「被団協」279号−2002年4月

主な内容
1面 米核戦略見直しに各地で抗議
2面  原爆症認定裁判  日本被団協代表理事会報告  「核かくしかじか」
3面  各地の動き(1面より続き)
4面 「相談のまど」−軽い虫歯の治療費

米ブッシュ政権、核実験再開、使える核兵器の開発を計画

 日本被団協が全国によびかけた米核戦略見直しの「全国いっせい抗議行動旬間」(3月1日から10日)に応え、全国各地で街頭行動、学習会、要請行動など様々なとりくみが行なわれました。
 行動旬間最終日の10日には、米ブッシュ政権が核兵器使用計画の策定や新型核兵器開発を命じていたとする米紙ロサンゼルス・タイムズのスクープが報道されるなど、いっそう危険な米核戦略の本質が明らかになりつつあります。
 「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器なくせ」と訴えてきた広島・長崎の被爆者としては、とうてい看過できない問題です。
 日本被団協は、引き続きこの問題での抗議と、被爆の実相普及のとりくみを強めるとともに、ブッシュ大統領宛の「手紙」を作成。4月の国連NTP準備会への代表派遣に合わせて米政府に届けます。
 「被団協」新聞に寄せられた各地の通信を紹介します。

 神奈川県原爆被災者の会は3月6日、日本被団協がよびかけた「米核戦略いっせい抗議行動」に応え、横浜市伊勢佐木町商店街でビラ配りと核兵器廃絶を求める署名行動を行ないました。
 行動には21人が参加。手書きの「米国の核戦略見直し構想に抗議する」の横断幕を掲げ、「新たな核軍拡競争時代を招く恐れのあるブッシュ政権の危険な企てに、平和を愛する世界の良心とともに厳しく抗議します」と書いたビラを配りました。
 高尾美智子会長が「57年前、広島・長崎で死んでいった多くの人々の苦しみを思うと、核兵器を絶対に許せません。私たちは生ある限りこの運動を続けます」と道行く買い物客らに訴え、多くの市民から署名と募金が寄せられました。
 16日にも同じ場所で12人が行動しました。

 鹿児島県被爆協は3月9日、「米核戦略いっせい抗議行動」の一環として鹿児島市内で学習会を開き、会員など43人が参加しました。
 学習会の講師は、日本被団協代表理事の中山高光さん(熊本被団協事務局長)。原爆投下の非人道性や国際法違反の問題をわかりやすく説明し、米国の核実験の継続や核戦略体制見直しがすすむ現状に対して、被爆者は強く抗議すべきだと強調しました。
 また、10回にもおよぶ自身の米国・ロシア訪問の経験や原爆症認定申請運動にもふれられ、具体的な話が聞けました。
 話を聞いた参加者からは「はじめて突っ込んだ詳しい話を聞いた」と大好評でした。



原爆症認定裁判

 東(あずま)原爆裁判の第14回口頭弁論が3月15日、東京地裁で開かれ、被爆者90人を含む131人が傍聴に参加しました。
 今回の証人は、自身が被爆者でもある名古屋大学名誉教授の沢田昭二さん。専門の物理学の立場から、とくに国・厚労省の被曝線量評価について証言しました。
 沢田証人は、原爆がもたらす特別な被害を具体的な数値を上げて証言。放射線の評価について、国側がなおも固執する被曝線量推定方式の「DS86」が残留放射線や放射性降下物の影響を適切に反映していないことを指摘。とくに放射性降下物として「黒い雨」の素となった「黒いすす」の存在を示唆しました。
 また、初期放射線の成分であるガンマ線と中性子線は、それぞれ人体への影響の度合いが異なるのに、厚労省が単純に線量を足し算して認定を判断していることを「専門家として理解できない」と批判しました。
 次回弁論は7月10日。



都道府県だより(1面より続き)

 熊本県被団協は3月5日、熊本市内の繁華街で米国の「核戦略体制見直し」の抗議宣伝行動を行ないました。
 今回は初めて原水協や原水禁、非核の会、反核医師の会などの友好団体にも案内を出したところ、原水協、新婦人、民医連などから13人が参加。被爆者20人と合わせて33人という県被団協のとりくみでは最多の参加となりました。
 「米核戦略体制見直しに抗議する」「再び被爆者をつくるな」の2枚の横断幕を掲げ、ハンドマイクでの訴えとビラ配布をしました。昼休みの時間帯でもあり、通行する人たちから激励が多くありました。
 新たな核軍拡は許せませんが、友好団体の人たちとの初の共同行動に、「これからは他の人たちにも来てもらいたかね」と被爆者から明るい喜びの声も出て、元気をもらった宣伝行動でした。

 長崎被災協は、日本被団協の「米核戦略いっせい抗議行動」のよびかけに応え、2月28日の拡大理事会で抗議文を採択して送付したほか、3月2日には山口仙二日本被団協代表委員を先頭に、市内の繁華街でマイクとチラシによる街頭宣伝行動を行ないました。
 市民の関心も高く、用意した1,000枚のチラシは1時間足らずでなくなりました。また、平和団体・市民団体によびかけたところ、マスコミ共闘、新婦人、年金者組合、民医連、原水協から15人が参加。総勢40人の活気あふれる行動になり、地元の新聞・テレビなどでも大きくとりあげられました。(長崎被災協)

 東友会は3月6日、都内2カ所で米核戦略見直しの抗議行動を行ないました。
 JR上野駅公園口での行動には東友会から18人が参加。水色のタスキをした「広島・長崎の被爆者は要求します 地下核兵器実験を再開するな 小型核兵器開発計画をやめよ」と大書された横幕をかかげて、東京原水協などの支援団体の人たちと行動しました。
 ビラまき、署名のほか、ブッシュ米大統領と小泉首相への要請ハガキ行動のよびかけを行ない、5人の被爆者がマイクを持って訴えました。
 八王子での行動には、東友会の18人と3・1ビキニデーに参加した大学生、八王子原水協など41人が参加。ここでも5人の被爆者がマイクを持って訴えました。
 どちらの行動でも、被爆者の訴えを聞いた通行人は、次々に足を止めて署名やハガキに協力してくれ、用意した1,500枚のビラはすべて配布。要請ハガキは158枚が活用されました。

 北海道被爆者協会は、2月15日に米・英が共同で実施した臨界前核実験について、越智晴子会長をはじめ3人が平和団体の代表ととともに在札幌の米領事館と英名誉領事館を訪れ厳しく抗議。米領事館ではドゥルー領事が応対したので、抗議文を必ずブッシュ大統領に渡すよう要請。英名誉領事館では代理人に東京の英大使館に送付することを約束させました。
 また19日には、北海道庁と道議会を訪れ、知事と議長の立場で政府を通じて米・英の臨界前核実験に抗議するよう要請しました。

 3月3日に津市で開催された2002年国際婦人デー三重県集会に、三重県原爆被災者の会婦人部は、水谷朝子婦人部長をはじめ10人の婦人部代表が参加。有事立法の制定反対や医療制度の改悪反対、戦争も核兵器もない世界を――と被爆者の立場から世界の女性と連帯して行動しました。
 また6日には、県被団協として米の「核戦略体制見直し」に反対する抗議声明を発表。ブッシュ大統領に送付しました。

 アメリカの水爆実験による被災から48周年の3・1ビキニデー集会が、今年も3月1日に焼津市で開かれました。
 午前中、焼津駅前から「死の灰」を浴びて亡くなった第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんが眠る弘徳院までの墓参行進には、アメリカ、マーシャルなどの海外代表とともに全国から約1,500人が参列しました。
 ひきつづき焼津市文化センターでビキニデー集会が開かれ、焼津市長も出席。日本被団協からは田中煕巳事務局長が来賓挨拶をしました。
 今年は、マーシャル諸島でもビキニ記念集会が開催されており、これに参加された元・第五福竜丸乗組員の大石又七さんからのメッセージが紹介されました。
 参加者は、米ブッシュ政権による新たな核軍拡計画がおし進められるなか、久保山愛吉さんの「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という遺言の重みを受けとめ、核兵器廃絶の決意を固め合いました。(静岡)

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