「被団協」281号 2002年6月  
主な内容

1面 集団提訴へ  7月9日認定申請いっせいに
2面  原爆裁判   神奈川で被爆二世の会   「核かくしかじか」
3面 都道府県の会だより        
4面 相談のまど「認定申請−異議申立て書について」


原爆症認定「集団提訴」へ

 人生かけて訴える(1) 静岡・荻沢稔(73歳)さん

 「被爆者が血をはくような思いで原爆症認定を申請しても、機械的な基準で切り捨てる。その政府の姿勢を変えるためなら先頭をきって突っ込んでいきたい。そうでないと、死んでも死にきれんですよ」
 静かな口調が怒りにふるえる声に変わりました。静岡県修善寺町の荻沢稔さん(73歳、県原水爆被害者の会副会長)。被団協がよびかける「集団提訴」に向けた原爆症認定申請運動ですぐにも申請しようと準備しているのは、「いてもたってもいられない」からだといいます。

「黒い雨」にうたれ急性症状も

 広島で被爆したのは16歳、旧制広島二中の4年生でした。勤労動員先の三菱造船所(南観音町)で閃光を見ます。気がつくと回りにはガラスの破片で血ダルマの人も。広島の中心部を望むと巨大な火柱が上がっていました。
 友だちと矢賀の自宅へ向い、己斐駅から広島駅方向へレール伝いに行く途中「黒い雨」にあいました。「焼けトタンを頭の上にかざしたが、びしょ濡れになった」。解散するとき教師から「草津小学校へ報告にこい」といわれた言葉に従い、翌日は爆心地を通って草津まで。帰りも同じコース。当然多量の放射線を浴びたはずで、被爆から数週間、激しい下痢で全身が「ふぬけのように力が抜ける」急性症状がありました。行動をともにした友も同様でした。

多発するガン 原爆以外に原因あるか

 その荻沢さんは、いまから7年前の1995年、胃ガンで三分の二切除したのに始まり、食道ガン、肺ガン、さらに脳腫瘍を患いました。被爆者にガンが多いのは常識です。それなのにこれまで、原爆症認定の申請すらしていません。なぜか。
 「被爆した地点が爆心から4.5kmなんです。政府は2kmより遠い距離で被爆した者は、たとえガンでも原爆には関係ないと、申請を機械的に却下してきた。私もどうせだめだと半分あきらめていた」のです。
 しかし、「これだけあちこちにガンが続発する。被爆以外どんな原因があるのか。それで却下できるものならしてみろ、といいたい気持ちです。被爆距離が4kmだろうが5kmだろうが、政府が被爆の責任を認め被爆者に謝罪する姿勢にたつのかどうか。認定申請でそれを問いたいです」。

核兵器も戦争も絶対に許さない

 荻沢さんの思いは、それだけではありません。
 「私の妹は当時高等女学校の2年生。2.5kmの竹屋町で被爆して全身やけど。体のあちこちがサッカーボールのようにふくれて、8月21日亡くなりました。私と同じ二中の1年生342人は爆心近くで直爆を受け一人残らず死にました。私は戦後、核兵器をなくしたい、戦争だけは体をはっても阻止したいと願って生きてきた。ところが政府は、ふたたび戦争をする国にしようという有事三法案をだしてきた。被爆者の人生は一体何だったのか。私は激怒しています」
 戦後半世紀、いま始まろうとしている「集団提訴」の運動は、荻沢さんら被爆者の人生すべてをかけた総括でもあります。
*  *  *
 本紙はこれから数回にわたって、申請運動にたちあがる被爆者の声をとりあげます。


7月9日、認定申請いっせいに 集団訴訟検討会で申し合わせ

 5月9日、第3回原爆症認定集団提訴検討会が東京で開かれ、全国から被爆者、弁護士、医療関係者、支援者など60人が出席しました。
 前回の検討会と、その後の各県被団協、ブロックでの学習会や検討会、法律や医療の関係者との懇談の成果をふまえ、提訴者の範囲や申請のとりくみのスケジュールなどが話し合われました。
 要点としては、裁判としてたたかう以上、法廷で勝たねばならないが、国に自分の病気を原爆のせいだと認めさせたい、ケジメをつけさせたい、という被爆者の思いを重視して運動を進めることが確認されました。
 そして、訴訟運動をとおして国の姿勢を変えさせるんだという視点が重要で、被爆者だけがやるのではなく国民運動として展開し、社会的な関心を高める必要があります。
 そのために統一的な「申請の期日」を決め、いっせいに申請しようと、7月9日を第1回の「いっせい申請日」とし、この日に原爆症認定申請をいっせいに出せるよう準備することが申し合わされました。
 次回(第4回)の検討会は9月3日です。



原爆症認定裁判 安井訴訟

 安井原爆訴訟の第13回口頭弁論が5月13日、札幌地裁で開かれ、被爆者16人を含む78人が傍聴しました。
 裁判長は、弁護団側が申請していた沢田昭二、野口邦和両氏の証人採用を認めるとともに、国側の児玉和紀、伊藤晴夫両氏も認め、それぞれ期日を指定。肥田舜太郎氏については保留となりましたが、裁判の進展を見極めてその採否を決めることになりました。
 裁判後の報告会では、弁護団長が「申請どおり2人の証人に各3時間の証言時間を得ることができた。年内結審はかなわなかったが、年度内結審は展望できる」と報告しました。
 この日、支援署名4,881筆が提出され、累計で8万9,306となりました次回弁論は8月28日。



神奈川で被爆二世のつどい

 神奈川県原爆被災者の会は、昨年に引き続き「第2回被爆二世のつどい」を開催します。
 現在、約4,000人の被爆二世が県の援護事業で健診と医療費の助成を受けられる「健康診断受診者証」を取得しています。
 今回のつどい開催にあたり、神奈川在住の被爆者には「県被爆者ニュース」で調査表を同封した結果、約500人の二世から回答がありました。しかし、親元を離れて神奈川にお住まいの二世にはお知らせする方法がありません。
 そこで県外の被爆者のみなさんにお願いです。神奈川県内に在住のお子さん(被爆二世)に、このつどいのことを呼びかけてください。1人でも多くの二世のご出席をお待ちしています。

*「第二回被爆二世のつどい」 日時=6月22日(土) 13時30分から
会場=神奈川公会堂(横浜市神奈川区)
  問い合わせ先=神奈川県原爆被災者の会 045―322―8689 



韓国被爆者 要請行動

 韓国原爆被害者協会の李廣善会長ら22人が5月14日から16日まで、政府、政党、国会議員への要請行動をしました。
 15日には衆議院第1議員会館で「韓日被爆者連帯援護法の適用を求める決起集会」を、韓国原爆被害者協会、日本被団協、在韓被爆者問題市民会議、韓国の原爆被害者を救援する市民の会の4団体共催で開催。集会には、東京、千葉、埼玉、神奈川などから被爆者18人をはじめ、市民、「在外被爆者に援護法適用をめざす議員懇談会」の国会議員と秘書など100人が参加。「被爆者を差別するな」「在外被爆者にも援護法を適用せよ」と確認し合いました。
 韓国被爆者の来日の目的は3つ。@援護法を平等に適用し、健康管理手当を継続して支給すること、A10年前に日本政府が韓国被爆者におこなった医療支援金40億円が2004年には枯渇してしまうので90億円を追加支援してほしいこと、B6月1日から政府が実施する5億円の在外被爆者支援事業を見直し、被爆者手帳取得のための旅費、滞在費などの補助金は、韓国にいても医療が受けられる資金に回してほしい、というものでした。
 3日間で、公明、自由、社民、民主、共産の各党、参議院議長、衆議院副議長、外務副大臣、衆院厚生労働委員長(自民)、厚生労働大臣への要請を行ない、厚労省前での座り込みをしました。
 野党各党は要請への支持を表明。与党の公明党は、医療支援金の積み増しを首相に要請すると回答。坂口大臣は、在外被爆者支援策は今後もできることをやっていくと述べました。
 訪日要請団のなかに、身体の具合の悪い人がいて、東友会の奮闘で代々木病院に入院するということもありました。


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