「被団協」287号  2002年12月

主な内容
1面 被爆者問題研究会ひらかれる 人生かけて
2面  原爆症認定裁判  各地で相談所講習会ひらかれる  核かくしかじか
3面 コスタリカの元大統領夫人と懇談  放射線被曝で苦しむアメリカの農民たち   被爆者・青年往復トーク
4面 被爆者手帳取得の証人さがし
5面 原爆症認定審査の結果事例
6面 第9回被爆者問題研究会詳細
7面  在外被爆者裁判の勝利を  都道府県だより
8面 相談のまど


第9回被爆者問題研究会ひらかれる

 今年度の被爆者問題研究会(第9回)が11月16日、東京の日本大学歯学部内で開かれ、各分野の専門家ら約50人が参加しました。この研究会は、昨年同様、日本被団協と日本科学者会議が共催したものです。
 午前10時、黙とうに続き日本被団協の藤平典代表委員と科学者会議の野口邦和事務局長の主催者挨拶で始まった研究会。昨年9・11テロ以後の好戦的なアメリカの核戦略が国際社会との矛盾を深める情勢と、日本被団協が提起した「原爆症認定集団訴訟」運動がすすむなかでの開催で、これらの課題が今回の中心テーマとなりました。
 午前中の第1セッション「核兵器をめぐる国際・国内情勢」では、「核兵器をめぐる国際情勢―米国を中心に」(元長崎総合科学大学の藤田俊彦氏)と「核兵器をめぐる国内情勢」(日本科学者会議の河井智康氏)の二つの報告が行なわれました。
 午後の第2セッション「『被爆者援護法』と原爆症認定をめぐる問題」では、「原爆症『集団申請』・『集団訴訟』の運動について」(日本被団協の岩佐幹三氏)、「原爆症認定基準と集団訴訟」(弁護士の竹内英一郎氏)、「在外被爆者と『被爆者援護法』」(広島大学の田村和之氏)の三つの報告が行なわれ、それぞれ質疑・討論が交わされました。


人生かけて -2人の友の死を背負って   石川・松林フミ子さん(69)

 7月の第一次集団申請に加わりましたが、「迷いました」。それでも決心した裏には、抱えきれないほどの思いがあります。

1人生き残った思いをひきずって
 1つは、長崎の原爆で失った友のこと。当時12歳。女学校の寄宿舎で同室の友2人を誘って入院中の母を訪ねる途中でした。「食べたい盛りですが物がない時代。病院にはきっと見舞いの食べ物があるから、せしめに行こうと誘ったんです」
 勝山小学校前(3km)で閃光をあびました。友の1人Aさんは即死でした。翌10日は爆心地付近で学校関係者の探索に参加。「息のある人が手をのばし足をつかんで『水を下さい』という中で」、多くの遺体をひっくり返し名札を調べました。
 敗戦で学校は解散。16日実家に戻り、発熱、下痢、脱毛で寝たきり状態が数カ月つづきます。再開された学園に、もう1人の友Bさんも帰ってきませんでした。「被爆1カ月後に亡くなったと聞いて家を訪ねると、彼女のお母さんが『誘ったあなたは元気なの。あなたが誘わなければ娘は死ななかったのに』と」、線香もあげさせてもらえません。以後、1人だけ残ってすまないという思いをひきずってきました。

めまい、疲労感に襲われながら今日まで
 松林さんの戦後は、絶えることのない体の苦しみと道連れの人生でもありました。「なまけ者といわれるのがいやで人一倍元気なふりをします。でもちょっと無理をすると起きられなくなり、50歳の顔をしていたのが80歳の顔になるんです」。
 申請した病名は甲状腺機能低下症。ホルモンのバランスが破壊され、表面は健康に見えても突然めまい、疲労感に襲われます。生活のためパートに出てもつづきません。
 金沢で結婚。21歳で長男を産むとき、姑に「変な子が生まれたらどうする。すぐおろせ」といわれました。「義母のいうことは何でもハイハイと従ってきましたが、これだけは何度いわれても譲りませんでした」
 歳月は流れ、長男もりっぱに成長。やさしい孫は、いまは介護される身になった姑の自慢です。「だから私いったんですよ。『その孫は、あなたに反対されながら私が苦労して産んだ子ですよ』と。私の根性悪いかな」。でも長年のうっぷんがようやく晴れた松林さんです。

なぜ国は被爆者の実情をわかってくれないのか
 最近、厚生労働省は申請を却下。異議申立てを考えています。「原爆で亡くなった人、いまものたうちまわっている被爆者は訴えることができません。その人たちにかわって思い切って申請したのです。原爆で苦しんできた者の思いをどうしてわかってくれないのでしょうか。国はもう少しやさしく聞いてほしい。そうすれば癒しになるし、『ああわかってもらえた』と思って死ねたら幸せだろうと思うんです」。



原爆症認定裁判 -安井原爆裁判

 安井原爆訴訟の第16回口頭弁論が11月11日、札幌地裁で開かれ、被爆者17人を含む75人が傍聴しました。
 この日は、国側証人として児玉和紀氏(放射線影響研究所疫学部長)が出廷。原爆症認定審査の実態や「審査方針」などについて証言しました。

「因果関係はない」と断定できない
 原告の安井晃一さんの疾病である前立腺がんと被爆の因果関係について児玉証人は、「放影研での死亡率調査で、前立腺がんと被爆には有意な関連は見られない」「因果関係があることは確認されていない」としながらも、弁護側の追求によって、「アメリカの核兵器工場従事者の疫学調査では前立腺がんは増えている。被爆が起因という可能性は調査してみなければわからない」「総合して研究すれば関連性があるかもしれないという示唆的影響が見られる」と証言しました。
 そして、この見解はあくまでも「疫学(人間集団を対象として健康や疾病を包括的に調査・研究する学問)」での範囲であるから、現在までに死亡した被爆者に前立腺がんがあったかもしれず、前立腺がんは潜伏期間が長いので、現在因果関係が認められていなくとも今後証明されることもあり得る、と語りました。

機械的な審査の実態浮き彫りに
 昨年5月に厚生労働省が作成した認定の「審査方針」について児玉証人は、「一定のスクリーニングを行なってから審査する」と証言しました。「スクリーニング」とは一般に、審査する対象に適格性があるかどうかを事前にふるいにかけること。この場合、申請者すべてが審査会で討議されるのではなく、機械的なふるい分けが行なわれていることを意味します。
 ただし、がんについては個別に審査を行なっているとして、その基準には「確率的影響」と「しきい値」が混在していることを認める一方、「しきい値を原因確率に使ってはならない」とも言っています。また、蓋然性の高いがんについては項目別に判断するようになっていますが、前立腺がんは「その他のがん」に分類されていることも証言しました。

いいかげんな「高度の蓋然性」
 新しい審査方針の中核をなす「原因確率」にかんして証人は、「50%の蓋然性だとあまりにもハードルが高いので10%にした。10%という数字は疫学的根拠ではなく、政治的配慮でできた数字」と証言。厚生労働省が主張する「高度の蓋然性」とは、政治的配慮で左右される程度のものであることが浮き彫りになりました。

 この日、口頭弁論に先だって支援署名6830筆を提出。累計で11万406筆になりました。
 弁論の後は報告会を開催。弁護団から「児玉証人は"0.01シーベルト以下なら非被爆者"証言したが、これはDS86によるもの。『黒い雨』を浴び、『黒いスス』を吸い、汚染された水や食物を食べた入市被爆者は"非被爆者"にされてしまう。しかしなぜ、"非被爆者"に急性症状が現われたり、悪性腫瘍に悩まされたり、甲状腺の機能が低下するのか」と指摘。スクリーニングをしているという証言と合わせて、「一人ひとりの被爆者を見ず、機械的にふるい分けている」と批判しました。
 次回口頭弁論は12月16日です。(北海道被爆者協会)


ハンフォード原爆工場と周辺住民を訪ねて 肥田舜太郎(医師)

 体に入った低線量放射線は、微量でも直接被爆に劣らない深刻な被害を与える――私が抱き続けている問題を確認するため、この10月、米ワシントン州ハンフォードの原爆工場とその風下でヒバクした農民を訪ねました。

広大さに圧倒され
 ハンフォード工場は長崎のプルトニウム原爆を作った所。被害のあまりの大きさに6年前閉鎖されましたが、いまも残る工場は、コロンビア河と丘陵の間、東京の山手線内がそっくり入る砂漠地域に、8〜9カ所の巨大な工場群が遠望できる、とてつもない代物です。
 コロンビア河の北岸一帯は、どちらを見ても地平線。砂漠に何万何千ものスプリンクラーをならべ、第二次大戦とベトナム戦争の復員軍人に一家約5、6町歩の土地と灌漑水を与えて、1950年ごろから本格的な開拓が始まりました。
 彼らに、風上の原爆工場から放射能を含んだ排ガスと廃液が襲いかかりました。わざと放射線を放出して高度の上空を飛ぶ無人偵察機にそれを検知させたのは、ソ連の上空でキャッチした放射線の核種から核弾頭の性能を探知する訓練のためです。風下住民には地獄の毎日でした。
 60〜70年代の冷戦の悲しい遺産は、今も農民を苦しめています。

口つぐむ農民たち
 何人かのヒバク農民に会いました。祖父母、夫婦、子ども、叔父、叔母の中に、癌、白血病、甲状腺機能障害、血液疾患など、どの家も複数以上のヒバクシャがおり、何人も死者を出しました。しかし、話してくれる人はごくわずか。多くの人は、政府が国を守るために作る核兵器なら被害は我慢すべきだと考え、反対運動をする人を狂人扱いしていたほどです。
 予期した通り、幼児からヒバクした55歳前後の成人に、典型的なブラブラ病症候群が見られました。低線量ヒバクを確信させましたが、そう思いたくないヒバクシャたちにどう説明してよいか、私は苦しみました。
 20数年続いたたたかいで、工場の放出した放射線が犯人と知らされた農民ですが、土地を棄てて行くところもありません。彼らは農業をこよなく愛しています。いまさら何をどうしたらよいのか――自然と大地に命を預けた農民の達観したようなつぶやきに、私は応える言葉を持ちえませんでした。
 彼らを苦しめているのは放射線の後遺症だけではありません。30町歩や50町歩を持つ地主でさえいまは「貧農」。農業で生きるには千町歩は必要です。産業としてのの土台が崩れている危機は、日本の農業と変わりません。

ヒバクシャの連帯を
 低線量放射線被害そのものの実態を目の当たりにして、入市と2km以遠の放射線障害の存在を主張してきた私の考えが間違っていなかったことを確認した旅でした。今後、火傷や外傷もない海外のヒバクシャとの連帯と共同の要として、低線量放射線の問題が重要視されなければならないと思うことしきりです。



在外被爆者裁判の勝利で政策転換を

国・厚生労働省は
 厚生労働省は5月31日、健康局長名で都道府県知事と広島・長崎両市長あてに政令等の改正について通知しました。
 これは、従来は来日して健康管理手当を申請した翌月から支給されていたのを申請当月から支給することにした一方、入国時に出国時期を明記させ、その時期になると自動的に手当支給を打ち切るというもの。日本を離れると「手帳は効力を有しないものとなると推定される」など、あいまいな根拠のまま手続きのみを厳格に規定したものとなっています。
 健康管理手当の支給月が申請当月になったのはよいことですが、日本国内から出たときには支給を打ち切る旨を政令等で明記したことは、これまでの在外被爆者裁判で被爆者側の主張を認めた判決や、厚生労働大臣が設置した「在外被爆者に関する検討会」での討議にも逆行するものです。

議員懇は
 「在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会」では、これを不当としながらも、政令・省令として出されたことから国会で議論する機会がなく、当面、厚生労働省に政令・省令の撤回を要求しています。

在外被爆者裁判は
 在外被爆者にも平等に法を適用し、離日後も健康管理手当を打ち切るなと求める裁判が各地でたたかわれています。
▼郭貴勲裁判
 大阪地裁で勝訴しましたが国側が控訴したため大阪高裁で係争中。12月5日に判決です。
▼李康寧裁判
 長崎地裁で勝訴しましたが国側が控訴したため福岡高裁で係争中。11月8日が結審。来年2月8日が判決です。
▼李在錫裁判
 大阪地裁で係争中。11月14日に結審しました。
▼森田隆裁判
 ブラジルの被爆者・森田隆さんが広島地裁に提訴している裁判では、7月末に7人の在ブラジル被爆者が追加提訴。森田さんの第3回口頭弁論が11月7日、追加分の第1回口頭弁論が12月3日に開かれました。
▼広瀬方人裁判
 離日中の健康管理手当打ち切りを不当として長崎地裁で係争中。12月3日に結審しました。

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