーク
4面 「相談のまど-健康管理手当の更新手続きに関して」


ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議 2005年に開催

よびかけ人に広島・長崎市長も
 「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」の第1回実行委員会が9月20日、東京都内で開かれました。
 「市民会議」は、日本被団協が各界で活躍する幅広い人たちに「よびかけ人」就任を依頼し、「よびかけ人」とこれまで被爆者運動に関わってきた方々で実行委員会を構成して、被爆60年にあたる2005年夏に開催するもの。
 よびかけ人には、広島・長崎両市長をはじめ、作家の井上ひさしさん、元長崎大学学長の土山秀夫さん、哲学者の高橋哲哉さん、憲法学者の水島朝穂さんなどが名前を連ねています。第1回実行委員会には、原水禁、原水協、日本生協連、日青協の代表が参加。被爆60年に向け、若者をはじめより多くの人たちに運動を提起していくことが確認されました。
 
期待される「聞きとり」運動
 今回の「市民会議」のねらいは、@ヒロシマ・ナガサキの被害を明らかにするA核兵器の犯罪性を衝くBヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ、こととしています。こうしたねらいにそって、調査や研究、運動を積み上げていくことが課題となっています。
 とりわけ、実行委員会では、若い世代に被爆体験を引き継いでいくことの重要性が強調されました。会議に向けて、多くの人々と連携をはかりながら、日本被団協が提起している「聞きとり・語りつたえ」運動を地域レベルで展開していくことに大きな期待が寄せられています。そのために、実行委員会では、研究者や専門家の協力を得ながら、調査・研究、実践づくりを早急に具体化していくことになりました。

記者会見で決意を表明
 実行委員会の後には記者会見がもたれ、冒頭で日本被団協藤平典代表委員が、「被爆者は高齢化している。今回の会議で被爆の実相を広げ、核兵器を二度と使わせないようにしたい」と決意を述べました。
 会見では、被団協から「入市・遠距離被爆者実態調査」や「聞きとり・語りつたえ」運動についての説明も加えられました。

被爆者たちの燃える秋

米国の臨界前核実験に抗議

 米政府は9月19日(現地時間)、ブッシュ政権下で7回目の臨界前核実験を強行、これにたいし全国の被爆者が強い抗議の声をあげました。
 東京・港区赤坂の米大使館では19日、被爆者30人(日本被団協、東京、埼玉、石川、長崎)が抗議。日本被団協の藤平典代表委員と飯田マリ子代表理事が抗議文を手渡し、一人ひとりマイクを手に訴えました。
 石川の西本多美子さんは「被爆者の主婦はごはんづくりもできず『死にたい』と泣いている。るいるいたる死体処理を何日もし、そのつけでいまも苦しんでいる。二度と女性や子どもを原爆の犠牲にしてはならない。実験ではなく謝罪をしてください」。東京の西野稔さんは「これは私たちだけの叫びではない。あの日殺された母、子、若い人たちにかわって叫んでいる。なぜその声を聞かずに実験ができるのか」と訴えました。
 各地の抗議行動は次のとおりです(被団協到着順)。▽三重県原爆被災者の会(抗議文)▽福岡県被団協(抗議文)▽長崎被災協(抗議文)▽京都原爆被災者の会(抗議電報)▽愛知県原爆被災者の会(チラシ配りと署名、抗議行動)▽熊本県被団協(抗議文、座り込み、ビラ配布)▽山梨県原水爆被害者の会(抗議文)▽奈良県原爆被害者の会(抗議文)▽秋田県被団協(抗議電報)

東京二カ所で行動
 東京の東友会は9月28日、都内二カ所で街頭行動を展開しました。
 上野公園では30人が「米・北朝鮮は核兵器つくるな、使うな/原爆症集団訴訟に支援を」の横断幕を持ち、「青いたすきの私たちは被爆者です。核兵器をなくし平和をきずきましょう」と署名を訴えると、赤ちゃん連れの夫婦など若い人たちが次々に応じました。
 立川駅北口では、中央線の大混乱をこえて20人が行動。二カ所合計でビラ1000枚、核兵器廃絶署名285、カンパ13700円という大きな成果がありました。

集団訴訟
 【千葉】9月12日、千葉地裁で第1回口頭弁論が開かれました。
 弁論では、2人の原告が意見陳述を行ないました。さらに池田全国弁護団長、鈴木、秋元弁護士が裁判の意味などを陳述しました。法廷ではテレビ画面を用いて当時の写真が映し出されました。
 抽選に外れ、傍聴できなかった人たちは、裁判所前でパネルを持って座り込みをしました。
 【広島】9月24日、広島で第2回の弁論が開かれました。8月20日、第2次提訴者は第1次提訴者と併合されることが決まりました。この日は法廷に、いずれも被爆の実相を示す六点の証拠を提出しました。その内の「にんげんをかえせ」のビデオを法廷で上映。若手の弁護士5人が、日弁連報告書などの提出した証拠の説明を行ないました。

 第1回期日を終えて  宮原哲朗(集団訴訟弁護団全国連事務局長) 
 7月2日に長崎地裁で始まった原爆症認定・集団訴訟も、9月12日の千葉地裁でひととおり第1回期日が終了した。私は、東京の期日と重なった札幌の裁判所を除いて、全国の裁判所に出向いた。
 まず第一に申し上げたいのは、国側が各地で応訴せざるを得なくなったこと。これは、松谷さん・小西さんの裁判では、国側の頑な抵抗により、長崎・京都で裁判ができるまで数年を要したことを考えると大きな進歩である。これも各地で集団提訴をして、運動を広げた大きな成果といえる。
 各地の裁判では、それまで行われた他の裁判所の教訓を生かし、回を重ねるごとに着実に進歩していった。松谷訴訟の経験を踏まえて説得力があり充実した弁論を展開した長崎、入廷前に集会を開き強引な訴訟指揮に抵抗した名古屋、「にんげんをかえせ」のビデオを法廷で上映した札幌、被爆実態の理解のために法廷に写真パネルを持ち込んで証拠弁論をした東京。あえて8月8日に期日を入れてまた若い傍聴者を多く集めた近畿、国側の反論提出前に求釈明を行い2年で勝訴判決をめざして積極的に期日を入れた広島、この裁判のために幟旗を作りカラーの横断幕を作って裁判に臨んだ熊本、法廷に3台のテレビを設置して弁論を行った千葉。千葉では法廷からあふれた傍聴予定者が原爆パネルを裁判所の壁に立てかけて約1時間の法廷が終わるまで座り込みを行っていた。 
 いずれの裁判所でも力強く感動的な被爆者の意見陳述が行われ、各地法廷での原告代理人の弁論は迫力に満ち、国側を圧倒していた。この裁判は時間との競争でもある。すでに提訴後3名の原告の方が亡くなっている。命を削って闘いに立ち上がった被爆者の願いに応えるのが私たちの責務であろう。

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